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真・恋姫†無双 劉ヨウ伝

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第171話 襄陽城攻め4

 正宗は孫堅の治療を終えると彼女を優しく地面に寝かせた。彼は颯爽と身を翻すと自分の馬に駆け寄り騎乗した。

「甘興覇、孫文台の傷を完治したぞ」

 正宗は馬上より甘寧に言った。

(まこと)でございますか?」

 甘寧は正宗の言葉を聞くと急いで孫堅に駆け寄り、孫堅の様子を伺った。彼女の孫堅を見る目には不安が現れていた。そんな彼女を正宗はただ黙って見ていた。

「傷は治療した。だが失った血までは私でも回復できん。だいぶ血を失っているようだしな。数日はまともに動けぬだろうから養生させるといい」

 正宗は甘寧から視線を外すと、彼の背後に控える騎兵二千に視線を移した。

「清河王、ありがとうございます」

 甘寧は正宗の方を向き片膝を着き、頭を下げ拱手し礼を述べた。正宗は微笑を浮かべた。

「孫文台が助かったのは、お前が機転を利かし私に援軍を求めたからだ。お前の日頃の忠義を天が見てくれていたのだろう。これからも励むがいい」
「ありがとうございます」

 甘寧は柔らかい表情で正宗のことを見ていた。

「さて、敵が体勢を整える前に一度撤退するとするか」

 正宗は甘寧との会話を中断すると視線を正宗兵達に向けた。

「撤退の前に邪魔な蔡瑁軍を蹴散らす。趙鉅鹿郡丞と関雲長に合流し蔡瑁軍を蹴散らせ! 深入りする必要はない! あくまで撤退する時間を稼ぐための戦闘と心得よ!」

 正宗が騎兵達に下知を出した。
 正宗兵達は颯爽と馬を駆り星と愛紗達が蔡瑁軍と戦闘を行う場所に向かった。統率のとれた騎兵達は徐々に加速していく。蔡瑁軍に対し突撃を行うためだ。
 星達は馬蹄の足音に気づき彼らの邪魔にならないように少しずつ移動していく。
 対して蔡瑁軍は正宗軍による夜間戦闘と騎兵による猛攻で浮き足立ち、周囲の状況の変化に気づかないほどに冷静さを失っていた。彼らの動揺を余所に騎兵達が威勢のいい怒号を上げ蔡瑁軍に襲いかかる。
 蔡瑁軍を襲う騎兵達による二度目の突撃。一度目で星達により蹂躙され、二度目の突撃で蔡瑁軍は乱れた隊列を更に崩し完全に崩壊した。恐怖に支配された蔡瑁兵達は引きつった表情で逃げ出す。しかし、彼らは逃げることはできなかった。逃げる彼らを星達が斬りかかり一人一人で倒れていった。既に戦闘の趨勢は決着がついていた。
 正宗は暗闇の中でも蔡瑁軍の状況が手に取るように分かるのか満足気な笑みを浮かべた。

「清河王」

 騎兵の一人が下馬をし、正宗の足元に進み出た。正宗はその騎兵に視線を移した。

「行くか?」

 正宗に声をかけた。騎兵は兜を脱ぐ、彼女は魏延だった。魏延は正宗の前で片膝を着く拱手をした。

「清河王、お世話になりました」

 正宗は魏延を凝視した後、腰に差した玉がちりばめられた短剣を魏延に差し出した。

「魏文長、この短剣をお前に預ける」

 魏延は顔を上げ、正宗が差し出す短剣を見た。

「魏文長、日が昇れば襄陽城を総攻めすることになるだろう」

 正宗は神妙な表情で魏延を見た。魏延に残された時間は日が昇るまで。それまでに彼女の子分達を連れて襄陽城を抜け出さないと総攻めに巻き込まれる可能性があった。
 魏延も正宗が言わんとしていることを理解したのか唇を真一文字にし覚悟を決めた様子だった。

