ウイングマン バルーンプラス編
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4 避難
1.
世界が動き始めた、ということは今はこの姿を人に見られる可能性があるということだ。
「アオイさん、どれくらいここに隠れないといけないんですか?」
美紅にそう言われて、アオイは自分の手のひらに軽くディメンションパワーを集中させてみた。
なんとなくは今の状態はわかった。だが、ことがことだけに、いい加減な判断は身を滅ぼす可能性があった。
慎重に自分のパワーがどれくらいあるのかを確かめてみた。
しかし、思ったより集めることはできない。
「そうね、最低でも30分くらいは……」
敵と戦った直後にポドリアルスペースを作ったのだ。しかもその直後には周囲を注意しながら走ってここまできた。
普通に考えても体力の消耗が激しいのは当然だった。
「結構かかりますね……」
その時間を聞いて、美紅も桃子も疲労が少し顔に出て、思わずこぼしてしまった。
これから30分-
人影に怯えながら過ごさなければいけない。すごく長い30分になりそうだ。
しかし、仕方がないことなのだ、アオイだって一刻も早くこの状況を早く抜け出したいと思っているのだから。
「30分くらい大丈夫ですよ、ここにそんなに人が来るとは思えないし」
桃子はすぐにほほ笑んでフォローの言葉を添えた。この場所を提案したのは自分だし、それなりに安全な自身はあった。
「そうよね。うん、大丈夫!」
美紅も慌ててそれに合わせた。
そして、微笑んでみせた。
しばらくは桃子の思惑通り、何も起きなかった。
何人か入り口付近を通った気配を感じてドキドキはしたが、結局地下駐車場に入ってくる人間は1人もいなかった。
どれくらいの時間が経ったのかはわからないが、神経を研ぎ澄ましていたことで、3人にはとても長い時間に感じられた。すでに1時間以上は経ったような気がするがするが、入り口から入ってくる日差しから判断すれば、そんなに経ってるわけはなかった。
アオイはずっと手を見つめてディメンションパワーの回復を確認していたが、まだポドリアルスペースを作れるまでに回復はしていないようだった。
「特ダネの気配を感じるわ……」
入り口の方から女性の声が聞こえてきた。
3人にはその声は、聞き覚えのあった。
よく知っている声だった。
嫌な予感がする。
そして、3人の額に冷や汗が流れた。
声の主は布沢久美子だった。
「なんで布沢さんがこんなところへ!?」
3人は顔を見合わせた。
ここは久美子の家ではない。それは桃子も知っていた。
それに新築で学校の生徒がこのマンションに住んでいるという話も聞いたことがなかった。
恐らく久美子の友達の家でもないだろう。
本来なら久美子に用があるような場所ではないはずだった。
それなのに、どういうわけか、久美子が地下駐車場に入ってきたのだ。
アオイも美紅も桃子も顔を見合わせた。
「ヤバイよ~」
久美子は新聞部の習性か、人気のなさそうなところでも何かがありそうな予感がすると、とにかくそっちに行ってみることにしていた。
「特ダネの気配を感じるんだけど……」
ブツブツと独り言を言いながら、駐車場に入るスロープをゆっくりと下っていく。
「こんなところに特ダネなんかあるわけないでしょ!」
アオイはそう叫びたかった。
しかし、特ダネはあった。
今の自分たちの格好がまさにそれだった。
「どんな嗅覚なのよ……」
3人は物音をたてないように慎重に、身を柱の陰に隠した。
学校帰りなのか久美子は制服姿だった。
しかし、当然のように一眼レフのカメラを持っていた。
その姿を柱の陰から確認すると、アオイたちの鼓動は一気に高まった。
久美子はウイングガールズの1人ではあった。
しかし、仲間と呼べるほど彼女との絆は固くはなかった。
久美子は使命よりも特ダネや自分の興味を優先するところがあるのだ。
特にアオイは、その気持ちが浮ついているような気がして、信用できないでいた。
