「ハァッ……ハァッ……!!」
俺は今までにない程の速度で地を蹴っていた。それは最早駆けるというより、一歩で数メートル程飛ぶ形での全力疾走だった。
その原因は他でもない、今、俺の視界の脇に表示されているモニターにあった。
数分前にハーラインと分かれた後、アスナ達の安否をマップ表示で確認しつつ駆けていた途中、そのモニターに異変が起こったのだ。
リズベットとシリカのアイコンに状態異常の反応が現れて動かなくなり、反してアスナのアイコンは高速かつ小刻みに動いていた。
戦闘に入っているのだ。……恐らくは死神との。
そして俺の現在位置も、アスナの位置へと急速に近付きつつある。
その距離はもう、数百メートル。接触するまで数秒後の所まで。
……そう、もう目の前の木々の間に、アスナの目立つ紅白の制服と見慣れたしばみ色の長髪が見て取れていた。
「アスナーッ!!」
そう叫びながら俺は林を突き破り、それと同時に剣を勢いよくジャリンッ、と背の鞘から引き抜いた。
「キリト君!! ……うっ!?」
俺の叫びにアスナは一瞬こちらを見るも、直後何者から振り下ろされた《武器》をレイピアで苦渋の声と共に受け止めていた。
それは……恐ろしい程に長い刃渡りを持つ、《大鎌》だった。
ここで初めて、俺はようやく……この事件の犯人と対面を果たした。
「《死神》……!!」
鋭く光る刃以外は真っ黒の、シンプルで巨大な、まさに誰もが想像する……死神の鎌。
『……………』
カーソルを犯罪色であるオレンジに染める、その沈黙の持ち主の姿もまた、黒一色。フードとマントで顔と体の全てを覆っていた。
そして、死神の体を包む……俺も今まで見たことがない程の禍々しい赤黄色の《ステータス上昇エフェクト》。それはヤツの身の回りを這いずるようにうねうねと湾曲し旋回しており、ヤツの不気味さをさらに大きく加味していた。
『……………』
「う、くっ……!」
アスナとの
鍔競り合いに死神は、難なくアスナのレイピアを押していく。アスナのブーツが見る見る地面に埋もれていく。彼女は筋力値を二の次としているスピード型とはいえ、攻略組でもトップクラスのレベルを誇る《閃光》の剣を容易に押し進むとは……凄まじい筋力値だ。
「く……!」
押し切られそうになったアスナは敏捷度に物を言わせて大きくバックステップして逃れ、一旦大きく距離をとる。見ればそのHPは三割方削られてしまっている。
「アスナッ、リズとシリカはっ!?」
「二人はそこにっ……死神から麻痺毒を食らって……!」
林から抜けた、このさして広くない空き地を俺はここで初めて見渡して…………言葉を失った。
「ううっ……体が……」
「き、キリトさんっ……」
リズベットとシリカは共にHPを半損し、地に倒れ伏せていたのだ。
そのHPバーは毒々しいグリーンに明滅する枠に覆われている。麻痺毒の効果に二人は侵されていた。
「……お前っ……!」
俺は思わずギリ、と歯を食いしばりながら、死神へと剣を構える。するとアスナがこちらを見て叫ぶ。
「気をつけてキリト君! ……やっぱりこいつ、どれだけ攻撃してHPを削っても幾らでも回復するし、どんどん強くなる……!」
「――いや……そいつは
HPを回復しているんじゃない」
「……え?」
『…………!』
俺の言葉に、初めて死神がこちらを向いた。その顔は深く被ったフードで見えない。が、ヤツもアスナと同様、驚愕の視線を送ってきているのがわかった。
「死神の持つ《大鎌》のスキルの謎。それは――」
俺が続きを口にしかけた、その時。
『…………ッ!』
死神が言い終わらないうちに俺へと向かって大鎌を構えて襲い掛かってきた。だが……
「させないっ!!」
アスナが流石の敏捷さで死神に追いつき、そこに割って入った。すぐさま大鎌をレイピアでパリィして弾き上げる。だが間髪空けることなくそれをアスナへと振り下ろす反撃を、彼女は歯を食いしばり再度レイピアで受け止める。
