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異界の王女と人狼の騎士

作者:のべら
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第七十九話

 俺は漆多の待つ植物園の前にいた―――。

 モノレールの車中ですべての雑念を払ったつもりだ。
 俯いたまま目を閉じ、ずっとこれまでの事を振り返っていた。
 あの時の事を思い返し、どうすれば良かったかを幾度も幾度も考えた。……だけど、結論はどうにもならなかっただけだ。 

 今は戦いのみに思考を集中している。全ての連鎖を断ち切る為に。
 俺は戦わなければならないんだと、改めて感じた。

 ―――植物園の正門がうっすらと見えてる。
 開園時間はだいぶ前に過ぎているから、人の気配は全く無い。もっとも、これといった目玉のない植物園であること、周辺にはこれといった施設が何もないことから、駅から近いという利便性を考慮しても入場者数は採算ラインの遥か下を推移しているらしいけど。
 正門の外灯は照度をかなり落としているせいか頼りない明るさだ。

 周囲を囲う高い塀の向こう側に、平行して植えられている木々の緑が月明かりに映し出されている。今の季節だと、バラと紅葉が見頃なのかな、……確か。そんなこともふと考えてしまう。
 塀は俺の背丈よりも高いため、植物園の中の様子はうかがい知ることができない。
 正門を飛び越えて中に入るのが一番楽だけど、正門には監視カメラらしいものが配置されているようだ。そして、まだ結界は発動していないようなので、不用意な侵入はそのままカメラに撮影されてしまうだろう。後々の事を考えるとそれは避けた方がいい。俺は植物園の塀沿いに少し歩くことにした。
 周囲の様子を伺いながら数分歩き、監視カメラの存在がないと確認できるところで立ち止まった。
 
 塀の高さは2メートル弱。塀の上には2本のワイヤーのようなものが張られている。これはセンサーなのか高圧線なのか? 外観ではよく分からない。……でも、施設から考えるとただのワイヤーだろう。
 確か植物園の中はバラ園やハーブ園、結構規模の大きい温室もあるはずだった。西日本でも有数の規模だったと聞いたことがあるけど、学園都市に転校して来て一度も行ったことは無いんだ。一度でも行っていたら、中の様子が分かるから少しは戦略を練ることができたんだけど、まあ、今更言っても仕方ないんだよね。

 そして、俺は軽く深呼吸をすると、意識を集中しはじめる。
 眉間から数センチ頭の内側が、かっと熱くなってくるのを感じる。
 するとそれまで薄暗かった視界が次第に明るくなっていく。

 寄生根に奪われて、再生した左眼。
 暗闇でも昼間のように見える瞳。そして生物……否、無生物の死さえも見透かす眼。その瞳の色はブルー。能力を発動する時、さらに発光するようだ。
 俺はこの瞳を隠すために眼帯をしてみたり、カラーコンタクトを入れたりしてたけど、やっぱり違和感があった。どうにかしたいと色々試してみて、意識の集中次第で発光をコントロールし、それどころかその瞳の色さえも元の色に変えることをマスターしていたんだ。本当は、これは自力ではなく、王女のアドバイスのおかげなんだけれど。マスターするには結構苦労したんだけれど……。
 もっとも、そうしなければならない理由があったからこそ、王女も真剣に教えてくれたし、俺も時間がそれほど無い中でもがんばらざるをえなかったんだけれど……。
 なぜなら、左眼の発光は常にその力を顕現させている状態であり、しかもその能力を常時全力で使用しているのと同じだったらしい。つまりアクセルは常時全開というわけだ。それは脳にかなりの負担を与えるようで、ずっとその状態を続けていたら、脳がオーバーヒートしてやられる(場合によっては廃人化するらしい)らしかった。王女曰く「子供の私にお前の介護をさせるような事にさせないで」だって。
 まあ、それだけじゃなく、視覚的な問題もあって、常時、目に映るその世界の全てが何か網がかかったようになっているし、人や動物の体の中を奇怪な瘤が漂っているんだから、その映像だけでも精神的に結構負荷を感じていたからね。日常生活もまともにできやしない。
 コントロール方法をマスターできた後はホントに体が楽になったんだ。いろいろと結構精神的にきつい日々だったから、これはかなり嬉しかったんだよね。

