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異界の王女と人狼の騎士

作者:のべら
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第八十話

 足場の悪い地面などまるで関係ない速度で、一気に距離を詰めてくる漆多。
 前傾姿勢で両腕は後に伸ばしたままだ。
 そして、前方約2m。
 気圧されるように、俺は数歩後へ下がってしまう。気がつくと背後はコンクリート柱だった。……後へは逃げ道がない。

 地面を擦るようなところから奴の広げた右手が俺に向けて伸びてくる。
 手といっても普通の手じゃない。10センチ程度伸びた鋭利なかぎ爪があるため、さらにリーチが伸びているんだ。唸りを上げて俺の顔面を狙ってくる。
 そこまでの時間、1秒とかかっていない。
 俺は冷静に考える。その速度だけでこれまでの寄生根に憑かれた奴らとはタイプが全く違うということに。明らかにスピード型だ。

 熊手を思わせるような奴の手が俺の顎を狙って抉るように来る!!
 
 ―――Three times……加速する。

 時間は、減速する!

 下方から迫る漆多の右手の動きを観察しながら、頭を少し右へとずらすだけのギリギリのタイミングでその攻撃を回避。
 しかし、最初からその攻撃を回避できることを予想していたかのように、漆多は時間差で俺の胸元を狙った左の手刀を突き出してきた!
 俺は即応し、体を左後方へと捻りながら回避する。そしてその回転を利用し、右腕は上へと突き上げ、左腕は突き伸ばしたままの無防備となった漆多の左顔面へと左肘を打ち込んだ。

 ガツン!

 確かな手応え!

 見事なまでのタイミングで俺の左肘がカウンターで奴の左頬にめり込む。
 漆多はうめき声をあげ、きりもみをしながら後方へと吹っ飛んで地面に叩きつけられると、ゴロゴロと転がっていく。
 しかし、直ぐに立ち上がる。口の中を切ったのか血の混じった唾を何度も吐き捨てる。
 睨み付けるその表情には、あまりにあからさまな俺への敵意と憎悪がむき出しとなっている。
 しかし、それだけじゃない。隠そうとはしているが、渾身の攻撃を全てかわされた事、それどころか逆に攻撃を受けたことへのショックも見て取れたんだ。

 そうは言っても、あいつのダメージはほとんど無しかな。そう見て間違いない。
 予想通りとはいえ……さすがに頑丈だ。
 こちらの内心の動揺を悟られぬように、あえて余裕の表情を作り、漆多を見返すんだ。
 刹那。
 唐突に背後で崩れる音を聞き、ちらりと振り返る。なんと、後にあった柱が縦に真っ二つに裂けてゆっくりと両側に倒れていったところだった。漆多の左右どちらかの攻撃が巨大なコンクリート柱を直撃したんだ。
 しかし、まともにあれを喰らったら本気でやばいな。倒れた柱を見ながらそんなことを無意識に考えてしまい、意識を漆多から逸らしてしまった。

 そして隙ができた。

「果てろっ」
 再び漆多が猛然と来る!!

 今度は大振りな攻撃をしてこない。小刻みな突きを駆使し、時折、意表をついてトリッキーな位置から大技を出すための布石となる攻撃を打ち込もうとする。

 しかし! 今の俺は自らの動きの加速度を3倍速に加速させているんだ。この世界の足場の悪さのせいで、その加速能力の全てを発揮できていないけれど、漆多の繰り出す攻撃はすべて冷静に、かつ、ギリギリのタイミングでもってかわすことができる。こうやってアイツとやり合ってみると、その速度は俺の駆使する能力でいうところの2倍速程度と判定できた。確かにその攻撃の一つ一つの破壊力は尋常でないけれど、交わすこと自体はそれほど難しくはないようだ。……それについては自信がある。
 当たることがなければ、いかに強力な破壊力であろうとも無意味。本来なら、このまま攻撃をかわし続け、漆多を疲労させれ、スタミナ切れか集中力を途切れさせてミスを引き出すことができたなら、致命的な攻撃を与えるチャンスがある。

 さらに―――今回の戦いにおける現状の分析。冷静に。今度はこちらの攻撃について。

 逆にこちらが力押し(加速度をさらに高めての)をしたとしても、漆多、いや奴の中にある寄生根は俺と過去二度戦っているから、嫌というほど知っている。俺の攻撃の漆多にもたらす致命的な威力を。だから、アイツの繰り出してくる攻撃のすべては、その事を警戒しながらのものであることは間違いない。つまり、奴は自身の体の中を浮遊する瘤を俺に攻撃されることを警戒すること、回避することを最優先としている。そうそう俺の攻撃を当てるようなヘマはしないだろう。
 よって時々、カウンターで攻撃をする方法でなければ、攻撃をヒットさせることはできないだろう。そして、そのカウンター攻撃も漆多にとっては織り込みずみだろうから、やはりヒットさせることは困難。

 つまり―――。

 戦いは長期戦の様相を見せ始めたのか? 

