八条荘はヒロインが多くてカオス過ぎる
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第二百二十七話 共演してその二
「本当に願い下げよ」
「幸せにならないといけない人ですか」
「多分沙耶香もね」
日菜子さんは井上さんのことも話した。
「そう思ってるけれどあの娘だと」
「どうか、ですか」
「お子さんや子孫の人達がって言うかしら」
「実際にそう言っていました」
僕もこう答えた。
「そうなって欲しいって」
「あの娘だったらそう言うわね」
「はい、それもかなり強く」
「そうよね、蝶々さんがああなって」
「それならと」
「わかるわ、あの娘の性格なら」
日菜子さんはオレンジジュースを飲みつつ頷いて言った。
「絶対にそう言ってたわ」
「実際にそうでした」
「そうよね、それであたしはね」
「蝶々さん自身がですか」
「勿論お子さんもね」
「二人共ですか」
「そうならないと駄目でしょ、あたしはとにかくね」
日菜子さんは僕に強い言葉でさらに言った。
「悲劇とか駄目なのよ」
「幸せな結末でないとですか」
「ええ、ただね」
「ただ?」
「誰かが死んでも救われる結末ならね」
「それならいいですか」
「ほら、舞台でよくある」
こう僕に言ってくれた。
「誰かが死んだけれど助かって」
「世界や沢山の人が」
「恋愛が成就したとかね」
「宝塚にあるみたいな」
「そうした結末でもいいから」
「そうですか」
「まあ蝶々さんも救いはあるわよ」
その結末はというのだ。
「お子さんに幸せが託される形になるから」
「残ったその子が」
「大事に育てられればだけれど」
この前提があるにしてもというのだ。
「それでもね」
「救いはありますね」
「そう思えるからね、救いのない展開かっていうと」
「そうじゃなくて」
「まだいいけれど。出来たらね」
「ハッピーエンドで、ですか」
「あって欲しいわ」
蝶々夫人のそれはというのだ。
「だからそう変わるなら」
「是非ですか」
「助かって幸せにね」
「救いのあつ結末は受け入れられても」
「出来るなら」
それならというのだ。
「そうなって欲しいわ」
「そうですか」
「あたしの考えではね」
「そうですね、何ていうか」
「あんたもそう思うわよね」
「思うというか」
それこそだ。
「プッチーニはまだ救いがあるんですが」
「誰かが死んでもね」
「けれど蝶々さんの結末は」
「やっぱり救われるならでしょ」
「ベストですね」
本当に最善のことだ、そうなるなら。
「僕だってそう思います」
「受け入れられてもね」
誰かが死んでも救いのある結末ならというのだ。
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