 その場で軽くジャンプする。
 瞬時に体が上昇し、塀より1メートル程度上まで飛び上がる。
 そして、ふわりと塀の上に両足で着地する。辺りを見回すが、塀沿いに植えられた木々の枝葉の為に植物園の全容はわからない。
 そのまま片足で塀の上に張られたワイヤーに足をかけ、そのまま敷地の中へと飛び降りた。
 ほとんど音を立てずに着地して周囲を伺おうとした刹那―――

 空気感が一瞬にして変わった。
 同時に轟音が響くと同時に植物園の外壁が天に向かってせり上がっていく!! 何かの捕獲用の罠が起動したようだった。
 
「な、なんだ? 」
 俺は動揺する。

 黒色の壁、しかしよく見るとそれは植物園を取り囲んだ外壁ではなく、全く異質な網目状のものだった。
 それは跳ね上がるように上空へ上がり、ある程度の高さに達すると今度はその動きを横へ、つまりこの空間を取り込むようにと動き出した。月明かりが遮られ、闇へと転化していく。それは獲物の侵入を感知して作動した、罠のようだった。 
 やがてその網目の壁はドームのように植物園を取り込み、やがてその網目状の隙間が埋められていく。

 そして、急速な暗転、急速な低温化、急速な無音化。

 公園の風景がゆっくりとブレだしたかと思うと次第に歪み始める。
 歪みは大きくなり原型を留めることができないほどまでに変容し、崩れていくんだ……。

 そして、いきなり耳をつんざく爆発音と閃光が起こった。 
 俺は思わず眼を閉じてしまったんだ。

 ―――そして。

 俺は、ゆっくりと眼を開けた。

 そして、呆然とした。

 周囲の光景が、根本的な変貌を遂げていたんだ。
 先ほどまであった付近の緑色の木々や、少し向こうに見えたバラの花園。奥の方にあった巨大な温室。

 のどかな風景が全てが消えていた。

 今そこにあるのは、空虚な地平が遥か向こうまで広がり、大小様々な岩や石くれが転がる荒れ果てた黒い大地。
 そして、こんな世界には異質としか思えないコンクリートの無数の柱が地面に突き立てられた、あり得ない風景だったんだ。
 

 俺は上を見上げる。

 呆然とする。
 慄然とした。

 そこには、二つの月が昇っていたんだ。
 それは血を暗示するかのように真っ赤に染まっていた。

「何なんだ……これは」
 思わず呻く。これが結界?
 しかし、これまでの戦いで見た結界とは全く異質なものだった。これまでは外部からの侵入を防ぐためだけのものだった。しかし、今ここで施術されている結界は根本から何もかもが違う。違いすぎる。
 これじゃあ、天地創造じゃないか。さっきまであった植物園の風景がすべて消し飛び、いま眼前に展開される風景は異世界でしかなかった。
 幻覚ではないリアルな世界であるとするなら、これが地脈の膨大なエネルギーを得た力による結界の姿なのか……。

 いや、これは単なる幻覚だよ。そう自分を納得させようとするけれど、それはあえなく失敗に終わるんだ。
 なぜなら俺自身だって能力を発動させている。
 俺の眼を誤魔化すことなんて出来ないんだから。

 だから……これは現実なんだ。
 この世界は、悪夢のような光景だけれど、現実なんだ。

 だったら話は早い。これから行うことは、たった一つしかないんだから。
 世界がどのように変容したとしても、何も変わることは無いんだ。

「漆多、出てこいよ」
 姿は見えないけれど、この殺伐とした世界のどこかに漆多は隠れている。
「ずっと隠れているつもりなのか? お前に呼ばれたから来たんだ。さっさと顔を出せよ」

