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STARDUST∮FLAMEHAZE

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第二部 WONDERING DESTINY
CHAPTER#4
  DEPERTURES ~旅立ち~


【1】
 
 空条邸の城郭を想わせる大きな正門前。
 そこに翡翠の美男子と炎の魔神は佇んでいた。
「今はまだ背中だけですが、」
 遠い空を見上げるように、花京院は手に携えたペンダントに語りかける。
「そのうち、アノ薔薇のような 『スタンド』 は……
ゆっくりとホリィさんの全身を覆い尽くす筈です」
「……して、どうなる?」
 銀製のペンダントに己が意志を表出させる炎の魔神は、
森厳な声で花京院に問う。
「……スタンドを動かす 「意志」 がない以上、
やがてスタンドは本体のコントロールを離れ勝手に動き出す、
所謂 『暴走状態』 に陥ります。そうなるとスタンドは今以上にホリィさんの
生命を蝕み、精神を逼迫し、その影響で高熱や様々な病を誘発して苦しみ、
最終的には昏睡(コーマ)状態へと入り、
二度と目覚めるコトはなく、死にます……!」
 琥珀色の怜悧な瞳に強い意志を宿らせて、
花京院はアラストールにそう告げる。
「む、う……」
 改めて切迫した現状を再認識した紅世の王は、
ただ一言そう漏らすのみ。
 その二人の傍を一迅の風が吹き抜け、木々の若葉がさざめいた。
 しばしの沈黙。
 その間に黒塗りのリムジンが次々と空条邸の前に止まり、
中から高貴なスーツ姿の男達が機敏な動きで邸内へと入っていく。
 その人々の姿を認めた花京院が、(おもむろ) に口を開く。
「今到着した彼等は、これからホリィさんを24時間体制で看護する
S P W(スピード・ワゴン)財団の誇る熟練の医師達だそうですが、望みは薄いでしょう。
一般の人間には原因不明で何も視えず解らず、どんな名医でも治すコトは出来ない。
そしてボクにも貴方にも、どうするコトも出来ない。
“触れたモノスベテを癒す” 或いは “他者に己の生命を分け与える”
『スタンド能力』 でも無い限り絶対に。
ボクは、過去に自分のスタンドが 「害」 になってしまい
ソレに引き擦られて生命を落とした者を何人か知っていますが、
そのようなスタンド能力を持つ者は一人もいませんでした」
 双眸を閉じ何も出来ない自分を悔やむように、花京院はそう告げる。
「だが、奥方の場合は希望が在る……だな?」
 その花京院にアラストールは声色を変えず、
確固とした意志を込めて言う。
「えぇ」
 青年も王にそう返す。
「その前に、 “彼の地” に在る 『幽血の統世王』 を討滅すれば済む話だ。
彼の者の存在から発する因果の “呪縛” を断てば救われるのだ」
「その通りです。ボクが先程言った症状になる迄には100日かかる。
ソレまでにDIOを斃すコトが出来れば。
逆に言えばDIOを斃さない限り、ホリィさんの助かる術は無いというコトです」
 物静かな声で花京院はそう言い、再び此処より遙か彼方、
エジプトへと続く空に視線を向けた。



