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Sword Art Rider-Awakening Clock Up

作者:redo
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種族の危機

「うう、いててて……」

リーファに思い切り張られた頬っぺたを摩りながらキリトがとぼとぼと歩く。

「さっきのはパパが悪いです!」

「本当よ。失礼しちゃうわ」

「自業自得だ」

リーファ、ネザー、そしてユイが口々に言うと、キリトは叱られた子供のような顔で抗弁した。

「殺伐とした戦闘のあとの空気を和ませようというウィットに満ちたジョークじゃないか……」

「次やったらぶった斬るからね」

瞼を閉じてツンと顔を逸らすと、リーファは歩調を速めた。

眼前には巨大な石造りのゲートが遥か地下空洞の天井まで聳え立っている。鉱山都市《ルグルー》の城門だ。

補給と、色々気になることが出てきたので情報整理も兼ねてこの街で一泊することにしたのだ。思いがけない大規模戦闘で時間を取られ、リアル時間はすでに深夜0時に近い。

アルヴヘイムが本格的に賑わい始める時間帯はこれからだが、リーファは一応学生の身分なので、どんなに遅くても1時前には落ちることにしていた。ネザーとキリトにその(むね)を告げると、少し考える様子だったがこくりと頷いて了承した。

並んで城門をくぐると、BGM代わりのNPC集団の陽気な演奏と、いくつもの槌音(つちおと)が2人を出迎えた。

街の規模はそう大きくはない。だが、中央の目抜き通りを挟むように聳える岩壁に、武器防具や各種の素材、酒や料理などを(あきな)う店やら工房が清層構造を成して密集しているさまは見事なものだ。プレイヤーの数も思ったより多く、普段出会うことの少ない音楽妖精族(プーカ)鍛治妖精族(レプラコーン)といった種族のパーティーが談笑しながら行き交っている。

「へええ〜、ここがルグルーかぁ〜」

リーファは、初めて眼にする地底都市の賑わいに思わず歓声を上げると、早速手近な商店の店先に設けられた剣の陳列棚(ちんれつだな)に取り付いた。例え無愛想な武器店であろうとも買い物はワクワクする。

「そういえばさぁ〜」

銀造りの長剣を手に取って()めつ(すが)めつしていると、背後でキリトがのんびりした口調で言った。

「ん?」

「サラマンダーに襲われる前、なんかメッセージ届いてなかった?」

「……あ」

リーファは口をあんぐりと開けると振り返った。

「忘れてた」

慌ててウィンドウを開き、履歴を確認する。レコンからのメッセージは、しかし改めて読んでもさっぱり意味が取れない。回線がトラブって途中で切れたのかとも思ったが、それにしては続きは届く気配もない。

ならばと思い、こちらからメッセージを打とうとすると、フレンドリストのレコンの名前はグレーに消灯している。すでにオフラインになっているようだ。

「何よ、レコン寝ちゃったのかな?」

「一応向こうで連絡取ってみたら?」

キリトの言葉に、うむむと考え込む。

正直、現実世界にアルヴヘイムのことを持ち込むのは好きではなかった。ALOのコミュニティサイトにも一切出入りしていないし、レコン__長田(ながた)慎一(しんいち)ともリアルでゲームの話はほとんどしていない。

しかし、謎のメッセージにはどこか引っ掛かるものがあるのも事実だった。

「じゃあ、ちょっとだけ落ちて確認してくるから、キリト君とネザーさんは待ってて。あたしの体、よろしく。__ユイちゃん」

自分の肩に乗っていたユイに向かって、付け加える。

「はい?」

「パパがあたしにイタズラしないように監視しててね」

「了解です!」

「あ、あのなあ!!」

心外だと言う風に首を振るキリトに、「当然の処置だな」とネザーが言葉を追加した。リーファはうふふと笑っておいて、手近なベンチに座ると左手を振った。

ログアウトボタンを押し、この日四度目の世界移動。目眩に似た感覚を味わいながら、遥か彼方のリアルワールドを目指して意識を浮上させていく。











「ふう……」

いつになく長時間のログインに、僅かな疲労感を覚えて、直葉(すぐは)は深く息をついた。

ベッドに寝転がり、アミュスフィアを被ったままちらりと自覚し時計に眼をやる。そろそろ母《桐ヶ(きりがや)(みどり)》が帰ってくる時間だ。顔くらい見せておいたほうがいいかもしれない__。

