八条荘はヒロインが多くてカオス過ぎる
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第百八十九話 武力と暴力その十一
「本当に自分が立場が上の奴が下の人に振るうもので」
「逆はないですね」
「そうですよね」
「それも感情の赴くままに」
「そう考えますと」
本当にだ。
「卑怯なものですね」
「絶対に反撃出来ないと確信している相手に振るうのですから」
「やっぱり卑怯ですよね」
「私もそう思います、ですから武力と暴力は違います」
「武力は毅然とした力ですね」
「そうです、暴力とは違います」
そこは断じてとだ、畑中さんは僕に話してくれた。
「武と矛を止めると書きますね」
「よく言われる言葉ですね」
まさにそうなる、古代中国のその武器を止めるだ。そこに武というものが一体何かという答えがあると思う。
「そしてその通りですね」
「はい、矛を止めるとなりますと」
「武力と暴力は違いますね」
「武力は法律や倫理があります」
「それによって止めるものですね」
「そうした力です、ですが暴力は」
畑中さんは僕にあらためてこの力のことを話してくれた。
「そういったものがないのです」
「弱い相手、反撃出来ない相手に振るうもので」
「悪質な力です」
「そちらも戒めるべきですね」
「私はそう考えています」
「権力の悪用と一緒で」
「むしろ権力を悪用する輩がです」
「振るう力が暴力ですね」
「そうです、その暴力で」
まさにというのだ。
「弱い相手、反撃出来ない相手をです」
「虐げる力ですね」
「それを好んで使ってはなりませんが」
「我が国のそうした連中は違いますね」
「それは連中の行動自体が語っています」
口では何と言ってもというのだ。
「彼等は暴力の行使も躊躇しないのですから」
「沖縄とかでもそうですよね」
「私はその実態を終戦直後即座に確信もしました」
「共産主義自体の危うさとですね」
「そうです、しかも先程お話した通りに彼等の多くは卑劣極まっていたので」
「そうですか、何か畑中さんの戦後は」
その七十年以上の歳月についてもだ、僕は思った。
「大変だったんですね」
「いえ、それがです」
「それが?」
「結構楽しくもありました」
辛くなかったというのだ。
「確かに卑劣の極みも暴力も見ましたが」
「私の人生は戦前も戦中も戦後も満月の様にです」
「満ち足りていたんですか」
「はい」
そうだったというのだ。
「非常に」
「そうだったんですね」
「はい、素晴らしい人生です」
「それは何よりですね」
「はい、ただ完璧に素晴らしい人生はです」
「そういうものもないですね」
何一つ欠けないものなんてこの世にない、それは誰の人生でも同じだ。親父が人の人生には必ず汚点があるし触れられたくない傷もある。そして苦い思いも辛い思いも悲しい思いもそれなりにしてきていると話してくれたことがある。
「やっぱり」
「そうです、やはりです」
「畑中さんの人生もですね」
「多くの人との別れもありまして」
「そうした連中を見たりもしてきましたか」
「そうでした、ですが日本という国も八条家もです」
この二つが畑中さんにとってかけがえのないものなのもわかった。
「健在ですので」
「そのこともあってですか」
「非常にです」
まさにというのだ。
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