八条荘はヒロインが多くてカオス過ぎる
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第二百二十七話 共演してその三
「本当に出来るならよ
「結末は幸せに、ですね」
「そうなって欲しいから」
「じゃあ井上さんのクラスの舞台は」
「無理がある展開でもね」
そうなってもというのだ。
「救いがあったらね」
「いいですか」
「あたしはそうよ、まあの軍人さんはね」
ピンカートン中尉のこともだ、日菜子さんは話した。
「あたし目の前に出たらぶん殴ってるわね」
「そうしていましたか」
「一発ガツンとね」
「女の人としてはですね」
「許せないから」
だからだというのだ。
「それで許してあげたわ」
「日菜子さんとしては」
「もうね」
それこそというのだ。
「それで許してあげるにしても」
「一発はですか」
「そうしないでいられないわ」
「そうですか」
「ああしたことする奴は」
強い声での言葉だった。
「目を瞑り歯を食いしばれで」
「一発ですか」
「暴力は駄目よ」
これはとだ、日菜子さんも言った。
「そもそも空手はね」
「自分の心身を鍛えるものですね」
「殺人拳と活人拳があるけれど」
「日菜子さんの空手は」
「活人拳よ、だったらね」
「暴力じゃないですね」
「殺人拳でもよ」
こちらの空手もというのだ。
「手を出すものじゃないわよ」
「殺人拳を安易に振るったら」
「本当に人を殺しちゃうわよ」
文字通りにだ、こんなものを迂闊に出すと冗談抜きで人が死んでしまう。殺人拳ならむしろ余計にだろうか。活人拳よりも。
「だからね」
「空手の技は、ですか」
「迂闊に手を出したら駄目よ」
「冗談抜きに人を殺すからですね」
「そして活人拳はね」
「自分の心身を鍛える為のもので」
「人に暴力は」
それはというのだ。
「絶対に駄目よ、けれどね」
「それでもですね」
「あの人にはね」
「一発でもなの」
「殴りたくなるわ」
「そうですか」
「それだけ許せないってことよ」
日菜子さんとしてはというのだ。
「本当にね」
「ああした軽薄な人は」
「現地妻でしょ」
「蝶々さんは要するにそうですね」
「正直当時の人種的偏見はまだね」
蝶々夫人でよく言われるこのことはというのだ、とはいってもこれは西部の娘やトゥーランドットでも見られる。ただプッチーニは当時としてはそうした作品を作曲していてもかなり人種的偏見は少ないいやむしおろ人種主義に反対だったと思う。それはこの人が蝶々さん達に与えた優しい音楽から察せられる。
「あの中尉はましだったでしょ」
「結構あれな言葉はあっても」
「それでもね」
「日本を多少下に見ていても」
「アメリカ第一でね」
「人間とみなしていますね」
「日系人を収容所に放り込んだ連中よりはね」
大戦中のこのことについてもだ、日菜子さんは話した。
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