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銀河英雄伝説~生まれ変わりのアレス~

作者:鳥永隆史
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第五次イゼルローン要塞攻防戦5




「敵要塞から高エネルギーの出力反応。解析結果――トールハンマーです」
 悲鳴のような声があがって、それまでの穏やかな空気がかき消えた。
「ば、かな……」
 そう呟いたのは誰であっただろう。

 参謀の誰かが呟いた言葉は、等しく全員が思ったことだ。
「敵艦隊が抜け出したことは聞いていないぞ!」
 ビロライネンの叫びに対しての、返答は困惑と恐怖が入り混じった声だ。
「敵艦隊中枢は未だに第五艦隊分艦隊と接敵中」

「な、ならば、こ、こけおどしだ。そうだ、そうに違いない」
「出力増大中――砲撃予想時間……五分」
「報告はいらん。脅しに決まっておる」
「脅しではなかった場合、相当な被害が予想されます。閣下……」
「ああ。そうだ」

 アップルトンの苦い声に、前方を睨みつけていたシトレの硬直が解かれた。
「今すぐ全艦隊に後退を命令しろ。イゼルローン要塞主砲の範囲から逃れるのだ」
「閣下、それでは敵の思うつぼです。我々の後退を誘っているのです」
「そうかもしれん。だが、そうではなかった場合はどうなる、ビロライネン大佐」
「それは」

「前線にいる艦艇は壊滅的な被害を受けます。しかし、それは、後退したとしても第五艦隊は……」
 シトレの問いに答えたのは、アップルトンであった。
 苦い言葉は最後まで続けられない。
 既に敵深くまで侵入している同盟軍――例え、後退をしたところで五分では最前線は間に合わない。
 そして、それは等しく誰しもが理解していることであった。
「時間がない、さっさと後退の命令をだせ」

 シトレの強い口調に、ビロライネンは不満を隠さずに唸った。
 だが、それ以上は言葉にはならず、前線の兵士たちは慌てたように命令を伝達する声が広がった。
「スレイヤー」
 小さな言葉が、シトレの口から洩れた。
 第八艦隊総旗艦からは随分と遠い――イゼルローン要塞に近い位置で戦う部下の名前だ。
 もはや、後退したところで間に合わない。

 理不尽な砲撃によって、塵すら残ることはないだろう。
 多くが死ぬ。
 そう考えているのは、シトレだけではない。
 総司令官が立つ場所から一段ほど低い場所で、佐官以下の参謀が集まっている。
 緊迫する場面であっても、さざめきのような会話が広がっている。

 馬鹿なと嘆く声。
 あるいは、ビロライネンと同じように敵の脅しだと虚勢を張るものもいた。
「あたってほしくない予想ほど、あたるものだ。いや、この場合はマクワイルドを褒めるべきか」
 憮然とした表情で、いつの間にかヤンの隣に、ワイドボーンが立っていた。
 腕を組んで睨んだような視線は、厳しく――激しい。
 感情を押し殺したようにしているのは、さすがにこの状況で叫ぶのはまずいと考えているからだろう。

 強い声の代わりに、腕を握る手に力がこもっていた。
「今すぐ、あいつを呼ぼう。この状況になれば、一番の適任は奴だろう」
「無理だ。それは――」
「なぜだ、ヤン少佐。彼のその有能さは理解しているはずだが」
「彼が有能か無能かの問題じゃないんだ。彼は、彼は……いまあそこにいる」
 遠くを見る視線が見つめるのは、最前線の戦場。

 後退命令が伝わったのであろう、慌ただしく陣形を乱し始めたさらに先だ。
 ワイドボーンが瞬いた。
 指示された場所を見て、ヤンの顔を見て、もう一度最前線をみる。
「あそことはどこだ。ヤン・ウェンリー。俺には見えないぞ」
 怒りを押し殺した言葉に、ヤンはもう一度、最前線を――腕をあげて、指示した。
「あそこだ。第五艦隊分艦隊旗艦ゴールドラッシュ。その艦上だ」

「な……何を馬鹿なことを」
「事実だ」
「ヤン。なぜ、止めなかった」
「止められるはずがない。既に上の許可を得ている、私が動いたところで」
 ヤンの言葉は最後まで語れなかった。
 ワイドボーンの太い腕が、彼の胸元をつかんで引き寄せたからだ。
 軽々とヤンの体は浮いて、背の高いワイドボーンの顔に近づいた。

「止めなかったの間違いだろう、ヤン・ウェンリー。貴様はそれほどまでに軍の命令が絶対か」
「あたり前だろう」
「ならば、なぜ止めなかった。進言して、その上から命令を取り消すことだってできただろう」
「軍人としてそんなことはできない」
「イレギュラーだとでも言いたいのか。貴様の言葉はできない、やれないばかりだな。それで後輩を見殺しにするのか」

