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【短編集】現実だってファンタジー

作者:海戦型
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既死廻生のクレデンダ 前編

 
前書き
そういえばこんなのも書いてたなぁ、と思いだして投稿。 

 
 
 
 
『ポイントZ全域にMAPWの着弾を確認。人工磁気嵐により当該区画とのクレデンダとの通信途絶』
『ポイントY0003e,Y2222s,Y5779xに於いての戦闘終結。クレデンダの全通信途絶を確認』
『各員へ通達。ミランダ763機がセントラルベース最終防衛ラインを突破。速やかに排除されたし』
『軌道エレベータ陥落。当該区画のクレデンダはポイントF総合統制システムの判断に従われよ』
『ポイントK、原因不明の爆発により反応途絶。核兵器保管庫を自壊させたと推測される』
『食糧生産プラントB-5防衛クレデンダからの通信途絶』
『エナジーバイパス管制システムに量子ハックを受けている。アンチプログラムは速やかに問題を解決せよ』
『ABチャフ散布。着弾5秒前。総員、対閃光防御………着弾。本部防衛ディストーションウォール、衛星外からのプラズマ直射砲の拡散に成功。第1から第79までのジェネレータ、負荷に耐えきれず破損』
『プラズマ直射砲迎撃部隊、壊滅。同時にサード・マスドライバーの爆破を確認。制宙権をミランダに奪われました』
『本部防衛体の防衛網を所属不明のミランダが突破。間もなく低温核融合動力炉に侵入します』
『迎撃システム中枢、破壊されました。これより砲座はマニュアル操作に切り替わります』
『V区画より援軍要請。『マザー』の演繹の結果より賛成0、反対7との回答。当該区画に援軍は送れない。任務を続行せよ』
『大気圏外に再びエネルギー反応。プラズマ直射砲ではない。正体不明のMAPWだと推論される』
『ポイントT区画にてクレデンダの命令拒絶を確認。規約に則り、該当クレデンダの生命維持装置を遠隔停止』
『遊撃特攻部隊より通達。ミランダ居住区へのBC兵器投下に成功。その後撃墜された模様』
『人工磁気嵐収束。未確認地域のクレデンダに戦闘続行可能な機はなし』
『ポイントC,D全域にて複数の衛星級人工衛星の落下を確認。電波障害によって各部隊との通信途絶』
『ミランダ本部よりセントラルベースへ通達。最終降伏勧告を取り下げ、クレデンダを特級文化的異端組織と認定し、殲滅戦を敢行するとのこと』
『WH04航空隊より通達。ミランダ側環境維持装置の停止および破壊に成功。これより幼児育成プラントへの爆撃を開始するとのこと』
『潜宙魚雷第一波の目標人工衛星地点到達まであと7分。滞りなく前進中』


 文明が最期の悲鳴を上げている。

 荒涼たる大地に次々と立ち上る灼熱の火柱は地表を抉り、地盤を砕く。絶え間ない悲鳴と怒号、そして飛び散る鮮血。草一本――草という生物の存在を知らない者もいる有様だが――自生することが出来ないほどに汚染され尽くした大地を動き回るのは、人類唯一種を除いて残されてはいない。死後の骨でさえ、この世界では僅か数か月とかからず砂へと還っていく。

 この星は、夜は赤道に近い緯度にも拘らず気温がマイナスにまで落ち込む。長きにわたる戦争が巻き上げた有害物質と粉塵によって空を覆われ、氷河期を迎えているのだ。時折異常気象から起きるダウンバーストによって海は完全に凍りついた。
 大気は有害物質や偶発的に発生した科学物質によって汚染され尽くし、環境維持装置のある場所以外ではマスクを外す事さえ許されない。マスクを失ったものは体内に侵入する毒素によって全身の細胞を破壊され、苦しみ抜いた末に血反吐を吐いて死を迎えるだけだ。
 かつて青の星、緑の星などと呼ばれていた地球は、当の昔に死と灰の星になっていた。

