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八条荘はヒロインが多くてカオス過ぎる

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第二百話 森鴎外という人その八

「従軍していてもすぐに身体を壊して戻ってばかりだったらしいし」
「身体は弱かったんですね」
「軍にいてもね」
 そして軍医でもだ。
「あまり身体の強い人ではなかったんだよ」
「そうだったんですか」
「そのことも余計にあって」
「現場を知らなかったんですか」
「その面はあっただろうね」
「それで現場を知っている山縣達にもですね」
「最後は疎まれたんだろうね」
 山縣有朋も日清戦争の時は第一軍司令官で桂太郎はその下にいたし寺内も現場を知っている。軍を率いて戦争をしたなら当然現場は知っている。
「現場でどんどん脚気患者が出ているのに」
「脚気菌がどうとか言って」
「それで白米だけを送らせていたらね」
 海軍が麦飯を食べて脚気患者が出ないならだ。
「それならね」
「もう、ですね」
「うん、見限るよ」
 現場を知っていて預かっている人達ならだ。
「何しろその人達にとっては医学はどうでもいいから」
「脚気菌がなくてもですね」
「食事で脚気にならないならね」
 もうそれでだ。
「導入するよ」
「絶対にそうなりますね」
「そして実際にそうなって」
 そしてだ。
「やっと陸軍でも脚気がなくなったんだ」
「そうなったんですね」
「それで日本全体でもね」
「脚気は次第にですね」
「なくなっていったんだよ」
「大体一九二〇代にはですね」
「殆どなくなっていったみたいだよ」
 そうした流れだったらしい。
「幸いにね」
「本当に幸いに、ですね」
「脚気がなくなったら」
「これでかなりね」
「日本人の寿命が延びたそうですね」
「そうだよ、それで子供が死ななくなって」
 このことも大きかった、戦前まで小さな子供は本当に何時死ぬかわかったものじゃなかった。しゃぼん玉の歌も実は子供の命のことをうたっているらしい。
「結核も梅毒もね」
「助かる様になってですね」
「日本人の寿命が延びたんですよ」
「結核と梅毒も」
「うん、凄かったからね」
 こうした病気で死ぬ人達もだ。
「もうどれだけの人が死んだか」
「宮沢賢治も結核でしたね」
「それで死んだよ」
 この人もだ。
「織田作之助も梶井基次郎もね」
「その人達もでしたね」
「国民病だったから」
 結核にしてもだ。
「凄かったんだよ」
「その結核も助かる様になって」
「戦後からだけれどね」
「昔はもう罹ったらですね」
「終わりだったよ。ただね」
「ただ?」
「昔大学にいた先生の話だけれど」 
 先生は僕にその結核の話をさらにしてくれた。
「戦前。若い頃結核になって」
「助かったんですか」
「肺の感染した部分を潰してね」
「そうしてですか」
「助かった人がいたよ」
「そうだったんですか」
「終戦後暫くして罹った人もね」
 その人はというと。
「ペニシリンでね」
「その頃にはですか」
「助かる様になったんだ」
「肺を潰してですか」
「そんな治療法もあったんだ」
「そうでしたか」
「梅毒も一応あったよ」
 先生は僕にこちらの病気の話もしてくれた。 
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