Sword Art Rider-Awakening Clock Up
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リズベット武具店
第48層主街区《リンダース》。
そこは、巨大な水車が緩やかに回転する心地よい音が、ある工房を満たす。さして広くもない職人クラス用プレイヤーホームだが、水車のおかげでやたらと売値が高かった。
しかし、外見を見た瞬間、彼女は見惚れた。一目で「ここしかない!」と思ったのだ。
目標の額が300万コルだと知った時、彼女は愕然とした。それからというもの、彼女は死に物狂いで働き、各方面に借金までして、目標の300万コルに2ヶ月で到達することができた。
そして、この水車つきの家は晴れて《リズベット武具店》となったのだ。
水車のごとんごとんという振動音をBGMに、慌ただしく朝のコーヒーを飲んだ後、《リズベット》は鍛冶屋としてのユニフォームに着替え、壁の大きな姿見でざっと検分した。
鍛冶屋と言っても、作業服のようなものではなく、どちらかと言えばウェイトレスに近い。檜皮色のパフスリーブの上着に、同色のフレアスカート。その上から純白のエプロン、胸元には赤いリボン。
この服装をコーディネートしたのはリズベットではなく、友人でお得意様でもある同年代の女の子だ。彼女曰く「リズベットは童顔だからごつい服は似合わないよ!」ということで、最初は大きなお世話だと思ったが、確かにこのユニフォームに替えてから店の売り上げは倍増し、いささか不本意ではあったものの、以来ずっとこれで通している。
彼女のアドバイスは服だけに留まらず、髪型もことあるごとに弄られて、今はベビーピンクのふわふわしたショートヘアという驚異的なカスタマイズを施されている。しかし周囲の反応を見るにどうやらこれもまんざら似合ってないというわけでもないらしい。
鍛冶屋リズベットは、SAOにログインした時は15歳だった。現実世界でも歳より幼く見られがちだったが、この世界に来てからその傾向はいっそう強くなってしまった。鏡に映る自分は、ピンクの髪にダークブルーの大きな瞳、小作りな鼻と口が古風なエプロンドレスとあいまってどこか人形じみた雰囲気を醸し出している。
向こうではお洒落に興味のない真面目な中学生だっただけに、ギャップを感じないではいられない。最近ではどうにかこの外見にも慣れてきたものの、性格だけは直せず、時折お客を怒鳴りつけてしまってはギョッとした顔をされることもしばしばだ。
装備のし忘れがないことを確認すると、リズベットは店先に出て、CLOSEDの木礼を裏返した。開店を待っていた数人のプレイヤーに最大級の笑顔を向け、「おはようございます、いらっしゃいませ!」と元気よく挨拶する。これが自然にできるようになったのも実はけっこう最近のことだ。
お店を経営したい、というのは大昔からの夢だったけれど、例えゲームの中とはいえ夢と現実とは大違いで、接客やらサービスの難しさは宿屋を拠点に露天販売をしていた頃から嫌というほど味わった。
笑顔が苦手ならせめて品質で勝負をしようと、早い段階から遮二無二武器制作スキルを上げたのが結果的には正解だったらしく、幸いここに店を構えてからも多くの固定客がうちの武器を愛用してくれている。
一通り挨拶を済ませると、接客はNPCの店員に任せて、リズベットは売り場と隣り合わせの工房に引っ込んだ。今日中に作らなくてはならないオーダーメイドの注文が10件ほど溜まっているのだ。
壁に設えられたレバーを引くと、水車の動力によって鞴が炉に空気を送り、回転砥石が唸り始める。アイテムウィンドウから高価な金属素材を取り出して、赤く燃え始めた炉に放り込み、充分熱せられたところでヤットコで金床の上に移す。片膝をついて愛用のハンマーを取り上げ、ポップアップメニューを出して作成アイテムを指定。あとは金属を既定回数叩くだけで武器アイテムが作製される。そこには特にテクニックのようなものは介在せず、完成する武器の品質はランダムだけれど、叩く時の気合が結果を左右すると信じているあたしは神経を集中しながらゆっくりハンマーを振り上げた。地金に最初の一撃を加えようとしたまさにその瞬間。