本来なら助けを求めたいところだが、この恰好を久美子の前に晒すのは大きな危険が伴う。今の自分たちの格好は、久美子の大好物である特ダネそのものなのだ。
この恰好を見られたら、少なくとも写真には撮られてしまうだろう。
校内新聞の記事になって張り出されることはないにしても、写真に残される。そんなことはしたくはなかった。
その事態を想像すると、久美子に助けを頼むなんてことは怖くてできない。
「絶対に気づかれないようにしなきゃ」
「特ダネの予感がしたんだけどな~」
久美子がこの駐車場に寄ったのはなんとなくだった。
「こんなところに何があるなんて思う方がおかしいよね~」
久美子の独り言は決して大きな声ではなかった。ただ、駐車場のコンクリートに反響をして、聞き耳を立てていた3人の耳にはかなりしっかりと届いていた。
「久美子ちゃん、カンが鋭すぎだよ~」
桃子は久美子に染みついた記者魂に恐れをなした。
「まあ、一応、見回ってみるか……」
久美子はアオイたちのいる場所とは反対の方向から駐車場をゆっくりと見回りを始めた。
「危ないヤツがいても変身すれば、どうにかできるしね」
ウイングガールズに変身できることで、人気のないところにも進んで首を突っ込むようになったのだ。
「ウイングガールズの力は護身用じゃないんだけど……」
久美子の解釈にはあきれ果てた。
とにかく久美子に見つからないようにしなければならない。
桃子と美紅は久美子の動きも気が気ではならなかったが、アオイのパワーの状況が気になっていた。
アオイはさらに神経を研ぎ澄まし、自分の手のひらを見つめた。だいぶパワーは回復してきているが、まだポドリアルスペースを発動するには早い。もう少し時間が必要だ。
こうなったら自分のパワー回復が早いか久美子がやってくるのが早いのか競争だ。
「桃子ちゃんの家って、ここからどれくらい?」
アオイは自分のパワー回復をどのレベルまで求めるかを考え直していた。
「歩いたら10分はかかるけど、急げば6~7分くらいです」
それなら、満タンにまで回復する必要はない。
「それならなんとかなると思うから」
アオイの言葉に美紅と桃子は少しホッとした。
しかし、息をひそめてじっとしておくのはなかなか大変だった。
2.
今までよりもさらに時間の流れるのが遅く感じる。
アオイはパワー回復に集中していたが、桃子と美紅は久美子の動きに集中していた。
久美子はキョロキョロしながら、しかし、念入りに駐車場を、結構丁寧に見て回っていた。
「久美子ちゃんって、暇なの?」
その行動に思わず桃子はこぼしてしまった。
取材だったら徹底的にするのも当然かもしれないが、はやくどこかに行ってもらわねば困るという事情もあった。
それに、そもそも中学3年生の女の子がこんな人気のない地下駐車場を物色している姿は、異常に思えた。
「あれで本当に特ダネを探しているのかしら……」
美紅も呆れていた。
「う~ん、なんだろ、何か感じるんだけどなあ~」
久美子は駐車場の柱の影をのぞいて、独り言を言った。
夕方だ。買い物に出てくる人がいてもおかしくはなかった。ただ、新築マンションで、まだ入居者も少なかったお蔭で、この時間に駐車場に出てくる人はいなかった。
柱の裏には、当然、誰もいない。
そのことは当然なのだが、感覚的には納得ができていなかった。
気配、ではなくて誰かに見られている、という感覚だった。
その感覚が気になって後ろを見てみたがやはり誰もいない。
「う~ん、やっぱ誰もいないなあ~。まあ、こんな場所に誰かいるなんてこともないかあ~」
そう言うと諦めたようにエレベーターのエントランスに向かった。
「あたりまえでしょ、こんなところに誰かいるわけないじゃん!」
隠れて久美子の行動を伺っていた桃子は、コンクリートに反響して微かに聞こえてくる久美子の独り言に心の中で突っ込んだ。
ただ、エントランスに向かうという久美子の行動は少し、桃子と美紅の気持ちをホッとさせた。とにかく駐車場から出ていこうとしているように思えたのだ。
しかし、久美子はエントランスの前に来ると立ち止まった。