「魏文長、その短剣を私に返しに来い。必ず生きて帰ってくるのだ」

 正宗は表情を崩し笑みを浮かべ言った。魏延は正宗の想いに感激したのか顔を伏せ、短剣を受け取り懐にしまった。二人の様子を孫堅と甘寧は見つめていた。

「清河王、魏文長必ず生きて戻ってきます!」

 魏延は力強い声で正宗に答えた。正宗はしばし魏延を感慨深げに見ていた。

「話は終わりだ。お前はお前の為すべきことを為すために行ってまいれ」

 正宗が魏延に言葉をかけた。魏延は深々と頭を下げ去って行った。彼女の後ろ姿を正宗は見送ると、視線を現在正宗軍と蔡瑁軍が交戦している方向を凝視した。

「もうここに用はない」

 正宗は短く誰にも聞こえない声で独白すると踵を返し城の中央を眺めた。正宗軍の二度の襲撃で蔡瑁軍は完全に瓦解していた。城中央への道を阻む者は誰もいない。西門で孫策と交戦している蔡瑁軍が東門の異変に気づき動く可能性があるが、孫策が西門で暴れている以上、動くのは容易ではないだろう。

「孫文台、動けるか?」

 正宗は孫堅の様子を確認するように視線を移すと、孫堅は甘寧に抱えられながらふらつく足取りで立ち上がろうとしていた。彼女の顔色はあまりよくない。傷が全て塞がっていても失った大量の血の影響で身体が思うように動かないようだった。それでも孫堅は足腰に力を入れ自力で立ち上がろうとしていた。
 正宗は孫堅をしばし凝視し溜息をつき、再び下馬し孫堅に近づいて行った。

「甘興覇、変わろう」

 甘寧は正宗の言葉が一瞬理解できない様子だった。それは孫堅もだった。

「私が孫堅を連れていくと言っているのだ。孫堅を連れてでは撤退もままならんだろう」

 正宗はそう言い甘寧を強引に退け、孫堅に肩を貸した。甘寧は押し出されるように大人しく退いた。

「車騎将軍、御服が血で汚れます」

 孫堅は気だるそうな顔で正宗に遠慮がちに言った。正宗は孫堅に笑みを浮かべた。

「孫文台、怪我人が下らぬ理由で気を遣うものでない。戦装束が血で汚れるなど当然のことだろう」

 正宗は孫堅の言葉などお構いなしに彼女の腰に手を回すと軽々と抱え上げた。孫堅は正宗にお姫様だっこされた状態になり、彼女は落ち着かない様子で視線が泳いでいた。だが、体調が悪く身体が気だるいこともあり、正宗に抱きかかえられることを拒否しようという様子はなかった。

「孫文台の兵達よ。お前達の主人は見ての通り身体が思うように動く状態ではない。これより一時的ではあるが、お前達は私の麾下に入って貰うぞ。不服ある者は名乗りでよ」

 正宗は威厳に満ちた様子で孫堅兵達に言った。彼らは既に精も根も尽き果ている様子で正宗に異を唱える者は一人もいなかった。正宗が援軍を寄越さなければ全滅していたことを考えれば、孫堅が動けない以上彼らに選択の余地などあるはずがないだろうが。

「皆、不服はないようだな。今から撤退を行う。余の軍が殿を勤める。お前達は先に撤退せよ」

 孫堅兵達は正宗の命令に悔しそうな表情をするも何も言わなかった。正宗軍に助けられ、殿の役目を彼らに任せて逃げるように戦場を去ることが情けなく感じたのかもしれない。だが、そうする意外に道がない以上、孫堅兵達は正宗の命令に従うしかなかった。

「その様に情けない顔をするでない! 敗北は兵家の常。悔いるなら戦場で晴らせばいい。生きてさえいれば、その機会は幾らでも訪れよう。今は生き残ることを考えよ」

 正宗は厳しい顔で孫堅兵達に叱咤した。彼らは恥じ入り、先ほどと違い生気を感じさせる表情に変わった。
 正宗は孫堅兵達の様子の変化を感じ取ると孫堅を抱き抱えたまま踵を返した。

「清河王はどうなされるのですか?」

 甘寧が正宗に言った。正宗が殿(しんがり)に加わり直ぐに撤退する様子がないからだろう。本調子でない孫堅を連れて敵地である襄陽城に残られることに不安を覚えているようだった。確かに甘寧達だけでは孫堅を味方の軍まで連れて行くのは大変だが、それでも正宗達と行動を共にするよりましだと思ったのだろう。

「孫文台は私に任せておけ。私も直ぐに撤退する。撤退後にお前達と合流し、味方の軍まで馬に同乗させ連れていってやるから安心するがいい。だが、その前に襄陽城の最奥に籠もるやつに伝えることがある」

