Sword Art Rider-Awakening Clock Up
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ネザーVSユージーン
雲海のかなた、朧に浮かぶ巨大な。空を支える柱かと思うほどに太い幹が垂直に天地を貫き、上部には別の天体にも等しいスケールで枝葉が伸びている。
「あれが世界樹か」
隣で、ネザーも畏怖の念がこもった声音で呟いた。
山脈を超えたばかりのこの地点からは、まだリアル距離置換で20キロメートル近く隔っているはずのその大樹は、すでに圧倒的な存在感で空の一角を占めていた。根元に立てばどれほどの光景となるのか想像もつかない。
3人はしばらく無言で世界樹を眺めていたが、やがてネザーが口を開き、言った。
「リーファ、領主会談の正確な場所はわかってるのか?」
「えっ、ええ、まあ」
冷ややかな音声による突然の質問に、リーファは少なからず動揺したが、すぐに答えた。
「ええと、今抜けてきた山脈は、輪っかになって世界中央を囲んでるんだけど、その内3箇所に大きな切れ目があるの。サラマンダー領に向かう《竜の谷》、ウンディーネ領に向かう《虹の谷》、あとケットシー領に繋がる《蝶の谷》……。会談はその蝶の谷の、内陸側の出口で行われるらしいから……」
リーファはぐるりと視線を巡らせると、北西の方角を指した。
「あっちにしばらく飛んだとこだと思う」
「それだけわかれば充分だ」
「残り時間はどのくらい?」
「……20分」
「会談を襲うつもりなら、サラマンダーは、あっちからこっちへ移動するわけか……」
キリトは南東から北西へと指を動かした。
「俺達より先行してるのかどうか微妙だな」
「何にせよ、急ぐしかない」
ネザーがそう言うと、キリトは即座に頷いた。
「そうだな。ユイ、サーチ圏内に大人数の反応があったら知らせてくれ」
「はい!」
コクリと頷き交わし、3人は翅を鳴らして加速に入った。
「それにしても、モンスターを見かけないなぁ?」
雲の塊を切り裂いて飛翔しながら、キリトが言った。
「あ、このアルン高原にはフィールド型モンスターはいないの。だから会談をわざわざこっち側でするんじゃないかな」
リーファの説明に、ネザーは感心を抱いた。
「なるほど。重要な話の最中にモンスターが湧いてくるのは興醒めだ。ならば両種族が時間的に効率よく会える安全な場所を選ぶのが得策だ」
するとキリトがニッとイタズラっぽく笑う。
「でも、この場合はありがたくないな」
「どういうこと?」
「さっきみたいにモンスターを山ほど引っ張っていって、サラマンダー部隊にぶつけてやろうと思ってたんだけどな」
「……よくそんなこと考えられるわねえ」
「作戦としては悪くないが、今回は洞窟で襲ってきた時以上の大部隊が待ち構えている。警告が間に合ったとしても、全員でケットシー領に逃げ込むか、揃って討ち死になるかだ」
「………」
ネザーの公明な分析力に翻弄されたキリトは、思案顔で顎を撫でた。
その時__。
「あっ、プレイヤー反応です!」
不意にユイが叫んだ。
「前方に大集団__68人、これがおそらくサラマンダーの強襲部隊です。更にその向こう側に14人、シルフ及びケットシーの会議出席者と予想します。双方が接触するまであと50秒です」
その言葉が終わると同時に、視界を遮っていた大きな雲の塊がさっと切れた。限界まで高度を取って並んでいたリーファの眼下に、緑の高原がいっぱいに広がる。
その一角、低空を這うように飛ぶ無数の黒い影。5人ずつ楔型のフォーメーションを作り、それらが密集して飛行する様は、攻撃目標に音もなく忍び寄る不吉な戦闘機の群のようだ。
視線を彼らが向かう先へと振る。円形の小さな台地が見える。ぽつりと白く横たわるのは長テーブルだろうか。左右に7つずつの椅子が据えられ、即席の会議場といった按配だ。