「どうしたのかしら?」
美紅たちはその行動を不思議に思ったが、すぐに状況が理解できた。
入れないのだ。
久美子はマンションに入るために鍵も持っていないし、暗証番号もしらないはずだ。
ここの住人に知合いもいないのだろう。
それなら、入れないのは当然だった。
「あれ~? やっぱり鍵がないと入れないのか~、当然よね~」
久美子は不審な動きを始めた。
エントランスの透明なガラスの向こうから誰か来ないか気にしながら、最初はインターホンをマジマジと見ていた。
「これ押しちゃうと、誰か出ちゃうかもしれないし……」
ピンポンダッシュをする歳でもない。とりあえずインターホンはあきらめて周りに何かないか目先を変えてみた。
「これ、何のスイッチなのかしら?」
エントランスの入り口の横下にある配電盤のようなものを見つけた。
そして、開けてみようと触ってみた。
「あ、開いた」
予想外にも鍵がかかっていなかった。開けて見ると電圧のメーターやスイッチみたいなものがあった。
「これ何かしら」
好奇心から気になって、触ってしまったものが、スイッチのようだった。
「きゃっ!」
駐車場の電気が一気に消えたのだ。
そのことにびっくりして久美子は思わず声を上げた。
でも、それだけじゃなかった。
自分の声と共に別の声が聞こえたような気がした。
聞き違いかもしれなかったが、なぜか確信があった。
その確信は間違いではなかった。
駐車場の隅で、桃子が思わず声を上げてしまったのだ。
「誰かいるの?」
久美子は後ろをおもむろに振り返った。
美紅は、反射的に桃子の口を押えた。
美紅たちがいるところは入り口からもエントランスからも遠く、光もほとんど届かない。
ほとんど真っ暗に近い。
だから、バレないかもしれないという一縷の思いもあった。
久美子の目には人影は見えなかった。
しかし好奇心はくすぐった。
「あれ~? 確かに声が聞こえたのよね~」
久美子はさっき迂闊に触ってしまって電気を消してしまったスイッチを押し直した。
駐車場に電気がついた。
美紅と桃子はドキドキしながら息をひそめた。
しかし、久美子の性格から考えれば、こっちに来るのは間違いなかった。
美紅と桃子が久美子の様子を見ていると、久美子は自分たちの方に向かってきた。
「アオイさ~ん……」
桃子は息をひそめながら、アオイの方を見た。
アオイも久美子が近づいてきていることは気づいている。
「どうする? まだ完全じゃないけど、そんなこと言ってたら布沢さんに見つかっちゃう……」
アオイも久美子の動きに焦り始めていた。
「何か絶対いると思うんだけどな~」
今までの独り言とは明らかに違った。
誰かに聞こえるように独り言を言っていた。
そして、一歩、また一歩と、久美子はゆっくり美紅たちが隠れている方に向かって歩いた。
一応、警戒をしていた。
ウイングガールズに変身できるとはいえ、さすがに相手の正体もわからないのだ。
迂闊な行動はとれない。
でも、好奇心が勝っていた。
隠れている何者かの正体は暴きたい。でも、危険かもしれない。
だから、のんきな独り言の内容とは裏腹に慎重に近づいたのだった。
すぐそこだ。
もうあと10歩もないところまで久美子が近づいてきた。
「アオイさん、まだですか?」
声こそ出さないが桃子は心配になってアオイを見つめた。
それは表情で明確に伝わっていた。アオイは決断を迫られた。
「もう少し時間が必要だけど、この際、仕方がないわ!」
アオイは心を決めて、ポドリアルスペースを作るために立ち上がろうとした。
しかし、その前に美紅が動いた。
久美子からは死角になる柱の裏から、一気に走り出したのだ。
「えっ!?」
久美子は驚いた。
最初に認識した物音に身構えた。
コンクリートに足音が反響して、一瞬戸惑ったのだ。
危険を感じ身構えたために、一瞬気後れした久美子は、美紅の姿を認識できたのは一瞬だった。全力で久美子の死角となる別の柱に移動する後姿を一瞬確認できただけだった。
「は、裸ぁ?」
一瞬自分の目を疑った。
