天使のような子に恋をした
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天使のような子に看病してもらった
──昨日は本当に楽しかった。
南さんとのデート。大成功だったし、人生の中で一番充実した時間を過ごすことが出来た。南さんも楽しんでいた……と思いたい。
また、進展もあった。手を繋いだことや、南さんの肩を抱いたことは勿論、その他にも彼女との距離がグッと近づいた出来事がある。それは、デートの帰り道でのこと。南さんからある一つの提案──というか、お願いがあった。
「私のこと、名前で呼んで欲しいな……」
正直、願ってもないお願いだった。名前で呼ぶということは、お互いの距離が更に近づき、より親しくなれるということだ。しかしその反面、最初の壁が大きい。俺は今まで女子を苗字でしか呼んだことがなく、名前で呼んだことなんて一回もない。緊張するに決まっている。だから、ヘタレな俺は躊躇ってしまった。
だけど、南さんのお願いを断れる訳もなく。最終的には俺が折れて、お互い名前で呼ぶことになったのだ。考えてもみて欲しい。超が付くほどの美少女に、甘い甘い声でお願いを囁かれて、断れる男子などいるのだろうか。殆どの思春期男児なら、その場で即快諾すると思われる。俺もそうだったし、つまるところ、とてつもなく可愛いのである。
──何はともあれ、名前で呼び合うことになった俺と南さん──いや、ことり。俺としては、さん付けの方が気が楽で良かったのだが、ことりの要望によって呼び捨てに決まった。今はまだぎこちないが、これは徐々に慣れていくしかない。
人生で初となるデート。そのことは一生の記憶に刻まれ、この先、決して忘れることはないだろう。ああ、本当に楽しかった。
──楽しかったのだが。
「……何か変だな」
違和感を感じたのは、起き上がってすぐのこと。普段なら絶対に感じることのない、妙な倦怠感と眩暈が俺を襲った。また、身体の熱さとは対称的に全身に感じる不思議な寒さと、まるで象が脳内で暴れているかのような頭痛。熱は確実に37.5℃を超えているだろう。
これらの要素から、考えられるものはひとつしかない。
「……風邪でも引いたか」
俺一人しかいない部屋で、ポツン、と独りごちた。ため息を漏らしながら、ベッドに倒れ込む。うん、こうしている方がかなり楽だ。
数年ぶりの風邪──普段は健康体な俺だけど、数年に一回のペースでこうして体調を崩す。風邪の原因となったのは、修学旅行か、昨日のデートか、はたまた今までの疲れが溜まって一気に風邪として出たのか、詳しいことは何も分からない。だけど、昨日のデートが原因であって欲しくはないな。一生の思い出となった訳だし、何よりことりに心配を掛けてしまう。それだけは絶対に避けたい。
とりあえず、親と翔真に風邪を引いたことを連絡しよう。特に翔真にはいつも待たせてる訳だから迅速にしなければ。親は……まあどうせ起きてこないのを不思議に思って部屋に来るだろうから後回し。
あっ、そうだ──待たせてるといえば、それはことりにも当てはまる。毎日俺の家の前で待っているし、ことりにも連絡しないといけない。朝から電話を掛けるのは気が引けるけど、この際仕方が無い。
RIMEの無料通話のところをタップし、電話を掛ける。まだ寝てるかな、朝の支度で忙しいかなとか思っていたけど、意外にも1コールで出てくれた。
「もしもし。おはよう蒼矢くん。朝からどうしたの?」
全身に鳥肌が走った。朝イチで好きな人の声を聞ける。それだけで幸せな気持ちになる。しかも、“蒼矢くん”って名前で呼んでくれたし。
って、今はそうじゃないんだった。
「おはよう。朝早くごめん。悪いけど、今日学校休むから。いつものように待ってなくていいよ」
「あ、うん、分かったけど……何かあったの?」
「あー……実は風邪引いちゃってさ」
「えっ、ほんと!? 大丈夫?」
電話越しでも、ことりが心配しているということが分かる。心配を掛けて申し訳ないという気持ちと、反対に心配されて嬉しいという気持ち。本当に優しいな、ことりは。
「今はちょっと辛いけど、寝てれば治るだろうからさ。今日は一日寝てるよ」
「それがいいと思う。うん、分かった。お大事にね」
「ありがとう。じゃあまた明日」
「うん、バイバイ」
こうして、時間にして30秒ほどの電話が終わった。だけど、俺には30秒よりももっと長い時間、電話をしていたように感じた。
ことりと電話をしたら、何だか気分が大分楽になった気がする。これはもしかしたら学校に行けるかもしれない。そう思って起き上がるけど、やはり強烈なだるさと眩暈が俺を襲った。
「やっぱりダメかぁ……」
