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銀河英雄伝説~生まれ変わりのアレス~

作者:鳥永隆史
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第五次イゼルローン要塞攻防戦4


 それは泥の中にいるようであった。
 戦いながら、ヴァルテンベルクはそう評価した。
 敵第五艦隊の前衛が、駐留艦隊の前衛に食らいついてから随分と立つ。
 その間に、手の空いた敵によって要塞が攻撃を加えられ、ヴァルテンベルクも引き離そうと、あるいは敵に対して攻勢をかけようと手を変えて攻撃しているが、敵は老獪な用兵を見せている。

 まさにのれんに腕押し――泥の中にいるような無様な戦闘だった。
 目を見張るような攻撃があるわけではない、あるいはこちらが諦めるような強さではじき返されるわけでもない。
 ただただ、泥の中にいるような疲れる戦いだ。

「敵は未だ引き離せません」
「持久戦だな」
 そうして、時間が経過してヴァルテンベルクは苦い顔を見せた。
 敵は生かさず殺さず、こちらの体力を消耗させようとしているのだと。

 敵の攻撃が弱いのが、その証拠だ。
 本来ならば攻撃を強めれば、数で劣る前線部隊は壊滅することになるであろう。
 だが、そうなれば要塞から主砲を撃つチャンスができる。
 それを異様なまでに恐れているようだと、ヴァルテンベルクは思った。
 ならば、立てられる作戦もあるか。

 戦う気がないのであれば、前線部隊を少しずつ減らして、本体を逃がす。
 あるいは全体で攻撃を加えて、ひるませたところで下がる。
 どちらがいいかと、考えかけて。
「レンネンカンプ大佐」
「は」

 男が生真面目に答えた。
「あの金髪の小僧は、いかがした。死んではないと先ほど報告を受けたが」
「前線で敵の攻撃をしのいでおります」
「さっさと下がらせろ。要塞に戻せ」
「しかし……」
「これは命令だ」

 渋るレンネンカンプに対して、ヴァルテンベルクは命令の二文字で切り捨てた。
 すぐに動こうと考えた行動は、遠のくことになった。
 今しばらく、この泥仕合を続けなければならない。
 苛立つ心を抑えるように、髪をかく。

 待たなければならないそれは――駐留艦隊にとっては、実に不幸なことであった。

 + + +

「無様だな」
 イゼルローン要塞の宙港に引き込まれながら、外の様子にラインハルトは息をこぼした。
 敵の攻撃は苛烈を極めている。
 それまで、一撃も与えられなかったストレスからか。
 艦載機が――あるいはミサイルが、容赦なくイゼルローン要塞に降り注いでいた。
 宙港の傍でも爆発が起き、危うくドッグへの収納が失敗するところであった。

 だが、それも前線からすればラインハルトは運のよいほうであったのだろう。
 敵の意図を見抜き、命令とともに即座に後退―-いや、撤退に移ったからこそ、このタイミングで逃れることができたのだ。多くの前線指揮官は、敵の精鋭部隊によって破滅を迎えていた。イゼルローンの第一壁が閉じる寸前――見えるのは、敵艦隊と味方が入り混じる、酷く無様な様子であった。
 兵力差で、駐留艦隊は敵の第五艦隊と第八艦隊に頭を捉えられて、逃げ出すことができない。自由となった第四艦隊が、イゼルローンに対して、まさに苛烈な攻撃を加えている。

 撃ち込まれる無人艦が、ミサイルが――容赦なく、要塞に降り注ぐ。
 いかに液体金属で、敵の主砲をふさいだところで意味が無い。
 破壊の炎は容赦なく、要塞の外壁を破り、内壁で作業をしていた整備兵を虚空へと吸い出して言った。
「ラインハルト様――早急に中へ」

 その状況を理解しているのは、親友だけだ。
 他の者たちは宙港へと引き込まれた時点で、安堵の息を吐いている。
 生きて帰ってくることができたと。
 ともすれば、この時点でミサイルが外壁に着弾すれば、終わりになることなど理解できていない。それほどに分厚い外壁と、イゼルローンの名前が彼らに安堵をもたらせているのだろう。

 ラインハルトにとっては、それを非難することはできない。
 それすら理解できない、愚か者がいるのだから。
 ラインハルトは――キルヒアイスにも、いや、まして部下にも向けたことがない、冷ややかな視線を後方へと向けた。
 そこには撤退が始まってから、叫ぶように非難する声を張り上げていた人間がいる。