そんなことを考えながら、手探りでヘッドボードに置いてある携帯端末(スマートフォン)を手に取った。ホームボタンを押してタッチ画面を開くと、ログイン中の着信履歴が表示されている。

「何これ!?」

それを見て直葉は眼を丸くした。着信12件、全て長田慎一からのコールだ。家族や警察、病院などからの緊急タグ付き電話ならアミュスフィアと連動して自動ログアウトするようになっているが、長田の番号はそれに含まれていないので、ひたすら無視してしまったらしい。それにしても、この時間に一体何事だというのだ。

コールバックしようとしたところで、13回目の着信が入ったらしく、画面に長田の名前を発光表示させながらブルブルと鳴り響く。通話ボタンをタッチし、耳元へ当てる。

「もしもし、長田君?」

『あっ!ようやく出た!も〜っ、遅いよ直葉ちゃん!!』

「何がも〜なのよ。ちょっと中でゴタゴタしててね」

『た、大変なんだ!シグルドの野郎、僕達を……そ、それだけじゃない、領主も__サクヤさんも売りやがったんだよ!』

「売った……って……。どういう意味なの?最初から説明してよ」

「うー、時間ないのに……。えーと、ほら、昨日古森でサラマンダーに襲われた時さぁ、直葉ちゃん、なんかおかしいと思わなかった?」

長田は、言葉とは裏腹にいつものスローな口調に戻って言う。面と向かって話す時は、馴れ馴れしく直葉ちゃん呼ばわりされれば必ず物理攻撃を伴う訂正を加えているのだが、電話ではそうもいかないのでやむなく黙認する。

それにしても、あの出来事がまだたった1日前のことだという事実は直葉を少々驚かせた。ネザーとキリトの2人と出会ったのはなんだかもう遥か昔の出来事であるような気さえする。

「え〜?おかしいって……何かあったっけ……?」

正直、旅仲間の2人の印象のほうが強すぎて、その前の空中戦闘(エアレイド)のことはよく覚えていなかった。

「最初、サラマンダーが8人で襲ってきた時、シグルドが、自分が囮になるって言って、1人で3人くらい引っ張っていったじゃない」

「ああ、そういえば。結局彼も逃げ切れなかったんでしょ?」

「そうなんだけどさ。あれ、シグルドらしくないよ。今にして思えば、パーティーを分けるなら絶対自分はリーダーとして残って、囮は誰かにやらせるでしょ、いつもなら」

「あー ……。それは、確かに……」

シグルドの戦闘指揮官としての腕は確かなものだが、その分独善的で、常に自分がトップに立たないと気が済まないところがある。確かに、メンバーを逃がすために捨て石になるような自己犠牲的行動は彼にそぐわない。

「でも、それって……どういうことなの?」

「だからさぁ」

長田は不味いものを噛み砕くような口調で言った。

「あいつ、サラマンダーと内通してたんだよ。多分、相当前から」

「はあ!?」

今度こそ心の底から驚愕して、直葉はスマホを握り締めて絶句した。

種族間のパワーゲームが繰り広げられるALOにおいて、捨てアカウントのスパイ行為は日常的に行われている。スイルベーンをホームにするシルフの中にも、多種族、特にサラマンダーの偽装キャラクターが何人かいるのは間違いないだろう。

故に基本的に、低スキルかつ低貢献度、低アクティビティのプレイヤーは皆スパイの可能性があるとして執政部の中枢には近づけない。リーファでさえ、風の塔の裏手にある領主館に立ち入れるようになったのはそう昔のことではない。

しかしシグルドは、ALO黎明期(れいめいき)から積極的に執政サイドに参加し、今まで4回あった領主投票にも全て立候補しているほどの古参プレイヤーだ。現領主の圧倒的な人気のせいで毎回次点、次々点に甘んじているが、選挙に敗れてもへこたれる様子もなく補佐に名乗り出てすっかり中枢の一角に大きな座を占めている。