「本当に、私としたら一体どうしちゃったのかしら。
急に熱が出て気を失うなんて。でも解熱剤で大分落ち着いたわ」
 上質なシルクの寝間着を身に包んだ美貌の淑女は、
羽毛布団を膝掛けにしていつも変わりない明るい声でそう言った。
「本当、に。もう、どこも苦しくない?」
 心底心配した表情で、傍に座っていた制服姿のシャナが
しきりにオロオロとホリィに問う。
「ええ。心配かけたわねシャナちゃん。もう大丈夫よ」
 そう言って少女に笑顔を向ける母親の姿を、
縁側へと続く引き戸に背をかけた貴公子が鋭い後目でみつめる。
(背中、だから……まだ自分の身になにが起こっているのか、気がついてはいないようだ)
 寝間着の首筋から微かに覗く、“荊” のスタンドを射るように見据えながら
青年は母親から視線を外す。
「本当にびっくりしたぞホリィ、どら、起きたらまずは歯を磨かなくてはな……」
 張りのあるワイシャツにネクタイ、カシミアのスラックスという
シックな服装に着替えたジョセフが、ホリィ愛用の清潔な歯ブラシに
歯磨きのチューブを塗って愛娘の口唇へと近づける。
「ウムム……」
 美貌の淑女は気怠そうな表情で、父親の奉仕を受ける。
「はい」
 シャナがガラス製の水差しから汲んだグラスを横から差し出す。
「顔も拭いて」
 今度は湯気の昇る蒸しタオルを手にしたジョセフが、
淑女の美貌を芸術品を扱うような繊細な手つきでそっと拭う。
「ウーン」
 フワフワとした声で美貌の淑女はソレに応じる。
「髪も少し乱れちゃってるわ」
 椿油を含んだ特製のブラシで、シャナがホリィの肩にかかる
柔らかな髪を甲斐甲斐しく梳かす
「爪もキレイに手入れをしてな」
 一体どこにあったのか、ボーリングのピンを模した爪切りの裏側で
ジョセフは鏡のように滑らかな娘の指先を磨く。
「リンゴとか食べられる?」
 手練の刃物(ナイフ)捌きに拠り、一拍で滑らかな球形に剥かれたリンゴを
ほぼ同体積に切って皿の上に乗せられたモノの一つが、
フォークを持ったシャナ手からホリィの口元に運ばれる。
「ア~ン。ンン~♪ 美味しい~♪」
 シャナがリンゴを食べさせている間に、ジョセフは寝間着の裾を捲り上げ
細く白い脚線美の除く足の甲から膝辺りを丹念に拭いている。
「パパ? それじゃあ下着も履き替えさせてもらえる?」
 そう言って昔のように、布団の下から覗き込むようにして
自分を見つめる愛娘に対しジョセフは、
「……う、うむ……コホン」
頬を紅潮させて困惑する。 
「じゃあソレは私が」
 その脇でシャナがそっと羽毛布団を捲り上げた。
「フフフフフ、冗談よ。冗談。ウフフフフフフフフフフ」
 まるで悪戯好きの子供のように、
淑女は無邪気で嬉しそうな笑顔をいっぱいに浮かべる。
「さ、て、と。気分も良くなったし、シャナちゃん。今晩は何が食べ」
 そう言いながら淑女が身を起こそうとした刹那。
「動くんじゃあねぇッッ!! 静かにしてろォォォ!!」
「動いちゃダメッッ!! じっとしててッッ!!」
 突如空間を劈く、二つの声。
 承太郎とシャナ、その怒号と叫びに淑女はビクッとその肩を震わせる。
「……」
 ジョセフはその二人を無言で見つめる。
 両者の叫びがあと数瞬遅ければ、自分が叫んでいたのかもしれない。
 その祖父の視線には気づかず承太郎は、
「ね……熱が下がるまでは何もするなってコトだ……
またブッ倒られたらかなわねーからな……」
平静を装いながら学帽の鍔で目元を覆う。
「家事は皆で分担してやるから、ホリィは大人しく寝てて。ね?」
 捲れた羽毛布団を元に戻しながら、シャナも沈痛な瞳でそう告げる。
「フフフ、そうね。コレ以上皆に迷惑かけられないしね。
それに、病気になると、皆、いつもより、優しいわ。
こんなに、温かいなら、たま、には、風、邪、も、いい、かも、ね……」
 淑女はそう言って、静かに双眸を閉じる。
(!!)
 そのコトに敏感に反応したジョセフが、即座に彼女の異変に気づく。 
「ホ、ホリィ!? また気をッ!」
「ウ、ウソでしょッ!? だって、今まで元気にしてた!!」
 淑女の傍でジョセフとシャナが驚愕の声をあげ、
父親は愛娘の額に手を当てる。
「く……ううう……き……気丈に明るく振る舞っていたが、何という高熱……!
今の態度で解った……何も語らなかったが娘は、
自分の背中の 『スタンド』 に気づいている……
逆にワシらに自分の 『スタンド』 のコトを隠そうとしていた……
ワシらに心配かけまいとしていた! この子は……そういう子だ……!」
 灼きつくように熱い娘の額に手を当てながら、
ジョセフはその身を震わせる。
「コレも……無理して食べてたの……? 私が心配しないように……」
 ジョセフと同様に少女もその細い輪郭を震わせながら、
潤んだ瞳で自分の剥いたリンゴに視線を向ける。
「……」
 そうだ。
 自分の母親は、 『そういう女』 だ。
 いつのまにか傍に来ていた無頼の貴公子は、
何もしてやれない自分に歯噛みするまま
悪夢の淵へと堕ちていった母をみつめるのみ。
「必ず……助けてやる……安心するんだ。
心配する事は何もない……必ず元気にしてやる……
だから、安心していればいいんだよ」
 目の前の残酷な現実に屈しないように、
強い決意を持って言葉を紡ぐジョセフ。
 その彼ををみつめる、『人間ではないモノ』 の視線が在った。
『……』
 淑女の寝室に居る三者の様子を黙って見据えていたスタンド、
『ハイエロファント・グリーン』 が音もなく滑るように、
空条邸の城郭のような外壁を透化して 「本体」 の処へと還ってくる。
 そしてその 『スタンド』 を操る翡翠の奏者は、
誰に言うでもなく呟くように、静謐な響きで言葉を紡ぐ。
「……ホリィさんという女性(ヒト)は……
本当に、人の心を和ませる女性ですね……
傍にいるとホッとする、そして、温かな気持ちになれる」
 爽やかな初夏の風が、茶色の髪を揺らす。
「こんな時にこんなコトを言うのもなんですが、
恋をするとしたら、あんな気持ちの女性が良いと想います。
護ってあげたいと想える……穏やかで温かな笑顔が見たいと想う」
「うむ。異議を夾む余地無き事象だ」
 ピアニストのように細い指先を揃える掌の上で、
ペンダントが応じる。
「我等も、出立の手筈を整えねばな」
「はい」
 初夏の涼風靡く碧空の許。
 翡翠の青年と炎の魔神は、
それぞれの決意を胸に秘め再び空条邸の正門を潜った。