 いかに周囲を安心させる役割があったとはいえ、命をかけた戦場ではうるさすぎる。
 ドッグに収まってもなお、補助ベルトから手を放さない人間がいる。
 それがあったとしても、死ぬときは一瞬。それを理解していない凡愚。
 それでいて視線だけは一人前に、憎悪を向けてきている。
「……その前に片づけなければならないな」
 小さく出した言葉に、キルヒアイスは小さく緊張の色を浮かべた。

 それまでの軽さを一切含まぬ言葉。
 まっすぐな視線を向けられて、ラインハルトは瞳を伏せた。
「キルヒアイス――俺は……」
「ラインハルト様」
 ラインハルトの言葉を止めたのは、赤毛の少年。
 わずか十六という若い年齢――だが、ラインハルトを見る、そこに若さは――弱さはなかった。

「あの凍土の戦場で――私は、あなたを失うかと思いました。あの時、こちらを見ていたのは――死神でした」
「…………」
「あの時まで――私はどこか他人事だったのだと思います。ラインハルト様は完璧で――死ぬことなどないのだと。そう信じてきました」
 当然だと笑いそうになった言葉は、キルヒアイスの真剣な表情にかき消された。

「ですが……」
「それ以上はいい。私も理解している」
 いつか肩に置かれていた手を、ラインハルトは握った。
 凍土の戦場――それまで馬鹿にしていた男の犠牲がなければ、生きていなかった戦場。
 自分が生きているのが、運であったという現実。

 生きるために、全力にならなければならないと理解させられた。
 今を生きているのは当然ではない。
 だから。
 ラインハルトに止められた言葉をキルヒアイスは呟いた。
「私もまた全力でなければならないのだと」

 アレスは歴史を変えていく。

 それは――同盟軍だけに限った話ではなかったが。

 + + + 

「総司令官から入電です。陸上部隊の突入は、いましばらくかかるとのこと」
「そうか……」
 アレスの言葉に対して、スレイヤーは小さく息を吐いた。
 その後、繰り出した命令は端的だ。
「敵を抑え込め」

 スレイヤーの命令は、端的に、ただ必要なことだけが伝達された。
 それを把握し、素早く行動するのは訓練のたまものだろう。
 第八艦隊の応援があるとはいえ、駐留艦隊に対して正面から対峙するのは、最前線の第五艦隊――その最前線に立つスレイヤー率いる分艦隊であった。
 驚くような派手な動きも、攻撃もない。

 派手に敵の要塞に対して攻撃するのは、第四艦隊の攻撃部隊だと割り切り、自らの任務を――第四艦隊に対して邪魔をさせないことを目指した戦いだ。
 当初はイゼルローン要塞へと撤退しようとしていた駐留艦隊であったが、さすがに撤退は無理と悟ったのか、今では少しでも距離を取ろうと、あがき続けている。

 時には後退し、時には前進して回りこもうとする動きは、決してヴァルテンベルクが無能なだけの将ではないことを表していたが、それらを予測して、スレイヤーはただ敵を邪魔する。嫌がらせにも近い戦闘であったが、いたって真面目だ。
分艦隊旗艦ゴールドラッシュの艦橋では騒々しさと慌ただしさが広がっていた。

 喉が枯れんばかりの叫びと機械音。
 もはやこの状態であれば、参謀見習いといえどもじっとできる状況ではない。
 セラン・サミュールも一人の兵士として、報告の束を抱えながら、艦橋を走り回った。
「第十一分隊旗艦損傷――予備がありません」
「第十二分隊に統合するよう伝えろ!」

 逐一入る報告を、全てスレイヤーに任せるには無理がある。
 分艦隊だけで数千もの艦を操っている。
 いくつかは分隊にわけて、それぞれの旗艦戦艦が指揮をしているが、上がってくる細かい報告を振り分ける
目も回るような忙しさに、セラン・サミュールは息を吐く間もなかった。

「ありがとう、これをスレイヤー少将に」
 持ってきた報告を受け、ミシェル・コーネリアから疲れたような礼を受け取った。
 美しい顔立ちには疲れの色がにじみ、長い髪は汗で頬に張り付いている。
 拭った汗で、当初は薄くされていた化粧も落ちてきていた。