「こ、のっ……お、重いっ……!」
だが、これでは先程のリプレイだ。ただでさえ細剣と両手武器では、刃と刃の鍔競り合いの分が悪い。しかも今回はそれに加えて、ありえない程に自身強化の補正を受けた死神が相手なのだ。あたかも相撲で巨漢の力士をしてにしている小さな子供のように、どんどんアスナがこちらへと後退してくる。
「キリト君は……わたしが、守っ……」
「アスナ! 無理をするな!」
俺も彼女に加勢するべく、説明の口を止め、彼女の横へと駆け出そうと足に力を込めた。
しかし、その刹那……
「――そこまでよ、死神ッ!」
そう頭上から声が聞こえ、上空を覆う木々の枝を揺らしながら何者かが飛び降りてくるのを感じた。
そいつは、俺がたった今駆けつけようとしたアスナの隣に着地し、それと同時に武器をレイピアと並んで死神の大鎌へとガガンと打ち下ろした。その加勢により、アスナの後退はピタリと止まる。
「なっ……」
突然の助勢に感謝の言葉を述べる前に、俺達は《そいつ》の姿に驚きを禁じ得ないでいた。
表は真っ黒だが裏地は真紅の、一目で隠蔽スキルを底上げする能力を持つと分かるレアそうなドラキュラマントにフード。
そして…………巨大な、赤黒い、一振りの――《大鎌》。
「「《死神》が……二人!?」」
俺とアスナは同時に驚愕の声を上げた。
そう。姿形は多少違えど、アスナを手助けした謎の闖入者は……敵対する死神とそっくりの風貌だったのだ。
俺達が目を見開いていると、助勢をしてくれているもう一人の死神が、チラリとこちらを向いた。
こちらも深くフードを被り、僅かに覗く口元には……微笑み。
それは見覚えのある微笑みだった。
「あっ……!」
それもその筈である。
……俺はつい最近まで、その温かな微笑みの元でお世話になっていたのだ。それが誰かと思い当てるのは大して難しい事ではなかった。
「あ……あなたは……!」
俺が声をあげると同時に、そいつは右手で武器を死神の大鎌へと押し当てたまま、空いた左手で自らのフードを脱ぎ降ろした。
「……こんばんは。キリト君、アスナちゃん」
落ち着いた、大人の女性の声。
――その正体は、ウィークラックの女宿主、マーブルだった。宿の時と変わらない柔らかな微笑と糸目が、俺を見つめていた。
「ま、マーブルさん……!? なんでっ……」
死神と鍔競り合いを続けながらも、アスナも驚愕を隠せないでいた。
「マーブルさん、あんたは……いや、あんたも、死神……だったのか?」
「……そうとは言えないし、あるいは、そうとも言えるわ……ねっ!!」
『……ッ!』
マーブルは言いながら一度死神の大鎌から自分の大鎌を離し、体重を乗せた豪快な横薙ぎを死神の大鎌に浴びせた。その迫撃砲のような一撃には、それを受け止めた死神も堪らず地面に両足の跡を深く残しながら、ズザザザと数メートル押し戻された。すぐに武器を構えなおすも、怯んだのか反撃をしてくる様子は無い。
「マーブルさん、どういう意味ですか……?」
アスナはマーブルから数歩離れ、数秒迷った挙句、彼女にもレイピアの切先を向けながらそう尋ねた。マーブルはその矛先を向けられても微笑みを崩さなかった。
だが、今ではその微笑みは、内心を読み取れぬ謎めいたそれに見える。
「……今まで隠してて、ごめんなさい」
まずはそう火口を切って落として、マーブルは話を進めた。
「私は、確かにエクストラスキル《大鎌》習得者よ。だけど……私は死神事件の犯人ではないわ。私も……死神を探していたの」
マーブルは自分の大鎌の柄を強く握りながら、沈黙を破らない死神に向き直る。
「――……そして、やっと見つけたわよ……死神……!! あの子を、ユミルを泣かせる元凶……!!」
ギュウウウ、と彼女の手から、強く武器を握る音がこちらにも伝わってきた。
……そして、初めて見る、彼女の憎しみの表情。
「どういうことですか? その姿は一体……?」