「おはよーリズ!」
「うわっ!」
突然工房のドアがばたんと開いて、あたしの手元は思い切り狂った。金属ではなく金床の端っこを叩いてしまい、情けない効果音と共に火花が飛び散る。
顔を上げると、闖入者は頭を掻きながら舌を出して笑っていた。
「ごめーん。以後気をつけます」
「その台詞、何回聞いたかなぁ。……まあ、叩き始めてからでなくてよかったけどさ」
リズベットはため息と共に立ち上がり、再び金属を炉に放り込んだ。両手を腰にあてて振り返り、リズベットよりわずかに背の高い少女の顔を見上げる。
「……おはよ、アスナ」
リズベットの親友にしてお得意様の細剣使い《アスナ》は、勝手知ったる工房の中を横切ると白木の丸椅子にすとんと腰を降ろした。肩にかかった栗色のロングヘアを、指先でふわりと払う。その仕草がいちいち映画のようにサマになっていて、長い付き合いにも関わらずつい見とれてしまう。
リズベットも金床の前の椅子に座ると、ハンマーを壁に立てかけた。
「……で、今日は何?随分早いじゃない」
「あ、これお願い」
アスナは腰から鞘ごとレイピアを外すと、ひょいと投げてきた。片手で受け取り、わすかに刀身を抜き出す。使い込まれて輝きが鈍っているが、切れ味が落ちるほどではない。
「まだあんまりヘタってないじゃない。研ぐのはちょっと早いんじゃないの?」
「そうなんだけどね。ピカピカにしときたいのよ」
「ふうん?」
リズベットは改めてアスナを見やった。白地に赤の十字模様を染め抜いた騎士服にミニスカートの出で立ちはいつもどおりだが、ブーツはおろしたてのように輝いている。
「なーんか怪しいなぁ。よく考えたら今日は平日じゃない。ギルドの攻略ノルマはどうしたのよ。63層でだいぶ手間取ってるとか言ってなかったっけ?」
リズベットが言うと、アスナはどこか照れたような笑みを浮かべた。
「んー、今日はオフにしてもらったの。この後ちょっと人と会う約束があって……」
「へええー?」
リズベットは椅子ごとガタゴトと数歩アスナににじり寄った。
「詳しく聞かせなさいよ。誰と会うのよ」
「ひ、ひみつ!」
アスナは頬をわずかに染めながらそっぽを向く。リズベットは腕を組むと、深く頷きながら言った。
「そっかぁー、あんたこの頃妙に明るくなったと思ったら、とうとう男ができたかぁ」
「そ、そんなんじゃないわよ!!」
アスナの頬あいっそう赤くなる。咳払いをして、リズベットのほうを横目で見ながら、
「……わたし、前とそんなに違う……?」
「そりゃあねー。知り合った頃は、寝ても醒めても迷宮攻略!って感じでさ。ちょっと張り詰めすぎじゃないのって思ったけど、春先から少しずつ変わってきたよ。大体、平日に攻略サボるなんて、前のあんたからは想像もできないわよ」
「そ、そっか。……やっぱ影響受けてるのかな……」
「ねぇ、誰なのよ。あたしの知ってる人?」
「知らない……と思うけど……どうかな」
「今度連れてきなさいよ」
「ほんとにそんなんじゃないの!まだ全然、その……一方通行だし……」
「へーっ!」
リズベットは今度こそ心の底から驚く。アスナは最強ギルドKoBのサブリーダーにしてアインクラッドで5本の指に入るかという美人で、彼女に言い寄る男は星の数ほどいるが、まさかその逆パターンがあろうとは夢にも思わなかった。
「なんだかねー、変な人なの」
アスナはうっとりと宙を見つめながら言う。口元には仄かな微笑が浮かび、少女漫画ならバックに盛大に花が舞い散ろうという風情だ。
「掴み所がないっていうか……。マイペースっていうか……。その割には結構強いし」
「あら、あんたより強いの?」
「もう、全然。デュエルしてもわたしなんか5分も持たないよ。多分、彼の相棒的な人が影響してるんだと思うけど……」
「ほほー。そりゃあかなり名前が限られますなぁ」