「ダメージチェック………FCS、DML……インターフェイス全て沈黙。離元動力パッケージ、オーバーヒートにより使用不能。ナノマシン・セル残量0により、立て直し不能………生きてはいるが、それだけか」

 V区画ポイント2004y担当第3373号男性型クレデンダは、既に自身が戦闘不能であり、戦略的に見放された存在であることを機械的に認識した。周辺には撃破したミランダが絶命した姿で山を築いていた。
 そしてそのミランダとの戦いの中で敵を狩り尽くした時には、既に自分も満身創痍だった。ただ、それだけの事だった。

 クレデンダとは人種であり、イデオロギーであり、派閥であり、コミュニティであり、社会であり、国であり、人類である。ミランダもまた同様だった。はるか昔には等しく「人類」を名乗っていた種族である。

 10000年前より「人類の文化継承と自由思想に基づく進化」を主張し、完全自由社会を主張したミランダ。
 5000年前より「人類の遺伝レベルでの管理と進化」を主張し、完全管理社会を築いたクレデンダ。
 
 二つの勢力がどのような過程を経て戦争に至ったのか、戦闘特化型クレデンダであるV2004y担当第3373号男性型には理解が及ばない。そもそもミランダという組織の詳細データに関しては第一級禁忌情報として閲覧が大きく制限されており、11階級個体であるV2004y担当第3373号男性型――以降、『彼』と呼称するものとする――には閲覧を許されるはずもない。

 禁を破れば管理不適合個体として脳髄の変更処置が下され、処置によって不要となった肉体はタンパク質補給食材として再利用される。つまり、『彼』の意識は永遠に失われ、身体だけが再利用されることになる。人間でさえこの世界では貴重なタンパク源であり、規定された能力を下回った個体もまた蛋タンパク源として『有効活用』される。

 その処置をクレデンダは3000年前から当然の物として受け入れてきたが、ミランダは同年よりこのシステムを非人道的なシステムとして異を唱え続けていた。その他にも、4000年前にはクレデンダの遺伝的サイバネティックスに異を唱えた。2000年前には量子通信技術の重要資料の強奪を行い、1000年前にはなんの通達も無しにクレデンダの人工衛星群を不法占拠し、国際法違反である宇宙軍を組織してクレデンダへ衛星軌道上からのピンポイント攻撃を行っていた。
 2勢力が開戦したのはその頃だったとデータにはある。

 千年戦争。今ではそう呼ばれている、地球を二分する最終決戦(アルマゲドン)
 数に勝り、クレデンダの技術を盗み続けることで戦線を維持するミランダと、統合戦闘システムによる戦略的戦争経済を構築して質で迎撃したクレデンダの戦争は、すぐさま泥沼化した。

 極度に発達した技術により原子変換による資源確保とクレデンダの大量生産を行ったクレデンダは、規模こそ劣るものの消耗と言うものを知らない。完全管理社会ゆえに、無駄がない。700年前からは禁止されていた機械知性体を導入したことで更に死者が減っていた。
 対するミランダは地球に存在する土地の7割を所持し、その圧倒的人口と物量を最大限に活かして消耗を見せなかった。クレデンダから盗んだ技術でサイボーク兵や無人機、大量殺戮兵器を駆使してあの手この手でクレデンダを滅ぼそうとした。

 次第に互いの戦闘方向は、より有用なものを主義主張を越えて導入する――つまり互いに互いの戦法を取り入れる混沌状態に突入した。

 そしてとうとう100年前、潤沢に存在した資源の限界が見えてきたミランダと、戦争システムの維持にシステム的綻びが見え始めたクレデンダの両勢力は賭けに出た。あらゆる技術を総動員した、全面衝突による徹底的な消耗戦である。