【2】


 出立の前夜、雨が降った。
ホリィの看護はSPW財団専属の医師達に任せ、
ジョセフはエジプト・カイロ行きの航空チケットの手配と旅立ちの準備に奔走し、
承太郎達は自分の通っている学園に休学届けを提出しに行った。
 学園を代表する3者の余りにも唐突な申し出に、
校内はその土台部分がひっくり返るほど囂然(ごうぜん)と成ったが、
件の3人は無言のまま学園の門を後にした。
 言える事も、遺す言葉も、何も無い。
 これから3人が向かう先は、通常の(ことわり) を遙かに超越した、
異次元世界の流浪の旅路なのだから。
 花京院は、広い空条邸内に無数在る客室に通され、そこで夜を明かした。
 己の裡で静かに()(いず)る決意を、何度も反芻しながら。



“いいのか?”



 DIOを斃す流浪の旅路に自分も 「同行」 すると言った時、
彼は、空条 承太郎は、驚きも戸惑いの表情も見せずただ一言、そう言った。




“いいに決まってる”




 言葉には出さなかったが、花京院は穏やかな微笑と共にそう返した。
 一度は彼に救われた命。
 彼が身を賭して闇から(すく)い上げてくれなければ、
そのまま何の疑問も持たず淀んだ悪の道を突き進んでいた筈の自分。
 後悔はない。
 自分の決断に、そしてこれからの旅路で起こる事柄に。  
 例え、何が在ろうとも――
「一緒に行くよ……何処までも……君の、力になりたい……」
 (しめ)やかな雨音が響く一室で、花京院は静かにそう呟いた。