リズベットが脳内の攻略組名簿を繰り始めると、アスナは慌てて両手を振った。
「わあ、想像しなくていいよー」
「まあ、そのうち会わせてもらえると期待しましょう。ついでにその人の相棒とやらにも。でもそういうことなら、ウチの宣伝、よろしく!」
「リズはしっかりしてるねぇホント。紹介はしとくけどね。……あ、やば、早く研磨お願い!」
「あ、はいはい。すぐに研ぐからちょっと待ってて」
リズベットはアスナのレイピアを握ったまま立ち上がると、部屋の一角に備えられている回転砥石の前に移動した。
赤い鞘から細い剣を抜き出す。武器カテゴリー《レイピア》、固有名詞《ランベントライト》、リズベットが今まで鍛えた剣の中でも最上級の名品のひとつだ。今手に入る最高の材料、最高のハンマー、最高の金床を使っても、ランダムパラメーターのせいで出来上がる武器の品質にはばらつきがある。これほどの剣が打てるのは3ヶ月に1本がいいところだろう。
刀身を両手で支え、ゆっくり回転する砥石に近づいていく。武器の研ぎ上げにも特にテクニックのようなものは必要なく、一定時間砥石に当てれば完了するのだけれど、やはりおざなりに扱う気にはなれない。
柄から先端に向かって丁寧に刀身を滑らせる。涼しげな金属音と共にオレンジ色の火花が飛び散り、それと同時に銀色の輝きが蘇っていく。やがて研磨が完了した時には、レイピアは朝の光を受けてキラキラと透き通るようなクリアシルバーの色合いを取り戻していた。
剣を鞘にぱちりと収め、アスナに投げ返す。彼女が同時に弾いてきた100コルを指先で受け止める。
「毎度!」
「今度アーマーの修理もお願いするわね。じゃ、わたし急ぐから、これで」
アスナは立ち上がると、腰の剣帯にレイピアを吊った。
「気になるなぁー。あたしもついて行っちゃおうかな」
「えー、だ、だめ」
「ははは、冗談よ。でも今度連れてきなさいよね」
「そ、そのうちね」
パタパタと手を振って、アスナは逃げるように工房から飛び出していった。リズベットは1つ大きく息をすると、再び椅子に腰掛けた。
「……いいなぁ」
ふと口をついて出た台詞に、思わず苦笑い。
この世界に来て1年半、生来あまりくよくよしな性質のリズベットは商売繁盛だけに情熱を傾けてここまでやってきたが、鍛冶スキルをほぼマスターし、店も構え、このところ目標を見失いがちなせいか、時々人恋しくなってしまうことがなくもない。
アインクラッドは絶対的に女の子が少ないので、今まで口説かれたことはそれなりにあるが、何だかその気になれなかった。やっぱり自分から好きになった人がいいと思う。そういう意味では、リズベットはアスナのことが正直羨ましい。
「あたしも《素敵な出会い》のフラグ立たないかなぁー」
呟いてから頭をぶんぶん振って妙な思考を払い落とし、リズベットは立ち上がった。炉から真っ赤に焼けたインゴットを取り出し、再び金床の上に置いた。当分はこいつが恋人だなぁ、などと考えながらハンマーを持ち上げ、振り下ろす。
工房に響くリズミカルな鎚音は、いつもならリズベットの頭をすぐに空っぽにしてくれるのに、今日に限ってはもやもや感が去ろうとしなかった。
「あの、キミ、悪いんだけど……」
「んん……」
声と共に体を揺さぶられ、リズべットの意識は眠りの底から浮上する。
ハッとして瞼を開くと、目の前に男の顔があった。
「はっ、はいっ、ごめんなさい!!」
「うわ!?」
バネ仕掛けのようにびよーんと立ち上がり、大声で叫んだリズベットの前に、唖然とした顔で直通している男性プレイヤーがいた。
「あれ……?」
リズベットはぼんやりと周囲を見渡す。ふんだんに配された街路樹、広い石畳の道を取り囲む水路、芝生の庭。第48層主街区《リンダース》の街だ。
どうやら久々に思い切り寝惚けてしまったらしい。咳払いで気恥ずかしさを押し返すと、客とおぼしき男に挨拶を返す。
「い、いらっしゃいませ。武器をお探しですか?」
「あ、う、うん」
男はこくこくと頷いた。