椅子に座る者達は、会話に夢中なのか、まだ迫り来る脅威に気づいていないようだった。
「__間に合わなかったね」
リーファは、傍らの2人に向かってポツリと言った。
今からでは、サラマンダー軍を追い越し、領主達に警告しても、とても全員が逃げ切れる余裕はない。それでも、討ち死にを覚悟で盾となり、領主だけでも逃がす努力をしなければならない。
「ありがとう、キリト君、ネザーさん。ここまででいいよ。2人はこのまま世界樹に行って……短い間だったけど、楽しかった」
笑顔でそれだけ言い、ダイブに入ろうと翅を鋭角に畳んだ時、ネザーが不敵な顔を浮かべ__
「ここまで来て逃げ出すのは……気に食わねえな」
「え?」
「少々__バカげた作戦を思い付いた」
バカげた作戦__と聞いてキリトは眼を見開いた。冷静沈着な一匹狼がバカという単語を使うということは、それ相応の手段があるということだ。
「お前……まさか……!?」
この先の展開を予期したキリトは、一瞬引き止めようと思い始める。
「ああ、そのまさかだ」
聞く耳持たずという態度で翅を思い切り震わせて猛烈な加速に入った。バン!という衝撃音に顔を叩かれたリーファとキリトが一瞬眼を閉じ、再び開けた時には、ネザーはすでに台地を目指して急角度のダイブに入っていた。
「ちょ……ちょっとぉ!!なんですかそれ!!」
リーファとしては、少しだけ感傷的になりながら口にしたお別れの台詞を一瞬で台無しにされた。思わず抗議したが、ネザーは振り返りもせず見る見る遠ざかっていく。
キリトは後押しするような気持ちで笑みを浮かべ、リーファは少々呆れながらも、2人は慌てて後を追う。
目指す先では、シルフとケットシー達がようやく接近する大集団に気づいたようだった。次々に椅子を蹴り、銀光を煌めかせながら抜刀するが、その姿は重武装の攻撃隊に比べてあまりに脆そうに見える。
草原を這うように飛んでいたサラマンダーの先頭部隊が、一気に高度を取り、ウサギを狙う猛禽のように長大なランスを構えてぴたりと静止した。後続の者達も次々と左右に展開し、台地を半包囲する。殺戮の直前の静けさが一瞬、世界を包む。
サラマンダーの1人がサッと手を上げ__振り下ろそうとした、その瞬間。
対峙する両者の中央、台地の端に、巨大な土煙が上がった。一瞬遅れて、ドドーン!という爆音が大気を揺るがす。紫衣の隕石となったネザーが速度を緩めずに着地したのだ。
その場にいる全ての者が凍りついたように動きを止めた。薄れゆく土煙の中、ゆっくりと体を起こしたネザーは、仁王立ちになってぐるりとサラマンダー軍を睥睨した。胸を反らせ、いっぱいに息を吸い込んで__
「双方、剣を引け!!」
「「うわっ!!」」
リーファとキリトはダイブしながら思わず首を竦めた。なんというバカデカい声だろうか、先ほどの爆音の比ではない。まだ数十メートルも上空にいた2人の体さえビリビリと震えた。まるで物理的圧力に晒されたかの如くサラマンダーの半円が動揺し、わずかに後退る。
声量もさることながら、あの度胸には驚かされる他ない。キリトはともかく、リーファには一体何をどうするつもりなのか見当もつかない。
リーファはキリトと共に背中に冷や汗が伝うような感覚を味わいながら、ネザーの背後、シルフと思しき緑衣の集団の傍らにすとんと着陸した。見渡すと、すぐに特徴的な衣装の人物が見つかる。
「サクヤ」
声をかけると、そのシルフは呆然とした表情で振り向き、更に眼を丸くした。
「リーファ!?どうしてここに__!?それに、そこのスプリガンは__?い、いや、そもそもこれは一体__」
彼女がこんなに取り乱すところは初めてみたなあ、と思いながら、リーファは口を開いた。
「簡単には説明できないのよ。1つ言えるのは、あたし達の運命はあの人次第、ってことだわ」
