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ソードアート・オンライン リング・オブ・ハート

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34:笑わせないで

「うそ……こんなの、嘘よ……」

 マーブルは地に膝をついたまま、目の当たりの光景に僅か首を左右に振りながら言った。
 そんな彼女を、死神――ユミルは、なんの感情も込めずに見下ろした。

「嘘じゃないよ。ボクのカーソルの色、見て分からない……?」

 それは、奇しくも彼の不気味なステータス上昇エフェクトと似た、禍々しいオレンジ色。

「じゃあ……ユニコーンを独占しようとしてるのも、これまでたくさんの人を襲ったのも……」

「ボクだよ」

 彼は即答した。なんの悪びれも無ければ、なんの誇張すらもない、ただの無味乾燥な肯定。

「……それより、マーブル……さっき、面白い事を言ってたよね」

 大して面白くもなさそうにユミルはマーブルを見下ろし続ける。

「ボクが犯人だったら、マーブルはキリト達の敵になる、って。……どうするの? それともボクと戦う?」

「…………!!」

 意外な問いに、マーブルの肩が大きく震えた。

「…………………」

 彼女は長く沈黙し……そして、立ち上がると同時に震える両手でゆっくりと大鎌を構えた。

 ……俺達に向けて。

「なっ……」

「マーブルさん!?」

 アスナは今度こそ純粋に驚愕し、数歩退く。だが今は迷いで彼女に剣を向けられないでいるようだった。

「マーブルさん、ダメッ!!」

 遠くから動けないリズベットが叫ぶも、マーブルは僅かに目を伏せ、ゆっくりと首を振った。

「……本当に、本当にごめんなさい。……だけど、私はさっきも言ったわ」

 ガシャ、と大鎌の切先を、最も近いアスナに向けて此方を向きながら、マーブルはユミルの方へと歩み寄り俺達から遠ざかる。

「私には……これしか、出来ることがないのよっ……!」

 その顔は、迷いと迷いがせめぎ合い、今にも涙を流して崩れてしまいそうな……あまりに脆い、苦渋と悲しみの表情だった。

「今まで私は、この子に何もしてあげられなかった、なにも変えてあげられなかった。……ならせめて、この子が思うようにしてあげたいの……! この子だって、なにか理由があってこんな事をしているはずなのよ!」

「そんなのっ……」

 倒れるリズベットは、満足に動かぬ手で地面の土をぐしゅ、と強く握り潰した。そして叫ぶ。

「そんなのっ、あたし達だって分かってます! でも、やっぱりそんなの間違ってる!」



「――だったらどうすればいいのよッッ!?」



「っ……!?」

 リズベットの叫びに、マーブルがそれ以上の声で叫び返した。その勢いで、ついに彼女の目の端から小さな涙の粒が弾け飛んだ。

「今からこの子を力尽くで捕まえて、牢獄に連れて行くの!? ならこの子は、一人ぼっちのまま……人を信じられないまま、永い時を冷たい牢屋の中で過ごす事になる! 私はそんなの、耐えられないっ……!」

 マーブルは叫びながら、片腕の袖で涙を拭う。しかし、その悲しみの表情までは拭われない。

「そんな……そんなことをする位ならっ……! いっそ私はあなた達を……!」

「なんで、そこまでして……」

 俺の呟きに、マーブルは視線と共に此方へと大鎌の刃を向けた。

「私には、今までこの子の傍にいて保護してきた責任がある……! そして、死神と気付けず、ずっと看過し続けてしまった責任があるのよ! だから、この子の罪も、全て私一人が背負うわ……! そして最後に、この子を変えてあげられなかった私は、この身を犠牲にしてでも、せめてこの子が自分の思うように自由に生きさせてみせる……。それが例え、犯罪者の道であったとしても……!」

 そして彼女は、喉を微かに震わせながら、大きく息を吸って言った。


「――全ては、ユミル(この子)を守る為……!!」


 そこには、狂おしいまでの庇護と慕情、慈悲すら織り交じった涙で頬を濡らす、一人の保護者……いや、母親がいた。

「……マーブル」

 ここで、それらをずっと黙って聞いていたユミルが、自分を庇う位置にいる彼女の背中へ向かって歩みだし、そしてその横に並んだ。
 マーブルは慌てて手の甲で涙を拭って顔だけ振り向く。

「ユミル……今すぐここから逃げなさい。この場は私が全力で食い止める。私の事は気にしなくていいから、この隙に少しでも遠く――」


「――笑わせないで」


 その時。
 トスッ、という、乾いた音が聞こえた。

「…………え?」

 マーブルはきょとんとした表情と同時に手から大鎌を落とし、片膝をついた。
 ユミルが、空いた片手を真横へと振り払う動作をしたと思った瞬間。

 マーブルの太腿に、ユミルのスローイングナイフが突き刺さっていた。

「……な……」

 彼女のHPは数ドット減り、緑色の明滅する枠に覆われていた。状態異常ステータス、麻痺毒に侵されていた。

「なんで……うっ!?」

 ユミルはそれだけに留まらず、震える体で振り向こうとしたマーブルの首筋の裏を、手刀で叩いた。人が昏倒する急所だ。

「なんで、だって……? ボクは最初から、ずーっと前から言い続けてるじゃない……」

 崩れゆくマーブルに向けて、ユミルは先程以上に冷徹な目で彼女を見下ろし、低い声で言った。

「――――ボクは、誰一人も信用なんかしちゃいない、ってね」

「…………ユミ、ル……」

 一瞬、マーブルは彼へと手を伸ばしかけ……そして気絶し、バタリとその場に倒れた。そして動かなくなる。
 ユミルはそんな彼女を数秒見下ろし……

「……やれやれだよ。ボクの手助けだなんて、マーブルも……なんにも分かってなかった。……本当に、笑えない」

 溜息をつきながらそう言うと、何事も無かったかのように此方を向いた。
 それを見たアスナは……

「……って人は……!」

 何かを呟きながら、手に持つレイピアを握り締めて細かく震わせていた。
 まさか……

「おいアスナッ、待っ――」

「ユミルッ!! あなたって人はァーッ!!」

 激昂したアスナは俺の制止の声も聞かず、ユミルへと猛然たる勢いで疾駆した。
 するとユミルは隣に倒れるマーブルの服を掴むと、アスナへと向かってぶんっ、と放り投げた。