 しばしの沈黙……。

「一人で来たのか……」
 声がした方を見ると、そこには学ランを着た漆多が立っていた。ショッピングセンターの時と全く変わらぬ姿

だった。服だけは着替えたのか。
 そして俺と、その周囲を見回す。
「あの、偉そうなガキを連れて来なかったのか」

「今日は俺とお前だけの話だから、連れてこなかった。彼女には無関係の事だからね」

「ひゅううっ」
 妙な声を上げて俺を見る。ニヤニヤと笑ったかと思うと、
「ガキを連れてこないなんて、戦いを放棄でもしたのか? 月人」
 と、馬鹿にしたような口調で問いかける。

「放棄なんてしてないさ」
 あいつの妙に自信たっぷりの態度に少しの不安を感じる。何か策を持っているんだろう。

「お前、知らなかったのか? ……ッククククックク」
 肩を揺すりながらくぐもった笑い。
「違和感くらいは感じているだろう? お前はあのガキの重要性を聞いていなかったのか? 特に戦うときにおいての【ガキの有意性】を。……フフフ、まったく昔からお前は変わらないな」

「どうだっていうんだ」
 そう言いながらも、少しは思い当たるところがあったんだ。
 これまでの戦いでは常に感じていたものが全く感じられない事に。それが何なのかはよく分からない。王女が側にいないだけで何か違和感を感じてしまっているのは事実だったんだけれども。

「仕方ないから、戦う前に教えてやろう。教えないほうが俺にとっては有利なんだけどな。まあ、お前には何度か助けてもらっているからなあ。これくらいはいいだろう」
 そう言って右手を握ったり開いたりする。
 その手の爪が異常に伸びていることに俺は気付く。その爪の長さは10センチくらいの長さがあるんじゃないだろうか。おそらく、その硬度は鋼鉄を上回るんだろうな。
 アレで先生たちを殺し、心臓を抉り出したんだ。
「あのガキからの魔力供給によってお前の力が増強されていたことくらい、少しは思い当たるだろう? これまでお前は何度も死にかけになるくらいの怪我をしていたが、異常なほどの速度で回復もしただろう。あれは何だったと思うんだ? お前の潜在能力とでもいうのか? 」

 流石にそうではないだろうな、とは思っていた。

「全て、あのガキが魔力を使って、お前の傷を修復してたんだよ。だからお前は異常な回復力で立ち上がり、戦うことができたんだ。だが、残念ながら今はガキがいない。この世界の中にいない。よって、俺の結界によってガキとお前を結ぶ魔術経路も途絶えてるんだ。つまり、お前が怪我をしても誰もお前を回復してやることは出来ないってことだ。お前の自前の回復力に頼るしかないって事だよ。……だから戦うときは怪我に注意しろよ。まあ、とりあえずの忠告ってわけだ」

 なるほど、俺が化け物的回復力を得たのでは無くて、王女の力で回復してただけなのか。まあ当たり前と言えば当たり前なんだけど、今までほとんど気にもしたことがなかった。それが当たり前だって思っていたからね。

「ショックだったかな? まあ、ガキを連れてこない選択をしたお前のミスだから仕方ないぜ。だから俺は手加減なんかしない。本気でお前を殺しにいくよ」
 そういって身構える。

 俺も構える。
「漆多、残念だけどそういった事を知ったとしても、何も変わらないよ。忠告には感謝する。だけど、俺は負けない」

「クカカ、流石に何度も戦ってきているだけに自信満々だな。嬉しいよ。まあその過信が仇となるんだが。……俺にとってもっとも有利な条件なのに戦いに来たこと、そしてお前にとって勝利への必須条件であるガキのサポートを放棄してここにまで来たという幸運に感謝せねばならないな。運も能力の内だからこれは仕方が無いってことだよ」
 と、ニヤリと笑う。

 俺はニコリと微笑み返す。 
「全ての幸運をお前が持ち、勝利のための全ての条件を揃えたとしても、そしてすべての不運が俺に降りかかっているとしても、結局のところ……勝利するのは、俺だ」
  
「そこまで根拠も無く言い切れるお前に感心するよ」
 漆多はそう言うなり、俺に向けて駆け出した。
 
  
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