「……何が何やら……」
シルフは再び、こちらに背を向けて屹立する紫衣の人影に眼をやる。その心中を思いやりながら、キリトは改めてサクヤ__現シルフ領主の姿を見遣った。
女性シルフにしては秀でた身長、黒に近いダークグリーンの艶やかな直毛を背に長く垂らし、その先を一直線にピシリと切り揃えている。肌は抜けるように白く、切れ長の眼、高い鼻筋、薄く小さな唇という美貌は刃のような、という形容詞が相応しい。
身に纏うのは、前合わせの和風の長衣。帯に無造作に差してあるのは、リーファの持つ長刀よりも更に二寸ほども長い大太刀だ。裾から覗く真っ白な素足に、深紅の高下駄を突っ掛けている。一目見れば忘れられないその姿は、領主選挙での得票率が8割に近いのも頷けるほど印象深い。
もちろん、その得票の全てが美貌によるものではない。領主の多忙さ故にあまり狩りには出られず、数値的ステータスは高いとは言えないが、デュエル大会では常に決勝に進むほどの剣の達人であり、公正な人柄で人望も厚い。
視線を動かすと、その隣に立つ小柄な女性プレイヤーの姿が眼に入った。
トウモロコシ色に輝くウェーブヘア、その両脇から突き出た三角形の大きな耳はケットシーの証だ。小麦色の肌を大胆に晒し、身に纏うのはワンピースの水着に似た戦闘スーツ。両腰に、巨大な3本の爪が突き出たクロー系の武器を装備している。スーツのお尻の部分からは縞模様の長い尻尾が伸び、本人の緊張を映してかピクピクと震えている。
横顔は、睫毛の長い大きな眼、ちょっとだけ丸く小さな鼻、多少愛嬌のありすぎるきらいはあるがこちらもALO基準に照らせば驚くほどの美少女振りだ。直接まみえるのは初めてだが、彼女がケットシー領主のアリシャ・ルーだろう。サクヤと同じく圧倒的な人気で長期の政権を維持している。
並んで立つ2領主の後ろをちらりと見ると、白い長机の左右にシルフとケットシーが6人ずつ、揃って呆然とした顔で立ち尽くしていた。無論ケットシーは全員初めて見る顔だが、シルフは執政部の有力プレイヤーばかりだ。念のため確認したが、やはりシグルドの姿はない。
改めて視線を台地南端のサラマンダー部隊に向けた時、再びネザーが叫んだ。
「指揮官に話がある!」
あまりに太々しい声と態度に圧倒されたかのようにサラマンダーのランス隊の輪が割れた。空に開いたその道を、1人の大柄な戦士が進み出てくるのが見えた。
炎の色の短髪を剣山のようにツンツンと逆立て、浅黒い肌に猛禽に似た鋭い顔立ち。逞しい体を、一目で超レアアイテムと知れる赤銅色のアーマーに包み、背にはキリトの装備する剣に優るとも劣らぬ巨剣を装備している。
深紅に光るその双眸を見た瞬間、リーファの背にゾクリという寒気が走った。正面で対峙したわけでもないのに、これほどのプレッシャーを感じた相手はは初めてだった。
ガシャッと音をさせてネザーの前に着地した戦士は、無表情のまま小柄な紫衣の少年を高い位置から睥睨した。やがてその口が開き、よく通る太い声が流れた。
「……なかなか刺激的な登場だな」
「今のは褒め言葉として受け取っておく」
本気か皮肉のつもりかはわからないが、ネザーは冷静を維持しながらも無意識に拳を強く握り締めた。
「インプがこんなところで何をしている?どちらにせよ殺すには変わりないが、その度胸に免じて話だけは聞いてやろう」
ネザーは臆する風もなく、答えた。
「俺の名はネザー。インプ=スプリガン=ウンディーネ同盟の大使だ。この場を襲うということは、我々5種族との全面戦争を望むと解釈する」
__うわぁ。
__おいおい。
リーファとキリトは絶句した。キリトはある程度予想していたが、はったりにしては無理がありすぎる。今度こそ錯覚でなく背中を冷や汗がだらだらと流れる。愕然とした顔でこちらに視線を向けるサクヤとアリシャ・ルーに向かって必死にウインク。