「なっ……!?」

 目の前に飛び込んできたマーブルの体にアスナは彼女を抱きかかえる形で急停止した。ユミルはその隙を狙い……

「しまっ――あづっ……!?」

 再び投擲した麻痺毒ナイフの刃が、アスナの剥きだしの肩口を抉った。そして彼女も膝から崩れ落ち、マーブルの隣で倒れる形で動けなくなる。

「危なかった、かな。でも、まぁ……最後にマーブルも役に立ったね。アスナはすごく厄介だったから。今までで一番『スキル』を使わされて、随分と『削られた』よ……。流石は攻略組トップクラスのプレイヤーと言ったところかな」

「ユミル……お前っ……!」

 俺は剣の柄を握り締め、ユミルと対峙する。彼もまた、黙って大鎌の刃を上段に掲げ上げた。
 ……が、その時だった。

 ぎゅるーっ! という鳴き声が聞こえた。

 振り向くとその声は、麻痺で倒れているシリカの傍らでじっとしていた小竜……ピナのものだった。

「ピナ……ダメッ……!」

 だがピナは主人の声を聞かず、その場でパタパタと飛び立ち、再びぎゅるるーっと叫んだ。そのくりっとしていた赤い目は、今は怒りにキッと細められ、涙で潤んでいるようだった。

「……………」

 ユミルはそれを見て、大鎌を降ろし、俺を一旦無視して数メートル先のピナと向き合った。

 ふと、その横顔が……ごく薄く、ほんの僅かに、自嘲的に微笑んだ、気がした。

「ピナ……ボクが憎いかい……? キミと、キミの主人を裏切った、このボクが……」

 ぎゅるうーっ! とピナはユミルを睨んで鳴き答える。だが、それだけだ。その場で羽ばたくだけで、ピナは攻撃する事も、逃げることもしない。

「……そっか」

 するとユミルは、ざくっと大鎌をその場の地面に突き立て、何も持たない両手を左右に広げ、ゆっくりとピナに向かって歩き始めた。
 距離が縮まるたびにピナは何度も大きな鳴き声を上げて威嚇するが、ユミルは歩みを緩めない。そしてあと数歩まで近付いた瞬間、ついにピナがバブルブレスを至近距離のユミルの体に向けて吐き出した。

「っ……」

 泡が破裂するたびユミルの体が軽く揺れ、HPがごく僅かずつだが減少していく。だがユミルは歩みを止めることもなければ、ごくごく僅かに口の端を上げている気がする無表情も微塵も崩さず、とうとうピナの目の前に立つ。

「ユミルさんっ……お願いだから、もうやめて……! ピナを……ピナまで、傷つけないで下さい……!」

 シリカが涙ながらに嘆願するも、ユミルはそれに耳も貸さない。
 そして……
 きゅうっ……というピナの短い悲鳴と共に。


 …………ユミルは、ピナを抱きしめていた。


 両手で柔らかく包み込み、首ももたげて小竜を優しく包み込んでいた。


「…………!」

 シリカはそれに目を大きく見開き、ピナも驚いているのか、ほとんど抵抗の素振りを見せなかった。
 と……

「―――――。」

 ユミルは何かをピナの耳元で呟いた。次の瞬間……
 ぴぃ……というピナの再び小さな悲鳴の後、その体が今度こそくたりと力なく彼の腕の中で横たわった。ピナの微かに削れたHPバーもまた、緑色の枠に覆われていたのだ。ユミルの右手には……いつの間にか、薄緑色に濡れたナイフが握られていた。恐らくそれで、ピナを毒効果の判定のあるギリギリの力でそっと斬ったのだろう。
 ユミルは此方に背を向け、シリカの傍に膝をついて、ピナをそっと地に降ろした。

「ユミルさん……あなたという人は、本当にっ……」

「黙って。それ以上言ったら……今度こそ、キミもピナも……殺すから」

「……う、うっ……ユミル、さん……」

 どうやらシリカはユミルの呟きを聞き取れたようだった。シリカはユミルと何らかの意図を含んだ短い言葉を交わした後、震える手で目の前のピナを胸に抱き寄せて泣き始めた。
 ユミルが静かに立ち上がって手のナイフを懐に仕舞い……その手を一瞬だけ目元に運ぶ仕草を見せてから、彼は俺を振り返った。
 その顔は以前と変わらず徹底的に冷えきった無表情だった。

「……そういえば、キリト。キミは最初ボクを見て『やっぱり』って言ったよね。キミは……最初から、ボクが犯人だと疑ってたの?」

 ユミルは己が突き立てた大鎌へと歩き出しながら俺へ問うた。

「いや……犯人がお前だと確信が持てたのは、ついさっきだ。……知り合いの両手斧の使い手に確認を取ってからだった。それと……大鎌のスキルの謎もな」

「……へぇ」

 ユミルは大鎌を地面から引き抜き、ヒュンと器用に半回転させ、空へと突き立てたその柄を胸に抱き締めながら俺を見た。

「それじゃあ、聞かせて貰おうかな……? ボクこと死神と……大鎌の秘密の推理とやらを」

 俺は油断せず剣を下段に構えながら口を開く。

「……まず最初にお前に疑問を感じたのは、宿で俺達にアイテム一覧を開示する時だった」

 それにユミルは僅かに眉をひくりと動かした。

「やっぱりあの時か……あれはボクとしても痛恨の失態だったよ。あの決闘……今でも後悔してる」

 二日前、ユミルは俺との決闘に敗れた際、その対価として自分の情報のほとんどを俺達に開示した。
 滞りなく取り調べは進んだが……その話の最中で唯一起こった、イレギュラーな事態。
 そう……ユミルが慌てて二階の自室へと逃げ込んだ時だ。

「お前はあの時……アイテム一覧を開示する直前、自分の部屋に()()()()()()()()?」

「……………」

 ユミルは沈黙に入る。

 ユミルがアイテム一覧を開示する前に、アスナ達は、何故か俺だけそれを見ることを執拗に許容しようとはしなかった。
 それは何故か?
 俺はその日の晩、実はその件をクラインにメッセージで事件の経過報告のついでで相談したことがあった。すると、しばらくしてクラインは……いやクラインも、俺を長々と散々罵倒する前置きを連ねてから、こう言ったのだ。