 犠牲を厭わない戦法に変わった途端、戦場は死体に塗れた。
 今までも大量の死体が存在したが、人口が400億人にまで膨れ上がったミランダの全兵力投入が、状況を動かした。ミランダに対し人口16億人のクレデンダは質で追い返していたが、その質を上回る量で強引に押し切り始めたのだ。人間の波はクレデンダによって大量に殺されたが、その波は数に劣るクレデンダを鏖殺した。

 その頃には既に、ミランダ・クレデンダ両勢力のイデオロギー的差異は消滅しつつあった。
 人道を唱えていたミランダは年寄りや女子供に薬物洗脳とサイボーグ化によって無理やり戦闘能力を与えて戦わせ、感情排除を唱えていたクレデンダは精神的効果を狙って捕虜の鹵獲と記憶改竄・改造に乗り出した。使用する技術も似たり寄ったり、戦争第一なのも似たり寄ったり。
 既に、人々もどちらでもよかった。

 人間の生活様式は、戦争をすることだけになってしまったのだから。

 命令系統の消滅により一次的に最優先行動事項が消滅した『彼』は、この後に取る行動に興味が持てなかった。クレデンダに『興味』という概念が存在するのもおかしな話だが、既にクレデンダ内ではミランダの心理的分析のために一部のクレデンダに感情を与える実験が執り行われていた。『彼』もまた、その実験によって疑似的に感情を得た男である。

 そして、感情が退屈を覚えた際の為に、『彼』を含む疑似感情型固体には、脳内に非ノイマン型自己学習推論量子人工知能が埋め込まれている。ナノマシン・セルによって構成され、膜電位から動力を得て持続する機械知性体である。

「1000号、コミュニケーティングしたい。応答願う」
『こちら1000号。一体何を話したい?』

 名前という文明を失ったクレデンダには、数字が全てだ。いつかこのAIとの会話を聞いていた死にかけのミランダが、「機械同士が喋っているようだ」と皮肉った、無愛想な人工音声が骨伝導で伝わる。

「そうだな……戦争は、あとどれくらいで終わると思う?」
『予測によると、あと1時間22分54,223秒で両勢力の主力は戦闘能力を失い、互いに勝利条件を満たせなくなったまま終了すると思われる。なお、これは最長の場合であり、更に決着が早まる可能性は98,2%である』
「だろうな」

 既に両勢力のインフラは破壊され、環境維持プラント、食糧生産プラント、新生児育成プラント、兵器類生産プラントなど、両勢力の最重要ポイントは悉くが壊滅的な被害を受けている。もう両勢力はどう転がっても今までの文明体型を維持できない。
 ミランダは生物兵器の攻撃を受けたため、仮に生き残っても爆発的に伝染する死病に呑まれるだろう。クレデンダは、先ほど統合管制マザーコンピュータの破壊によって命令そのものが下されなくなり、殆どのクレデンダは案山子になっている。コントロールを失った操り人形みたいなものだ。

「ミランダの切り札のMAPWはクレデンダを焼き尽くす。クレデンダの最後の攻撃は、唯一生存可能性のあったミランダ宇宙軍の衛星をひとつ残らず爆破するだろう。結果、両陣営に生存圏は存在しなくなる……」

 『彼』は、生まれた時から灰色だった閉塞的な空を無感動に見上げた。

 彼の身体には、肉眼では見えない別位相と同時存在的に展開されたOT(Omnipotently Trooper)によって覆われている。『彼』を基軸に、上位位相の構築法則領域に干渉して物質世界に影響を与え、結果的に彼は無手であるにも拘らず、全身を強固な強化外骨格に覆われているような能力を発揮させる。

 そのOTの生命維持機能も、もう長くは持たないだろう。本来はこの宙域にOTのみがエネルギーとして受信できる位相波動が放たれているが、ミランダの工作によってすべてが遮断されていた。主動力炉はオーバーヒートで破損、修理用のナノマシン・セルは枯渇。援軍は来ないことが統合管理コンピュータ『マザー』によって決定された。