 シャナは、暗い部屋の一室で佇んでいた。
 旅立ちの朝は早い。
 そして、一体いつ戦いになるか解らない苛酷な旅なのだから、
可能な限り眠っておいた方が良い。
 だがしかし、どうしても眠る事が出来ない。
 以前は、己の体力を回復させるコトも使命遂行の一つだったので、
眠くなくとも眠りにつける訓練をしていた。
 無論脳は半分覚醒させたまま、ほんの些細な衣擦れの音でも
目覚めるコトが出来るように。
 でも、それが今、どうしても出来ない。
 心中は常にざわめいて意識の鈍化を抑制し、微睡みに落ちるコトすらも拒否する。 
 それに一人でいると、耐え難い孤独と自責の念が襲ってくる。
 その原因が解らないまま、少女は己の負の感情を振り切るように部屋を出た。
 雨。
 降り注ぐ、銀色の雫。 
 屋根瓦を伝った雨露が腕木庇に集まって水流となり、
幾筋も眼前で落ちていく。
 その視線の、先。
(!!)
 遠間に位置する幾つもの花々で彩られた、
いつもホリィがキレイに手入れをしていた花壇の中心に
一つの人影が在った。
「承……太郎……」
 半ば(おどろ) くように、そして残りの半ば拠るように、
少女はその人物の名前を口に出す。
 声は雨音に掻き消されて、彼にまでは届かない。
 そして少女に名前を呼ばれたその人物は、
彼女に背を向けたまま両手をズボンのポケットに突っ込み、
そのまま無言で雨に打たれ続ける。
 まるで贖いきれない何かを、必死に贖おうする殉教者のように。
(――ッッ!!)
 咄嗟に足下の床を踏み切り、彼の傍へ翔ぼうとする己を少女は辛うじて諫めた。
(……)
 降り注ぐ雨粒。
 その意図に、気づいたから。




“泣いてるんだ”




 空が、アイツの代わりに。




 そう。
 アイツは、こんな時でも、絶対に泣いたりなんかしない。
 泣いたって、喚いたって、ソレが何にもならないコトを知っているから。
 そうやって自分が苦しめば苦しむほど、ホリィが哀しむコトを知っているから。
 だから、ああやって雨の中、必死に堪えてる。
 抑えようのない、抗いようのない、怒りと悲しみと憎しみを、自分の裡に溜め込んで。
 その 「痛み」 に、必死に堪えている。
 ソレが、決して、ホリィに届かないように。
「……」
 雨音と共に、微かに震え出す少女の口唇。




 何が、出来る?
 ああやって堪えるしかない今の彼に。
 一体何がしてやれる?




 何も、出来ない。
 何も、してやれない。
 こうして見ている以外、何も。
(……)
 そして次第にその彼の後ろ姿を見るのも悲痛で、
耐え難くなってきた少女は足早にその場を去る。
 檜の床を踏み鳴らし宛もなく彷徨うように。
 今まで必死に鍛え上げてきた己の力が、
肝心な時には何の役にも立たないコトを痛感しながら。
 今まで 「強さ」 だと頑なに信じていたモノは、
実は 「強さ」 でもなんでもなかったというコトを実感しながら。
 胸中に渦巻く感情の奔流。
 ソレを抱えたまま少女は邸内を駆けた。