『――いくら取り調べとはいえ、女の子が見知らぬ男に自分のプライベートを見せたがるわきゃねーだろうがよ! ただでさえそうなのに、ンな美少女のアイテム一覧と言や、そりゃオメー……そン中には、気合いの入ったメーキャップアイテムや勝負用の可愛い私服はもちろん……し、下着とかが満載なんだぜっ!? って、何言わせンだこの野郎!! つーか、ホンットに手前は鈍感ヤローだな!! ンな調子だから(以下略)』

 ……………。

 ……つまり、そういうことだったのだ。
 だが。
 よく思い出して欲しい。


 …………ユミルは、男なのだ。


 そして彼は、可憐な容姿を持ちつつも、それを()ってして女の子然としている訳ではなかった。彼はあくまでも、自分を男として扱ってくれることを望む性格だったのだ。
 そんな彼が、以上の理由でアイテム開示を拒むだろうか? そんなのは、とてもだが考えにくい。
 無論、男性プレイヤーのアイテム欄の中には、相手に見せるに恥じらうようなメーキャップアイテムなど皆無である。もし仮にデート用の勝負服などを持っていたとしても、男ならばそれを見せるに躊躇いなどは無いだろう。

 ならば、だ。

 ――ユミルはあの時、青い顔で慌てまでして、一体何を隠した?

 ……そう、死神の犯行に使った《道具》に他ならない。すなわち……

「……これ以上隠してもしょうがないか。ボクが隠してたのは……コレだよ」

 そう言ったユミルの一言が、真実の一端を示した。彼が手早くアイテムストレージを操作して手に持ったのは……
 と、思った瞬間。
 ユミルはその手に持つ幾つかの《それ》をこちらに放った。俺はその中の一つを片手で受け止め、他の幾つかは俺の足元にコロコロと転がった。すると俺の手に持つもの以外のそれらは、すぐにポリゴンとなって散っていった。
 俺の手にあるそれは……中身はカラの薬瓶だった。指先でタップして、詳細を見る。

「《麻痺毒》……」

 しかも、相当に高価な劇薬だった。ユミルは俺の言葉に小さく頷いた。

「アスナ達には、それで大人しくしてもらってる。レベル8の、今手に入る最高の麻痺毒だから、二十分は動けないよ。だから今、長々と話して、毒が切れて仲間達が動けるようになるなんて展開は期待しないほうがいいよ……それまでには、決着が付いてるだろうから。あと……コレもそう」

 そう言ってさらにストレージから取り出したもの。それは……

「《回廊結晶》……!」

 転移結晶よりも色濃い結晶体が、()()()()彼の手に収まっていた。俺がそれを見たと確認したユミルは、余分な結晶を再び仕舞い、一個だけ片手で握り持つ。

 ……これで、俺がアルゲードの酒場で事件の発端を聞いた時と状況は繋がった。

「そうか……これでお前は、自分が仕留めた奴らを《はじまりの町》や《黒鉄宮》の牢獄エリアへと追い出していたんだな」

「その通りだよ……。この大鎌と服はボクの部屋に予め隠しておいたけど……アイテムはストレージに入れたままだった。うっかりしてたよ。キミとの決闘後の事は考えていなかったから。それに……まさか、負けるとは思ってなかったしね」

 くすりとも笑わずに言う。俺は続けて推理の言葉を畳み掛けた。

「さらに言うと、最初にお前と会ったときのボロボロの衣装……本当はそれらのアイテムが原因だったんだな」

 ユミルは微かに感嘆するように「へぇ」と呟いた後、少しだけ首を傾げる。

「……どうしてそう思えたの? キミ達はボクが貧しい理由を、マーブルから聞いてたと思うんだけどな」

「お前が貧乏な理由は、日々の稼ぎを、自分のハルバード《アデュラリア》の代金としてマーブルに払い続けているからだったな。だが俺は、それを聞いてずっと胸に引っかかってたよ。……レベル70を超えるお前の稼ぎで、何ヶ月も払い続けて、まだオーダーメイド武器一つ買えるコルも稼げていなかったのか? ってな」

 ユミルは無言で大鎌をくるりと軸方向に一回転させ、一瞬だけ(もてあそ)んだ。

「……あれは、自分は犯行に必要なアイテムすら買えない、という立場をアピールする為の建前だったんだろう? 本当は、お前は日々の稼ぎの一部を自分の装備や食費にすら費やすことなく、半年以上もの間ひたすら貯蓄し続け、やがて莫大になった額のコルを全て、極めて高価で便利な麻痺毒や回廊結晶に費やしたんだ」

「……そこまで考えてたんだ。すごいね……」

「そして、こっからが本題だ」

 俺は手の空瓶を後ろに放り捨てる。それは地面に一度バウンドし、転がって止まる前にポリゴンとなって散った。

「お前の持つ《大鎌》……そのスキルの謎だ。俺はさっき、そのスキルは『HPが回復しているわけじゃない』と言ったな」

「……………」

 ユミルは何も言わず、瞼の瞬きだけで俺に返事をした。


「――お前はHPを回復しているんじゃない。……お前は()()()()()()()()()、ステータス上昇効果を得ているんだ」


「………………フフッ」

 俺の言葉に、ユミルは意図の読めない冷たい笑いを返した。
 それにアスナ達は揃って絶句している。

「……他人から見れば、どう見ても回復にしか見えないと思ってたんだけどな。……どうやって気付いたか、教えてもらえる?」

「きっかけは、シリカのレベルアップした瞬間を見た時だった」

 俺はチラリと一瞬だけ彼女を見た。麻痺に倒れながらピナを胸に抱き締め、頬を涙を濡らしたまま驚愕の目でユミルを見ていた。

「それを見て俺はHPとその最大値の関係と、死神がスキルを使用した時のHPの回復……いや『変動』の共通点に気付いたんだ。お前はスキルでステータス上昇の恩恵を受ける代償として、HP最大値をデメリットとして支払っている。他人から見ればそれはHPバーの空白部分が埋まっていくわけだから、黙ってさえいればそれは誰もがHP回復だと誤解するだろう」