 正宗はそう言い孫堅を抱いたまま馬に寄り先に孫堅を馬に乗せ、自らも騎乗した。彼は孫堅を自らに抱き寄せるようにすると馬の手綱を叩いた。

「甘興覇、孫文台は私に任せておけ。お前達はここから早く撤退せよ」

 正宗はそう言い残すと馬を走らせた。甘寧は正宗と孫堅の後ろ姿を見送ると、直ぐに部下達に命令を出し撤退の準備をはじめた。



 正宗は蔡瑁軍が瓦解し一方的な狩り場と化した戦場に乱入していた。生き残った蔡瑁兵達は正宗兵達に怯えた様子でへっぴり腰で震える手で槍や剣を持ち、逃げる隙を探し目を泳がせていた。正宗が乱入し彼の馬がいななくと蔡瑁兵達は一瞬肩を堅くして身体を震わせた。
 正宗は双天戟を振り回しあっという間に周囲にいた蔡瑁兵五人の息の根を止めた。胴を突かれる者、首を突かれる者、頭を潰される者と次々に絶命し倒れていった。彼は側に敵がいないことを確認し視線を周囲に向けると、星と愛紗の姿を確認し、視線を篝火の点る内城の方に向けた。

「蔡徳珪――!」

 正宗は双天戟の矛先を内城に向けて突きつけた。

「余は討伐軍総大将・劉正礼である! 恐れ多くも皇帝陛下に弓を引きし大奸賊。皇帝陛下のご下命により貴様を余が誅殺する!」

 正宗は大声で内城に向けて叫んだ。内城から正宗に向けて一斉に矢が斉射された。矢の雨を正宗は涼しい顔で双天戟を回転させ薙ぎ払った。星、愛紗も正宗と同じく矢の雨を綺麗に薙ぎ払い、正宗兵達は矢の圏外に移動し矢の雨から逃れた。不幸だったのは正宗兵達と交戦していた蔡瑁兵達だった。彼らは戦闘で疲労した重い身体で味方の攻撃から必死に逃れようとするも適わず針鼠となり動かぬ屍となった。
 星と愛紗は敵兵とはいえ味方を情け容赦なく射殺した所行に怒りを覚えたのか内城を睨み付けた。

「夜明けとともに総攻めを行う! 蔡徳珪、名門の矜持があれば生き恥を晒す真似だけはするでないぞ!」

 正宗は内城に向け再度叫んだ。彼は星と愛紗に視線を移し目で合図をした。

「撤退だ!」
「撤退する!」

 星と愛紗は声を合わせ正宗兵達に命令を出した。正宗は馬を方向転換すると元来た道を去りだした。星と愛紗も正宗に続く。その後ろを追うように正宗兵達が追っていく。正宗軍の動きは一糸の乱れもない整然としていた。その様子から正宗軍の騎兵の練度が窺えた。孫堅も虚ろな瞳で周囲を疾駆する正宗軍の騎兵達の姿を視線で追っていた。



 正宗達は孫堅軍に合流し彼らの撤退を援護しながら戦線を離脱していったが、蔡瑁軍の追撃はなかった。蔡瑁軍も城内に攻め込まれ浮き足立ち余裕がない状態にあったのかもしれない。程なく朱里が編成した後詰めを率いる泉が兵五千を率い正宗達に合流した。正宗達は泉に警護を受け、味方の本陣まで無事に辿りついた。
 正宗が無事撤退したことを伝令から受けた朱里は孫策へ伝令を出した。孫堅が瀕死の重傷を負うも、正宗の治療で命を取り留めたことを知らせられた孫策は血相を変え慌てて西門攻めを中断し、兵の撤退を他の者に任せると慌ただしく正宗の本陣に単身で駆け込んできた。

「孫伯府でございます。母がここにいると聞きまかり越しました」

 孫策は落ち着きない様子で略式の礼で正宗の本陣に入ることを願いでていた。本陣の入り口を守る守衛は孫策の名を聞くと中に入るように促した。正宗が既に話を通していたのだろう。
 孫策は守衛の後を着いていくが、守衛が歩いて引率することに苛々しているようだった。段々眉間に皺を寄せ守衛の頭を背後から睨んでいた。

「孫伯府殿ではありませんか?」

 苛々を募らせる孫策に声を掛けたのは愛紗だった。愛紗は気さくな雰囲気で孫策に近寄ってきた。孫策は止められたことに苛立たしそうな表情だったが、直ぐに平静を装った。不自然な笑みを浮かべ愛紗のことを見た。