 渡した報告の代わりとばかりに、受け取った報告。
 また走ることになるだろうが、それを不満に思う暇などない。
 視線を走らせれば、ローバイクが撃ち込まれる敵のミサイルに、声を張り上げて撃墜の命令していた。誰もが暇すらなく、自らの任務に没頭し――その結果として最前線ながらにいまだに敵の攻撃を正面から受け止めている。もし、彼らが優秀ではなかったのならば、後方から応援としてきている第八艦隊にこの場を任せて、早々に後退して、休息をとれていたかもしれない。

 どちらが良いと判断するのは、難しいが。
 受け取った報告を手にして、初めての戦場。そこに立つ艦橋の様子に彷徨っていた視線が、次の報告先であるスレイヤーを見つけた。
 その隣に立つ、アレス・マクワイルドの姿を見る。
 走り回り、あるいは走る必要がない参謀であっても戦況に目を血走らせている。

 その中で、彼だけは異質だ。
 形ばかりにベレー帽をかぶりながら、前方のモニターを見ている。
 彼自体はこの艦隊の参謀ではなく、全体の参謀であって――この艦にきているのは、その代理。アレスの仕事は、総旗艦との連絡調整であり、この艦に対しての命令権はない。
 実質的にこの艦でやれることはないのだが、スレイヤー少将の近くで立っている。

 落ち着いた様子に凄いと思うのは、半分。
 残った半分は、手伝ってほしいという無茶な願いだ。
 立場があるために、それはセランの我儘であるのは理解しているが、彼が動けばもっと楽になるのではないだろうかと、そんなことを思ってしまう。
 そんなことを考えていて、セランはふと疑問に思う。

 連絡調整であれば、彼があの位置に立っているのはなぜだろうと。
 仕事がないのであれば、目立たない位置に下がればいい。
 すぐにスレイヤーに伝える必要はあるかもしれないが、前に出て戦況を見る必要もない。
 実際に、目立つ位置で何もせずにいるアレスを周囲の参謀が不快げに彼を見ていた。

 そんなに戦況が悪いのか。
 視線を前方に向ければ、前方に変わった様子はなく、第四艦隊の攻撃はより苛烈になって、イゼルローン要塞を襲っている。
 戦いは有利に推移している――では、なぜと。
 視線をアレスに向けて、セランは背筋を震わせた。

 笑った。

 ゆっくりと唇を上にあげていく。
 それはいつかの――楽しくも、嬉しくも、狂気すらも含むような笑い。
 その笑みに、不快を表していた周囲すらも声を飲まれている。
「サミュール少尉――セラン!」
 硬直が、背後の声から聞こえた。

 ミシェル・コーネリアが、怒りの視線を向けてきていた。
「聞いているの。ぼーっとしている時間はないわ、それを早く少将に」
「申し訳ございません」
 即座に謝罪の言葉をして、振り返った視界では既にアレスは元の表情に戻っていた。

 駆け出しながら、セランはアレスの表情を忘れることができなかった。

 + + + 

 第四艦隊の攻撃は、苛烈を極めた。
 イゼルローン要塞からも防御用の砲撃が返されるが、駐留艦隊に近くで主砲が使えない現状であれば満足に攻撃を防ぐこともできなかった。いかに対レーザー用の防御壁を持っていたとしても、スパルタニアンによる接近からの砲撃やミサイルによる攻撃を完全に防ぐことはできない。

 むき出しになった鈍色の金属壁に向けて、多重に攻撃が加わり、傷口を広げていく。
 加わる攻撃に、イゼルローン要塞の内壁で作業をしていた技術兵が虚空の中に吸い出される。破裂する弾頭によって、幾人もの人間が塵すら残さずに消えた。

 だが、生き残った人間よりは良かったのかもしれない。

 + + +

「あがっ!」
 落ちてくる鉄骨に貫かれて男は叫んだ。
 運よく致命傷を避けた鉄骨は、しかし、地面と男を貼り付けにしている。
 第三層目の外壁には亀裂が入り、数分もすれば男がいる場所は宇宙へとつながるだろう。
 だが、誰かが見ればこの場所は違和感が多かった。

 貫かれた男は――そして、周囲に倒れる人間は黒色の帝国の煌びやかな軍服を着て、そして、それを正面に見る男たちも同様であった。ドックという位置ながら、作業服に身を包むものもおらず、そもそもこの場所は数十分前には完全撤退の命令が下された場所である。
 人がいること自体がおかしい場所だ。
 そこに誘い込まれ、そして処理をされた。