「……」
 特に意図したわけではないが、気がつけば自分が立っている場所は
ホリィの寝室の前だった。
 内部に人の気配は感じられない。
 おそらく絶対安静の容体なので、僅かな差し障りもないよう
用務の時以外は別の間に控えているのだろう。
 可能な限り音を立てないように、風靡な装飾の入った引き戸を開け
少女は足音を立てないように中へ入る。
「……」
 畳敷きの大広間。
 藺草の独特の匂いが仄かに香る、
薄明るい行燈を模した電気スタンドのみが光源の、
その部屋の中心にホリィはいた。 
 音もなく、吐き出される呼吸音にも細心の注意を払って、
少女は淑女の元へと歩み寄る。
 淑女は微かな寝息と共に、静かに眠っていた。
 暗がりの所為か、それほど顔色が悪いようには見えない。
 しかし。
 その脇に設置された無数の大形な医療器具が、
一定の間隔で無機質に吐き出され続ける電子音が、
幾本もの透明な管を伝って腕に注がれる有色無色の液体が、
彼女の容体が尋常成らざるモノで在るコトを否が応にも再認識させる。 
「……」
 微かに潤んだ瞳で、少女は淑女の躰には触れず、
かけられた羽毛布団越しにその小さな手を置く。
「……いってきます」
 一言。
 ただソレだけを告げて、シャナはホリィの傍を離れた。
 いつかきっと、“ただいま” と言う為に。
 いつかきっと、“おかえりなさい” と言って貰う為に。
 その光景、を。
 自分が本当に本当に幸せだった時の光景を、
一度閉じた双眸で深く想い起こしながら、
少女は引き戸に手をかけた。
「シャナ……ちゃん……?」
(!!) 
 消え去るようなか細い声が、シャナの耳に届いた。
 超人的身体能力を持つ彼女でなければ、聞き漏らしていた位小さな声。
 咄嗟に振り向いた視線の先。
 震える細い輪郭の元、ホリィが己の身を引き起こそうとしていた。
「わざわざ……お見舞いに……きて……くれたのね……ありが……とう……」
「起きあがらないで! 顔を見にきただけだから!
すぐに出て行こうと想ってたから!」
 即座に再び淑女の傍に戻り、悲痛な声で叫ぶ少女。
「大……丈夫……お薬が……効いて……大分……よく……なったわ……
せっかく……シャナ……ちゃんが……」 
「いいから! 寝てて! 話なら、それでも出来るからッ!」
 淑女の言葉を途中で切り、再び悲痛な声で叫ぶ少女。
 今までの歴戦の最中でも、一度も感じたコトの無い焦燥が胸を突く。
 それでも無理に起きあがろうとするホリィを何とか宥めて、
伏せる淑女の傍らに少女は付いた。
「本当に……ごめんなさいね……この十年ばかり……
大きな病気を……した事は……なかったの……だけれど……
もう……私も……歳……なのかしらね……? フフ……フ……」
 消え去りそうなか細い声でそう言葉を紡ぐ淑女の風貌は、
神聖でこの世の何よりも美しい。
 一度、ホリィと一緒に買い物に行った時、
洋菓子店の若い女性に 「キレイなお子さんですね」 と言われたコトを想い出した。
 理由は解らないけれど、とても嬉しかったコトも。
 でも。
 それも、もう。
「……」
 今にも泣き出しそうな表情で自分を見る少女に淑女は、
「そんな……心配そうな……顔……しなくても……大丈夫……
シャナちゃん……みたいな……優しい子が……お見舞いに……きてくれたンだから……
きっと……すぐに……良く……なるわ……きっと……きっと……」
儚くも優しい笑顔でそう言った。
「……ッ!」
 嘘だと、想った。
 己を蝕む呪縛の苦悶から、
ソレがちょっとやそっとで完治するモノではないと知っている筈。
 コレはスベテ、自分に対するモノ。
 窮地に瀕していても、他人を想い遣って已まない。
 この人の。
 優しい嘘。
「……ッ!……ッ!」
 少女は知らぬ内に、己の拳を握っていた。
 自分自身に対する途轍もない罪悪感が、己の裡で拡充していくを感じた。
 そんな 「資格」 は、ない。
 自分に、この人から、こんなに優しい言葉をかけてもらえる 「資格」 は。
 この人を呪縛の苦悶に陥らせる 「一因」 は、他でもない自分に在るのだから。 
 その俯き細い輪郭を振るわせる少女にかけられる、憂いの声。
「どうした……の……? シャナ……ちゃん……? 
どこか……痛いの……? もしかして……伝染っちゃったの……かしら……
アラ……アラ……困った……わね……」
 この期に於いても自分のコトを慮り、
ただの風邪だと信じさせようとしている優麗の淑女。
 本当は、話す事さえ苦しい筈なのに。
 ソレでも。
 ソレ、でも。
(ッッ!!)
 もう矢も盾もたまらず、少女は淑女にしがみついていた。
 もうそうする以外、自分でもどうしたらいいか解らなかった。
 ソレと同時に少女の裡で爆発する、
渦巻く無数の感情の束。




 私がアノ時逃げなかったら!
 私があそこでアイツを討滅してたらッ!
 貴女がこんなに苦しまなくてすんだ!!
 貴女がこんなに傷つかなくてすんだ!!




