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八条荘はヒロインが多くてカオス過ぎる

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第百十六話 長崎の街その十六

「オーケストラで演奏されますね、本来は」
「ピアノじゃなくて」
「ですからそこが違いまして」 
 だからだというのだ。
「本来の素晴らしさを出せません」
「オーケストラ、歌のそれを」
「それが残念です」
 こう言うのだった。
「私にしても」
「そうですか」
「勿論ピアノの曲も弾いています」
「モーツァルトとかベートーベンの」
「そうした曲がやはり第一です」
 このことは変わらないというのだ。
「私にしても」
「そうですね、やっぱり」
「最近よくシューベルトを弾いています」
「野薔薇とか」
「魔王、それにセレナーデや子守唄も」
 シューベルトのこうした作品をというのだ。
「弾いています」
「先日アヴェ=マリアを弾いていましたね」  
 裕子さんがここで早百合さんに言った。
「そうでしたね」
「はい、長崎に向かう朝に」
「そうでしたね」
「ですから」
 それで、というのだ。
「私は今一番好きな作曲家は誰かと聞かれましたら」
「シューベルトですね」
「そう答えます」
 そうだというのだ。
「今は」
「そうなのですね」
「奇麗な音楽なので」
「シューベルトですか」
 僕もここでこの作曲家について言った。
「何か奇麗な音楽ってイメージが強いですね」
「実際にそうですし」
「聴いていると落ち着きますね」
「そうですね」
「魔王も怖い筈ですが」
 実際にゲーテの詩を読むとそうだ。
「しかし」
「それでもですね」
「はい、奇麗ですね」
 実際にだ、シューベルトの曲はこの性質が強い。プッチーニの音楽も奇麗だけれどまた違うタイプの奇麗さだ。
「何かプッチーニは退廃的というか」
「そうした感じがしますね」
「はい、ですがシューベルトは」
 彼の音楽の奇麗さはというと。
「お花みたいな」
「まさに野薔薇の様な」
「そうした奇麗さですね」
「そうですね」 
 まさにだった。
「あの人の音楽は」
「それで早百合さんもですね」
「その音楽が好きです」  
 シューベルトのそれがというのだ。 
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