 倒れた男は背後から現れた人間によって、銃を抜くことすらできなかった。
 そして、それをいまだに正面の男は理解していない。
「何をしている、さっさと助けろ」
 叫ぶにも痛みが走るのか、いくばくか声を殺して呟いた言葉。
 それを冷ややかに見ていた男たちはゆっくりと振り返った。

「こ、こんなことをしていいと思っているのか」
「この場所で死んだところで誰にもわからないと、先ほどおっしゃったでしょう」
 冷ややかな言葉を残して、男たちは内部の隔壁へと走っている。
 遠ざかる背中に、痛みと恐怖で男は涙と涎で顔をぐしゃぐしゃに歪める。

「待て、いや待ってください。助けて――」 
 叫んだ瞬間、外壁の亀裂が深くなり、外へと吸い出す力が働く。
 嫌だと、貫いた鉄骨を無視して体が動き出すのを、耐えながら、男は叫ぶ。
 傷口が広がって、激しい痛みに、首を振って、ただ嫌だと繰り替えた。

 男たちの背中が、隔壁へと消えていく。
「嫌だあああああああ」

 悲鳴に似た叫びをあげて、男――クルムバッハ少佐の体は千切れ飛んだ。

 + + +

「第三層目まで破損! 第二十一ドックは使用できません」
「何という事だ」
 力のない声が、バッハから漏れ出た。
 苛烈なまでの攻撃が、要塞指令室まで音を漏らしている。

 艦内のモニターには、逃げ惑う兵士たちが映し出され、第二層目では死体がピンボールのように飛んでいる。
 目をそむけたくなる光景に、指令室の人間は声もない。
「何ということだ」
 地獄にも近い光景に、クライストは唇を震わせた。
 いかに防御設備が優れていたとしても、大軍からなる敵の攻撃には無力だ。

 要塞は、他の部隊と連携してこそ力が生まれる。
 駐留艦隊は未だに敵の先頭と団子の状態であり、援護の期待は一切できない。
「敵無人艦突入します!」
 もはや報告に近い形で、より一層の激しい揺れがイゼルローン要塞を襲った。
 負ける。

 クライストは自問する。
 この偉大なる帝国が――力を表すイゼルローン要塞が奪われる。
 そんなことが許されるのか。
 許されないと怒りをもって、前を向いた視界に激しく損傷したイゼルローンが映っていた。

 吸い出され、あるいは悲鳴を上げて逃げ惑う兵士たち。
 それらは全てクライストの大切な部下であった。
 無能な、駐留艦隊の人間たちとは違う大切な部下だ。
「何をしているのだ、あいつは」

 駐留艦隊の無能で、クライストの部下が死に、そして、クライストの地位まで脅かされる。
 イゼルローンを失ったとなれば、陛下からの不興を買うのは当然だ。
 どうすると考えて、クライストは思い出す。
 この戦況を一撃で変える、魔法の力を。

「第三層目大破――」
 上がってくる報告に、クライストは噛んでいた唇を、ゆっくりと開いた。
「……て」
「第三ワルキューレ部隊半壊、一度収納をおこな……え」
 士官が、誰もが振り返ってクライストを見た。

 指揮官席で、前方を鬼の様に見ている。
「撃てといった。トールハンマーを撃て」
「……」
 憎しみにも満ちた言葉は誰にも聞こえた。
 だが、理解するまでに数秒の時を要した。

「し、しかし、いまだに味方が前方に」
「構わん。このままではイゼルローン要塞が奪われてしまう――この要塞が敵を手に入れれば、駐留艦隊に倍する兵が失われることだろう。構わん、撃て、撃ち殺せ」
 果たして、それは誰に向けらえた言葉であったのか。

 ただ憎しみと怒りをこもったまなざしに、言葉を失った。
 要塞が揺れた。
 おそらくは敵の攻撃、だが被害の確認すらすることもできない。
「さっさとしろ!」

 叫ばれた言葉に、反射的に顔を戻して、要塞の兵士たちは慌てたように端末を操作した。
「トールハンマー砲撃準備」
「エネルギー充填――」
 副官であるバッハも、そして周囲の参謀たちもただ茫然として前方を見続ける。
 これは仕方がないことだ。

 そもそも最初から駐留艦隊が敵を離していたら、終わっていたことだ。
 その無能さで、何人の部下が殺された。
 要塞を奪われたらさらに死ぬ人間は増えるだろう。
 だから。
「これは仕方のない事なのだ」

 自らに言い聞かせるように、クライストは震える声を出した。

 
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