サラマンダーの指揮官も、さすがに驚いた様子だった。
「ウンディーネ……スプリガン……それにインプが同盟だと……?」
だがすぐにその表情は元に戻る。
「……ではあのスプリガンは、貴様の護衛か?」
「ああ、そんなところだ」
最初はキリトを大使、自分が護衛という配置にしようと考えたが、無知なキリトに大使役が務まるとはとても思えなかった。
「俺達はこの場に、シルフ・ケットシーとの貿易交渉に来ただけだ。だが会談が襲われたとなれば、それだけでは済まされないぞ。5種族で同盟を結び、サラマンダーに対抗することになるだろう」
しばしの沈黙が世界を覆った。__やがて、
「たった2人だけの上に、大した装備も持たない貴様の言葉を、にわかに信じるわけにはいかないな」
サラマンダーは突然背に手を回すと、巨大な両刃直剣を音高く抜き放った。暗い赤に輝く刀身に、絡み合う2匹の龍の象嵌が見て取れる。
「__俺の攻撃を30秒耐え切ったら、貴様を大使と信じてやろう」
「随分と気前がいいな」
飄々とした声で言うと、ネザーも腰から片手剣を抜いた。
翅を振動させて浮き上がり、サラマンダーと同じ高度でホバリングする。瞬間、両者の間で圧縮された闘気が白くスパークしたような気がした。
……30秒……。
リーファはゴクリと喉を鳴らした。
ネザーの実力からすれば、余裕のある条件とも思える。だがあのサラマンダー指揮官の発する殺気も只事ではない。
緊迫した空気の中、隣に立つキリトは平然とした様子だった。ネザーと馴染みのキリトから見れば、サラマンダー相手に負けるはずがない、という確信にも近い心情があると言える。
一方でサクヤが低く囁いた。
「まずいな……」
「え……?」
「あのサラマンダーの両手剣、レジェンダリーウェポンの紹介サイトで見たことがある。《魔剣グラム》……ということはあの男が《ユージーン将軍》だろう。知ってるか?」
「……な、名前くらいは……」
息を飲むリーファに向かって軽く頷くと、キリトは首を傾げた。
「誰?有名なのか?」
「まあね」
リーファが短い一言を発すると、サクヤは説明を続けた。
「サラマンダー領主《モーティマー》の弟……リアルでも兄弟らしいがな。知の兄に対して武の弟、純粋な戦闘力ではユージーンのほうが上だと言われている。サラマンダー最強の戦士……ということはつまり……」
「全プレイヤー中最強……?」
「そういうことになるな……。とんでもないのが出てきたもんだ」
「……マジか……」
サクヤの説明が終わった途端、キリトの顔に焦りと不安の色が浮かび上がってきた。
空中で対峙する2人の戦士は、相手の実力を計るかのように長い間睨み合っていた。高原の上を低く流れる雲が、傾き始めた日差しを遮って幾筋もの光の柱を作り出している。その1つがサラマンダーの剣に当たり、眩く反射した、その瞬間。
予備動作1つなくユージーンが動いた。
ピュイン!と空気を鳴らして、超高速の突進をかける。右に大きく振り被った大剣が宙に赤い弧を描き、小柄なインプに襲い掛かる。
だがネザーの反応もさすがの速さだった。無駄のない動作で頭上に片手剣を掲げ、翅を広げて迎撃態勢に。敵の剣を受け流し、カウンターの一撃を叩き込むつもりか__とキリトが見て取った、その直後。
「__!?」
ネザーに向かって振り下ろされる赤い剣は、紫の剣に衝突するその瞬間、刀身を朧に霞ませた。そのままネザーの剣を透過し、再び実体化。
ダガァァァン!!という爆音が世界を揺らした。キリトの胸の中央に炸裂した斬撃は巨大なエフェクトを爆裂させ、紫衣の姿は暴風の中の木の葉のように叩き落とされて地面に突き刺さった。再び轟音、そして土煙。
「な……今のは!?」
絶句するキリトに答えたのはアリシャ・ルーだった。
