Sword Art Rider-Awakening Clock Up
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愛情=狂気
一方、シュミットは驚きの余り息も途絶えそうになりながら、死神ローブの下から2人のプレイヤーの顔を交互に見返した。
グリセルダとグリムロックの2人だと思っていた死神の正体は、ヨルコとカインズだった。
「ろ、録音?」
ヨルコの手に握られている、ライトグリーンに輝く八面柱型の結晶、《録音クリスタル》を見て、2人の企みや事を理解したシュミット。
「……そう、だったのか。……お前ら……そこまでグリセルダのことを……」
シュミットの呟き声に、カインズが応じた。
「あんただって、彼女を憎んでた訳じゃないだろ?指輪への執着はあっても、彼女への殺意まではなかった。それは本当なんだろ?」
「も……もちろんだ、信じてくれ。……まぁ……あのメモの通りにして、受け取った報酬の金で買ったレア武器のおかげで、聖竜連合の入団基準をクリアすることができたのは、確かだが……」
しかし、意識に集中しすぎたせいで、気づくのが遅れた。
「シュ……」
目の前のヨルコが掠れた声を漏らした時には、背後から首許に伸びてきた小さなナイフが、トスッ、とブレストプレートとゴーゲットの隙間に突き立っていた。小型刺突武器専用スキル《アーマーピアース》、及び非金属防具専用スキル、《スニーキング》のスキルコンボによる不意打ち。
シュミットの両足の感覚が遠ざかり、ガシャリと音を立てて地面に転がった。HPゲージを、緑色に点滅する枠が囲ってる。麻痺状態。壁戦士として耐毒スキルを上げているのに、その耐性を貫通するとはかなりのハイレベル毒だ。いったい何者が?
「ワーン、ダウーン」
子供のように無邪気な声が降ってきて、シュミットは必死に視線を上向けた。
鋭い鋲が打たれた黒革のブーツがまず見えた。同じく黒の、細身パンツ。ピッタリと体に密着するようなレザーアーマーも黒。右手には、刀身が緑に塗られた細身のナイフを持っている。
そして頭は、頭陀袋のような黒いマスクに覆われていた。眼の部分だけが丸く繰り抜かれ、そこから注がれる粘つくような視線を意識するのと同時に、シュミットの視界にプレイヤーカーソルが出現した。見慣れたグリーンではなく、鮮やかなオレンジ色が眼を射た。
「あっ……!」
背後で小さく悲鳴が聞こえ、視線を振り向けると、ヨルコとカインズを同時に極細の剣で威嚇する男が見えた。こちらも黒ずくめだが、素材は革ではなく、全身にビッシリとボロ切れのようなものが垂れ下がっている。顔にはドクロを模したマスクをつけ、暗い眼窩の奥には赤く光る小さな眼があった。
右手に握られてるエストックが、自ら血の色に発光するかのような地金の煌めきは圧倒的なスペックの高さを伝えてくる。カーソルの色は同じくオレンジ。
そして更に奥のほうから、ジャリ、ジャリ、という新たな靴音が聞こえた。膝上までを包む、艶消しの黒いポンチョ。目深を伏せられたフード。だらりと垂れ下がる右手に握られてるのは、中華包丁のように四角く、血のように赤黒い刃を持つ肉厚の大型ダガーだ。
彼らこそ、アインクラッドに於ける最大級の恐怖、殺人ギルド《ラフィン・コフィン》の幹部、毒ナイフ使いの《ジョニー・ブラック》、骸骨マスクを付けたエストックの達人《赤目のザザ》、そしてギルドリーダーであり、包丁使いの《PoH(プー)》。
結成されたのは、SAOというデスゲームが開始されてから1年後のことだ。それまでは、ソロあるいは少人数で取り囲み、金やアイテムを強奪するだけだった犯罪者プレイヤーの一部が、より過激な思想の元に先鋭化した集団。それこそが《ラフィン・コフィン》なのだ。
己が絶対絶命の危地にあることを認識しながらも、シュミットは思考の半分で、どうしてコイツらが、と疑問だけを繰り返した。