 握りしめた拳は、しかし、ヤンにたどり着く前に止められた。
「落ち着きたまえ、ワイドボーン少佐」
 彼の手をつかむ、細い手が阻止したのだ。
 だが、それは見た目よりも遥かに力強く、見れば銀色の髪をした男がいる。
 背後にはワイドボーンに引けを取らない大柄な男がいた。

 他の戸惑う視線とは別にして、申し訳なさそうな表情にワイドボーンは熱を失ったように、手を離す。
「何もできなかったのは我々も同じだ。ヤン少佐だけを責めないでくれ」
「アロンソ中佐……」
 自由となって、ヤンが小さくせき込んだ。
 慌てたようにパトリチェフが、ヤンに駆け寄って、背中をさする。
 だが、ワイドボーンは見ていない。

 代わりにとばかりに、睨むのはアロンソだ。
「あなた方もご存じだったのですか」
「だが、どうにもできなかった。責めるなら、私を責めてくれ。階級としてはそれが正しい」
「……いや、失礼した」
 アロンソの丁寧な謝罪の言葉に、ワイドボーンは持ち上げた手をおろす。

 軍ではヤンの言うように、直属の上司の命令が絶対である。
 ヤンにはイレギュラーを求めたが、それができるかどうか冷静に考えれば、今回の状況では難しいと判断したことが間違えではないと、ワイドボーンにも理解ができたからだ。
 最も何もしなかったことには変わりがないが。
 感情を殺したよう謝罪の言葉をヤンにかければ、ヤンは苦く顔をしかめながら、大丈夫だと言葉にした。

 それ以上は言葉には出来ず、鼻息を荒くして、再び腕を組めば、ワイドボーンは怒りの表情を残したままに前方を睨んだ。
「良いでしょう。この怒りは奴が戻って来た時に取っておきます」
 だから。死ぬなよと。
 ワイドボーンの呟いた言葉に、ヤンとパトリチェフが顔を見合わせて、苦笑する。
 可哀そうにと。

 要塞主砲――砲撃まで、残り三分。

 + + +

「要塞主砲――エネルギー充填を開始しました」
 悲鳴のような声は、どこからも上がっていた。
 第五艦隊分艦隊旗艦ゴールドラッシュの艦橋でも、だ。
 走り回り、せわしなく端末を叩いていた人間たちが、動きを止める。
 絶望に染まる視界の中で、たたずむのはイゼルローンの墓標だ。
 宇宙の中で変わらぬ黒が、そこにはあった。

「総旗艦ヘクトルから暗号通信。全艦隊、即座に戦闘をやめて後退せよ!」
 呟かれたアレスの言葉と、通信士官の言葉は同時だ。
「逃げろ――というのか、だが、どこに」
 呻くような言葉は、分艦隊主任参謀のものだ。
 その嘆きは誰もが、事実を理解していた。
 敵陣深く、最前線にいるスレイヤー艦隊に逃げる場所などどこにもないのだと。

 セランの手から、報告の束が落ちた。
 それをとがめる人はいない。
 視線が集中するのは、緩やかに光りだすイゼルローンの姿だ。
 蓄えられたエネルギーが、光となって目視できるまでになっている。
 その鈍くなった動作は、戦場においては致命的な隙であったのだろう。

 だが、この事態に動揺しているのは同盟軍だけではない。
 相対する帝国軍もまた、動きに動揺を隠せていない。
 互いの攻撃は未だに続いているが、それは惰性のようなものだ。
 狙いも何もなく、ただ撃っているだけというもの。
 むしろ、帝国軍は逃げるように陣形すら考えずに動き始めている。

 背後にいる同盟軍もまた同様であったが。
 スレイヤーの艦隊が動けないのは、理解しているからだ。
 下がったところで、敵の主砲からは逃れられない。
「この上は敵を少しでも叩きますか。今なら叩き放題です」
「それもいいが。上はそこまで間抜けではないと思いたいな――マクワイルド大尉」

「はっ」
 身近な返答に、ベレー帽をした金髪の少年が前に出た。
「上はなんと」
「先ほどの報告と同様です。全艦隊、後退せよと」
 アレスの言葉に、周囲が苦い顔をした。

 わかってはいたが、当然の意見に絶望の色が深くなる。
 それでも恐慌に狂わないのは、最前線に立つ精鋭としての維持か。
「そうか。で、君はどう思う」
「良い感じで敵も混乱しております。賭けに出るには十分ではないかと」
「かけか。勝率はどうかね」
「高いと考えておりますが。どうも小官の賭けの才能は昔から悪いのです」