今日はやっぱり休むしかない。そう考えながら再びベッドに倒れ込む。そういえば、高校生になって学校を休むのは今日が初めてだ。今まで無遅刻、無欠席、無早退を貫いてきただけあって、風邪なんかが理由で学校を休まなければならないというのはちょっと悔しい。だけど、他の人に風邪を伝染す可能性を考えれば、こうして1日寝ているのが一番良いのかもしれない。
あ、そうだ。翔真に連絡するのを忘れてた。とりあえず手短に、「風邪引いた、学校休む」とだけ送ろう。ことりとの対応の差が大きすぎるけど、まあ10年以上の付き合いの親友にはこれが普通だろう。……多分。
「珍しいな、了解。帰りにお見舞い行くわ」
……優しすぎて泣きそう。適当に考えていたさっきまでの俺をぶん殴ってやりたい。うん、親しき仲にも礼儀ありってこのことだな。しっかりとこの身に刻み込んだ。
「ごめんな、わざわざありがとう」
「いいっていいって。じゃ、また後でな」
そのメッセージを確認した後、スマホの画面を消す。俺以外誰もいないこの空間を、相変わらず静寂が支配していた。物音一つ聞こえない静かな世界。ただ聞こえるのは自分の呼吸音だけ。それもあってか、先程目覚めたばかりだというのに睡魔が襲ってきた。
俺はなすがまま、その睡魔に身を委ね、意識は深い闇へと落ちていった。
◆
気が付けば、どこかの公園にいた。さっきまで自分の部屋にいたのに、いつの間に公園に来ていたのだろうか? しかも見覚えのない公園。俺はこんな場所知らないぞ。
考えられるのは夢……か。だが夢にしては色々リアル過ぎる。空気感、質感など、どれをとってもその場に実際にいるような、そんな感覚。なるほど、これが所謂明晰夢といわれる夢か。
確か明晰夢は何でも好きなことが出来るらしい。空を飛んだり、アニメの様にエネルギー弾を発射したり──だが、いくら念じてみても空を飛ぶことは出来なかったし、エネルギー弾も撃てなかった。
話が違うじゃないかと心の中で不満を漏らすと、突如として景色が変わった。そこにはことりと穂乃果さん、そして何故か“俺”が居た。声を掛けてみたり、手を振ったりしてみるけれど、何の反応もない。どうやらこちらからの干渉は出来ないようだ。
「──穂乃果ちゃんの方が可愛いから、私と別れるの?」
突如として発せられた言葉に動揺を隠せない俺。夢特有の超展開。ちょっと待ってくれ、これは一体どういう状況なんだ……。
「……ああ、悪いな。正直、ことりには飽きたよ」
“もう1人の俺”が、そんな言葉を発し、“俺”はぎょっとする。
おい、何だよ飽きたって……どういう意味だよ……! 違う、俺はそんなことは死んでも言わない。コイツは、ここにいる“もう1人の俺”は、偽物だ……!
「そっか……うん、分かった」
ことりの悲哀に満ちた表情。やめろ……そんなことりの表情なんて見たくない! 何をやっているんだ俺は……!
“もう1人の俺”に対して猛抗議するが、いくら叫んでも俺の声は届かない。
「仕方のないことだもんね。うん、穂乃果ちゃんの方が可愛いのは本当だもん」
「当たり前だ」
徐々に焦りと怒りが募ってくる。ことりも何を言ってるんだ……! そんな自分を卑下するようなことを言わないでくれ!
思わず、“もう1人の俺”に殴り掛かるが、俺の拳はコイツの身体をすり抜けて当たることはなかった。クソッ、どうして当たらないんだよ……!
「──少しの間だったけど、蒼矢くんと付き合えて、私、幸せだったよ」
心臓がドクン、と大きく跳ねる。いつの間にか、柄にもなく俺は涙を流していた。ことりのその悲しそうな声が、悲哀に満ちた顔が、そして言葉が、俺の涙腺を崩壊させたのだ。
辛い……辛すぎる。どうして俺は、好きな人の悲しむ姿を見なきゃいけないんだ……! どうして“もう1人の俺”は、こんな状況でも平然としていられるんだ……!?
泣き叫びながら、“もう1人の俺”に対して再び猛抗議する。喉が引きちぎれそうなくらい叫び、骨が抜けそうなくらい思い切り拳を振りかざす。何度も何度もそれを繰り返すが、何の効果も得られない。
いつしか俺は、これが夢だということも忘れ、無我夢中で“もう1人の俺”に殴り掛かっていた。たかが夢、されど夢。例え夢の中でもことりの悲しむ姿を見るのは許せなかった。
「穂乃果ちゃんと、幸せになって……ねっ……!」
遂にことりは泣き崩れてしまった。しかし、それでも“もう1人の俺”は動じない。寧ろ軽蔑や、見下しているような、そんな冷たい表情でことりを見下ろしていた。
「ことりちゃん、やっぱり──」
「穂乃果、ほっとけ。さあ、行こう」
今まで一言も喋らなかった穂乃果さんだけど、ようやく口を開いた。どうやら、ことりに対して申し訳なく思ってる様だけど、それは“もう1人の俺”によって遮られ、そして、それ以上ことりに目を向けることもなく、2人は背を向けて歩き出した。
待てよ……待ってくれよ……! どうしてこんなに悲しんでいることりを放っておけるんだ……!