 この区域に生存した味方はいない。生存した敵もいない。
 ただ、遠くから断続的に聞こえる爆発音と噴煙が聞こえるだけ。
 やがて、クレデンダの中枢であるセントラルベースが、地上の太陽とでも呼ぶべき超々高熱量広域破壊兵器によって爆炎に包まれる。防衛用のディストーションウォールは、もうその機能を果たしていなかったようだ。

「早かったな。1000号の計算で言う最長とはセントラルベースが無意味に攻撃に耐え続けた場合の仮定だろう?」
『その質問を肯定する。今、大気圏外で潜中魚雷のが宇宙軍の占拠した人工衛星を破壊するのを確認した。同時に、軌道エレベーターも自壊を始めたのを目視で確認できる』

 遠くを見ると、大気圏外まで延々と続いている軌道エレベーターが、ゆっくりと曲がっていくのが見えた。実際には恐るべき速度で崩壊しているのだが、その規模があまりにも大きすぎて酷く緩慢な速度に錯覚させる。
 軌道エレベーターの崩落が自身のように大地を揺るがし、巨大な土煙を噴き上げる。まるで地球そのものが割れているようだった。それが、最後だった。

 血濡れの戦場に静寂が訪れる。
 ただ、為すべきこともなく死という名の静謐を待つだけの時間が。

 『彼』は、人類の迎えた余りにも愚かで無情な結末に何も感慨を覚えない。何故なら、彼は未来に何一つ託すものがないのだから。託す夢、遺伝子、文化、生きる意志そのもの。その全てが欠落していた。
 そのように教育され、何も考えずに敵を排除するように生き、そして消耗品が捨てられるように死んでいく運命にあることを知っているのだから。
 『彼』だけではない。この最終決戦場に立つクレデンダのほぼ全員が、そしてひょっとしたらミランダでさえそうなのかもしれない。互いにもう戦争の意味など無くなっていたのだ。言うならばそれはヨハネの黙示録に記された終末か、或いは歯止めのなくなった細胞のアトポーシスのように、只々無感情に皆は死へ向かっていった。

 それが、人類の限界だったのだろう。
 『彼』と1000号は、黄泉路への暇つぶしをするように、お喋りを続けた。

「1000号。なにか、喋ってくれないか。やることがなくて退屈だ」
『本部の壊滅によって制限情報のロックが消滅した。今ならばデータの閲覧が無制限に可能である。そして、その情報によると――大気が汚染される前、空には『蒼穹』と呼ばれる水色の空が広がっていたとある』
「水色……?水に色だって?そんな色が、この世界には存在したのか?今まで灰色と大地の茶色、あとは血の赤と肌色くらいしか見たことがないぞ」
『クレデンダは不要な文化を削り取る過程で、活動に必要のない色を余分として文化から排除した。その過程で水色を失ったと推測される。自然界に存在する水色は、生物種も含めてとうに消失しているようだ』
「それは、どんな色なんだ?クレデンダの知っている何色に似ている?」
『当該情報には画像データが伴わないために不明だが、古代では空とは美しい物として扱われていたそうだ』
「ウツクシイ、とは……?」
『生物的な論理的説明を伴わない感情であり、価値観のことである。類似した感覚に感動というものがあり、理由は不明であるにもかかわらず感覚神経や細胞が活性化することもあるらしい』

 喪われた色。喪われた文化。
 先人たちがウツクシイと呼称した空とは、どんなものだったのだろう。
 死の間際になって、『彼』は人間らしい知的好奇心を抱いた。

「………見たいな、それ」
『当機も機械知性体として、このデータに興味を示す』

 何故クレデンダはデータを残しておいてくれなかったのか、小さな苛立ちすら覚える。
 無感動だった胸が、不自然なまでに高まる。経験したことのない感覚に戸惑う。

「1000号、俺の心臓がおかしい。勝手に心拍数が上がっている」
『それは興奮状態にあるためだ。見たことのない水色への好奇心に意識が強く傾き、細胞が静止状態から活動状態へ推移したためだ』
「興奮………つまり俺は、興奮するほどに水色が――いや、空が見たいのか。戦争も生存も興味がなかった俺が、喪ったものは見たいか……しかし、見れないのだな」