 スレイヤーが笑った。
「安心しろ、私は賭けには負けたことがない」
 死ぬ前にしては随分と明るい会話に、周囲の参謀たちも呆然として見ていた。
 だが、そんな様子に対して、どこか安堵を浮かべる者たちがいた。

 ローバイク。
 コーネリア。
 そして、セラン・サミュールだ。
 アレスを知っている者たちは、みな理解していた。

 死なない。少なくとも、彼は死ぬつもりはないのだと。
「あたっては欲しくないことが、あたるものだ。マクワイルド大尉、こちらへ」
「良いのですか」
「この作戦を一番理解しているのは君にほかないだろう。気にするな、成功しても失敗しても、責めるものなどおらん」
 どういうことだと、尋ねようとした参謀たちの前をアレスが通った。

 司令官の立つ席をスレイヤーが譲れば、アレスが代わりに立った。
 持て余していたベレー帽を外して、周囲を見る。
「申し訳ないが、詳しく説明している時間はない。マクワイルド大尉作戦を」
「わかりました。コーネリア大尉――手元の端末で、D-3を開いてくれ。各艦隊にも端末でD-3を開くよう指示を」

 言葉に戸惑った視線――スレイヤーが同意をするように頷けば、慌てたようにコーネリアは端末を操作する。
 前方のモニターに映し出されたのは、艦隊運用計画だ。
 青い光点の動きに、誰もが目を見張った。

「これは……こんなことが可能なのか」
「可能かどうかはやらなければわからない。だが、敵に突撃するよりは魅力的ではないかね」
「マクワイルド――大尉だったか。これは実現可能なのか」
「シミュレート上では。ですが、生き残るにはこれしかないと思います」
「そうか。小官はクリス・ファーガソン大佐だ。我々も力を貸そう」

「ありがとうございます」
 ファーガソンの言葉に、アレスは一度頭を下げて、再び正面を見た。
「見てのとおり。これは非常に賭け近い作戦だ。だから、みんな力を貸してくれ」
「はっ!」
 力強い返答とともに既に兵士たちは、アレスの指示したD-3行動に向けて、それぞれが動き出している。端末をたたき出す音に対して、アレスはベレー帽を脇に置いて、イゼルローン要塞を見た。

 真っ白な光の輝きは、既に要塞全体を包み始めていた。

 要塞主砲――砲撃まで、残り二分。

 + + +

 イゼルローン要塞を調べていて、誰もが頭に浮かべるのは要塞主砲――トールハンマーだろう。アレスもまた最初に調べたのは、トールハンマーのことだ。
 だが、その情報はいまだ同盟軍には知られていない。
 被害総数から、相当な電力が消費されていることは理解しているが、その主砲の形状や動作に至る細かいことまでは理解できていない。向かい合った艦隊は全てが塵すら残さず消えており、周囲の艦隊から見ることができるのは分厚い光の円柱が味方艦艇をかき消していく姿が確認されている。

 その有効射程範囲や威力は推察ができても、具体的な主砲の情報は一切なかった。
 それはいまだに敵の要塞指令室の場所がわからないことや同様の主砲が同盟で作られていないことからも明らかであった。
 つまり、具体的な動作は一切わからない。
 それは原作でも同様だ。

 描かれるのは、要塞から砲口をのぞかせて、敵に対して攻撃する。
 だがと、アレスは疑問を抱いた。
 トールハンマーは細かな狙いをつけることが可能であり、決して一方向だけを攻撃できるものではない。もし砲口が存在していれば、その射線からずれることで容易に回避することが可能であっただろう。
 砲口が可動式であって、必要に応じて角度を変えられるのか。

 それも難しいと思う。
 いかに角度をつけることができたとはいえ、あくまでも要塞の中に収まる範囲だ。
 巨大すぎる要塞の中で、角度の差だけで三百六十度を賄うことは不可能。
 ならば、複数に方向を設置しているのか。
 それこそ無駄であろう。要塞に必要なのは主砲だけではない。

 一万もの艦隊が収納できるように作られているのだ。主砲だけでスペースを作ることは無駄だ。
 単純に砲口を設置するだけでは、その威力と柔軟性が説明できない。
 そう考えて思い出したのは、イゼルローンの主砲の説明だ。
 何万億キロワットだか忘れたが、それは強大な電力によってまかなわれているのだろう。

 まさに雷のような破壊だ。
 ならば、わざわざ砲口を設置する必要はあるのか。
 それはあくまでもアレスの想像であったが、アレスの目に映る姿は、それを捉えていた。
 イゼルローン要塞が明るく光りだせば、その射線の先――アレスの艦隊に向けて、稲妻が集約していく様子。