 例えばだ。
 仮に、スキル使用前のユミルのHPを【8000/10000】としよう。これで謎のスキルを使い【8000/8000】まで最大値を削れば、バーでしかHP残量を視認出来ない第三者から見れば、あたかも、たちまちに『HPが全回復した』と錯覚させられるわけだ。
 ……ある意味では、全回復と言っても間違いは無いのだが。

 俺の推理に言葉に、ユミルは薄く浮かべた冷たい微笑みをまたごく僅かに深め……

「――《デモンヘイト》」

 そう言って大鎌を強く胸にかき抱いた。

「それがこのスキルの名前だよ。HP最大値を削り、それを対価に一時的に筋力と防御力ステータスを大幅に上昇させてくれる、《大鎌》で唯一のスキル……」

 デモンヘイト。簡単に意訳すると、その意味は……《悪魔の憎悪》。

「このエクストラスキル《大鎌》は《デモンヘイト》以外のスキルは一切使えないのが玉に瑕だけど……このスキルの面白い所は、『HP値を払えば払うだけ、持続時間の限りいくらでも己を強化できる』っていう所だよ。……こんな風にね」

 するとユミルは大鎌を上段に構えた。直後……

「っ……!」

 ユミルの周囲をうねうねと取り巻いていた禍々しいエフェクトが突如激しく凱旋し始めた。直後、彼を中心に高気圧が発生したかのように強風が巻き起こり、それが俺の体を駆け抜ける。
 すると、アスナ達との戦闘で削れた二割未満の僅かな空白がみるみる埋もれていくのを、俺は確かに見た。
 僅か数秒間の強風が止んだ時にはユミルのHPバーの空白は完全に埋まり、また心なしかステータス上昇エフェクトの色味がさらに赤くなっている気がした。
 ユミルは、気絶して倒れ伏しているマーブルをチラリとだけ見て言った。

「……マーブルの推理が外れたのは、今のボクはソードスキルを使えないこともあるけれど……なにより、ソードスキルに頼ることも、わざわざ軽い大鎌を用意することも、棒捌きをする必要も無い位……こんなにも自分を強化できるからだよ……。マーブルのあの様子だと……マーブルは、今まで大鎌を握ったことも《デモンヘイト》を使ったこともなかったみたいだね。まぁ、世間じゃ、使うだけで死ぬっていういわくつきのスキルと認知されてるから、賢明な判断だったとは思うけど……」

 続けて彼は、己の纏う不気味なエフェクトを、あたかも上等な毛皮のコートを撫でるかのような手付きでなぞった。

「ただ、このスキルで気を付けないといけないのは……HP最大値の消耗スピードが激しいことだね。一度消耗したHP値は、()()()()()()()()()()()……。だから今みたいにスキル発動を数秒の内に留めておかないと、あっという間に最大値は無くなって、やがて……ゼロになる。つまり――」

「――死ぬんだな。……かつての習得者全員の怪死の謎も、これでようやくハッキリした」

 俺はユミルの言葉を引き継ぐ。

 謎の変死を遂げていった習得者達の本当の死因は……スキル効果の代償での、無自覚による『自殺』だったのだ。
 SAOではその現実と見紛う程のリアリティさを誇るフルダイブ戦闘システム故に、これまでのMMOのシステムとは全く違う点が多々存在する。
 その中の一つとして、これはスキル全般に言えることなのだが……スキルの威力や効果の詳細は、文字でのシステム表記はされることは無い、という点だ。
 普通のMMOならばスキル詳細ウィンドウなるものがあり、それをタップすれば【スキル名:威力:硬直時間:効果】などといった感じに詳細が表示される。だがSAOではその詳細ウィンドウ自体が存在しない。スキル関連のウィンドウは、ソードスキル名と発動の為の事前モーションが記されただけの簡単なスキル解説ウィンドウと、武器スキルをセットしたスロットを確認するスロットウィンドウのみ。使用するスキルの動作や威力やクセ、硬直時間などは、実際に体感して体で覚えるしかない。
 故に、新スキルが判明する度に、興味を持った者達が検証会などと称して、たびたび習得者を招集したりするのはその為だ。
 ……かくして、かつての《大鎌》習得者は全員死んだ。
 スキルの正体さえ分かってしまえば、その原因を突き止めるのは簡単だった。
 習得者達は極めて安全な戦闘フィールドへと赴き、イノシシやオオカミといった雑魚モンスターの群れと対峙し、スキルの検証を開始した。だがその未知のスキルをひとたび使ってみれば、それはソードスキルの類ではなく、使えば使うほど己のステータスを上昇させる補助スキルという独特極まるものだった。恐らく目の前のユミルのように、派手なエフェクトを纏って強大な力を手に入れ、敵を一撃のもとに粉砕していくのはさぞ痛快な事だっただろう。
 ――そして彼らは気付かなかったのだ。代償としてHP最大値が削られているという、致命的なデメリットに。
 これまでにおいてもデメリットが存在しないスキルなどは存在しなかった。あらゆるソードスキルには大小の差はあれど必ずアバターの硬直時間なるものが存在し、《バトルヒーリング》などの補助スキルにも数十秒に一度のみといったものから日ごとの回数制限まで、クールタイム方式のデメリットが存在する。《デモンヘイト》は後者の補助スキルに該当するスキルだったが故に、一日毎に回数制限のあるデメリットであると勝手にタカを括り、誤解してしまった習得者も恐らく居たことだろう。
 しかし《デモンヘイト》は、そのメリットが独特かつ膨大だったがゆえに、デメリットでさえ独自かつ余りに甚大な代償を要したのだ。
 戦闘中において、多くのプレイヤーは時折視線をチラッと左上へと移し、自分のHPを確認するクセをつけていることが多い。だが、HPバーの大まかな増減は瞬時に確認するも、一瞬の油断が死を招きかねないSAOの戦闘では、その残存HPと最大値の数字までは一々確認しないものだ。ここでパーティメンバーでも居れば、その数字の変動に気付けた場合もあったかもしれないが……奇しくもあの場では全員がソロでの検証だった。これが悲劇の要因を招いた原因の一つだと、当時は誰が気付けただろうか。
 また、想像だにしなかった痛快な力を持つスキルに、恐らくデメリットを第一に検証しようなどという人物は居なかったのだろう。彼らは結局最期の時まで、自分のHPバーが緑一色の満タンのまま、最大値が恐ろしい勢いで削られていた事も気付かずに、その命を最後の1ポイントまで燃焼し尽くしてしまったのだ。
 そして己のスキルのよって殺された彼らは、石碑にはシステム上《自殺》と認識され、死亡詳細が記される事もないまま、その自殺という死因名目の元に自分の名前の上にデッドラインを引かれてしまったわけだ。
 だが、もちろんHPの異変に気付けた者もいたのだろう。それが犠牲者の中で数少ない、死因が《自殺》とされなかった二人だ。
 彼らは戦闘中、HP値の異変に気付いた。しかし、当時の彼らのレベルは40前後と、HP最大値的に見れば心許ない頃だった。そしてスキルを夢中で使い、気付いた頃には時既に遅く……残った数値は取り返しの付かない値か……若しくはそうでなかったとしても、決して多くはなかった事だろう。やがてパニックに陥った彼らは、激しい混乱で対処もままならなくなった雑魚敵達に群がれ、ゆっくり時間をかけて、その残り少ないHPを喰い尽されてしまったのだろう……。