 心中で張り裂けるように迸る、少女の裡の声無き声。
 想っても、仕方のないコト。
“アノ時” の、 少女とDIOとの絶望的とも云える絶対的戦力差は、
何をどうしようとも覆し得るモノでは無かった。
 譬え、この世の如何なる存在で在ろうとも。
 しかし。
 一体誰が、今の彼女にそんなコトが言えるだろう?
 生まれて初めて、自分の大切な者を見る影もなく蹂躙され、
ただ傷つき哀しむ、この少女に。
 その少女を淑女は、彼女の髪を優しく撫でながら、
この世の何よりも温かく優しい声で呼びかける。
「アラ……アラ……甘えん坊……さん……ね……
よし……よし……私も……シャナ……ちゃんが……大……好き……よ……」
 とても、いい匂いがした。
 そして、とても温かかった。
 こんなに温かな存在が、この世に在るなんて信じられない位に。
 互いの意図はすれ違えど、互いを心から想い遣っているのは同じ。
 柔らかく温かな淑女の芳香に包まれながら、
少女は、一つの 『真実』 に気づきつつ在った。
 今まで想像だにし得なかった、
一つの 『真実』




“自分は、この人の 「娘」 だった”




 例え血は繋がっていなくても。
 譬え人間とは異なる存在で在ったとしても。
 この人は、ずっとそう想いずっとそう接してくれていた。
 ただ、自分が気づかなかっただけ。
 ただ、そんなコトは在り得ないと拒絶していただけ。
『真実』 は、いつだって、こんなに近くに在ったのに。
 ソレが、私の願っていたスベテだったのに。  
 淑女の柔らかな胸中に抱かれながら、少女は悔恨にきつく口唇を結ぶ。
 その刹那。
(!!)
 背後の異様な存在の気配の接近に、少女は視線を走らせる。
 自分の周囲に。
 淑女ごと己を取り込もうとするかのように。
 神聖なパール・ホワイトの燐光を立ち昇らせる無数の “荊” が取り巻いていた。
 薔薇に酷似した双葉がザワザワとさざめき、
その蔦の表面で嗜虐的な(けいきょく) が鈍い光を放ち、
うねるように蠢いている。
(来・る・なッ!)
 少女は、その視線を己が愛刀よりも鋭くギラつかせ、
自分の周囲を取り巻く 『スタンド』 を睨む。
(来るな!! 消えろッッ!! コレ以上ホリィに指一本でも触れてみろッッ!!
消し炭にするぞッッ!!)
 艶めく黒髪が火の粉を撒き、漆黒の瞳が灼紅の双眸に変貌する程の気勢で、
少女はその “荊” に向かって叫ぶ。
『スタンド』 へのダメージは、そのまま 「本体」 へと還る。   
 しかしそんな 「法則(ルール)」 は少女の裡で、紅世の遙か彼方まで吹き飛んでいた。
 譬え如何なる存在で在ろうとも、淑女を傷つけるモノは赦せなかった。
 やがて淑女の 『スタンド』 は、微かな余韻も遺さず立ち消える。
 そして少女が視線を戻した先。
「ホリィッッ!?」
 ゆっくりと、淑女はその瞳を閉じていった。
 再び闇の中へと戻る為に。
 微かに動いた口唇。
 最後に何と言ったのか?
“大丈夫” それとも “心配しないで”
 何れにしても、淑女はその最後の最後の時まで。
 意識の途切れる寸前まで。
 自分に優しく微笑みかけてくれていた。
(――ッッ!!)
 少女の胸中で弾ける、万感の想い。
 万言を尽くしても表現出来ない程の、純粋な感情。



 もう何も言わないで!
 静かにずっと眠っていて!
 今度はもう逃げないから!
 今度はきっと最後まで闘い抜いてみせるから!
 アイツと一緒に! 




