八条荘はヒロインが多くてカオス過ぎる
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第百三十七話 八条荘に帰ってその十三
「私は」
「その夏の終わりの夜空を見られて」
「そうでした」
「希望を見出された夜空でしたか」
「私にとってはそうです」
「今もですか」
「はい、あの時のことを思い出します」
昭和二十年の敗戦直後の時をというのだ。
「正直あの時は本当に何をしていいのかわかりませんでした」
「当時の日本人の多くがそうでしたね」
「ほっとした、その瞬間にとにかく食べまくったなぞ」
妹尾某の少年Hや家永とかいう教授と違ってというのだ。
「滅多にいなかったかと」
「子供心にわからなかった、普通に感じたという人もいたそうですね」
「そうした人はわかりますが」
「ほっとしたとかいう人はですか」
「あまりいなかったのでは」
当時を知っている人の言葉だ、他ならぬ。
「そう思います」
「そうですか」
「まずです」
畑中さんはさらに言った。
「私は敗戦直後多くの悲劇も見ました」
「といいますいと」
「国難に殉じた方々をです」
「切腹した人達ですか」
「私の知り合いの方にもいました」
日本の敗戦を知り切腹して果てた人がというのだ。
「尊敬出来る上官の方でしたが」
「切腹されてですか」
「敗戦という国難に殉じられました」
「そうだったんですね」
「そして多くの人が泣き私もでした」
畑中さんは上を見上げていた、遠いあの日を。
「あの時は泣き。私自身殉じることを考えました」
「畑中さんも」
「そうでした、しかし結局思い止まり」
「その夏の夜空を見られて」
「もう一度と思いました」
「そうだったのですか」
「不思議なものです」
畑中さんはこうも言った。
「死のうと思って十日程で」
「また生きようと思われた」
「はい、今も不思議に思います」
こう僕に話してくれた。
「人生というものは」
「それでその時からですか」
「夏の終わりの夜はこうしてです」
「御覧になられるんですね」
「はい」
「そうだったのですね」
「あの時にも私は人生の灯台を得ました」
「灯台、そうですね」
何故畑中さんが灯台と言ったのか、僕はすぐにわかった。
「夜の灯りだからですね」
「そしてそれが道標になったからです」
「だから灯台ですか」
「左様です」
やはりその通りだった。
「それで私もこう言いました」
「そういうことですね」
「若しあの時に星達を見ていなかったら」
「希望を見いだせなくなっていて」
「どうなっていたか」
畑中さんご自身がというのだ。
「わかりません」
「そこまでのものでしたか」
「やはり八条家には戻っていたでしょうか」
何しろ代々お仕えしてくれているからだ、その頃も若き執事としてかなり働いておられたらしい。
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