 ……そして多くの謎を残したまま、《大鎌》は呪われたエクストラスキルとして、アインクラッド中に認知される事となった。

「……そして、お前が死神だという決定的な証拠も、ここにある」

「……………」

 俺はユミルを指差し、彼はそれを眉一つ動かさず受け止めた。

「お前はアイテム一覧と同じ風に、俺達にスロット一覧やステータスも見せてくれたな。スロット一覧を見せたことで、お前は大鎌習得者である可能性を示し……そしてステータス一覧で、お前は自分が死神である事を俺達に示していたんだ」

 ユミルは意味深に黙り込み、それを以って俺に推理の続きを催促する。

「あの時見せてくれたお前のHP値は【12500】だった。ろくに防具を装備していない事も考えても、お前のレベルでは実に一般的な数値だ。――……()()()()使()()()()()()()

「…………っ」

 ぐ、とユミルが大鎌の柄を握る。

「気付いた時は、やられた、と思ったよ。なんせ、お前を調べていた俺達は、揃いも揃って片手武器使いだったんだからな……」

 俺は一瞬だけ、チラリと愛剣《エリュシデータ》を眺めた。

「あの中で、マーブルさんだけが唯一両手武器使いではあったが、彼女が気付かなかったのは多分、流石にその手の知識には乏しかったんだろう。商人クラスだとパーティを頻繁に組んで他人のプレイヤーとHP値を比べたりして、知識を得ることはなかなか出来なかっただろうからな」

「キリト君……一体何を話しているの……?」

 アスナが声を震わせながら言う。
 麻痺状態でも僅かながらに利き手くらいは動かせるが、そんな解毒のチャンスの素振りを見逃すユミルではないはずだ。彼女達は、もう俺達に手出しする事は出来ない。

「俺達片手武器使いには、全く関係の無い知識の話さ。……アスナ、両手武器のメリットって何か、知ってるか?」

 俺はユミルに向けて構えた剣の握る力を緩めることなく、アスナに尋ねる。

「と、突然言われても……え、えっと……まず《攻撃力》に《射程(リーチ)》……あと《重さ》やソードスキルの《威力》ぐらいじゃないかな……」

 流石だ、と俺は思った。アスナはこんな緊迫した状況下でも、冷静に頭を働かせて的確に答えてくれた。

「そうだな。俺達片手武器使いが知る、両手武器のメリットはそれくらいだ。勤勉家なアスナや鍛冶屋のリズでも、それぐらいしか把握してないだろう。……だがそれは、決闘や武器製造などの際に必要な予備知識として培った、第三者から見て分かるだけのメリットだ。実は両手武器使いには、さらにもう一つ……第三者からじゃ見えない、もう一つのメリットがあったんだ」

 アスナは眉を顰める。名を挙げられたリズベットも同様の顔をし、無言で俺の言葉の続きを促している。そして俺はそれに答えた。


「……それは、レベルアップ毎の《HP最大値上昇ボーナス》だ」


 SAOというゲームにおいて、片手武器を使うプレイヤーの割合は、両手武器使いよりもかなり多い。その理由としては色々あるが、主に武器の軽さや扱いやすさ、盾が装備できることや、ソードスキルの出が早く硬直時間が両手武器よりも短い等といった、軽快な動きでのプレイが出来るという所が大きい。
 逆に言えば両手武器は、いつぞや俺が述べたように、想像以上に扱いづらく、重い武器に両手が塞がり盾が装備できず、またソードスキルの出が遅く硬直時間がやや長めに設定されているのだ。
 だが、このままでは戦闘において一方的に片手武器が有利となってしまう。そこで片手武器とのバランス調整に、両手武器にもちゃんといくつかのメリットが設定されているのだ。
 まず、先程アスナが解説した通り、両手武器は総じて片手武器よりも設定された攻撃値が高い。また武器重量が重いと言う事は、攻撃の一撃が重いということだ。極端な例として先程のアスナと死神との鍔競り合いのように、力と力のぶつかり合いでは両手武器の方が圧倒的に有利だ。盾が装備できない点も、重装備に身を固めれば充分解消できるし、そしてソードスキルの威力は片手武器のそれとは平均して5割増し程度もの威力を誇る。
 つまりは、きちんと扱うことさえ出来れば、ちゃんと片手武器に匹敵しうるポテンシャルを秘めているのだ。
 そして、もう一つの違いが、片手武器使いと両手武器使いのHPの差だ。
 これは、俺がエギルに尋ねてその時初めて知ったのだが……両手武器スキルをマスターしていくにつれ、レベルアップ時のHP最大値上昇ボーナスが徐々に付与されていくそうなのだ。
 モンスター戦や決闘の戦闘の際、両手武器使いはどうしても動きが鈍重だったり武器の扱いが難しかったり盾が無かったりで、相手からの攻撃を数多く受けやすい。その対抗措置として、両手武器使いは強くなっていくにつれ、HPが片手武器使いよりもどんどん差が付いていく設定となっているそうだ。
 ちなみに、容疑者であったハーラインの最大HP値がレベルの割りに高い数値を誇っていたのもその為だったのだろう。高性能な衣服の効果ではなく、器用貧乏ながらも、彼とて三つもの両手武器スキルに精通していたがゆえの研鑽(けんさん)の結果だったのだ。
 さらに言えば、例えば《聖竜連合》のシュミットのように、鉄壁の重鎧にガードランスとタワーシールドなどと言った防御型タンクの他にも、エギルのような盾を装備しない両手武器使いのパリイ型タンクも多いのも、その為だ。彼らはなにも、自分のパリイング技術に絶対の自信を持っている訳ではない。たとえボスの攻撃の直撃でも数撃は耐えられる、膨大なHP値に裏づけされた安堵あってのものなのだっだのだ。