確かに、殺人ギルドのスリートップが、こんな下層のフィールドを理由もなくうろつくはずがない。
つまり、聖竜連合の幹部であるシュミットがいると知ってて襲ってきたということだ。
丸太のように地面に転がったままのシュミットを見下ろしたPoHが小さく首を傾げた。
「さて……、どうやって遊んだものかね」
「あれ!あれやろうよヘッド!」
即座にジョニー・ブラックが甲高い声で陽気に叫んだ。
「《殺し合って、生き残った奴だけ助けてやるぜ》ゲーム!」
「ンなこと言って、お前この間結局残った奴も殺しただろ」
「あー!今それ言っちゃゲームにならないっすよヘッドぉ!」
緊張感のない、しかし悍ましいやり取りに、ザザがエストックを掲げたままシュウシュウと笑った。
ここに来て、ようやく現実的な恐怖と絶望が背筋を這い登ってきて、シュミットは思わず眼を瞑った絶望に彩られたその時……。
「そこまでだ」
突然、何者かの声が放たれ、鋭い深呼吸でPoHが部下2人に警告した。ジョニーが毒ナイフを構えながら飛び退り、ザザがエストックをいっそう深くヨルコとカインズの首元に突きつける。
そして数秒後、サッ、サッ、という落ち葉を踏む靴音が、林の奥から聞こえてきた。霧のせいでよく見えないが、少年らしき人影が見えてきた。
足音を立てながら1歩ずつ近づき、林と霧の中から段々とその姿を現した少年は、頭に被ったフードを右手で掴み取り、堂々と自分の素顔を晒した。
先ほどのフードが付いた紺色の半袖ロングコート、顔の右頬には2本の傷痕。
下半身には黒い長ズボンを履き、後ろ腰には片手剣を収めた鞘を装備している。両手にはグローブ、そして両腕には金属プレートが付いた籠手を装着している。西洋風忍者を模した格好だ。
PoHがその姿をハッキリと眼に捉えた瞬間、陽気な口を開く。
「これはこれは……《神速》ネザーのご登場か」
PoHの吐いた自分の異名など気にせず、一歩一歩と近づいていく。
シュミットは詰めていた息をゆっくりと吐き出しながら、入者の攻略組ソロプレイヤー《ネザー》の顔を見上げた。
「PoH、ザザ、ジョニー……、相変わらず趣味の悪い格好だな」
「……貴様みてぇな傷物に言われたくねぇな」
答えたPoHの声が、隠しきれない殺意を孕んでビンと響いた。
直後、大きく一歩踏み出したジョニーが、こちらは明確に上ずった声で喚いた。
「ンの野郎……!余裕かましてんじゃねーぞ!状況わかってんのか!」
ブン、と毒ナイフを振り回す配下を左手で制し、PoHは右手の肉切り包丁《メイド・チョッパー》の背で肩をとんとん叩いた。
「ジョニーの言う通りだぜ、ネザーよ。登場したのは結構だが、いくらお前でも俺達3人を1人で相手にするのはキツイんじゃねぇのか?」
確かに、いかに攻略組でトップクラスの戦闘力を誇るネザーと言えど、ラフィン・コフィンの幹部3人をまとめて相手にするのは面倒だ。勝つ自身はあっても、結果はどうなるかはわからない。
「別に倒せなくてもいい。時間が稼げればそれで充分だ」
左手を腰に当て、俺は平然と言い返した。
「援軍を呼んである。後20分くらい経てば、攻略組30人がやって来る」
これを聞いた途端、PoHがフードの奥で軽く舌打ちするのが聞こえた。ジョニーとザザの2人も、やや不安そうに視線を泳がせた。
「どうする?攻略組30人を相手にするか、それとも今ここで俺に倒されるか……選ばせてやる」
俺の言葉が発せられた後、数秒間互いを睨み合う。
やがてPoHが左手の指を鳴らすと、配下2人がザザッと数メートル退く。赤いエストックから解放されたヨルコとカインズが、その場にフラフラと膝を付いた。
PoHは右手の包丁を持ち上げ、真っ直ぐ俺を指し、低く吐き捨てた。
「ネザー。貴様だけは、いつか必ず殺す」
「来ればいい。その時は返り討ちにしてやるよ」