未だ困惑するアスナが問いを投げ掛け続ける。
「……私はずっと森で身を隠しながら、いずれ必ず駆けつけて来てくれるであろう、あなた達を待ち続け……そして秘かに尾行していたの。死神が誰なのか、見極める為に」
マーブルは死神から視線を外すことなく答える。
「……あなた達をかませ犬として利用し、こんな危険にまで晒してしまって……本当に申し訳無い事をしてしまったと思ってるわ。だけど、おかげで長いこと死神との戦闘を見れたおかげで、ようやく正体が誰なのかハッキリしたわ。……『ユミルは死神じゃない』ことに」
すると彼女は、血に濡れたかのような赤黒い大鎌の柄の先の副槍を、遠く離れた死神へと突きつけた。
「あの子は、そんな身の丈以上の巨大で重い大鎌は使わない。それに、そこの死神の様な鈍重で大振りの戦い方をしない。そして極めつけに、斧と槍のソードスキルを使わず、棍棒使いのような棒捌きが出来ないあのプレイヤーは、ユミルじゃないわ!」
「ちょっと待ってくれ、マーブルさん」
俺はあくまで冷静な口調で、彼女の言を遮った。
「……なにかしら」
首だけ、彼女が振り返る。
「もしも犯人がユミルだったら、あんたはどうしてたんだ。ユミルを、ではなく……俺達をな」
「―――――」
すると、マーブルの顔が一瞬だけ血の気が引き、その後すぐに取り持つ様に再び謎めいた微笑へと変わった。
「ホント、鋭いわね。キリト君は……」
「マーブルさん……?」
アスナが小さな声で言う。よく見れば、レイピアの切先が細かく震えていた。
「――もしもユミルが死神だったなら、きっと私は……あなた達の
敵になっていたわね」
そう極めて簡素に、冷たく言い放った。
それにアスナが「え……」と力なく呟き、ふらりと一歩後ずさった。
「でしょうね。……でないと、わざわざあんたがそんな……まるで死神に似せたような、不気味な格好をしている説明が付かない」
「…………そうね。ホントに……そう」
俺の言葉に、マーブルは沈んだ返事をした。
「もしそうだったら、私は戦闘のタイミングを見計らってユミルと入れ替わり、あの子をこの場から逃がしていたでしょう。私はユミルの影武者としてあなた達と戦い……そして、あの子の罪を私が背負い、獄中へと足を運んでいたことでしょうね」
「なんでっ……そんなの、間違ってます!!」
倒れ伏し、震えて動かない体でリズベットが叫んだ。
「分かってるわ。だけど、これしか方法が無かったの……。だけど、安心して。今、あの子が死神じゃないと分かった以上、私はあなた達の味方よ」
マーブルはリズベットに微笑みかける。
……それは心なしか、さっきまでの謎めいたそれよりも、温かなものだった。
それから彼女は表情を改め、視線を死神へと戻す。
「……さて、死神。そろそろ正体を暴かせて貰うわよ」
ガシャ、と大鎌を両手でしっかりと持ち、大きく掲げ上げて臨戦体制に入った。そしてチラリと隣のアスナを見る。肩をビクッと浮かせてレイピアを自分に向けて強く構える彼女を、マーブルはクスッという苦笑の後……今度こそ見間違えようのない、いつもの温かな微笑みで見つめた。
「……アスナちゃん。もし、こんな私でも信じてくれるのなら……良ければ、少しだけ力を貸してもらえないかしら?」
「ま、マーブルさん……」
アスナは数秒だけ呆気にとられたかのようにマーブルを眺めた。
……アスナは数瞬、それでも迷った素振りを見せていたが、それからすぐに表情を改め、そして「……はい」という確固たる返事と共に彼女の大鎌と並んで己のレイピアを死神へと構えた。すると聞こえてきた「ありがとう、アスナちゃん」というマーブルの優しい呟きに、今度こそアスナの肩から強張った緊張が抜けた。
そして表情を引き締め……
「……シッ!」
『ッ!』
先制として、まずはアスナが閃光の如く、二つ名に恥じぬ速度で死神へと肉薄し、連撃を浴びせる。死神もその斬撃の群れを全て受け流しては叩き落し、反撃に恐ろしく長大な刃を大きく横袈裟に振りかぶり、アスナの脇腹へとぶおんと低く空気を裂く恐ろしい音を鳴らして薙ぎ払う。