「そして俺はエギル(知人の両手武器使い)に聞いた。両手武器スキルの《斧》《槍》《棍》の三つものスキルをマスターしたレベル70越えのプレイヤーは、一体どれくらいのHP値に達しているのか、と」

 俺は空いている手の人差し指で、ユミルを指差した。


「――ユミル。お前は、まともな防具が無くて防御値がどんなに低くても……最低でも現時点で、HP最大値が【30000】を超えていないとおかしいんだ」


 現にエギルは、商人でありながら《両手斧》スキルをマスターし、他の両手武器にも精通する実力派タンクである。そして最前線の攻略に参加するだけのレベルを誇る彼のHPも【30000】を超えているそうだ。そんな彼のキッパリ放った証言に、間違いがあろうはずが無い。

「なのに、お前のあの時のHP値は、たった【12500】だった。本来の数値の半分以下だ……。HP最大値を減少させるなんて現象を起こすものは、今のところ《大鎌》以外には存在しない。――……つまり、死神は、お前以外に……ありえないんだよ……ユミル……」

 言葉の最後で、俺は指を降ろしながら、力なく無表情のままのユミルに伝えた。

 ……俺は、確信に確証を重ねた上の事実を、犯人であるユミルにそう宣告しただけだ。
 だが、その裏で……

 ――俺はユミルに、なんて事を言っているんだ?

 そういう疑問が、まだ僅かに心の中にわだかまっていた。
 そして今、この瞬間になって気付く。
 俺はまだ……彼を信じたいのだ。そういう、甘えにも似た、『すがり』がまだ残っていた。
 ……俺もアスナ達と一緒だ。

 ――こんなのは嫌だ。嘘だ。こんな結末、誰も望んじゃいない。

 だが……

「――…………あはははっ」

 そんな俺の考えを、ユミルの無味に乾いた笑いがかき消した。

「うん、すごいよキリト……。全部、ぜーんぶ正解だよ。話の前にボクが正体を晒しちゃったから、別に大した推理は期待してなかったんだけど……そこまで分かっちゃってたんだ。これだったらどの道、ボクが正体を晒そうが晒すまいが、結局は死神はボクだってバレちゃってたみたいだね……」

 ユミルは小さな笑いで僅かに上がった口の端を元に戻して、絶対零度の顔に戻る。

「……だけど。もう今更なんだよ、キリト。ボクは正体がバレたところで降参する気なんて無い。キミと戦う運命は変わらない」

 そして、大鎌をゆっくりと振り上げて上段に構えた。漆黒の爪が、俺の漆黒の剣と対峙する。
 だがそれでも俺は冷静に、クラインの依頼事の一つを片付ける事にした。あくまで相手を刺激しないように平坦な声で口を開く。

「……ユミル。お前のその独善的な思想に、有無を言わさぬ犯行の行動原理。そしてオレンジ化したカーソル。……お前、今までに《ラフィン・コフィン》に接触されたことはあったのか?」

 ユミルに、ギルドに所属している証であるギルドタグは見当たらない。だがオレンジギルドやPKギルドの一部には、ギルドタグ表示によってメンバーが他者にバレるのを良しとせず、システム的な結束ではなく精神的に結託している場合もあると聞く。ラフコフは壊滅前まではギルドタグが存在していたが、今もこの限りではないという保障は無い。
 ユミルは俺の突然な詰問にも眉一つ動かさなかったが、数秒だけ沈黙してから答えた。

「……ああ、あのPKギルドか。ボクの……死神の噂が広まった直後だったよ。キミ達がやってくる前に、どうやって嗅ぎつけたのか……この姿の死神(ボク)の所に、ラフコフのギルドタグを付けた連中が話を持ちかけてきたよ」

「…………!」

 俺は思わず柄を強く握って身構えた。ユミルはそれを見て、小さく失笑した。

「笑えない話だよ。……連中はこう言った。『大鎌の情報とユニコーンを渡せば、ギルドに加えてやってもいい』ってね。……失笑もいいところだよ。ユニコーンは誰にも狩らせるわけが無いのに……本当に笑えない。この力を使って、あっという間に一人残らずコテンパンにして牢獄に転送してやったよ。……ああ、最後まで後ろで黙ってボクのことをじっと見てた、妙な肉斬り包丁使いだけは転移結晶で逃げられちゃったけど……」

「…………!」

 妙な雰囲気を纏う、肉斬り包丁(メイトチョッパー)使い。
 恐らくユミルが言っているのは、ラフコフのリーダー《PoH(プー)》のことで間違いないだろう。

「死神がラフコフの連中をも倒した、っていう噂も広まってくれればって思ったんだけど……どうにも広まってくれなかったよ。牢獄に放り込んだあいつらは全員、下っ端みたいだったしね。情報に信憑性が無かったのかも……。でも、今じゃもうそんなのどうでもよくなったよ。なんせ……キミが居るんだからね」

 ユミルは俺を見る目を鋭く細めた。これから狩る獲物を見る目だった。

「ボクはキミを倒して……キミ達をこの層から追い返す。そして、かの《閃光》に加えて《黒の剣士》までもが《死神》に倒された、なんて噂が広まれば、今度こそ……《死神》に近付き、ユニコーンを狙おうとするヤツらなんて居なくなる……!」