一見したところ、それほどの高レベルプレイヤーには見えなかった。歳はリズベットより少し上だろうか。黒い髪に、同じく黒い簡素なシャツとズボン、ブーツ。武装は背中の片手剣1つきりだ。リズベットの店の品揃えは、要求ステータスの高い武器がほとんどなので男のレベルが足りるか正直心配になったが、顔には出さずに店内に案内する。
「片手剣はこちらの棚ですね」
既製武器の見本が陳列されたケースを示すと、男は困ったように微笑みながら言った。
「あ、えっと、オーダーメイドを頼みたいんだけど……」
リズベットはいよいよ心配になる。特殊素材を用いたオーダー武器の相場は最低でも10万コルを超える。代金を提示してからお客が赤くなったり青くなったりするのはこちらとしても気まずいので、何とかそんな事態を回避しようとした。
「今ちょっと、金属の相場が上がってまして、多少お高くなってしまうかと思うんですが……」
と言ってみたものの、黒衣の男は涼しい顔でとんでもないことを言い返してきた。
「予算は気にしなくていいから、今作れる最高の剣を作ってほしいんだ」
「………」
リズベットはしばし呆然と男の顔を眺めたが、やがてどうにか口を開いた。
「……と言われても……具体的にプロパティの目標値とかを出してもらわないと……」
つい口調が多少ぞんざいになったものの、男は気にすることもなく頷いた。
「それもそうか。じゃあ……」
細い剣帯ごと背中に吊った片手剣を外し、リズベットに差し出してくる。
「この剣と同等以上の性能、ってことでどうかな」
見たところ、そう大した品には見えなかった。黒い革装の柄、同色の鞘。しかし、右手で受け取った途端……
重い!!
危うく取り落としそうになった。恐ろしいほどの要求筋力値だ。リズベットも鍛冶屋兼戦槌使いとして筋力パラメータは相当上げているが、この剣はとても振れそうにない。
恐る恐る刀身を抜き出すと、ほとんど漆黒に近い色の肉厚の刃がギラリと光った。一目でかなりの業物だと知れる。指先でクリックし、ポップアップメニューを表示させる。カテゴリー《ロングソード/ワンハンド》、固有名詞《エリュシデータ》。製作者の銘、無し。ということは、これはリズベットの同業者の手になるものではない。
アインクラッドに存在する全ての武器は、大きく2つのグループに分けられる。1つは鍛冶屋が制作する《プレイヤーメイド》。もう1つが冒険によって入手できる《モンスタードロップ》だ。自然な成り行きとして、鍛冶屋はドロップ品の武器にあまりいい感情を抱かない。勢い、無銘やノーブランドなどと、 揶揄的やゆてきな呼び名も横行することになる。
だがこの剣は、ドロップ品の中でもかなりのレアアイテムだと思われる。通称、プレイヤーメイドの平均価格帯の品と、モンスタードロップの平均出現帯の品の質を比べれば前者に軍配が上がるが、時々こういう《魔剣》が現れることもある……らしい。
とりあえず、リズベットの対抗意識は大いに刺激された。マスタースミスの意地にかけてもドロップ品に負けるわけにはいかなかった。
重い剣を男に返すと、リズベットは店の正面奥の壁に掛けてあった1本のロングソードを外した。半月前に鍛え上げた、今のところリズベットの最高傑作だ。鞘から抜き出した刀身は薄赤く輝き、仄かな火焔を纏っているかのように見える。
「これが今うちにある最高の剣よ。多分、そっちの剣に劣ることはないと思うけど」
男は無言でリズベットの差し出した赤い剣を受け取ると、片手でヒュヒュンと振って、首を傾げた。
「少し軽いかな?」
「使った金属がスピード系の奴だから……」
「うーん」
男はどうもしっくりこないという顔でなおも数回剣を振っていたが、やがてリズベットに視線を向けると言った。
「ちょっと、試してみてもいいかい?」
「試すって……?」
「耐久値をさ」
男は左手に下げていた自分の剣を抜くと、店のカウンターの上にごとりと横たえた。その前に立ち、右手に握ったリズベットの赤い剣をゆっくり振りかぶる。
男の意図を察したリズベットは慌てて声をかけた。
「ちょ、ちょっと、そんなことしたらあんたの剣が折れちゃうわよ!!」