その彼が、サラマンダーのスパイなどという話はにわかに信じられなかった。

「ちょっとあんた……それ、確証はあるの?」

思わず声を潜めながら直葉は問いただした。

「僕、なんか引っかかると思って、今朝からずっと《ホロウ》でシグルドをつけてたんだ」

「……本当、暇な人ねえ」

《ホロウ・ボディ》というのは、レコンのもっとも得意とする透明化の魔法である。高位の隠蔽魔法と、隠密行動スキルの双方をマスターしないと使うことができない。

元々、レコンのアルファベット表記である《Recon》というのは、アメリカの軍隊用語で偵察隊を指す__正しくはリーコンと発音するらしい__のだそうだ。狩りでの先行偵察を目的としたキャラメイクに特化しているため、尾行は得意中の得意なのだろう。一度、それを悪用してリーファが休んでいる宿屋の部屋に侵入してきたことがあり、本人はこっそり誕生日プレゼントを置こうとしただけと釈明はしていたが、その時は容赦なく半殺しの眼に合わせたものだ。

長田は、直葉の呆れ声を無視して言葉を続けた。

「風の塔であいつがリーファちゃんに暴言吐いた後、あんまりムカついたんで毒で暗殺してやろうと思ってずっとチャンスを狙ってたんだ。そしたら__」

「うわ、危ない奴」

「__裏道であいつらも透明マント被って消えるから、こりゃいよいよ何かあると思ってさ。ま、アイテムくらいじゃ僕の眼は誤魔化せないけどね」

「自慢はいいから、早く先を言いなさいよ」

「そのまま地下水道に入って、5分くらい歩いたかなあ、めっちゃ奥のほうで妙な2人組が待っててね。そいつらも透明マント被ってたんだけど、それを脱いだらこいつはびっくり、サラマンダーだったんだ!」

「ええ?でも、マントじゃガーディアンは誤魔化せないでしょ?街に入った時点で斬られてるはずだけど……。まさか……」

「それそれ、そのまさか。パス・メダリオンを装備してたんだよ」

《パス・メダリオン》というのは、通商などでテリトリーを訪れる他種族プレイヤーに厳しい審査の上で与えられる通行証アイテムである。執政部のごく限られたプレイヤーにしか発行できず、譲渡(じょうと)不可という代物だが、当然シグルドなら発行権があるはずだ。

「こいつは当たりだと思って聞き耳立ててたら、サラマンダーがリーファちゃんにトレーサーをつけたとか言っててさ。それだけじゃないんだ。実は今日、領主のサクヤさんが、ケットシーと正式に同盟を調印するってんで、極秘で中立域に出てるらしいんだよ」

「あ……なるほど、それで領主館に旗が出てなかったのね」

直葉の呟きに被せるように、長田は大声で喚いた。

「シグルドの奴……サラマンダーの大部隊に、その調印式を襲わせる気なんだ!」

「な……」

直葉は一瞬息を詰めた。ことによればもう戻らない、というつもりで出てきたとは言え、シルフ領はやはり故郷であり、サクヤは敬愛すべき領主だ。込み上げてくる焦燥(しょうそう)のままにスマホのマイクに怒鳴りつける。