 次第にユミルは氷のような表情に反し、大鎌を握る手の力を際限なく込め始めた。

「――ユニコーンは誰にも渡さない……!! あれは、ボクだけのものだ……!!」

 唸り声と共に、大鎌をぶおん、とその場で大きく薙いだ。それだけで、数メートル離れた俺の所へ強風が届き、髪とコートを大きくはためかせた。

「ユミルッ……」

 俺はこれ以上、ユミルを直視できなかった。

 かつては優しげな微笑みや拗ねる顔、あどけない寝顔に、真っ赤な顔で怒ったりして、色とりどりの表情を垣間見せてくれて。
 SAO最悪とまで言われた殺人ギルドの連中を追い出すだけの力を持ちながら。
 無関係のたくさんの人々を傷付けて。

 ……その結果がこれだ。

 彼は自分が信じかけた俺達をも傷つけ、ずっと傍らにいたマーブルまでもその手にかけた。最後には俺も倒そうとし、人の温かみを知りながら、その全てを拒んで遠ざけて、完全な孤立を目指そうとしている。
 だが、それは全て……
 たかがユニコーンというモンスター一匹の恩恵に縋ろうとするが為だけだった。
 たかが膨大な経験値と、たった二種類のレアアイテムの為だけだった。

「ユミルッ……お前は本当にそれでいいのか!?」

 俺は叫んだ。
 彼の今までの犯行は、この世界のルールに反する犯罪を通り越して、最早それは妄執だ。
 ……いや、それよりももっとタチが悪い。

「お前はそんな妄執に……いや、我執に捕り憑かれたままでいいのか!? ずっとユニコーンに振り回される人生でいいのか!?」

「…………ユニコーンに、振り回されるだって……?」

 ギリリ、という音が聞こえた。それはユミルが大鎌の柄を握り締める音と……歯を食いしばる音だった。

 彼は、無表情から、少しずつ、怒りを滲ませていた。

「違う……! ボクはボクの意志でユニコーンを……!」

「違わない! そうじゃなきゃ、なんだって言うんだ! お前の言は……そんなのは、ただの……ただのエゴじゃないかっ!」


「そうだよ!! これはボクのエゴだっ!!」


「っ!?」

 大気を震わすかのような怒声。ついに彼の無表情の仮面が外され、怒りの表情が露わになった。

「何も知らないキミ達が、偉そうなことをほざかないで! ボクの事を知ろうだなんて思わないで! ボクはそんな愚かなキミ達を信じるくらいなら……――ボクはボクのエゴの為に、最後の最後まで戦い抜いてやる!!」

 ユミルは猛る目で俺を射抜き、そう言った。友に決別を告げたかのような、そんな一種の荘厳さすら感じれるほどの宣言だった。

「…………なんでお前は……そこまでして、ユニコーンを……」

 ユミルの強烈な視線に、俺は上手く動かない喉で言うも、ユミルがそれに答えてくれないことは目に見えていた。
 だが、俺はそれでも悲痛な声で叫ぶ。

「お前はっ……マーブルさんと過ごした半年間を、全て無かった事にする気か!? ……俺達と過ごした日々も……お前の心には、これっぽっちも届かなかったのかっ……!?」

 俺は今だってあの数日間を鮮明に思い出せる。だがユミルは、本当は俺達の思っていた様な人間ではなくて……心の奥底では、そんなことはとうの昔に忘れ去られている、そんな冷たい人間だったのだろうか?
 俺達の一方的な……ただの希望的な憶測だったのだろうか……?

「……………」

 ユミルは長い沈黙を……


「――ふふっ…………ふふふっ」


 という、小さな笑いで破った。

「マーブルとの半年間が……キミ達との数日間が……どうだったか、だって……? はは、あはははっ」

 そうして少しずつ笑い出し……


「――アッハハハハハ!!」


 やがて、今にも腹を抱えそうな、そんな高らかな哄笑が夜の森に響き渡った。
 それから再び数秒沈黙し……そして、


「――……笑わせないで……!!」


 ドシュッ! という音と共に、氷のような冷たさと炎のような激怒を滲ませた声を俺に浴びせた。
 音の正体は、ユミルが苛立たしげに大鎌の大刃を地に叩き付けた音だった。不気味なほどに長い刃が、恐ろしいまでの筋力値によって半分以上が地に埋まる。

「馬ッ鹿みたい……!! そんなの、答えは決まってるじゃないか!! そんなの――」





 ―――――。


 その時、俺はユミルの口の動きを、彼に裏切られた気持ちで呆然となりながら見つめ、こう思っていた。

 ……なあ、ユミル。
 俺達の想いは、本当に届かなかったのか……?
 マーブルさんのあんなに温かかった想いも、身を呈してまでの行為も、全ては無駄だったのか……?
 ユミルはもう、俺達ではどうしようもないくらい……冷酷な人間だったのか……?

 ……だが、そんな俺の心の中の逡巡から無慈悲にピリオドを打つかのように。

 ユミルが言葉の続きを叫んだ。




「――……()()()()()!!」



 …………え?


 予想していた言葉とは真逆の意味の言葉に、俺は声にならない声で、そう口を動かしていた。


「――楽しかった!!」


 ユミルは言葉を止めない。


「――温かかった……!!」


 次から次へと、言葉を俺達に向けて吐き出す。


「――心地、よかった……!!」


 ユミルは、叫ぶたびに震える(まぶた)で、目を潤ませていた。







「マーブルと一緒に宿で過ごした半年間、ボクはこの世界で初めて、安らぎを知った……!」

 マーブルの、あの優しく柔らかな微笑みのもとで過ごした日々。つい一昨日の夜では、ついに心を開いたユミルは彼女に寄り添いながら眠り。

「そして、キリト達がボクを見てくれる目は……優しくて、眩しくて……胸が苦しくなるくらい……とても、温かくてっ……」

 宿で俺達と共に話し合ったり、いがみ合ったり。時には決闘し、共に戦い、そして涙を流すくらい心を動かされた、あの日の晩餐。

「ボク、この世界で長い間、ずっと一人だった……。だけど、マーブルと出会って……ボクはここに居てもいいんだって、そう思えた……! キミ達と一緒に過ごして、人をまた信じてみようって、心の底からそう思えた……!! 思えたんだよっ……!?」