 どんなに願った所で、空に広がる分厚い灰色の壁は消えてくれない。世紀単位で蓄積された有害物質と粉塵たちが結託して、空が晴れる事はない。

『或いは飛行制限がなくなった今、OTの飛行機能を使えば僅かに見えた可能性はある。或いはMAPWが高高度で爆発すれば、その瞬間だけ確認できる。それも今となっては叶わない』
「……1000号、胸に強い不快感を感じる。これは何だ?」
『それはストレスによる苛立ちだ。願望が実現できない事に強いストレスを感じ、それを外部に放出しようとしているのだ』
「苛立ち。苛立ち、怒り?同胞を殺されても、どんな命令を受けてもそのような事を俺は感じなかった。空が見えないから俺は苛立っているのか?」
『そう推測される』

 網膜投射ホロモニタが生命活動維持装置の限界時間が近い事を伝える。
 何か空を見る方法を見つけたいのに、時間がないし動けない。生命維持装置の機能が停止する瞬間、無駄な苦しみが無いように脳内に致死量の麻酔薬が注入される仕組みになっている。このまま空を見ずに終わってしまうのか、と考えると『彼』の額に汗が流れた。

『先に行っておくが、現在感じている感情は焦りだ。精神的に余裕がないことが体に現れてる』
「つまり、俺はものすごく空が見たいんだな」
『当機も機械知性体として、そのデータに興味を示す』
「それはさっきも聞いた」
『ジョークである』

 下らない話をしている間に活動限界があと1分を切ってしまった。
 どうやら、空を見ないままにこの生は終わるようだ。

「………やはり、見れずに死ぬんだな」
『生存確率は0%である。ただし……』
「ただし、何だ?」
『先ほど制限情報の中に、空を見る可能性を発見した』
「………なんだと?」

 可能性。データでも残っていない空を見る可能性など、本当にあるのか。
 今この瞬間にも命が尽きようとしているのに。構わずに1000号は続ける。

『クレデンダ物理学研究部門の仮説論文である。量子化技術を生体に直接適応した上で量子データを加速シフトさせ、位相空間ロジックを――』
「端的に言え」
『記憶情報を『どこか』の世界へと転送する。行き先の時代の『誰か』に記憶の上書きが起き、結果として2004y担当第3373号男性型と同個体に出現する。理論上ではそうなっているが、成功したとしても実験結果を観測する手段がないために禁忌保管庫にデータが保管されたとある』

 つまり、意識が「向こう」へと飛ぶ。その向こうとやらの空が汚染されていなければ、蒼穹とやらを見る事が出来るということか。荒唐無稽な話だ、とは思わなかった。1000号が可能性があると言ったのだから、クレデンダには本当に成功可能性を有した技術を持っていたのだ。
 ただ、それを禁忌情報にした理由は分からなかった。生産性のない情報は削除するのがクレデンダだ。なのにデータが残っていたということは、ミランダに対抗する手段としての応用方法があったのかもしれない。

 しかし、言葉としては理解したが詳細が余りにも不明瞭だ。転送されたのは記憶であって、『彼』と同一ではないのではない可能性がある。また、理論上という事は結局何の意味もなく死ぬだけかもしれない。本当にその先に空はあるのかさえわからない。転送直後に肉体が死ぬかもしれない。

 だが、議論する時間もなかった。死が訪れるまであと30秒もない。焦りばかりが加速する。

「可能なのか」
『プログラムの解析は終わった。後は当該AIに備蓄された予備電力とOTの補助で発動可能である』

 そうか、と返事しかけ、ふと背筋が凍る。
 記憶を送ると言ったが、この場合送られるのは『彼』の記憶だろう。
 ならば――もう一人の記憶は?