久美子の目に映ったのは自分と同じくくらいの身長の人の裸の後姿だった。一瞬のことで確信は持てなかったが、女の子だと思った。
だいたい裸の女の子がこんなマンションの駐車場にいるなんて想像していなかった。あっけにとられて、せっかくの一眼レフを使って特ダネを撮ることを忘れていた。
柱の陰に隠れた美紅は息を切らしていた。
「はあ、はあ、はあ……思わず飛び出しちゃったけど、どうしよう……」
みんなのピンチになんとかしなきゃと思うと体が勝手に反応してしまった。
だが、ノーアイデアだった。
追いかけっこだけなら逃げ切ることはできるかもしれない。しかし、久美子はカメラを持っているのだ。この恰好を写真に撮られることは絶対に避けたかった。
今回の飛び出しは久美子の不意を突いたことで撮影されることはなかった。しかし、逃げ回っていれば久美子も落ち着くだろうし、写真に撮られてしまう可能性もグっと高くなってしまう。
写真に撮られるのが早いか、アオイのパワーが回復するのが早いか。
美紅は柱の陰から久美子の様子を伺った。
久美子はカメラに手をかけていた。今度は撮影する気満々だ。正体を突き止めようとしているのだから、当然の行為だった。
そして、一歩一歩、美紅の身を隠している柱の方に向かってきていた。
「カメラ構えられてたら、逃げれないよぉ……」
美紅は柱から柱へ逃げていくという手を考えていたのだが、その動きを完全に封じられてしまったようだ。
なすすべもなく美紅はただ、久美子が迫ってくるのを待つしかなかった。
久美子はさっき見た人影を写真に撮りたくてうずうずしていた。
写真歴はもう5年にもなる。捕まえるのは難しくても写真にだったら残せる自信はあった。
もちろん、こんな駐車場で裸のような恰好をしている相手だ。
正気とは思えない。何をしてくるのかわからない。
だから久美子は、相手の動きはこれ以上ないくらい警戒をしていた。
ただ、好奇心には勝てなかったのだ。
ゆっくりとした歩みで、着実にターゲットへ近づいていった。
「美紅ちゃん……」
桃子とアオイもハラハラしながらその様子をうかがっていた。
久美子はカメラを構えている。
美紅は絶体絶命のピンチに陥っていることは明白だった。
久美子が柱に近づき、裏をのぞこうとすると、美紅はさっと反対側に逃げた。
またその先をのぞこうとすると、美紅はその先へ。
しかし、そんな追いかけっこが長く続くわけもなかった。
「危ない美紅ちゃんっ!?」
美紅のピンチに思わず桃子が飛び出してしまった。
その声に久美子は後ろに振り返った。
その瞬間――
3.
「ポドリアルスペースっ!!」
アオイが両手を高く上げてクロスさせて叫んだ。
周りの風景の天地がいきなり逆さまになって、時間が止まった。
桃子は飛び出した勢いあまってこけそうになった。
美紅はゆっくりと柱から顔を出した。
「アオイさん、ありがとう。助かったぁ~」
久美子は驚きの表情のまま逆さになって固まっていた。
桃子の姿を久美子が見たかどうかはさだかではない。
ただ、時間が動き出したときには桃子の姿はなくなっているのだから、きっと幻を見たと錯覚するに違いない。
とにかく目の前の危機は去った。
美紅と桃子はホッと胸をなでおろした。
「でも、大丈夫なんですか?」
美紅の素直な疑問にアオイは浮かない表情を浮かべた。
その表情からゆっくりしている場合ではないことはすぐに理解できた。
「五分五分ね。とにかく急がなければいけないことだけは確かよ」
アオイはそう言うと駆け出した。
「美紅ちゃん、桃子ちゃん、走って!」
今のパワーでは7分程度が限界だ。
桃子の家までのんびりしていては7分では到着できない。
全力疾走をしなければ間に合わないほどではないかもしれないが、何があるかわからない。
休憩に至るまでの移動の経験上、敵からの横やりでポドリアルスペースが解消されることはないと踏んでいた。
「アオイさん、何も急がなくても10分もかかりませんよ」
桃子は先を急ぐアオイを追いかけた。
ただ、桃子も美紅もアオイに追随してスピードを上げた。