言い終えると、PoHは巨大な肉切り包丁を指の上で器用にクルクル回し、腰のホルスターに収める。黒革のポンチョをバサリと翻して悠然と丘を降りていく頭首を、2人の手下が追いかける。
やがて3つの影が丘を下り、夜闇に溶けた。
次に腰のポーチから出した解毒ポーションをシュミットの左手に握らせ、大男が震える手でそれを呷るのを見届けてから、視線を少し離れた場所の2人に移す。
血の気を失って座り込む死神ローブ姿の2人に声を掛けた。
「地獄から追い返されたな。ヨルコ、カインズ」
数時間前、俺の目の前で消滅したばかりのヨルコは、上目遣いに俺を見ると、ごく微かな苦笑いを頬に浮かべた。
「ごめんなさい、ネザーさん。全部終わったら、きちんとお詫びに伺うつもりでした。……と言っても信じてもらえないでしょうけど」
「……ああ、信じないな。だが今はどうでもいい」
わずかに緩んだ空気を、ガシャリと全身鎧を鳴らして状態を起こしたシュミットの、いまだ緊張の抜けない声が再度引き締めた。
「……ネザー、助けてくれた礼は言うが………なんでわかったんだ。あの3人がここを襲ってくることが?それに、なんで俺達がここにいると……」
食い入るように見上げてくる巨漢の眼を見返し、言葉を発した。
「ラフコフの3人がここを襲うことは、別にわかってた訳じゃない。推測しただけだ。お前らがここにいるとわかったのは、ヨルコとフレンド登録していたアスナに見つけてもらっただけだ。そもそも全てがおかしいと思ったのは、ほんの30分前だ」
俺はヨルコとカインズに視線を移し、言った。
「お前ら、あの2つの武器……逆棘の生えたスピアとダガーは、グリムロックに作ってもらったんだろ」
ヨルコとカインズは、互いをチラリと眼を見交わしてからヨルコが答えた。
「グリムロックさんは、最初は気が進まないようでした。もうグリセルダさんを安らかに眠らせてあげたいと言って」
そこまで言った後、カインズが説明を引き継いだ。
「でも、僕らが一生懸命頼んだら、やっと武器を作ってくれたんです。今回の計画には、継続ダメージに特化した貫通属性武器がどうしても必要でしたから」
2人の説明からも、やはりヨルコとカインズはグリムロックのことを、奥さんを殺された被害者だと信じていることがわかる。
俺は、この場にいる3人に激しい衝撃を与え深く傷つけるであろう言葉を、いつも通りの冷たい態度で伝える。
「お前らには残念だと思うが……グリムロックが計画に反対したのは、グリセルダのためじゃない」
「「「え?」」」
ヨルコ、カインズ、シュミットの3人は、意味がわからない、というように首を傾げた。
「《圏内PK》などという派手な事件を演出し、大勢の注目を集めれば、いずれ誰かに気づかれてしまうと思ったんだ」
「気づくって、何に?」
シュミットの質問の答えは、この事件の謎を解く重要な点でもあったのだ。
「役者が揃ったら説明する」
言葉を切った俺の元に、丘の西側斜面を上ってくる3つの影がやって来た。
「ネザー」
「見つけたわよ」
まず眼に映ったのは、見覚えのある2人の顔。この事件の謎を解くのに協力したキリトとアスナの姿。
キリトより前に出ているアスナは細剣の鋭い切っ先を、ジェントルマン風の男の背中に下げた状態で歩いてきた。男は、かなり身長が高く、裾の長い革製の服を着込み、つばの広い帽子を被っている。帽子の陰に隠れる顔にはメガネを付けている。
「グリムロック……さん?」
アスナとキリトの連れてきたこの男こそ、《黄金林檎》の元サブリーダーだった《グリムロック》。服装を変えても、面影が残っていたため、ヨルコには誰なのかがすぐにわかった。鍛冶屋というより、香港映画などに出てきそうなヒットマンを思わせる雰囲気だった。
「やぁ。久しぶり……と言うべきかな」
俺はグリムロックと正面で向き合うように体を向け、鋭い眼を当てながら言う。
「これで役者が全員揃った。主役のあんたがいなければ、始められないからな」