 だから。
 だか、ら……!




 死なないでッッ!!




“お母さん……!”





 どこをどう歩いたかは、覚えていない。
 気が付けば、自分の部屋でただ一人、朽ちた枯れ木のように佇んでいた。
 未だ胸中で激しく逆巻く、無数の負の感情。
 震える口唇で少女はソレを、自分自身に叩きつけた。
「何が…… “フレイムヘイズ” よ……ッ!」
 いとも容易く口から零れる、今まで自分のスベテだったモノを否定する言葉。
「何がッ! “炎髪灼眼の討ち手” よ!!」
 己自身を拒絶する言葉。
「私は!! 自分の大切な人一人!! 護る事が出来ないッッ!!」
 紅涙と共に、空間に吹き乱れる哀切の叫び。
 少女の脳裡に、幾つかの人間の姿が過ぎった。
 護りたかった者。
 護れなかった者。
 何かしてあげたかったのに、何もしてやれなかった人。
 そして。
 その人達と織りなした、平穏なる本当に 「幸福」 だった日々。
 ソレはもう、この世には存在しない。
 跡形もなく灰になり、次元の遙か彼方にまで消し飛んでしまった。




 ゴ、ボォ……




(ッッ!?)
 不意に、少女の躰の裡で、ナニカが沸いた。
 下腹部の底の方から、突如熱が噴いたように。
 ソレは動悸と共に、全身に拡がっていく。
 熱、い。
 フレイムヘイズに変貌したワケでもないのに。
 全身が脈動するほど、己の存在が煮え滾っている。
 コレは。
 コレ、は。




“怒りだッ!”




 そう。
 スベテの元凶で在る、“アノ男” に対する、抑えようにも抑えきれない、
途轍もなく凄まじい怒り。
 アノ男は、私の大切なものを、次々と奪っていく。
 まるで侵略するかのように。
 誇りも、絆も、何もかも。
 やっとみつけた、自分の 『居場所』 さえも。
 何もかもスベテ奪われる。
「……ぅ……ぐぅぅぅ……!」
 身悶えするように、少女は呻いた。
 ここまで激しい怒りを感じたのは、
ここまで誰かを 「憎い」 と想ったのは、
生まれて初めてだった。
「DI……O……」
 呟くように、少女はソノ男の名を口にする。
 脳裡に浮かぶソノ男は、こちらを嘲るように見つめている。 
 まるで自分が傷つけば傷つくほど、ソレはたまらない愉悦だとでもいう様に。
「DIO……DIO……DIO……ッ!」
 少女は、口に出す。
 最も忌むべき 『宿敵』 の名を。
 全身全霊を以て討滅すべき相手を。
 己が存在に刻み付けるかのように。
「DIODIODIODIODIODIODIODIODIODIODIODIODIO
 DIODIODIODIODIODIODIODIODIODIODIODIODIO 
 DIODIODIODIODIODIODIODIODIODIODIODIODIO
 DIOオオオオオオオオォォォォォ―――――――――!!!!!」
 灼熱の、咆吼。
 コレは、誓い。
 少女が自分の存在に、堕天の焼印の如く捺しつけた、灼刻の誓約。
 もうソレ以上、涙は流れなかった。
 少女の新たなる深紅の決意が。
 淑女に約束した鮮血の如き誓いが。
 少女の胸の裡を取り巻く哀しみをスベテ吹き飛ばした。
 新たなる、フレイムヘイズの誕生。
 己が存在の裡に、灼熱の使命感と黄金の精神の輝きとを同時に宿した。
 熾烈なるその真名は。
紅 の 魔 術 師(マジシャンズ・レッド)