「今回はもって7分程度よ」
そう言われれば、のんびりはしてられない。ゆっくりしていれば、桃子の家までは到達できない可能性は高い。
もし途中で時間切れになってしまえば大変なことになってしまう。
時間切れになれば、そこは恐らく、桃子は自分の家の近所だ。
トイレットペーパーの晒しに下半身はほとんど何も身に着けていない、しかも胸の晒しも汗でベトついて乳首はうっすらと見えている。そんな状態でポドリアルスペースが解消されたら、今の姿を近所に晒してしまうことになる。
それは桃子にとっては絶対に避けなければいけない状況だ。
「わかりました!」
桃子は猛ダッシュをかけた。そして、先頭に躍り出た。
「桃子ちゃん、速い!」
美紅は驚いた。
走る躍動感に合わせて年齢の割に豊満な胸が揺れた。
そして、汗でベチャベチャになった胸のトイレットペーパーは躍動する胸の動きに耐え切れずに、振り切られてしまっていた。
脱水機で水分が飛ばされるようにゲル状になったトイレットペーパーもボロボロと飛ばされていって、いつの間にか桃子の胸は完全にさらけ出されていた。
もう全裸と言ってもおかしくない状態だった。
しかし、桃子自身はそのことには気づいてはいなかった。
それくらい無我夢中で走っていた。
桃子が先頭のまま、広い道路を渡った。
そこから右折して1ブロック行くと今度は左折をした。
ここからあとは桃子の家まで一直線だ。
まだ距離はあるが、ここまでくれば迷うことはない。
2人とも自分の家を知っているはずだ。桃子としても、遠慮なくダッシュできた。
アオイも美紅もついてくるに違いないと思っていた。
アオイは不穏な空気を感じ、スピードを上げた。
やはりディメンションパワーは足りていなかったようだ。
空間の不安定さが肌で分かった。
ただ、桃子の家までそれほど距離はない。どこかに隠れてパワーを貯めるよりも猛ダッシュして桃子の家に逃げ込むのが得策と判断した。
「美紅ちゃんも急いで!」
いきなりダッシュを始めたアオイに、美紅は少し気後れした。
今までも十分急いでいるつもりだった。
ただ、本気のダッシュではなかった。本気でダッシュすれば、せっかく巻いたトイレットペーパーがどうなるか、想像はついていた。
激しく動けばトイレットペーパーは破けてしまうに違いなかった。
今でもすでに汗でもろくなっている。胸に巻いていたものはもともと薄かったが、幸い美紅の胸は激しく揺れるほど大きくはなかった。
それに胸だけじゃない。汗を掻けば下半身もやばくなる。実際、もうすでに危険水域に達していた。美紅自身、そのことは理解していた。
だから今までは少しばかりセーブしていたのだ。
恥ずかしいけど、それを我慢してできる限りの速度で進んでいたつもりだった。
しかし、ここまで来ればもう立ち止まるわけにはいかない。
恥ずかしがっていれば、2人から取り残されてしまう。
そうなれば最悪だ。
例えトイレットペーパーが大丈夫であったとしても、1人町中でふんどし姿を晒してしまうことになる。
「ちょっと、待って~!」
慌てて美紅も全力疾走で走り始めた。
一番乗りは桃子だった。
普段なら、アオイや美紅よりも体力的には劣っている桃子だったが、途中で追いつかれることはなかった。
自分の家の近所で恥ずかしい恰好を披露する事態だけは避けたいという一心から無我夢中になった結果、トップを譲ることはなかった。
まさに火事場の馬鹿力だった。
最後にちょっとした難関があった。
桃子の家の玄関の手前には、男子高校生が2人立っていたのだ。
下校途中なのかたまたま桃子の家の前を通ろうとした瞬間にポドリアルスペースが発生したのだろう。
桃子は知らない顔ではあったが、年頃の男の子の前をほぼ全裸で通らなければ、自分の家にはたどり着けない。この状況、余裕があったら、少しくらい恥ずかしがっていたかもしれない。
しかし、今は気にしてられなかった。
ポドリアルスペースが発動している最中だし、彼らに自分の姿が見えないことはわかっていた。それなら気にする必要なんてない!!