だが……
「させないわよ!」
それをアスナに追いついたマーブルの大鎌が、スイッチで割り込んでパリィした。ガァンという耳をつんざくような大刃と大刃が衝突する音と共に、互いの大鎌が一瞬動きを止める。そこに……
「イヤァッ!」
『…………ッ!?』
というアスナの気合一閃の突きが見事に死神の胸部中央を捕らえた。
モロに直撃を受けた死神は大きく真後ろに吹き飛ぶも……驚いたことに、HPが二割も減っていなかった。ステータス上昇には、筋力値だけでなく、防御値まで上昇するのか……。
死神が吹き飛び、体勢を整える前にアスナが再び肉薄し、さらに追い討ちの突撃刺突を仕掛けた。死神は上半身が後方に仰け反った不安定な体勢でそれをなんとか大鎌の柄で受け止める。そしてやはり凄まじい筋力にものを言わせ、死神は衝突部位からギチチチと火花を散らせながらレイピアを押し返して体勢を整えていく……しかしそこに。
「二人掛かりなら……どうかしらっ!?」
『ッ!?』
そこにマーブルの加勢が加わった。ドガンッ、という大鎌の振り下ろしの衝撃がレイピアの刺突のエネルギーと合わさり、死神の力と真っ向から衝突する。
「ぁぁぁあっ……!!」
『…………ッ!!』
マーブルの気合いの叫びが、死神の大鎌を押し留め……いや、逆に徐々に圧し始めた。再び死神の上体が仰け反り始め、その足がゆっくりと地面へとめり込んでいく。やはりマーブルの筋力値は、現在莫大なステータス補正を受けているであろう死神ほどではないにしろ、
戦鎚使いとして途轍もないものがある。今はアスナの助力や死神の不利な体勢の事もあり、ついに死神の筋力を上回り始めたのだ。
「さぁ……死神……あなたは、誰!?」
マーブルは力を込めつつ片手を離し、震えるその手を死神のフードへと伸ばし始めた。圧されている死神はそれに抵抗できない。
「ユミルを泣かせる……あなたは、誰なのッ!?」
『ッ!?』
そしてついに。
マーブルは死神のフードを掴み。
引きちぎるように剥ぎ取って放った。
『…………ッ!!』
「くっ!?」
「きゃっ!?」
顔を晒された死神は、死に物狂いの強引な振りかぶりで二人の武器を一気に押し払い、大きく後方へ跳躍して彼女らから距離を取った。
……………。
そして、一時の静寂が訪れる。
宙を待っていた死神の真っ黒なフードが、途中で数度だけはためいて、ぽふ、と静かに地に落ちた。
……俺達の目の前には、死神の正体が、素顔が、そこにあった。
「――とうとうバレちゃった、か……」
まず沈黙を破ったのは、今まで口を一切閉じていた《死神》だった。
そう。まずは《犯人》が、そう喋ったのだ。
「……そんな……なんで……」
続いてそう口を開いたのはマーブル。
《そいつ》は、マーブルを見据えて言った。
「……残念だったね、マーブル。推理が外れて」
透き通るような、軽やかな声だった。
「……………………うそ」
マーブルは呆然と、ただ信じられないものを目の当たりにしたかのように、ドザ、と力なくその場で両膝をついた。
アスナ達もただ絶句し目を見開いて、その《ありえないと信じていた光景》を、ただ見ているだけだった。
俺は表情を変えず、その顔をじっと凝視する。
漆黒の装束とは似合わない、流れるようなプラチナブロンドの髪。碧玉の翠の瞳。可憐な顔立ち。
「やっぱり……《死神》は、お前だったんだな……」
そして俺は、静かに《そいつ》の名を告げる。
「――……《ユミル》」
かつて俺達と行動を共にし、時に戦い、時に共に同じ釜の飯を食い、時に語らいあった、斧使いだった彼は。
冷たい視線を俺に寄越して、まるで心の無い言葉で言った。
「……そうだよ。ボクが――――《死神》だ」
全てを拒絶するかのような……どこまでも冷え切った、無の表情のユミルが、そこにいた。