「今、急いでるんですけど?」

 孫策は頬をひくつかせながら笑顔を作っていた。愛紗も孫策の雰囲気に気づいたのか申し訳なさそうに頭をかいた。

「お母上の件でしたね。私と一緒にいかれますか? ここは私に任せて、持ち場に戻るといい」

 愛紗は孫策の案内役を買ってでると守衛に命令し下がらせた。

「ささ、急いで向かいましょ」

 孫策は愛紗の言葉を聞き終わるのも待たず急いで走りだした。その様子を愛紗は見送った。

「そう急がずとも。孫文台殿の傷は大丈夫ですのに」

 愛紗はキョトンとした顔で孫策の去った方向を眺めていた後、孫策を追った。



 孫策は本陣内を勝手に移動し道に迷い右往左往していたが、彼女の後を追いかけてきた愛紗の案内で孫堅が休む天幕に案内された。彼女は愛紗に礼を言うのも忘れ、愛紗を押しのけると天幕の入り口を覆う幕を上げて中に入っていった。遅れて愛紗も入っていった。

「母様!」

 孫策は天幕内に入ると母・孫堅を探すように中を見渡した。孫堅は天幕内の奥に設営された仮設の寝所に寝かされていた。側には孫権と甘寧がいて、孫堅の看病をしていた。

「雪蓮姉様!」

 孫権はいきなり天幕に入ってきた姉・孫策の姿を確認すると驚いた様子で声を上げた。

「蓮華、母様は大丈夫なの!?」
「雪蓮姉様、落ち着いてください。母様は無事よ。母様は疲れて眠られているわ」

 孫権は動揺した様子の孫策を落ち着かせようと宥めていた。

「そう。無事なのね」

 孫策は呼吸を整えながら孫堅の側に駆け寄ると、甘寧は孫策に場所を譲った。

「母様、心配させないでよ」

 孫策は孫堅の顔を見ると安心した表情に変わり、眠る孫堅に抱きついた。その様子を孫権と甘寧は笑顔で見ていた。愛紗も孫策の様子を微笑ましそうに眺めていた。

「関雲長殿、姉を連れてきてくれてありがとう」

 孫権は関羽の存在に気づくと、立ち上がり関羽に声をかけた。

「いいえ。大したことはしていません。それでは私は失礼させてもらいます」
「本当にありがとうございました。負傷した兵の治療もしていただき感謝のしようもありません。清河王には後ほどお礼に参らせていただきますとお伝えください」
「しかと承りました。孫太守もゆっくりと療養されてください」

 愛紗は孫権から正宗への言づてを伝えることを約束すると去っていった。二人の会話に聞き耳を立てていた孫策は顔を上げた。

「蓮華、母様を私達の陣所に連れて行くわよ」

 孫策は開口一番に孫権に言った。

「雪蓮姉様、何を言っているんです! 母様は本調子ではないんです。今、ここを動かすなんて本気なんですか!?」

 孫権は孫策の考えが理解できないという顔で見ていた。甘寧も孫策の考えには同調できない様子だった。

「怪我はないみたいだから大丈夫でしょ。ここに母様を置いておく方が心配だわ」
「雪蓮様、お言葉ですが傷は清河王に塞いでいただんです。清河王に傷を治療していただけば、今頃文台様は死んでいました。文台様は大量の出血で身体が本調子ではありません。ここは清河王のお気遣いに縋るのがよいと思います」

 甘寧は神妙な顔で孫策に孫堅が重傷を負った状態にあったことを切々と説明した。だが、孫策は納得いかない様子だった。今の孫堅の様子を見る限り、身体に瀕死の重傷を負った痕跡はない。孫堅の顔は確かに大量の失血によるものなのか顔色は青く血の気がないことは確かだったが。
孫策は今一度母孫堅を凝視した。彼女の表情は妹・蓮華の考えが納得できないようだった。孫堅の容態に違和感を覚える孫策は母をさっさと自分達の陣所に連れて行きたいのだろう。