「魔剣グラムには、《エセリアルシフト》っていう、剣や盾で受けようとしても非実体化して擦り抜けてくるエクストラ効果があるんだヨ!」
「なんだって!?」
「そ、そんな……」
キリトとリーファは慌ててネザーのHPバーを確認しようと眼を凝らす。だが、カーソル照準を合わせる間もなく、土煙の中から矢のように飛び出す影があった。ホバリングするユージーン目掛けて一直線に突進していく。
「ほう……よく生きていたな!」
嘯くサラマンダーに向かってネザーは、
「これくらいで殺られるほど……俺はヤワじゃねえよ!」
お返しとばかりに片手剣を叩き付ける。
ガン、ガァン!と撃剣の音が立て続けに響いた。武器の性能に負ぶさっているだけの剣士ではないらしく、キリトの眼にも捉えきれないほどのネザーの連続攻撃を、ユージーンは的確に両手剣で弾き返していく。
そして、連撃にわずかな間が空いた、その瞬間。
再びグラムが牙を剥いた。横薙ぎに払われる剣を、ネザーが反射的に己の剣で受けようとする。しかし、先ほどと同じように刀身が霞み、直後ネザーの腹に深々と食い込んだ。
「ぐぅ!!」
肺の中の空気を全て吐き出すような声を上げながら、今度は宙をくるくると吹き飛ばされる。翅を一杯に広げてブレーキをかけ、どうにか踏みとどまる。
「……おい、もう30秒経過したぞ」
途端、ネザーに向かって不敵に笑うユージーン。
「悪いな、やっぱり斬りたくなった。首を取るまでに変更だ」
「野郎……。調子に乗ってんじゃねえぞ!」
ネザーは片手剣を構え直すが、残念ながらその場にいる誰もがすでに勝負の行方は見えたも同然と思えた。
魔剣グラムのエクストラ攻撃を防ぐには、弾き防御に頼らず全てを避けるしかない。だが剣同士の高速近接戦闘においてそれはほとんど不可能だ。
同じ結論に達したのだろう、サクヤが押し殺した声で言った。
「厳しいな……。プレイヤーの技術は互角と見るが、武器の性能が違いすぎる。サーバーに1本しかないあの魔剣に対抗できるのは、同じく伝説武器の《聖剣エクスキャリバー》だけと予測されているが、そちらは入手方法すら未解明だからな……」
「………」
__それでも、あのネザーなら。初心者のくせに何度も規格外の強さで状況をひっくり返してきた謎のインプなら、もしかしたら。そう念じつつ、リーファは胸の前で強く両手を握った。
ユージーンが翅から赤い光の帯を引いてスラストをかける。その攻撃を、ネザーがランダム飛行で危なっかしく回避していく。
絡み合う2本の飛行軌跡が空に複雑な模様を描き、時々パパッとエフェクトの光塵を散らしてはまた離れる。視線を合わせると、ネザーのHPバーは二度の被弾によって半分以上減少している。先刻、あれほどの多重魔法攻撃を耐え切ったネザーの防御を容易く貫通するとは、ユージーンの攻撃力はやはり只事ではない。
と、不意にネザーが振り返り、いつの間にかスペルワードを詠唱していたのか、その手が黒く輝き__
ボン、ボボボボン!と2人の周囲に真っ黒な煙がいくつも爆発した。幻惑系の範囲魔法なのだろう。それらはたちまちモクモクと広がっていき、空域を覆い尽くす。
黒雲は地上のリーファ達の頭上にも及び、さぁっと周囲が薄暗くなった。みるみる悪くなっていく視界の中、必死に眼を凝らしてネザーの姿を探そうとする。
「借りるぞ」
「わっ!?」
突然、耳元で囁き声がした。同時に、腰の鞘から愛刀が抜かれる感触。
「ね、ネザーさん!?」
慌てて振り向くが、すでにそこには誰の姿もない。だが、いつの間にか鞘は空っぽになっていた。
「時間稼ぎのつもりかぁ!!」
厚い煙の中央からユージーンの叫びが響き渡った。次いで、スペルの詠唱が耳に届く。
すぱっ!と赤い光の帯が反射板に迸り、黒煙を切り裂いた。無効化された煙がたちまち薄れ、世界は光を取り戻す。
リーファは慌てて青空に視線を走らせた。しかし__
いない。