 一点に力を集約して、放出する。
 それはまさしく、神の雷であって、放たれれば塵すら残さずに消していく。
 だが。
 と、アレスは思う。
 集約され、一撃のもとに放出される光の帯。

 それは絶対的な力であるが、集約という一点においては隙があるのではないだろうかと。
 即ち。
「全艦隊、全力移動へ移行」
 敵の狙いは第五艦隊分艦隊。
 そこに敵の駐留艦隊は存在するが、もはやそれは気にも留めていないのだろう。
 通常であれば、後退をしたところで光の帯から逃れることはできない。

 だが、前ならば。
 艦隊の速度は、戦闘態勢ではなければ平均時速で五千万キロを超えている。
 それは広い宇宙では決して早いものではなく、遠い場所に行くならばワープ航法を使わなければならない。だが、わずか直径六十キロ程度の人工物であるのならば、一瞬で遠ざかることも可能な速度。

 むろん、戦闘態勢から全力移動には大きな時間はかかる。
 そのためスレイヤー少将は、そして前線の艦隊は無理をしてきた。
 敵の攻撃に対して無様とも呼べる戦いであったのが、その理由だ。
 本来であれば、敵を包むように押し込むことも可能であった。
 だが、攻撃や防御に対するエネルギーを最小限に抑え、移動用にエネルギーを残している。

 アレスの無茶な願いを信じてくれた、スレイヤーには頭があがらない。
 でも、だからこそ。
 一点に力を集約するため、イゼルローン要塞の前方にはわずかな射線の空白。
 防御も攻撃も無視した加速への移行。
 そして、敵もまた混乱してこちらに対して攻勢をかけられないこと。

 それらの要因が、成功へと導かれる。
 賭けではあるのは間違いないが。
 だが。
「全艦隊、前へ――敵をぶち抜いて、進軍せよ!」

 力強いアレスの命令が、全艦隊に伝達された。

 要塞主砲――砲撃まで、残一分。

 + + +

 光の帯が、宇宙を切り裂いた。
 目が眩むような光は、すぐに遮光機能によって抑えられるが、それでも映るのは白い光。
 幾千隻もの戦艦は光の激流に飲み込まれ、消えていった。
「……て、てき。トールハンマーを発射」

 呆然とした索敵士官の声が、その事実を告げていた。
 先ほどまで脅しだと騒いでいたビロライネンは、開いた口をそのままにして、その現状を見ていた。それまで雲霞のように広がっていた戦艦の光が、貫かれた光の場所だけ真っ暗なものへと景色を変えている。
 敵も味方も、等しく存在すら許されない状況に、誰もが呼吸すら忘れて、モニターを凝視している。

「被害を報告せよ」
「は。第四艦隊――第二分艦隊の一部。第八艦隊、第三分艦隊の一部、第五艦隊第二分艦隊の一部が消失」
 あげられる船籍の数は、既に千を超えている。
 それでも一部という言葉は、逃げ延びたという事であるのだろう。

 早急な後退命令が功を奏したともいえるが、だが、それは後方で待機するのに余裕があった艦隊だけだ。
「第五艦隊第一分艦隊――スレイヤー少将は」
「は。それは、現在確認中です」
 言葉も少なげに、索敵士官の一人が苦い声を出した。

 現実を知りたくなかったため、あえて見なかったのだろう。
 だが、それもわずかな遅延にすぎない。
端末を操作して――目が開かれた。
「第五艦隊第一分艦隊――生存。生存です!」
 目を開いて、シトレが前に乗り出した。

「生存だと。スレイヤー少将は生きているのか?」
「はい。第五艦隊第一分艦隊旗艦は生存。スレイヤー少将だけではありません。第五艦隊第一分艦隊は、イゼルローン要塞付近にて、多数の艦影あり。一部が消失したものの、大部分は生存です。第五艦隊第一分艦隊は無事です!」
 索敵士官の声に、周囲が喜びの叫びをあげた。

 誰もが全滅を予測して、生還など不可能だと考えていた。
 それが結果として数千の艦隊は失われたが、今までの被害からすれば軽微な損害だ。
 本来であれば完全に消え去っていただろう分艦隊が生存している。
 絶望の中で見えた希望の光に、誰もが顔を明るくした。
「何を沈んでいる!」

 興奮した声とともに、ヤンの背中が強く叩かれた。
 痛みに顔を向ければ、ワイドボーンが笑っている。
「さすがだ。さすがは俺の後輩だ」
「ああ。君の言う通り、彼はたいしたものだ。だから、次からはもう少し優しくしてもらえると助かる」

 微かな苦みを浮かべながら、それでもヤンも嬉しそうに笑った。


 
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