「そっ、それを速く言いなさいよ!!大変じゃないの!!」

「だから、最初に大変だって言ったじゃないのあぁ!」

情けない声でぶつぶつ抗弁する長田に、立て続けに言葉をぶつける。

「で、それ、サクヤに知らせたの!?まだ時間あるんでしょうね!?」

「僕もヤバイと思って、地下から出ようと思った時、うっかり石ころ蹴っ飛ばしてね……」

「このドジ!大間抜け!」

「……なんか、最近直葉ちゃんに怒られるの気持ちよくなってきたかも……」

「ど変態!!それで!?連絡できたの!?」

「サラマンダーのサーチャーにハイド破られて、まあ殺されたら塔で蘇生して領主館に駆け込めばいいやと思ったら、連中毒矢を撃ち込みやがって、酷いことするよねぇ」

先刻の自分の言葉を棚に上げた発言だが、突っ込んでいる余裕はない。

「じゃあ……レコンは……?」

「地下水道で麻痺したままサラマンダーに捕まってます……。それで、仕方なくログアウトしてきて、直葉ちゃんに電話してたけど、さっぱり出ないし、僕、他にリアルで連絡つく人いないし……。あ、えーと、ケットシー領主との会談は1時って言ってたから……うわっ、後40分じゃん!ど、どうしよ直葉ちゃん!?」

直葉は深く息を吸ってから、早口に言った。

「その会談の場所わかる?」

「詳しい座標までは……。でも、山脈の内側、《蝶の谷》を抜けた辺りらしいよ」

「わかった。……あたしがどうにかして警告に行くわ。急ぐから、もう切るわよ」

「あっ、直葉ちゃん!」

切断ボタンに指を伸ばしたところで、切羽詰まったような長田の声が流れてくる。

「何よ?」

「えーとね。あのキリトとネザーって2人、直葉ちゃんとどういう関係なの?」

ブチッ。

と問答無用で回線を切断し、携帯を机の上に置くと、直葉は枕に頭を埋めてアミュスフィアを被り、眼を閉じた。現実世界で唯一使えるスペルワードを口にして、陰謀渦巻く異世界へと意識をシフト。











パチリと眼を見開き、同時にリーファは勢いよく立ち上がった。

「うわっ!!びっくりした!!」

目の前で黒衣のスプリガンが、屋台で買ったらしき謎の食べ物__見たことところ小さな爬虫類を数匹串焼きにしたもののようだ__を取り落としそうになって、危うく握り直した。

「お帰り、リーファ」

「遅かったな」

口々に言うキリトと、傍の壁に背中を(もた)せるネザーに向かって、リーファはただいまを言う間も惜しんで口を開いた。

「2人とも__ごめんなさい」

「え?」

「ん?」

「あたし、急いで行かなきゃいけない用事ができちゃった。説明してる時間もなさそうなの。多分、ここにも帰ってこられないかもしれない」

「………」

キリトは一瞬ジッとリーファの眼を見詰め、すぐに頷いた。

「そうか。じゃあ、移動しながら話を聞こう」

「え……?」

「どっちにしてもここからは足を使って出ないといけないんだろ?なら移動しながら説明すればいい」

「……わかったわ。じゃあ、走りながら話すね」

「ああ。行くぞネザー」

そう言った途端、キリトとリーファは足をせっせと動かした。ネザーは渋々な気持ちでルグルーの目抜き通りを、アルン側の門を目指し駆け出す。

人並み縫い、巨岩を削り出した大門をくぐると、再び地底湖を貫く橋がまっすぐ伸びていた。

ブーツの(びょう)を鳴らして全力で疾走しながら、リーファを事情を旅のお供2人に説明した。幸いこの世界ではどれだけ走ろうと息切れしたりすることはない。

「__なるほどな」

リーファの説明を聞き終えたネザーは、初めて会った時のシグルドから感じた威圧感をますます嫌悪した。

続いてキリトが何事か考えるように視線を前方に戻した。

「いくつか訊いていいかな?」

「どうぞ」

「シルフとケットシーの領主を襲うことで、サラマンダーにはどんなメリットがあるんだ?」

「えーと、まず、同盟を邪魔できるよね。シルフ側から漏れた情報で領主を討たれたらケットシー側は黙ってないでしょう。下手したらシルフとケットシーで戦争になるかもしれないし……。サラマンダーは今最大勢力だけど、シルフとケットシーが連合すれば、多分パワーバランスが逆転するだろうから、それは何としても阻止したいんだと思うよ」