「どういうことですか?」
ヨルコは再び首を傾げ、眼で問い質してくる。
俺が両眼を瞑りながら全体に届くように、衝撃の言葉を放つ。
「グリムロック。彼が……グリセルダを殺した真犯人だ」
「「「えぇ!?」」」
《黄金林檎》の元メンバーだったヨルコ、カインズ、シュミットは不思議と疑問の混合したような表情を浮かべな、驚愕の叫びを放つ。
「ほう。私が犯人だと言うのかね、探偵君?」
犯人と指摘されながらも、低く落ち着いたその声の後に質問をした。
「ならば君の推理を聞かせてもらおうか」
そう言った瞬間、辺りが数秒間の沈黙に覆われた。
その沈黙を破るかの如く、俺が事件を解決へと導いた自分の推理を口から放つ。
「あんたが犯人だと気づいたのは、グリセルダとの結婚がきっかけだ。殺人と結婚が無関係だと思っていたせいで、気づくのに時間がかかりすぎたがな」
最初の推理を話し始めると、周りの連中は皆黙って話を聞いた。
実のところ、この場所に向かうまでキリトとアスナにもすでに推理を聞かせた。その推理をもう一度話すことになるのだから、まるでスピーチのリハーサルを終えて、本番に入る気分だ。
「まず、SAO世界に於ける結婚システムは、互いのステータスやアイテムストレージが共有化され、所持容量も2人分となる。だが片方が死ねば、そのアイテムは全てもう片方のものになる」
ここまで言えば、今回の《圏内殺人》を引き起こしたヨルコとカインズにも察しが付く。
「当然グリセルダが死んでも、指輪はあんたのアイテムストレージに収納されたままだ。つまり、指輪は盗まれたんじゃなく、グリセルダが死んだ日から、あんたの手中にあったということだ」
結婚したプレイヤーのアイテムストレージは完全に総合され、所持容量限界は2人の筋力値の合計にまで拡張され、大変な利便性をもたらすと同時に、レアアイテムを持ち逃げするような事に見舞われる危険も生じる。
「その後、あんたは指輪を売却し、多額の報酬を得た。そして計画の片棒を担いでいたシュミットに口封じとして報酬の半分を渡した」
「……そ、それじゃ……グリムロックが、あのメモの差出人……そして、グリセルダを殺した張本人だって言うのか?」
地面にあぐらを掻いたままのシュミットがひび割れた声で呻いた。
俺はシュミットの言葉の一部を否定した。
「メモの差出人はグリムロックだ。だが、グリセルダを直接殺したわけじゃない。グリセルダ殺害は、汚れ仕事専門のレッドギルドに依頼したんだ」
「………」
シュミットはもう何も言おうとせず、虚ろに宙を見つめるのみだった。
先ほど、ラフィン・コフィンの3人に襲われそうになった時の記憶が、言葉を遮ったのだろう。
「シュミットに報酬を渡した後で、指輪事件は幕を閉じるはずだった。だが、事件から少し経って、ヨルコとカインズが真相を暴こうと動き始めた。そして凶器の制作を依頼に来た2人の頼みを断った。《圏内殺人》という派手な演出をし、大勢の注目を集めれば、いずれ誰かに結婚によるストレージの共有化が死別で解消された時、アイテムがどうなるのかに気づかれる可能性があった」
数秒後、ヨルコが髪を揺らし、その動作は激しさを増した。
「そんな……だったらどうして私達の計画に協力してくれたんですか!?」
「お前らは、計画の発端から終末までの流れを全て話したんだろ」
唐突な俺の質問に、一瞬口を噤んでからヨルコは小さく頷いた。
「グリムロックは計画の流れを全て知った。それを利用し、3人が集まる機会を狙って、全員始末する。そうすれば、今度こそ確実に指輪事件の真相を永久に闇に葬れる。それでこの圏内殺人事件も完全に幕を閉じる。それが……グリムロックのシナリオに書かれた計画だ」
「……そうか。だからここに、殺人ギルドの幹部が……」
虚ろな表情で呟くシュミットをチラリと見て、俺は顎を引いた。