 ――ユミルは、泣いていた。


 ついに堪えきれなくなった大粒の雫が、次から次へと頬を濡らしていた。

「うっ……ひぐっ……」

 彼は突き立てた大鎌から手を離し、胸元をぎゅっと握って、隠すように顔を伏せる。
 それはまるで、次から次へと込み上げる温かな想いを塞き止めるように。
 はたまた、あたかも見えない血が溢れ流れる心の生傷を押さえ付けるように。

「ユミルッ……! だったらもう……!」

「もう止めて……! これ以上は、もう……あなた自身を傷付けるだけだわ……!」

「うっ、うっ……ユミルさん……」

「今ならまだっ……まだやり直せるわっ、ユミル!」

 俺やアスナ達が手を差し伸べるように次々に言葉を投げ掛けるも、顔を上げたユミルの表情は……
 悲しみと、憎しみが織り交じった泣き顔だった。
 そして俺達の言葉をかき消すように……


「――だからこそ! ボクはっ、キミ達が憎くて憎くてたまらないっ!!」


 そう叫んだ。

「ボクはもう、こんな気持ちになりたくなかったから一人になったのに!! だから誰も信じようとしなかったのに!! それなのにキミ達は……何度もボクに手を差し伸べてっ……! どうせこうなる運命だと分かっていたのに、少しとはいえボクは……キミ達を、信じてもいいと思ってしまった!! 心の内を……見せてしまった……!!」

 頬の涙を拭うことなく、俺達を見回す。


「……だからボクは、心の底から一緒に居たいと思えるキミ達が、心の底から憎い……憎いよっ!!」


 それからユミルは、手の回廊結晶を、此方を向いたまま背後へと空高く放り投げた。

「だからボクは、そんなキミ達を、他でもないボクだけの為に倒す……! ボクが死神(ボク)であり続ける為に……!!」

 ユミルは大鎌を一息に地面から引き抜き、

「――さぁ、選んでキリトッ!!」

 今度こそ俺に今にも飛び掛る剣幕で構えた。 

「負けを認めて、仲間と共に第一層《はじまりの町》の黒鉄宮前まで出て行くか。それとも……」

 それと同時に放った回廊結晶がユミルの背後の地面に突き刺さり、瞬く間に破砕して青く揺らめく大きな光の渦が出現した。



「このボク――《死神》に刈られるか!!」



 回廊の後光を受けて、ある種の神々しさすら帯びたユミルは闘志の宿った目と共に叫び……直後、ビュオオッという彼を中心とした強烈な暴風が、俺を威嚇するかのように駆け抜けた。ユミルが再び《デモンヘイト》を一瞬だけ使ったのだ。エフェクトもまた心なしか赤みを増した気がした。
 俺は剣の柄を握りなおし、切先を、ユミルへと向けた。

「…………ユミル、お前は間違ってる。俺達とお前が分かり合えないなんて……そんなのは、絶対に間違っている! お前が俺達に分かられたくないというのなら……分かり合える様に、お前の事を力ずくでも俺達に話してもらうまでだ……!」

 ユミルは俺の返答を聞き、ギリ、と音を鳴らした。それはあいつも柄を握りなおした音だったのか、歯を食いしばった音だったのかは、分からなかった。

「…………それが、キミの答えなんだね……?」

 それから彼はゆっくりと手の甲で涙を拭い……それが終わった時には、

「―――――。」

 今までの叫びが嘘だったかのような、氷の無表情に戻っていた。

「…………そっか。残念――」

 そしてその言葉と同時に、ユミルは俺へと飛びかかり……

「――だよッ!!」

「うおおおおおっ!!」

 振り下ろされたユミルの大鎌と俺の剣が激突し……

 とうとうユミル――《死神》との死闘へと突入した。
 
 

 
後書き
怒涛の展開が続き……とうとう《死神》との決戦に。
そして未だ語られない彼の動機と過去。その身に一体何があったのか……
この物語も架橋……いや、大詰め!一体どのような結末が待ち受けるのか?
次回の更新をお楽しみに。


ついに事件の謎が明かされました。
……はい、こういうトリックだったのです。いかがだったでしょうか。(hiroyukiさん大正解。)
《両手武器でのHP最大値ボーナス》など、独自要素も織り交ぜていたので、「分かるわけねーだろ!」という人も多かったでしょうが、それも原作様の「圏内事件」や「GGO編」と同じご愛顧ということで、どうか一つorz
オリジナル要素は、原作の要素と雰囲気を崩さないように最大限に気を使ってますが……どうだったでしょう汗

あと……やっぱり今回ものすごいボリュームになってしまった!
大事な章なので、途中でカットしたくなかったんです!
無理せずじっくりお読み頂ければ……。

(※ユミルがマーブルの首筋を手刀で叩いて気絶させたシーンですが、アバターでも通用するのか という点はスルーしてあげて下さいorz アレってなぜ気絶するのか、今でも科学的にハッキリと解明されきれていないそうですね。なので、仮想の体でも通用した、ということに……汗 あと、現実では非常に危険な行為なので、悪い子でもマネしちゃダメです。ゼッタイ。)


:今回の挿絵
叫び、訴える、『冷酷な仮面』の顔と『隠していた素顔』の、二つの顔のユミル。
どうしてこんなことになったのか……それはやはり未だ語られぬ彼の過去に起因します。
二枚ありますが、二枚で一対の構図に挑戦してみたかった。
「馬っ鹿みたい!!そんなの――」から「――……嬉しかった!!」のところで、彼の仮面が脱がれた瞬間を表現してみたかったんです。そこで、こう……「ああ……」とか「じーん」と感じて貰えたらいいなぁ。


:蛇足
じつは。
とうとう……とうとう、なろうの頃からコツコツ書き溜めていたプロットが今回で追いつかれましたorz
これまでは挿絵を入れるシーンを考えて、描いて、文章微修正して、ルビ振ったりして投稿するだけだったんですが……
以後、ちゃんと文章の書き入れる作業時間も加算されます。
つまり……今まで高めの更新速度を保ってきましたが……今後、他の先生以上の亀更新になると思われます\(^o^)/
物語はもう頭の中では最後までハッキリ描いているのですが……き、気長にお待ちください……。

これからは、ちょちょっとなんかラクガキでも投下して、待たせているみなさんをあまり退屈させないようにとか画策してたり。

あ、あと最後まで読んでくれた人にちょっとしたお知らせ。
とある作品で挿絵担当として参加します。( 
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