 ……俺がそう考えた時、ふいに漆多は攻撃をやめると同時に、後へ飛び退いた。
 わずかに息を切らせている。
「糞ぅう。……このままではいつまでやっても勝てないということか?? これほどまで有利な状況に持ち込んでいるというのに。これが能力差って言う奴なのか? 想いだけではどうにもならないっていうのか」
 唐突に感情を吐露する。
 つまり、奴も同じように焦っているんだ。

 確かに、俺は漆多の創り出した固有結界の中に取り込まれ、王女からの魔力供給を失っている。逆にアイツはこの地の地脈の力をずっと供給されるから全力で戦っても力尽きることは無いだろうし、仮に再生という能力が奴にあるとしたなら、俺の通常攻撃をいくら受けたとしても直ぐに回復するのだろう。
 俺の【不可逆な破壊】による攻撃以外はすべて。
 逆に俺は通常よりも3倍の力を使用せざるを得ない状況。……いつまでもこの状況を続ける訳にはいかない、な。どこかで俺のスタミナが切れてしまうだろうから。だから、どこかで勝負をかけざるをえないんだ。
「そう、お前も強くなったかもしれない。けれど、まだ俺に勝てるレベルには無いよ。俺とお前との決定的な違い、そう、経験値が違いすぎるんだ」
 と、あえて挑発するような言葉を吐く。悟られぬように。 
 でも、俺の話したことは嘘じゃない。3倍のスピードで動いたというだけでは、この不利な条件下での漆多の攻撃は防ぎきれるものではない。今のところ何とか無事でいられるのは、これまでくぐってきた死線での経験で与えられている、いわゆる【戦うことの直感】の賜だと思う。それだけじゃない。宿主は変わったといっても中身はずっと同じ寄生根。攻撃の傾向もどうしたって似通って来るんだ。よってその繰り出してくる攻撃もある程度までは読めるわけだ。それらの俺にとって有利な条件が無かったなら、4倍速いや5倍速以上の加速度を要求されることになるかもしれない。……さすがにそのレベルの力で長期戦は未経験だ。体がどのくらい耐えられるかなんて分からないんだから。魔力供給を受けての瞬間的回復を使えない俺にはあまりにリスクが高い。

「違う、違う違う! そんなはずはない。だって正義は俺にあるんだぞ。月人、お前のような、お前のような腐れ外道に負けるはずがないんだ。寧々を見殺しにするような糞ったれになんか……絶対に絶対にだ!! 」

「違う、それは違う。俺は寧々を見殺しになんてしていない」

「この期に及んで何を言うか!! 積み上げられた事実が全てを示している。お前は寧々を見捨てて逃げた。そして寧々は殺されてしまったんだ。なのに……お前は、その化け物のような力を手に入れたんだ! 俺や寧々は全てを失ったというのに、お前だけはうまいこと立ち回って、全てを得たんだ。そんな不条理が許されるって言うのかよ」
 憎悪のみに瞳を燃やし、俺を睨み付ける漆多。

「俺が寧々を見捨てただって? そんなことするわけがない。そんなわけないだろう! ……確かに、守りきれなかったのは事実だよ。だけど、俺は俺で、必死でなんとかしようとしたんだ。それだけは分かってくれ」

「嘘をつくんじゃない」

「嘘じゃない。寧々を殺したのは、如月流星に巣くった寄生根であり、それに操られた如月なんだ。そして、それは今、お前の中にいる。寧々の仇はお前の中にいるんだ。だからお前だって本当の事を知っているんじゃないのか? 薄々は気づいているんだろう」

「ふふふん。寧々の仇は俺の中にいる……か。……だから、お前は俺を殺すって論理展開か。そして、俺は寧々の仇を討ちたかったら黙ってお前に殺されろって事か? そうやって俺に死を強いるのか? お前は。クハハハハ、お笑いだよ、そしてやっぱり卑怯者だよな」