「折れるようじゃだめなんだ。その時はその時さ」
「んな……」
無茶な、という言葉をリズベットは呑み込んだ。剣をまっすぐ頭上に振りかぶった男の眼に鋭い光が宿った。すぐに刀身をペールブルーのライトエフェクトが包み始める。
「セイッ!」
気合一閃、もの凄い速さで剣が打ち下ろされた。瞬きする間もなく剣と剣が衝突、衝撃音が店中をビリビリと震わせる。炸裂した閃光のあまりの眩さに、リズベットが眼を細めて一歩後ずさった、その瞬間。
刀身が見事に真ん中からへし折れ、吹き飛んだ。
「うぎゃああああ!!」
リズベットは悲鳴を上げると男の右手に飛びついた。残った剣の下半分をもぎ取り、必死にためすつがめつ眺め回す。
……修復、不可能。
と判断し、ガクリと肩を落とした直後、半分になった剣がポリゴンの破片を撒き散らして消滅した。数秒間の沈黙を経て、ゆっくりと顔を上げる。
「な……な……」
リズベットは唇を戦慄かせながら、右手で男の胸倉をガシッと掴んだ。
「なんてことすんのよーっ!!折れちゃったじゃないのーっ!!」
男も、顔を引き攣らせながら答えた。
「ご、ごめん!まさか当てたほうが折れるとは思わなくて……」
直後、カチーン、と来た。
「それはつまり、あたしの剣が思ったよりヤワッちかったって意味!?」
「えー、あー、まあ、そうなるな」
「あっ!!開き直ったわね!!」
男の服を放し、両手をガシッと腰に当てて胸を反らす。
「い、言っておきますけどね!材料さえあれば、あんたの剣なんかポキポキ折れちゃうくらいの武器なんかいくらでも鍛えられるんですからね!!」
「……ほほう」
勢いに任せたリズベットの言葉を聞いた男が、ニヤッと笑った。
「そりゃあぜひお願いしたいね。これがポキポキ折れる奴をね」
カウンターから黒い剣を取り、鞘に収める。リズはいよいよ頭に血が上がり……。
「そ、そこまで言ったからには全部付き合ってもらうわよ!金属取りに行くところからね!」
あっ、と思った時にはそう言い放っていた。しかし言った以上もう後には引けない。男は眉をぴくりと動かすと、無遠慮な視線でリズベットをじろじろと眺め回した。
「……そりゃ構わないけど、俺1人のほうがいいんじゃないのか?足手まといは御免だぜ」
「ムキーッ!!」
なんと神経を逆撫でする男であろうか。リズベットは両腕をばたばた振り回しながら子供の如く抗弁する。
「ば、馬鹿にしないでよね!これでもマスターメイサーなんですから!」
「ほほーお」
男がひゅうっと口笛を吹く。完全に面白がっている。
「そういうことなら腕前を拝見させてもらおうかな。俺の名前はキリト。剣ができるまでひとまずよろしく」
リズベットは腕を組み、顔をふいっと逸らせて言った。
「よろしく、キリト」
「うわ、いきなり呼び捨てかよ。まあいいけどさ、リズベット」
「むか!!」
パーティーを組むにしては、最悪な第一印象だった。
黒衣の片手剣士キリトと、鍛冶屋兼戦槌使いリズベットが求める《その金属》の噂が鍛冶屋の間に流れたのは10日前のことだった。
SAOでは、最上層を目指すというのがもちろん最大のグランド・クエストなわけだが、それ以外にも大小様々のクエストが無数に用意されている。NPCにお使いを頼まれたり、護衛したり、探し物をしたりなど内容は幅広いが、大抵は報酬にそこそこレアなアイテムが含まれる上、一度誰かがクリアすると次に発生するのに時間がかかったり、中には1回こっきりのクエストもあると言われ、プレイヤーの注目度は高い。
そんなクエストの1つが、最近55層の片隅にある小さな村で発見された。
55層には、辺り一面が雪に覆われた《西の山》がある。その山の頂上に、水晶を餌にするドラゴンが住み着いており、そのドラゴンが体内にレアな金属素材を溜め混んでいると言われてる。今までにも大規模なパーティーやギルドが何度か挑戦したらしいが、実際にドロップできたのは少額のコルと装備アイテムくらいだったため、金属素材を入手できた者はまだいないらしい。
《神速》の異名を持つ忍者剣士は、クエストが目当てではなく違う目的でここに来た。