「おそらく、グリセルダ殺害を依頼した時から、コネがあったんだろう。こんな下の層に突然現れたのも納得できる。本人がこの場所にいたのは、3人が殺されるのを確認するためだ」
推理のピリオドとして付け加えた最後の台詞を言い終えた後、グリムロックは仄かな笑いを浮かべた。
「なるほど。実に素晴らしい推理だよ、探偵君」
褒め言葉のつもりか嫌味のつもりで言ったのか、グリムロックの発言は、自分が犯人であると認めた言葉と言っても過言ではない。
地面に膝を付けた涙顔のヨルコが、鋭さの失せた怒りの声で叫んだ。
「……なんで……なんでなの、グリムロックさん!?なんで奥さんを殺してまで、指輪を奪ってお金にする必要があったの!?」
「……金?金だって?」
と、その場に立ち尽くしたまま、グリムロックが掠れた声で言った。
「金のためではない。私は……私は、どうしても彼女を殺さなければならなかったのだ。彼女がまだ私の妻でいる間に」
丸眼鏡を一瞬苔むした墓標に向け、すぐに視線を外して続けた。
「彼女は……現実でも私の妻だった」
その場にいた全員が心の底から驚愕し、小さく口を開けた。俺の顔にも、無表情なわりに驚きの色が走っていた。
「私にとって、一切の不満のない理想的な妻だった。可愛らしく、従順で、ただ一度の夫婦喧嘩すらもした事がなかった。だが……共にこの世界に囚われた後……彼女は変わってしまった」
グリムロックは帽子に隠れた顔をそっと左右に振り、低く息を吐いた。
「強要されたデスゲームに怯え、恐れ、怯んだのは私だけだった。彼女は現実世界にいた時よりも、遥かに生き生きとした充実な様子だった。戦闘能力や状況判断に於いても、グリセルダ……いや、《ユウコ》は大きく私を上回っていた。彼女はやがて《黄金林檎》を結成し、メンバーを集め、鍛え始めた。その様子を傍で見ていた私は、認めざるを得なかった。私の愛したユウコは消えてしまったのだと。例えゲームがクリアされ、現実に帰還できたとしても、大人しく従順だった妻は戻ってこないのだと」
前合わせの長衣の肩が、小刻みに震える。それが自嘲の笑いなのか、あるいは喪失の悲嘆なのかは、判断できない。囁くような声は更に続く。
「……私の恐れが、君達に理解できるか?もし現実に戻った時……彼女に離婚を切り出されでもしたら……そんな屈辱に、私は耐えることができない。ならば……ならばいっそ、合法的殺人が可能な、この世界にいる間に、ユウコを、永遠の思い出の中に封じてしまいたいと願った私を、誰が責められるのだ?」
長く、おぞましい独白が途切れても、しばらく言葉を発する者はいなかった。
キリトは、自分の喉からひび割れた声が押し出されるのを聞いた。
「……そんな理由で、あんたは自分の奥さんを殺したのか!?」
背中の剣に走ろうと一瞬震えた右腕を、キリトは左手で強く押さえた。
ゆるりと顔を上げ、眼鏡の下端だけをわずかに光らせて、グリムロックは囁いた。
「私には充分すぎる理由だよ。君達にもいずれわかるよ。愛を手に入れ、それが失われようとした時にね」
「いいえ、それは間違っているわ」
反駁したのは、俺でもキリトでもなく、アスナだった。
「あなたがグリセルダさんに抱いていたのは愛情じゃない。ただの所有欲だわ!」
その思いがけない言葉が吐かれた瞬間、グリムロックの肩が小さく震えた。まるで身体に電流が走ったかの様な感覚に苛まれ、地面にしゃがみ込んでしまった。
更にアスナが続ける。
「グルセルダさんがあなたの知らない人になっていたとしても、あなたはその変化を受け入れてあげるべきだったのよ。そうすれば、何も怖れる必要なんてなかったわ。あなたが認めたくなかったのは……グリセルダさんの変化を受け入れられなかった自分自身よ!」
アスナの叫喚に心臓を突き刺されるような痛みが走ったグリムロックは、少しも動きを見せず黙り込んだ。
再び訪れた静寂を、これまでひたすら黙り込んでいたシュミットが破った。