「やっぱり母様を連れて行くわ」

 孫策は孫堅を抱えて連れて行こうとした。

「何を言っているんです!」
「雪蓮様、お考えなおしください」

 孫権と甘寧は孫策を慌てて止めた。

「何なのよ!」
「母様を動かすのは止めてと言っているんです!」

 孫権は怒りを抑え孫策に言った。

「蓮華、母様には思春の言うように首と胸に傷跡すらないじゃない。まあ、顔色は悪いけど。それは多分は歳のせいよ。暗かったから見間違えたんじゃない」

 孫策は邪魔する孫権が気に入らないのかぶっきらぼうに言った。

「思春を疑うの」

 孫権は孫策のことを睨み付けた。

「疑ってはいないわよ」

 孫策は孫権の剣幕に尻すぼみに声が小さくなった。

「母様達は乱戦でかなり追い込まれていたみたいだし気が動転していたんじゃない? だって傷がないじゃない」
「母様が率いた兵達は殆ど死んだのよ。そんな乱戦で母様や思春に傷がないなんてあるわけないでしょ! 思春が清河王に頼み込んで直していただいたんです」

 孫権は怖い顔で孫策を見ると、部屋の隅にある布をかけた竹細工の籠を持ってきた。彼女は孫策が甘寧の言葉を信じていないことが許せないようだった。

「これで無傷だったというんですか?」

 孫権は布を乱暴に開けて孫堅に中身を見せた。中身は孫堅の衣服だった。その服の血は乾いているがどす黒い血で染まっていた。特に胸元は返り血を浴びついた染みではなく、孫堅の出血により滲んだものだろうことは孫策に理解できたようだった。

「ちょっと。これ何なの!?」

 孫策は驚いた顔で孫堅の服を掴んで凝視すると、視線を母親に向けた。彼女は母親の衣服を籠に投げ込むと孫堅に近づき、孫堅の胸元の服を開いて傷を確認しようとした。

「傷がない。どういうこと」

 孫策は狐にでも騙されたように呆けた顔で母の開けた胸を凝視した。孫権は孫堅にかけより衣服を整えた。

「清河王が治療してくれたんです」
「蓮華様、清河王のお力についてご説明しないと雪蓮様も理解できないかと」

 孫権に甘寧が孫策を擁護した。すると孫権は孫策に正宗が張允の傷を治療した経緯を説明した。その話を聞くと孫策は疑わしい者を見るような目で孫権と甘寧を見た。

「二人とも騙されているんじゃないの」
「じゃあ、母様の傷はどうなるんです。その血塗れの衣服はどう説明するんです」

 孫権は姉・孫策に疑いの目を向けられ腹立たしそうだった。

「車騎将軍が母様を救出したことを疑ってないわ。母様を助けてくれたことには感謝しているわ」

 孫策は先ほどより大人しい態度で孫権の言葉に対して憮然とした表情を浮かべ答えた。

「蓮華に戦場の何が分かるのよ。一度も人を斬ったことの無い蓮華に戦場なんて理解できないわ」

 孫策は不満気に孫権に言った。

「ええ、雪蓮姉様の言う通り私は戦場を知らないです。でも思春は違います。彼女は母様と死線を越えてきました。生き残った兵達も清河王に感謝していました。母様も死ぬところを救われたと言っていました」
「ああ! 分かったわよ。もう好きにすればいいじゃない!」

 孫策は孫権にたしなめられ苛立ちを隠さず孫権に怒鳴ると足を踏みならしながら入り口の幕を乱暴に開けて天幕を出ていった。

「雪蓮姉様」

 孫権は溜息をつき天幕の入り口を凝視した。

「蓮華様、雪蓮様をあのまま行かせてもよろしいのでしょうか?」

 孫策の荒れた様子を見て心配したように甘寧は孫権の側で囁いた。

「思春、雪蓮姉様についていってくれないかしら。迷惑をかけるわね」

 孫権は困った顔で思案した後、甘寧に孫策の側にいるように頼んだ。

「いいえ。それでは失礼します」

 甘寧は孫権に拱手し頭を下げると天幕を去って行った。


 朝日が昇ると朱里から襄陽城攻めに参陣している荊州豪族に向けて、孫堅が東門を破った報せが届けられた。同時に東門攻めで孫堅が深手を負い戦場に出れないことも伝えられた。
 朱里は荊州豪族に知らせた内容から意図的に深手を負った孫堅を正宗が救いだしたことを伝えなかったが、人の口に戸を立てるのは難しく。また、正宗が深夜に八千の兵を動かしたこともあり。あっという間に正宗が孫堅を救出したことは噂として広まった。 
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