【3】

 その夜、少女は一睡もしなかった。
 己が決意を噛み締めながら夜を明かした。
 カーテンの隙間から差し込む陽光。
 ソレが己の存在を暗闇に映し初めた時。
 少女はおもむろに立ち上がり、机の上におかれた “コキュートス” を首にかけた。
「行こう」
「うむ」
 短く己の契約者と言葉を交わし、少女は自室の扉を開く。
 バサッと飛鳥の羽撃(はばた)きのように、紅世の黒衣 “夜笠” が翻る。
 その右肩口に刻まれた、灼熱の高十字架(ハイクロス)
魅せつけるかのように。
 悲哀と絶望に囚われていた少女は、もういない。
 その風貌は、この世の何よりも透き通っていた。
 自分が今すべきコトは泣くコトじゃない。
 戦うコト。
 ソレが自分がアノ人の為に出来る、唯一つの事だから。
 凛とした表情のまま、威風堂々と力強く檜の床を踏み締める
少女の眼前に、見慣れた貌が姿を現す。
「……」
「……」
 互いに無言のまま、真正面から対峙する。
 無頼の貴公子と紅蓮の美少女。
 昨日は、あれから一体いつまで雨の中にいたのだろうか?
 一時間、二時間、ひょっとして、一晩中?
 問い質そうと想って、少女は止めた。
 言葉はなかったが、感じているコトは同じだと想えたから。
 己の裡で誓った、確かな決意は同じだと信じるコトが出来たから。
 心の中を充たす、奇妙な実感と共に。
「……」
 沈黙の中、少女は黒衣の内側にその細い手を伸ばし、
手にしたモノを青年へと差し出す。
「……」
 青年は少しだけその視線に力を込め、差し出された袋を見る。
「あげる。おまえ、昨日から何も食べてないでしょ」
 カラフルなプリントが施されたメロンパンの袋を青年に向けながら、
少女は凛とした声と風貌でそう告げる。
 市販品では一番好きな銘柄の、とっておきの一個。
 本来ならどのような 「宝具」 の山を積まれても、
絶対に等価交換など在り得ない逸品だが、
でもそういうモノだからこそ意味が在る。
「……」
 青年は無言のまま少女から差し出された袋を手に取り、
しばし眺めた後袋を破り中身を取り出す。
 砂糖と香料が適度に焼けた、何とも形容し難い甘い匂い。
 反射的にうっ、と声が漏れそうになるが少女は何とかソレを押し止める。
 しかし件の青年はそのままパンを口には運ばず、慣れない手つきで二つに裂き、
その内のやや大きい方を自分に向かって差し出す。
「何も食ってねぇのはオメーも一緒だろ」
 そう言っていつも通りの、剣呑な視線で自分を見据えてくる。
「……ッ!」
 彼の手で二つに分かれたメロンパンの片方を受け取りながら、
少女は本当に久しぶりに、その晴れやかな笑顔を青年に覗かせる。
 そのまま互いにパンを口元に運びながら、玄関の方へと足を向ける。
 いつもどおり、いつもの歩調で。
 学生鞄の代わりに、胸いっぱいの決意を持って。
「結構イケるな、コレ」
「当たり前でしょ。私のとっておきの最後の一個なんだから」
 そう。
 美味しかった。
 今まで数え切れないほど食べたメロンパンのどれよりも。
 半分になったこのメロンパンが。
 そのまま二人同時に最後の一切れを口に入れて咀嚼し、
少女は青年に己の決意を口にする。
「今度は、敗けない。私達が勝つ」
「上等だ」
 短く青年は少女にそう返し、穏やかな微笑をその口唇に浮かべる。
 そして開かれるドア。
 空条邸の大きな正門前に、ジョセフと花京院が立っている。
 爽やかに流れる初夏の空気の元。
 眩く輝く天空の太陽の下。
『スタンド使い』 の青年と “フレイムヘイズ” の少女は、
広大不偏なる 『世界』 への扉を開く!
 ソレは、一つの伝説の始まり。
 ソレは、永久(とわ)に鳴り響く生命の賛歌。
 その最初の一歩を、承太郎とシャナは同時に踏み出した。  



(さぁ……)
(さぁッ!)



“出発だッッ!!”


←To Be Continued……


 
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