「違う! 俺はそんなつもりで言った訳じゃない」

「確かに、直接寧々を殺したのはお前じゃないかもしれない。だけどなあ、俺を裏切った罪、寧々を護れなかったその罪は永遠に消えることは無いんだ。例え、お前が言うこと全てが真実であったとしても、すべてにおいてお前が正しいんだとしても、お前を許すことは出来ない。絶対に絶対にだ。俺はどんな事をしても、どんな手段を使ってでもお前を殺すんだ。それが、俺の唯一無二の正義だ。だから、お前はお前のその身勝手な正義を振りかざし、俺を殺しに来ればいい」
 
 この期に及んで俺は絶望を感じていた。
 確かに、最初から分かっていたことだし、それを受け入れているつもりだったんだけど、今、目の前にそれを示されるとどうにもならない気持ちだけが俺の心を握りつぶすように圧迫しているのを感じていた。
 この先、お互い何を言おうとも、どう言葉を費やしたとしても結論は変わらないことに。

 説得など何の意味もなさない。そんな言葉など存在しない。
 そして結論づけるしかない。絶望的な解答。

 すでに漆多は寄生根に憑かれている。完全に囚われてしまっているんだ。そして、もう……彼は助かることは無い。助けるすべはこの世界に存在しない。
 次第に肉体も精神も取り込まれていき、最終的にはその思考すら奪われただのケダモノ以下の存在になってとり殺されしかないんだ。
 だから、……俺ができること、それはただ一つしかない。
 ―――人としての意識があるうちに、親友を解放すること。つまり……殺すことなんだ。
「どうしても、……というのか」
 俺は縋るように呟く。

「わかっている……さ」
 突然、漆多が呟く。俺は動きを止める。
「お前が必死に寧々を守ったって事は……友達だからな。今その力を得ているから分かるよ。あの時、お前が寧々を守ることができるわけがないことくらい。それでもお前は命がけで戦おうとしたことも知っている。今、俺が感じていることは、ただの嫉妬でしかないことくらい。だけどそれでもお前が憎かったんだ。どうしようもないくらい。寧々が俺ではなく、お前の事を好きだったということを受け入れられるわけがないだろう。だから憎むしかなかったんだ。生きているお前を。そして、俺は力を得た。……暴走。何人もの人間を殺した。もはや戻る事なんてできないんだよ」

「漆多……」
 それは彼の本音だったのだろうか?

「だからこそ俺は戦うんだ。お前を殺すために。例え間違っていたとしても、俺はお前を殺さないではいられないんだよ。命をかけてお前を殺す……。それしかないんだ。もはや俺にはその道しか残されていない。好きな女をお前に取られ、彼女が殺されそうになったっていうのに何も気付かず、その時、家でエロ本見てたんだぜ、俺は。寧々が必死に助けを求めていたのに気付くことさえできずにな。まあ気付いても意味が無かったか? あいつはお前に助けを求めていたんだろうからな。そして俺はお前への嫉妬に狂い、そこにつけ込まれ化け物に取り付かれ、このままとり殺されるだけしかないんだろう? そんなのあんまりだろう? 俺だけまったく駄目じゃないか。好きな女を親友に取られ、おまけに化け物に女を殺され、最後はその化け物に取り込まれるんだからな。何なんだよ、俺の人生って。なんでお前だけが寧々に惚れられ、その化け物みたいな力を得て、今度はヒーロー気取りで化け物退治かよぅ!! 糞っ、何でお前ばっかりいい目を見ているんだよ。くそったれくそったれくそったれ! なんで、なんで俺だけがこんな貧乏くじばっかり引かされるんだよ。こんなのありえねーだろ? なあ」
 それはあまりに理不尽な怒りだった。だけど、その気持ちは理解できた。

「はぁはぁはぁ……」
 感情をぶちまけきったのか、漆多は息を荒くしながらもその昂ぶった感情を抑えきったようだ。そしてゆっくりと俺を見る。その眼には先ほどまでの人間としての様々な負の感情み満ちあふれたものが一切消えていた。
「……最初から覚悟の問題だったんだよな。死線を幾度も乗り越えてきたお前とまともに戦うには本気の覚悟が必要なんだ。覚悟しない人間には勝利がないということだよな。何かを捨てなければ、否、全てを差し出さなければお前と同じスタートラインにすら立てないってことだな」
 そして彼は身構えた。ごく自然な形で。そしてごくごく自然に微笑んだ。
 同時にこれまでとは全く異質な気が発動する。
「あわよくば人間のままお前を倒し、人間としてなんとか世界に戻りたかったけど、それは虫がよすぎるってことだな……。いくぜぇ」

 唸る!! 
 
 理解し合うことのできない戦いが始まる。
 
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