空にホバリングするのはサラマンダーの将軍ただ1人で、小柄なインプはどれほど探そうとも見つからない。
「まさか、あいつ、逃げ……」
背後で、ケットシーの1人が呆然と呟いた。その言葉が終わらない内に、キリトは強く叫んでいた。
「そんなはずない!!」
絶対に、それだけはない。彼以外のどんなプレイヤーも逃げ出すであろうこの状況でも、彼だけは逃げない。
なぜなら、あのネザーには確信を持っていたのだから。彼は《生きて》いる。この世界をもう1つの現実と定め、ここで育まれたあらゆる人の感情、信頼や絆を信じている。
だからこそ__、聞こえる。
高らかな笛の音にも似た、美しく力強い飛翔音。近づいてくる。どんどん、どんどん大くなる。
「………!!」
ついにその姿を見出した瞬間、キリトの両眼から熱い眼差しが向けられる。
太陽の中だ。アルヴヘイムに於いてもっとも強いライトエフェクトを生み出すオブジェクト。中天から降り注ぐ白光を貫いて、小さな影が一直線に急降下してくる。
キリトに数瞬遅れて気づいたユージーンが、さっと真上を振り仰いだ。しかし強烈なエフェクトに顔を顰め、左手を顔の前に翳した。並のプレイヤーなら、ここで太陽光線を避けるため水平移動しようとし、そこを上から叩き落とされただろう。
しかし、さすがと言うべきか。ユージーンの剛毅な口元がギリッと引き締められ、次いで大きく開かれた。
「ドアアアァァァッ!」
天地を揺るがす気合いと共に、太陽に向かってサラマンダーの真骨頂である重突進をかける。真紅の光を垂直に引きながら、ロケットのように急降下していく。
その真上から突進してくるネザーは、これまで常に両手で握っていた黒い巨剣を、なぜか右手一本で構えていた。左手は大きく後ろに引かれてよく見えない。
強烈な光の中、その左側が閃き、高々と掲げられた。
そこに握られた銀色の輝きの正体を、キリトやリーファが見間違うはずもなかった。あれは、先刻ネザーが鞘から抜いていったリーファの長刀だ。つまりネザーは今、左右の手に剣を一振りずつ装備している。
二刀流__、その光景を眼に焼き付けたキリトは、《二刀流はお前だけの専売特許ではない》と自分に宛てたネザーからのメッセージを受け取った。だが実際、両手に握った2本の剣を高度に連携させて操るのか難しいのだ。
現実世界の剣道の試合でも、大学以上でも二刀の選手はごく少ない。それは、二本の剣を使いこなし、有効と認められるだけの打突を与えることの困難さ故だ。まったく同じことが仮想世界での二刀流にも言える。
ネザーの二刀装備を苦し紛れと見たか、ユージーンの頬に不敵な笑みが浮かんだ。
だが、キリトもリーファも両眼を見開いたまま、ただ一心に信じた。
サラマンダーの魔剣が、重々しい唸りを上げて振り抜かれる。交差する軌道で、スプリガンが左手の白刃を斬り降ろす。
ブン、と赤黒い剣が振動した。《エセリアルシフト》によって透過した刃が、吸い込まれるようにネザーの首筋へ__。
ギャイン!と鋭い金属音と共に、その切っ先が大きく弾かれた。受け止めたのは、ネザーがわずかな時間差で斬り上げた右手の片手剣だった。針の穴を通すような、完璧なタイミング。
驚愕の気配を漏らすユージーンに向けて、ネザーが雷鳴のような雄叫びを放った。
「お……おおおおああああ____!!」
直後、両手の剣が、霞むほどの速度で次々に打ち出された。
左の長刀で滑らかに斬り払う。そのモーションと完全に連動して右の大剣が突き出される。
それを引き出しつつ、再び長刀が左下から飛ぶ。同じ軌道を戻る刃に引かれるように、大剣の重攻撃が叩き込まれる。
銀と黒の剣光が溶け合い、その連続攻撃はまるで夜空にいくつもの流星が飛ぶが如くだった。いったい、あのような速度で二刀を操れるようになるまでにはどれほど長期間の訓練が必要なのか、キリトにはなんとなくしか想像できなかった。ユージーンも後退しつつもシフト攻撃を多用して対抗しようとするが、連続での透過はできないらしく、二段構えのパリィに次々と弾き返される。