一行は橋を渡り終わり、洞窟に入っていた。リーファは眼の前にマップを表示し、道を確認しながら走り続ける。

「後は、領主を討つっていうのはそれだけですごいボーナスがあるの。その時点で、討たれた側の領主館に蓄積されてる資金の3割を無条件で入手できるし、10日間、領内の街を占領状態にして税金を自由に掛けられる。これはものすごい金額だよ。サラマンダーが最大勢力になったのは、昔、シルフの最初の領主を罠に嵌めて殺したからなんだ。普通領主は中立域には出ないからね。ALO史上、領主が討たれたのは後にも先にもあの1回だけ」

「そうなのか……」

「だからね……キリト君、ネザーさん」

ちらりと隣を走る少年2人の横顔に視線を向け、言葉を続ける。

「これは、シルフ族の問題だから……これ以上2人が付き合ってくれる理由はないよ……。この洞窟を出ればアルンまではもうすぐだし、多分会談場に行ったら生きて帰れないから、またスイルベーンから出直して、何時間も無駄になるだろうしね。……ううん、もっと言えば……」

胸が塞がるような思いを味わいながら、リーファはその先を口にした。

「世界樹の上に行きたい、っていう2人の目的のためには、サラマンダーに協力するのが最前かもしれない。サラマンダーがこの作戦に成功すれば、充分以上の資金を得て、万全の体制で世界樹攻略に挑むと思う。スプリガンとインプなら、傭兵として雇ってくれるかもしれないし。__ここで、あたしを斬っても文句は言わないわ」

その時は、抵抗はするまい__とリーファは思った。普段の自分からはとても考えられない思考だったが、戦っても絶対に勝てない確信があったし、それに何となく、このたった1日前に知り合った2人と戦うのは嫌だった。

もしそうなったら……あたし、ALOを辞めるかもしれないな……。

そんなことを考えながらもう一度2人の顔を見ると、彼らは表情を変えずに走り続けながら、キリトがぽつりと言った。

「所詮ゲームなんだから何でもありだ。殺したければ殺すし、奪いたければ奪う」

わずかに間を置き、

「__そんな風に言う奴には、嫌って言うほど出くわしたよ。一面ではそれも真実だ、俺も昔はそう思っていた。でも、そうじゃないんだ。仮想世界だからこそ、どんなに愚かしく見えても、守らなきゃならないものがある。俺はそれを__大切な人に教わった……」

その瞬間、今度はネザーが口を開き、優しさと暖かさを帯びた声が響いた。

「VRMMOでは矛盾するが……プレイヤーとキャラクターは一体だ。自分の利益のために相手との絆を断ち切り、欲望のままに動くのは合理的と言えるが……それは愚か者のすることだ。少なくとも俺は、そこまで愚かじゃない。ここまで共に行動してきたリーファと縁を斬るつもりもない」

「俺も同じだよ」

「キリト君……ネザーさん……」

不意に胸が詰まって呼吸ができなくなり、リーファは立ち止まった。わずかに遅れてキリトとネザーも停止する。

両手を体の前でギュッと握り、言葉にできない感情の流れを持て余しながら、ジッと2人を見つめた。

そうか……そうだったんだ__。心の奥で呟く。

今までこの世界で、どうしても他のプレイヤーに、ある距離以上には近づけなかった理由。それは相手が生身の人間なのか、ゲームのキャラクターなのかわからなかったからだ。相手の言葉の裏に、本当のこの人は何を思ってるんだろうと、そんなことばかり気にしていた。どう接していいのかわからないが故に、他人の差し出す手を重荷と感じ、いつも翅を使って振り切っていた。

でも、そんなことを気にする必要はなかったのだ。自分の心を感じるままに__、それだけでよかったし、それだけが真実だった。

「__ありがとう」

心の奥底から浮かび上がってきた言葉を、そっと口にした。それ以上何か話したら、泣いてしまいそうだった。

それを聞くと、キリトは照れたように笑った。

「ごめん、偉そうなこと言って。悪い癖なんだ」

「ううん、嬉しかった。__じゃ、洞窟出たとこでお別れだね」

するとキリトは意外そうに眉を上げる。

「や、俺達も一緒に行くよ、もちろん」

「え、え?」

「__しまった、時間帯無駄にしちゃったな。ユイ、走るからナビよろしく」

「了解です!」

肩に乗った小妖精が頷くのを確認し、キリトは再びリーファに向かって、

「ちょっと手を拝借」

「え、あの__」

左手を伸ばし、呆気に取られるリーファの右手をギュッと掴む。こんな状況ではあるが、手を繋ぐのはこれが初めてかも、などと意識してしまったリーファの心臓がドクンと跳ねた。