雪道を登ること数十分、一際切り立った氷壁を回り込むと、そこはもう山頂だった。
山頂の雪は下の雪よりもたくさん積もっており、温度も遥かに低いと言えるだろう。厚着してなければ凍えるのは間違いない。
フードを頭に被っているが、寒さを凌げるような衣類は他にない。
格好もいつも通り。しかし、寒さを凌ぐ装備として充分だった。
山頂に辿り着いてみると、辺り一面には雪だけでなく、雪を突き破った巨大クリスタルの柱が地面から伸び、残照の紫光が乱反射して虹色に輝いてる。その光景はとても美しかった。
思わず歓声が出てしまいそうだった。
しかし……
俺は数秒で風景から眼を逸らし、気配を感じ取れるよう意識を集中した。俺がこの雪山に来た理由は、この世界で唯一俺が倒すことのできる《怪物》を探すためだ。
3日ほど前、俺はアインクラッド初の情報屋《鼠のアルゴ》からある情報を買った。その情報には、55層のどこかにムカデを模した見慣れないモンスターが出現する、という内容が記されていた。
ムカデ。
その単語を聞いた時点で、そのモンスターが《オートマトン》だと予想した。ビートライダーの俺に言わせれば、虫の名前を聞いて真っ先に思い浮かぶ言葉はオートマトンだけ。
もちろん確証があるわけではない。だからこそ雪山の頂上で自分の眼で確認しに来たのだ。
脳裏で長い台詞を呟きながらも、調査は未だに続いていた。
……その拍子。
「俺を探してるのか」
「ッ!?」
突然、俺の背後から固い声が聞こえ、俺は咄嗟に振り向いた。
瞳に映ったのは、30代くらいの男性。茶色の髪に、白いシャツ、その上に防具を身に付けている。見たところ、あれは初期装備に極めて近い格好だ。55層でいまどき初期装備しているプレイヤーがいるはずがない。となると、この男は……。
「お前か。この辺りで噂になっているオートマトンは……」
俺が静かな声でそう告げると、男はニヤッと笑いながら唇を動かした。
「お前を待っていたぞ、《赤いスピードスター》」
この瞬間、俺は心から《奴》を呼んだ。
途端、空に出現した小さなワームホールからカブトゼクターが舞い降りた。ビューと翅音を鳴らしながら飛び回り、俺はそれを右手で掴み取った。
「変身」
いつの間にか腰に巻かれたゼクターバックルに、赤いカブトムシをセットした。
【Henshin】
電子音声が鳴り響き、ナノ粒子が全身を覆い尽くす。
スマートな下半身、アンバランスな鎧を纏う上半身をしたクリサリスフォーム状態のカブトに姿を変えた。
変身した俺に応じるように、男もまた、湧き出したナノマシンで全身を覆い尽くし、真の姿を現した。
発光する体を変形させて俺の目の前に現れたのは、頭部に2本の触角、口元に口器と顎肢を持つ、全身濃い赤色をしたムカデの怪人。噂通り、《センチピード・オートマトン》は実在した。
だが俺はキャストオフせず、クリサリスフォームのままで戦いを仕掛けようとした。
右のレッグホルスターから銃形態のカブトライザーを手に取り、相手に銃弾を放った。
雪道を登ること数十分、一際切り立った氷壁を回り込み、山頂に到着した。
「わあ……!」
雪地面から伸びた巨大なクリスタル柱が放つ虹色の光景に見とれ、リズベットは思わず歓声を上げた。もっと近くで見るため走り出そうとしたリズベットの襟首を、キリトがガシッと掴んだ。
「ふぐ!……何すんのよ!」
「おい、転移結晶の準備しとけよ」
その表情はやけに真剣で、リズベットは思わず素直に頷いていた。クリスタルをオブジェクト化し、エプロンのポケットに入れる。
「それから、ここからは危険だから俺1人でやる。リズはドラゴンが出たらその辺の水晶の陰に隠れるんだ。絶対顔を出すなよ」
「……何よ、あたしだってそこそこレベル高いんだから、手伝うわよ」
「ダメだ!」
キリトの黒い瞳が、まっすぐリズベットの眼を射た。その途端、キリトは真剣にリズベットの身を案じているのだ、ということがわかって息を詰めて立ち尽くしてしまった。何も言い返せず、再びこくりと頷く。
