八条荘はヒロインが多くてカオス過ぎる
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第五十九話 夏祭り前日その六
「ですから止様もです」
「お袋のことをですか」
「常に意識されています」
「そうですか・・・・・・あれっ」
畑中さんのお話を聞いてだ、僕はすぐに気付いて問い返した。
「今されていますって仰いましたよね」
「はい」
「言葉現在形ですが」
「まだ離婚はされていないですね」
「そういえばそうですけれど」
言われてみればだ、お袋は確かに家を出た。親父のあまりもの浮気性に怒ってだ。けれどそれでもなのだ。
実はお袋はまだ離婚はしていない、戸籍上ではまだ夫婦のままだ。僕もそのことを知っていて畑中さんに答えた。
「だからなんですね」
「そうです」
「そういうことですか」
「そして例え離婚していても」
夫婦でなくなってもというのだ。
「この場合はその人によりますが」
「意識するんですね」
「そうした人もおられます」
「別れても、ですね」
僕はここでこの辺りの事情を察して述べた。
「好きな人」
「そういうことになります」
「そうですか」
「はい、人の絆は出来れば容易に切れません」
何かしがらみめいた言葉だとだ、僕は畑中さんの今の言葉についてはこう思った。悪く言うと呪いになるだろうか。
「そうしたものなので」
「だからですね」
「夫婦と親子、恋愛の交際はです」
「いつも心にあるんですね」
「もっと言えば友情もです」
この絆についてもだ、畑中さんは僕に話してくれた。
「この絆もです、ただ」
「ただ?」
「友人関係について私はこう思います」
畑中さんは急にだ、声のトーンを小さくさせてきた。そのうえで僕にこうも話した。
「友情はわかりにくいです」
「そうしたものですか」
「はい、お互いが生きている間にはわかりません」
そうしたものだというのだ。
「自分が友達と思っていても相手の方はそう思っていないことがありますね」
「あっ、確かに」
そう言われるとだ、僕も頷いた。
「そういうことありますね」
「そうです、生きている間は一方的な感情です」
「それが友達ですか」
「しかしです」
畑中さんは声のトーンをさらに落としてまた言った。
「一方が死んだ時は」
「その時は」
「その死んだ人を悲しく思い死を残念に思う」
「そう思えばですね」
「そう思った相手の人は友達なのです」
「ううん、そうなんですね」
「そして死んだ方の方もです」
畑中さんはさらに話を続けてくれた。
「その悲しんでいる方を見てです」
「魂になってですね」
「はい、身体はなくなろうとも魂は存在します」
魂魄、それはというのだ。この辺り畑中さんの宗教観が出ていた。仏教のそれだと思った。どうしても日本人には仏教の思想が存在していると思う。
「その魂になってからです」
「悲しい、残念だと思っている人を見てですか」
「その人が友達だとです」
「わかるんですね」
「そういうものだとです」
「畑中さんは思われてるんですか」
「友情はです」
まさにこの絆は、というのだ。
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