「……ネザー、この男の処遇は、俺逹に任せてもらえないか?もちろん、私刑にかけたりはしない。しかし罪は必ず償わせる」
その落ち着いた声に、数分前までの怯え切った響きはなかった。
ガシャリと鎧を鳴らして立ち上がった大男を見上げ、俺は言葉を返した。
「……好きにしろ」
無表情で頷き返し、シュミットはグリムロックの右腕を掴んで立たせた。ガクリと項垂れるグリムロックをしっかり確保し、「世話になったな」と短く言い残して丘に降りていく。
その後に、ヨルコとカインズも続いた。俺逹の横で立ち止まり深く一礼すると、チラリと眼を見交わして、ヨルコが口を開いた。
「ネザーさん、キリトさん、アスナさん。本当に、何とお礼を言っていいか。あなた方が駆けつけてくれなければ、私達は殺されていたでしょうし……グリムロックさんの犯罪を暴くこともできませんでした」
「……礼は不要だ。さっさと行け」
俺がスルーすると、ヨルコはクスリと笑って肩を竦めた。
もう一度深く頭を下げ、シュミットらに続いて丘を降りていく2人を、俺とキリトとアスナはその場に立ったまま見送り続けた。
やがて4つのカーソルが主街区の方向へと消え、荒野の丘には、青い月光と穏やかな夜風だけが残された。
「……ねぇ、2人なら……仮に誰かと結婚した後になって、相手の隠れた一面に気づいた時、キミ逹ならどう思う?」
不意にアスナが質問をした。
「えっ?」
予想だにしなかった質問に、キリトは絶句せざるを得なかった。何せ、まだたったの15年と半年しか生きていないキリトに、そんな人生の機微など理解しようもない。
「………」
俺はアスナの質問を聞いても絶句はしなかったが、悩みの種を生んだ。
一方、キリトが必死に考えた末、ようやく口にできたのは、少々深みには欠ける答えだった。
「ラッキーだった、って思うかな」
「え?」
「だ……だってさ、結婚するってことは、それまで見えてた面はもう好きになってる訳だろ?だから、その後に新しい面に気づいてそこも好きになれたら……に、2倍じゃないかな?」
知的でないにも程がある言い草だが、しかしアスナは眉を寄せた後、首を傾け、少しだけ微笑んだ。
「ふうん、変なの」
「へ……変?」
「ま、いいわ。ネザー君の意見は?」
「………」
アスナの隣に立っていたネザーは質問に答えなかった。横目でアスナをしばらく睨み、振り返ってその場から退散するように歩き出した。
答える義理はない、というメッセージを意味する行動だとキリトは悟った。
「相変わらず愛想のない奴だな。いつもあんな感じだ」
当たり前な台詞を吐いたキリトに続き、アスナが言う。
「でも……今回でネザー君の違う一面を見た気がするな」
「違う一面?」
「事件を解決するため、一緒に行動して、何かいつもと違う感じのネザー君を体感できた……って言うか」
「……そういえば……そんな感じかもな」
確かにアスナの言う通りだった。
普段のネザーは、威圧、冷酷、恐怖といったオーラを放っているため、攻略組の誰も話しかけようとしない。もっともキリトにとっては、ネザーに《ビーター》を名乗らせるような状況を作ったことに罪悪感を感じているため、なるべくネザーと距離を近づけようと努力している。それがせめてもの償いなのだろう。
気づけば、ネザーの姿もカーソルも見えなくなっていた。そこに残っていたのは、キリトとアスナの2人だけだった。2人を手を下ろし、しばらくその場に立ち尽くしていた。
やがてアスナがぎゅっとキリトの右手を握り、微笑んで言った。
「さ、帰ろう。明日から、また頑張らなくちゃ」
「……そうだな。今週中に、今の層を突破したいな」
そして2人は振り向き、小さな丘を降りると、主街区を目指して歩き始めた。
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