キリトはニッと笑うとリズベットの頭にポンと手を置き、「じゃあ、行こうか」と言った。リズベットはもうコクコクと頭を振ることしかできなかった。
なんだが、突然空気の色まで変わってしまったような気がした。
キリトと2人でここまで来たのは、ちょっとした気分転換というか、その場の勢いというか……生死のかかった戦いだなんて意識はまったくなかった。
元々リズベットは、レベルアップのための経験値の半分以上は武具制作で得たのであって、本当にシビアな戦場には出たことがない。
だが、この人は違う。そう思った。日常的にギリギリの場所で戦っている人間の眼だった。
混乱した気持ちを抱えたまましばらく歩くと、すぐに山頂の中央に到達した。
ざっと見回したところ、ドラゴンの姿はまだないようだった。しかしその代わり、水晶柱にグルリと取り囲まれた空間には……
「うわあ……」
ぽっかりと、巨大な穴が開いていた。直径は10メートルもあるだろうか。壁面は氷に覆われてツルツルと輝き、垂直にどこまでも深く伸びている。奥は闇に覆われてまるで見えない。
「こりゃあ深いな……」
キリトがつま先で小さな水晶の欠片を蹴飛ばした。穴に落下したそれは、キラリと光ってすぐに見えなくなり、そのまま何の音も返してこなかった。
「……落ちるなよ」
「落ちないわよ!」
唇を尖らせて言い返した、その直後。
最後の残照で藍色に染め上げられた空気を切り裂いて、今度は猛禽を思わせる高い雄叫びが氷の山頂に響き渡った。
「まずい!リズ、その陰に入れ!!」
突然キリトが有無を言わせぬ口調で、手近の大きな水晶柱を指した。リズベットは目の前の事態など忘れ、慌てて従いながらキリトの背中に向かってまくし立てた。
「ええと、ドラゴンの攻撃パターンは、左右の鉤爪と、氷ブレスと、突風攻撃だって!……き、気をつけてね!」
最後の部分を早口で付け加えると、キリトは眼を後ろに向けたまま気障な仕草で親指を立てた左拳を振った。ほとんど同時にその前方に空間が揺らぎ、滲み出すように巨大なオブジェクトの湧出が始まった。
ディティールの狙いポリゴンの塊は、立て続けにごつごつと出現する。それらは次々と接合しては、面を削ぎ落とすように情報量を増していき、やがて巨大な体がほぼ完成したと見えたところで、全身を震わせて再度雄叫びを放った。無数の細片が四方に飛び散り、キラキラと輝きながら蒸発していく。
姿を現したのは、氷のように輝く鱗を持った白竜だった。巨大な翼を緩やかにはためかせ、宙にホバリングしている。恐ろしいというより、美しいという表現が相応しい姿だ。紅玉のような大きな瞳が、高みからキリト達を睥睨している。
キリトが落ち着いた動作で背に手をやり、漆黒の片手剣を音高く抜き放った。すると、それが合図であったかのように、ドラゴンが大きくその門を開き、硬質のサウンドエフェクトと共に、白く輝く気体の奔流を吐き出した。
「ブレスよ!避けて!」
リズベットは思わず叫んだが、キリトは動かない。仁王立ちのまま、右手の剣を縦にかざすように突き出す。
キリトの持つ剣でブレス攻撃を防げるものか、と思った瞬間、キリトの手の中心に、剣が風車のように回転し始めた。薄緑のエフェクトに包まれているところを見るとあれも剣技の1つなのだろうか、すぐに刀身が見えないほどに回転が速まり、まるで光の円盾のように見える。
そこに向かって、氷のブレスが正面から襲い掛かった。眩い純白の閃光。思わず顔を背ける。しかし、キリトの剣が作り出したシールドに打ち当たった冷気の奔流は、吹き散らされるように拡散し、蒸発していく。
リズベットは慌ててキリトの体に視線を合わせ、HPバーを確認した。完全にブレスを防ないのか、じわじわと右端から減少していくが、呆れたことに数秒経つとすぐに回復してしまう。超高レベル戦闘スキルの《バトルヒーリング》だと思われるが、あれはスキルを上昇させるのに戦闘で大ダメージを受け続ける必要があるので、現実問題として安全に修行するのは不可能と言われてる。
一体、何者なの?