「ぬ……おおおお!!」
地上に向けてどんどん押し込まれるユージーン将軍が、野太い咆哮を放った。いずれかの防具の特殊効果か、薄い炎の壁が半球状に放射され、わずかにネザーを押し戻した。瞬間、魔剣を小細工抜きの大上段に構え__。
ゴッ!という大音響と共に、真正面から撃ち込んだ。
対するネザーは、臆することなく突進で距離を詰め、左の長刀を雷光の如き速度で振り下ろした。
シャアン!と甲高い金属音が流れた。眩い火花が宙に円弧を描いた。
エセリアルシフトが発動するよりも速く剣の側面を弾かれ、ユージーンの撃ち込みはネザーの左肩を掠めて背後でと流れた。直後__。
「ら……ああぁぁぁ!!」
凄まじい気勢に乗せて、ネザーの右手の片手剣が、まっすぐに突き込まれた。
ドッ!という重い音を立て、クロガネの刃がサラマンダーの体を貫いた。
「ぐあっ!!」
ネザーの神速の突きと、双方の突進のスピードが相乗効果となって、そのダメージは凄まじいものとなった。ユージーンのHPバーが一瞬でイエローゾーンに突入する。
だがネザーはそこで止まらなかった。右手の片手剣を素早く引き戻すや、尚も再度の攻撃体勢に入ろうとするユージーンへと、左の長刀で眼でも捉えられないほどの連続技を浴びせた。一呼吸で4発も繰り出された垂直斬りの軌跡が、宙に美しい正方形を描いてサラマンダーの巨躯を包み込んだ。
「………!!」
驚愕の表情を浮かべたユージーン将軍の上体が、右肩口から左腰にかけて、無音でスライドした。パッ、と正方形の光が四方へ散った。
直後、巨大なエンドフレイムを巻き上げ、アバター全体が燃え崩れた。
誰1人、身動きするものはいなかった。
シルフも、ケットシーも、50人以上のサラマンダー攻撃部隊も、魂を抜かれたように凍り付いていた。
それほどまでに、ハイレベルな戦闘だったのだ。
通常、ALOの戦闘は、近接ならば不恰好に武器を振り回し、遠隔ならば芸もなく魔法をぶつけ合うのがスタンダードだ。防御や回避といった高等技術を使えるのは一握りの熟練プレイヤーだけで、見栄えのする戦闘などというものはデュエル大会の上位戦でもなければお目にかかることはできない。
だが今の、ネザーとユージーンの戦闘は明らかにそれ以上だった。
流れるような剣舞、空を裂く高速エアレイド、そして何よりユージーンの天地を砕かんばかりの豪剣と、それを打ち砕いたネザーの超高速の二刀流。キリトのテクニックにも引けを取らないネザーの剣技、恐るべし。
最初に沈黙を破ったのはサクヤだった。
「見事、見事!!」
張りのある声で言い、両手を高らかに打ち鳴らす。
「すごーい!ナイスファイトだヨ!」
アリシャ・ルーがそれに続き、すぐ傍らにいたキリト、そして背後の12人も加わった。盛大な拍手に混じって、口笛を鳴らすわ「ブラボー」などと叫ぶわ大変な騒ぎだ。
リーファはハラハラしながらサラマンダー達の様子を見遣った。指揮官が討たれた上にこの有様ではさぞかし心中穏やかではあるまい__と思ったのだが。
驚いたことに、拍手の波は瞬く間にサラマンダー軍にも伝染していった。割れんばかりの歓声を上げ、長大なランスを立てて旗のように振り回す。
「わぁ……!」
リーファは思わず笑顔を浮かべた。
今まで、敵__無法な強奪者としか見ていなかったサラマンダー達も、やはりそれ以前に同じALOプレイヤーだったのだ。彼らの心を揺さぶるほどに、ネザーとユージーンのデュエルが素晴らしかったということか。
不思議な感動に囚われながら、リーファも一生懸命両手を叩いた。
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