八条荘はヒロインが多くてカオス過ぎる
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第百五十六話 教会の中その十一
「かなり勇んでて熱くて勉強もしてるの」
「そうなんですか」
「不思議な位ね」
「そうですか、そんなにですか」
「まるで教会の子供みたいに」
そこまでだというのだ。
「詳しくなってるしね」
「熱いんですね」
「何でも自分から進んでして」
ひのきしん、つまりお掃除とかの雑用の類をだ。雑用といってこれが出来ないと何も出来ない。親父が言うには雑用とか言って馬鹿にする奴は仕事も出来ないとのことだ。
「そうしてるし」
「他の人に任せたりとかは」
「しないわ」
「そうした人なら」
僕が聞く限りにしてもだ。
「教会でもいい会長さんになれそうですね」
「そのまま成人していったらね」
成人もおみちの言葉で成長するという意味だ。
「なるわね」
「そうですよね」
「確かにお調子者でいい加減でも」
そうした短所はあるにしてもだ。
「いいようぼくになれそうね」
「僕もそう思います」
ようぼくはおみちのことを教えてもらった人だ、十八になっておみちの教えを教えてもらう、おさづけを十回受ければならせもらえる。ようぼくはおみちにおいては結構以上に特別な意味を持っている。
「僕もそうならないとって思います」
「義和君も八条家の人だから」
「はい、おさづけを貰って」
十回だ。
「ようぼくにならせてもらいます」
「そう決まってるのよね」
「八条家は皆そうですね」
何しろこの八条分教会の信者さんだからだ、一族は皆。
「ですから僕も」
「そうよね、じゃあ十八になったら」
「おさづけ頂きます」
「お願いするわね、私も」
「はい、それで親父も考えてみたら」
あのとんでもなく破天荒な親父でもだ。
「ようぼくなんですね」
「そうなの、止さんもね」
「そうですよね」
「いい人よね」
千里さんも親父のことをにこにことして話す。
「人の道もわかっていて」
「あれでそうなんですよね」
「よく女の人が好きとか遊び人とかお酒好きとか言われるけれど」
「全部その通りです」
その三つがどれも桁外れなので評判が悪い、このことは紛れもない事実だ。
「親父は、ただ教会の人と付き合ったこととかは」
「ないわよ」
「そうですよね」
「私達も自分の子供みたいに可愛がってもらってるし」
千里さん達にしてもというのだ。
「お菓子も貰ったり」
「お布施としてですね」
「お酒も頂いたり」
「気前いいですしね、それに遊んでいい相手の人もわかってますから」
そうした女の人とだけ遊ぶ親父だ、何でも尊敬する伊藤博文さんに倣ってるそうだが本当のことだろうか。
「教会の人達には」
「絶対によね」
「手を出さないです」
そこは本当にだ、親父のこうしたことは安心出来る。
「それで千里さん達にも」
「そうなの、子供みたいにね」
「可愛がってもらってるんですね」
「それでいつも止さんに言われてるの」
「何てですか?」
「千里さんは早くいい彼氏を見付けて」
そしてというのだ。
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