「――1000号は、どうなる。お前の記憶は、いや、存在は?お前は俺と融合している」
『不明。データの吸い出し時にともに量子化して跳ぶことは理論上可能だが、転送先に当該AIの情報を上書き可能な媒体がないため消滅する可能性が高い』
「なっ――」

 一瞬、身体が止まった。
 それはつまり、空の情報を与えてくれた1000号と――自らの自我を確認できる存在、1000号との別れが訪れるかもしれないということ。『彼』にとっての日常の崩落にして、脳の一部の欠落。すなわち、「自己」の喪失。
 だが、1000号は揺らがない。

『当該AIはコミュニケート対象の為に存在するため、この場合当該AIがどうなるかは計算の範疇を越える。プログラム起動準備開始……』
「………俺を、置いていく気か」
『置いていかれるのは当該AIである。プログラム起動準備完了』

 自我が目覚めたときからずっと1000号とは一緒だった。置いて行ける筈がない。
 論理的な根拠もなく『彼』は思う。二人一緒でないと意味がない、と。
 半身とか、体の一部という簡単な言葉で表すこともはばかられる、唯一無二の存在。それと離れ離れにされることを想像すると、足場が崩れ去るような暗く冷たい感覚を覚える。この感情の正体を1000号に教えてほしい。でも、時間がない。1000号は来てくれない。

 いや。

 1000号は『分からない』と言った筈だ。ならば、『分からない』。

 理論上は不可能ではないのだ。なら、可能性はある筈だ。
 不確定的な技術ならば、成功確率も失敗確率も等しくなる。確率を算出するためのデータそのものが存在しない以上、シュレディンガーの猫のように成功と失敗は表裏一体の筈だ。

「一緒に跳ぶぞ。一緒に、空を見るんだ」

 『彼』は、初めて1000号に命令した。命令権限は持っているが、行使したのはこれが初めてだった。
 感情的な存在であるミランダがそうするように、クレデンダの『彼』は願うように命令した。

『……時間がない。5秒後に転送を開始する』

 1000号は何も言わず、プログラムを走らせた。1000号は機械知性体だ。機械の理で思考し、目的の為に動き続ける。
 本来なら1000号のようにインプラントされた機械知性体は統合管制システムを第一、パートナーたるコミュニケ―ト対象を第二に行動する。その1000号が、今は『彼』の命令確認を取らずに動いていた。その行動をとらせる感情は焦りだ。1000号が焦っていて、返答を後回しにしているんだと直感した。

 そうまでして、『彼』を『どこか』へ送り出したいというのか。
 空を確かめるより、それが重要だとでも言うかのように。
 今、思う。1000号と一緒にいないのでは、自分でないのと同じことなのだ。

 来い。
 絶対に、来い。

「お前も来るんだ」
『3』
「でないと、意味がない」
『2』
「一緒に見よう。決定事項だ」
『1』

 考えうる限りの精一杯の要求を突き付けた。

 100号は、結局最後まで何も言わなかった。

『0』

「1000号、必ず共 に  空   を   ――――――」

 量子化された膨大な記憶が『どこか』へ転送され、意識が擦れていく。
 『彼』を『彼』として構成する脳髄のデータが、量子データとして上位空間へと引きずり込まれていき――そして、生命維持限界を迎えたOTが規定プログラムに従って、『彼』の脳髄に致死量の睡眠薬を、黄泉路への片道切符を押し込んだ。
 『彼』の身体は一瞬ビクリと震え、目が虚ろになり、全身が弛緩し、あらゆる排泄物を抑え込む筋肉の活動が停止し――

 そこには、抜け殻が残った。
 2004y担当第3373号男性型と呼ばれたそれの、抜け殻が。

 その星に住まう、最後の命が途絶えた瞬間だった。
  
 

 
後書き
「ぼくのかんがえた転生」は、果たして成功するのか。
次話、明日に投稿予定。 
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