八条荘はヒロインが多くてカオス過ぎる
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第百五十話 沖縄でもその八
「伝道の場所はあるかも知れないですが」
「天理教の教会は」
「ちょっと」
僕も知らない。
「まして親父はヴェネツィアにいますが」
「ローマにはありそうでも」
「首都ですからね」
そのイタリアのだ。
「ひょっとしてですが」
「イタリアには」
「あったら行ってると思います」
出来るだけだ。
「けれどないと」
「日本に帰った時に」
「行ってると思います」
その時にだ。
「あの親父も」
「そうなのね」
「はい、まあ親父は本当に信仰心はありますから」
本当にあれでだ。
「僕もよく教会に連れて行ってもらいました」
「もらいました、ね」
「嫌いじゃないですから、教会は」
僕は日菜子さんに笑顔で答えた。
「ですから」
「いいのね」
「はい、教会に行くのも」
「八条町の教会ね」
「はい、あそこです」
八条分教会だ、実は八条家はこの教会の信者なのだ。それも一族の人全員が信者になっている。
「今も時々行ってます」
「そうなのね」
「いい場所ですよ」
「天理教の教会ね」
「沖縄にもありますよね」
「ええ、あるわよ」
日菜子さんは僕にすぐに答えてくれた。
「沖縄にもね」
「そうですよね」
「ただね」
「ただ?」
「こっち程多くはないわよ」
「関西よりは」
「そう、関西は特に多いみたいね」
天理教の教会がというのだ。
「奈良にある宗教だし」
「関西がホームグラウンドですね」
「やっぱりそうよね」
「あと四国も」
こちらもだ、大きな大教会も幾つかある。
「そうです」
「そうよね、けれどね」
「沖縄はですか」
「こっち程多くないの」
「そうなんですね」
「本土とはまた違うのよ」
宗教の面でもというのだ。
「やっぱりね」
「そうなんですね」
「ええ、ウチナンチューとかヤマトンチューとかいうでしょ」
「沖縄の人と本土の人ですね」
「これもやたら言う人がいるけれど」
「その基地反対の人ですね」
「正直本音がわかるのよ」
そうした人達のそれがというのだ。
「ウチナンチューの権利だの誇りだの言うけれど」
「実はですね」
「自分達の言うことを押し通したいだけなのよ」
「それの口実ですね」
「それに過ぎないのよ」
そうした人達が言うウチナンチューだのヤマトンチューだの言う言葉はというのだ。考えてみると汚い話だ。
「実際は沖縄のことを碌に知らないで」
「基地だけで」
「それでその基地のこともね」
「実はですね」
「自分の主張を押し通したいだけよ」
「だから狂暴なんですか」
「それで無法なのよ」
こう書くと本当にヤクザ屋さんだ、しかもインテリヤクザじゃなくて暴力だけのチンピラヤクザだ。
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