リズベットは今更のように、キリトの正体に思いを馳せた。
これほどの強さを持つのは攻略組プレイヤー以外に考えられない。でも、《血盟騎士団》を始め、主だったトップギルドの名簿には該当する名前はないはずだ。
と、その時、ブレス攻撃が途切れたのを見計らったようにキリトが動いた。爆発じみた雪煙を立てて、宙のドラゴンへと飛び掛かる。
普通、飛行する敵に対してはポールアーム系や投擲系の、リーチの長い武器で攻撃して地面に引きずり下ろし、それからショートレンジの戦闘に持ち込むのがセオリーだ。でも驚いたことにキリトはドラゴンの頭上に迫るほどの高さまで飛翔すると、空中で片手剣の連続攻撃を始動させた。
キュキューン、と甲高い音を立てながら、眼で追いきれないほどのスピードで攻撃が白竜の体に吸い込まれていく。ドラゴンも左右の鉤爪で応戦するものの、手数が違いすぎる。
長い滞空を経てキリトが着地した時には、ドラゴンのHPバーは3割以上減少していた。
圧倒的だ。ありうべからざる戦闘を見た衝撃で、背中にぞくぞくするものが走る。
ドラゴンは、地面のキリト目掛けてアイスブレスを吐いたが、今度はダッシュで回避して再びジャンプ。重低音を響かせながら、単発の強攻撃を次々と叩き込む。その度にドラゴンのHPが、ガクン、ガクンと減少していく。
HPバーは、たちまち黄色を取り越して赤へと突入した。後もう1、2撃で決着がつくと思い、リズベットは水晶柱の陰から一歩踏み出した。
その途端。背中に眼でもついているかのように、キリトが叫んだ。
「バカ!!まだ出てくるな!!」
「なによ、もう終わりじゃない。さっさとカタを……」
リズベットが声を上げた、その時。
一際高く舞い上がったドラゴンが、両の翼を大きく広げた。それが、音高く体の前で打ち合わされると同時に、龍の真下の雪がドバッ!と舞い上がった。
「………!?」
思わず立ち尽くしたリズベットの数メートル前方で、地面に片手剣を突き立てたキリトが何かを言おうと口を開いた。だがすぐにその姿は雪煙に包まれ、次の瞬間、リズベットは空気の壁に叩かれてあっけなく宙に吹き飛ばされた。
しまった__突風攻撃!
空中でクルクル回りながら、自分で口にしたドラゴンの攻撃パターンを今更のように思い出す。だが幸い、攻撃力自体はさほどないようで、ダメージはほとんど受けていない。両手を広げ、着地体制を取る。
しかし……雪煙が切れた、その先に、地面はなかった。
山頂に開いていた巨大な穴。リズベットはその巨大な穴の真上に吹き飛ばされてしまったのだ。
思考が停止する。体が凍りつく。
「嘘……」
無意識のうちにそんな一言だけを呟きながら、右手を虚しく宙に伸ばす。その指先を、黒革のグローブに包まれた手が、ギュッと掴んだ。
リズベットは、半ば焦点を失っていた両眼を見開いた。
「………!!」
遥か遠くでドラゴンと対峙していたキリトが、凄まじい速度のダッシュからためらいなく宙に身を躍らせ、左手でリズベットの手を掴んだのだ。そのままグイッとキリトの胸に引き寄せられる。いったん離れた腕がリズベットの背に回り、固く包み込む。
「掴まれ!!」
キリトの叫び声が耳元で響いて、リズベットは夢中で両手を体に回した。直後、落下が始まった。
巨大な縦穴の中央を、2人は抱き合ったまま真っ直ぐに落ちていく。風が耳元で唸り、服がバタバタとはためく。
もし穴がフロアの表面ギリギリまで続いているなら、この高さから落ちたら間違いなく死ぬ。そんな思考が頭を掠めたけれど、とても現実の出来事とは思えなかった。ただ呆然と、遠ざかっていく白い光の円を見ていた。
しかしキリトは、遠くに自分達と別にローブを靡かせながら落下していくもう1人の人影が見て取れた。それが誰なのかは一目でわかった。
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