気が付けば、“もう1人の俺”と穂乃果さんの後ろ姿は見えなくなっていた。残されたのはことりと俺の2人だけ。すぐにことりの元へ駆け寄り、抱き締めようとするが、やはり干渉は出来ず、俺の手はすり抜けてしまった。
「ううっ……ぐすっ……蒼矢くんっ……!」
俺の名前を呼ぶ声。その声は悲痛に満ちていて、聞いている俺までもが辛くなってくるほどだった。すぐ近くにいるのに、何もしてやることが出来ない。慰めることすら許されないなんて、本当に酷すぎる。
もう嫌だ。もう何も見たくないし、何も聞きたくないと、この世界を拒絶するように目を閉じ、耳を塞いだ。すると、どこかに引きずり込まれるような感覚に陥り、同時に意識が朦朧としてきた。
──ああ、ようやくこれで楽になれる。もう苦しい思いはしなくていいんだ。だけど、薄れゆく意識の中で、ことりのことだけが気がかりだった。
ああ、ことり──。
◆
「ことり……っ!」
「きゃっ」
思わず飛び起きた。だけど、視界に入ってきたのは見知らぬ公園ではなく、俺の部屋の光景だった。そっか、そういえばアレは夢だったんだ……良かった……。
あれ、でも左側から絶対に聞こえてくる筈のない声が聞こえてきたような──?
「だ、大丈夫……?」
「えっ、み、南さん……?」
顔を横に向けると、そこには夢の中でも会った俺の大好きな人が。
「ふふっ、南さんじゃなくてことりでしょ?」
「あっ、ごめん……つい」
「ううん、謝ることじゃないよ。それより、具合は大丈夫?」
「まあ大丈夫……だけどどうしてここに?」
「前原くんから誘われたんだ。一緒にお見舞いに行かないかって。その……ダメだったかな?」
「なっ、そんな訳ないじゃないか。寧ろ嬉しいよ」
良かったと声を漏らすことり。そういえばお見舞いに来るとか言ってたな、アイツ。ことりを誘ったのは俺を思ってのことだろう。いや、我が親友には本当に頭が上がらない。というか翔真、いつの間にことりと連絡先を交換してたんだ。
部屋の壁に掛けてある時計を見ると、既に短い針が4と5の間を指していた。自分でも吃驚するほどの爆睡ぶりに思わず苦笑い。
「それにしても蒼矢くん、凄い汗だね」
「えっ、ああ、そうだな……」
全身汗びっしょりで気持ち悪い。早急にでも着替えたいくらいだ。もしかしなくてもあの夢が原因だろう。
「……酷く魘されてたよ? ことり、ことりって何回も私の名前を呼んでたし……」
「そう、だったのか……」
今でも鮮明に思い出すことが出来る。公園の空気感と、ことりの悲痛な声。俺にとって、今まで見た中で一番の悪夢だった。寝言を言うのも頷ける。
「それでね、我慢出来なくなって、手を握ったら蒼矢くんが起きたんだ。……こんな風にね」
少しだけ頬を赤らめながら、そっと俺の左手を両手で握ってくることり。柔らかく、安心させる温かさがあるようなことりの手。ふむ、これは確かに夢から覚めるのも分かる。
「そっか。それじゃあ俺、ことりに助けられんだな。本当にありがとう」
「ふふっ、どういたしまして」
朝起きた頃と比べると、風邪の症状がかなり回復して大分楽になった。これなら、明日にでも学校に復帰出来るかもしれないけど、念の為明日も休んだ方がいいかもしれない。
「あれ、そういえば翔真はどこいるんだ?」
「あ、前原くんは今出掛けてる──けど、丁度帰ってきたみたいだね」
ことりの言う通り、部屋の外から足音が聞こえる。でもそれは一つだけでなく、複数あるように思える。翔真の他にも誰かいるみたいだ。
「おっす、入るぞー。蒼矢は──おう、起きたか」
「こんにちは、蒼矢くん!」
「お久しぶりです神崎くん。お邪魔しています」
部屋に入ってきたのは翔真と、何故か穂乃果さんと園田さん。どうしてこの2人もいるのか。そんなことを一瞬思ったけど、ことりがいるならこの2人がいても何らおかしくないな。
「よう、翔真。それに穂乃果さんと園田さんも。わざわざありがとう。それと、ごめん」
「いいってことよ。俺と蒼矢の付き合いじゃないか」
「そうだよ! 友達なら当然だよ!」
友達──か。それを聞いて心が暖かくなった。思えば、穂乃果さんや園田さんと出会ったのも、元はと言えばことりのお陰なんだよな。
──ことりには、本当に感謝だな。
「みんな、本当にありがとう。みんなのお陰で気が楽になったよ」
「ふふ、それなら良かった」
やっぱり持つべきものは友達だ。そんなことを思いながら、この他愛もない時間を楽しむのであった。
──願わくば、いつまでもこの5人と友達といられますように。
そして──ことりとずっと一緒にいられますように。
ちなみに、穂乃果さんと園田さんとも連絡先を交換したのは、また別の話。
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