「やっぱり、こうなるか」

ネザーにとって、キリトの先の行動を悟るなど造作もなかった。次の瞬間にキリトが猛烈なスピードで駆け出すことも容易にわかった。空気の壁を突き破る如き衝撃音が鼓膜を叩いた。

黒衣の相棒に続いて共に駆け出し、今までとは比較にならないほどのペースで走った。あまりの速度に岩肌テクスチャが放射状に溶け流されて見える。右手を引かれるリーファの体はほとんど水平に浮き上がり、キリトとネザーが洞窟の湾曲に沿ってコーナリングするたびに左手にぶんぶん振り回される。ロマンチックな要素など皆無だ。

「わあああ!?」

たまらず声を上げつつ前方を凝視すると、通路の少し広くなった箇所に断続的に大量の黄色カーソルが点滅するのが見えた。洞窟に巣食うオークの集団らしい。

「あの、あの、モンスターが」

叫ぶが、キリトとネザーはスピードを落とす気配も見せずオークの群に突っ込んでいく。

「わあ____っ」

リーファの悲鳴に、モンスター達の雄叫びが重なった。しかし、次々と振り下ろされる分厚い包丁のようんあぶきは、1発もヒットしなかった。途中から前に出てきたネザーが剣を振り回し、ドリルで地面を掘り進むようにモンスター達を蹴散らしていく。紫衣の忍者によって切り開かれた道を、キリトは相手をすることもなくネザーの後に続いて進んで行く。オーク達が怒りの声と共に振り向き、追いかけ始めた時には、もう次の通路に突入している。

その後も何度かオークその他にエンカウントしたが、ネザーは剣でスパスパと切り裂き続け、キリトの道作りを繰り返した。当然ながら、背後には巨大なモンスター集団が形成され、濁流のような地響きを立てて追いかけてくる。《トレイン》と呼ばれる非マナー行為そのもので、もし他のパーティーに擦り付けてしまったら大惨事は免れないが、幸いそんな悲劇が起きることもなく、前方に白い光が見え始めた。

「ようやく出口か」

ネザーの言葉耳に届いた直後、視界全てが真っ白に染まり、直後足元から地面が消えた。

「ひええええっ!?」

思わず両眼をぎゅっと瞑り、喚き声を上げつつ足をバタバタさせてから、体を包んでいた轟音が一気に拡散したのに気づいた。

恐る恐る瞼を開けると、そこはもう無限に広がる空の真ん中だった。どうやらキリトもネザーも、走る勢いを緩めず、山脈の中腹に開いた出口からカタパルトよろしく飛び出したらしい。足元には、灰色の断崖(だんがい)絶壁(ぜっぺき)がどこまでも切り立っている。その上を、2人は惰性に従って放物線を描きながら飛翔していく。

慌てて羽を広げ、滑空体勢に入ると、リーファは詰めていた息をいっぺんに吐き出した。

「ぶはっ!!」

ぜいぜい荒い呼吸を繰り返しながら振り向けば、遠ざかりつつある洞窟の出口は、追いかけてきたモンスター軍団でぎっしり埋まっている。ゾッとしながら、傍らで背面飛行するキリトを睨みつける。

「__寿命が縮んだわよ!」

「わはは、時間短縮になったじゃないか」

「……ダンジョンっていうのはもっとこう……索敵に気を使いながら、モンスターをリンクさせないように……あれじゃ別のゲームだよまったく……」

ブツブツ文句を言う内にようやく動悸(どうき)が落ち着いてきて、リーファは改めて周囲を見回した。

眼下には広大な草原が広がり、所々に湖が青い水面を煌めかせている。それらを結ぶように蛇行する川が流れ、更にその先には__

「あっ……」

リーファは思わず息を呑んだ。
 
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