勢いのまま、何の躊躇もすることなく男子高校生の前をほぼ全裸のまま突っ切った。
「間に合ったぁ~」
桃子は安堵の声を思わずあげた。そこには何とも言えない達成感と安堵感がいっぺんにやってきた。
玄関を開けると誰もいないようだった。
そのことで安堵感はさらに増した。
しかしゆっくりもしてられない。
桃子は玄関を開けて、2人の到着を待った。
「アオイさん、美紅ちゃん! 急いで!」
次にやってきたのはアオイだった。
「ゲッ!?」
桃子の家の前にいた男子の顔を見て驚いた。
彼らはアオイのクラスメートだった。
知らない人でも恥ずかしいがクラスメートとなればその比ではない。
「なんでアンタたちがこんなところにいるのよ!?」
彼らに自分のことが見えていないことが一番わかっているはずのアオイだったが、思わず話しかけてしまった。
「ちょっと、アンタたちは向こう向いててね」
今、ポドリムススペースの崩壊が始まっても、桃子の家にはすぐ入れる場所まで来たことで余裕が生まれたからか、見えないはずの彼らの視線が気になったのだ。
そして、彼らの向きを反対側に向けた。
時間が動き出せば、彼らは元来た方向へ戻っていくことになるがアオイの知ったことではなかった。
「よいしょっと」
1人の向きを変え、もう1人に取りかかろうとしたときに、キュインキュインと音が聞こえてきた。
「ヤバイ。ポドリアルスペースが解除されちゃう」
慌ててもう1人の向きを変えると、すぐに桃子の家に入った。
「美紅ちゃんは?」
玄関からは美紅の様子は見えない。桃子は友人の様子が心配で、アオイに尋ねた。
アオイは猛ダッシュで向かってくる美紅の姿を確認していた。
あと100メートルくらいに思えた。
途中でトイレットペーパーのふんどしも汗によって溶けてしまい、完全に全裸にしか見えない格好になってしまっていた。そのことに気づいてしまった美紅は、恥ずかしさのあまり、2人からだいぶ遅れてしまったのだ。
しかし、キュインキュインと音が響いてきた今、美紅にもその音の意味はわかっていた。
このまま恥ずかしがっていては確実に間に合わない。
通行人もいる。こんな場所で1人、取り残されるのは何としても避けたい。
美紅も隠すことをやめ、開き直って、桃子の家に向かってダッシュした。
「森本さん!?」
思わず久美子は叫んでしまった。
マンションの駐車場を調べていたときに、何か怪しい影を追っていた。
その影の正体を確認することはできてはいないが、後ろから声がしたので振り返ってみたところで、裸の桃子の姿を……
見たような気がした。
しかし、目の前には誰もいなかった。
「え?」
狐につままれた気分だ。
桃子の姿は幻というにはリアルだった。しかし、目の前には誰もいない。
だいたいこんなマンションの地下駐車場に中学生が裸でいること自体、非現実的だ。
「そりゃあ、そうよね。こんなところで裸でいるなんて、ありえないわよね、ははは」
久美子は勘違いだったと思うことにした。
「帰って寝よ」
腑に落ちない思いはあったが、とりあえず考えないことにして、駐車場を後にした。
4.
ポドリアルスペースが解除された瞬間、美紅はあと一歩、桃子の家まで届かなかった。
桃子の家の門に入ろうかというところで、時間が動き出した。
ポドリアルスペースは解消されてしまったのだ。
ただ、幸いなことに桃子の家の前を歩いていた男子高校生は、アオイが逆向きにしてくれたことで、家の門は彼らの死角になっていた。
男子たちの後ろを美紅は猛スピードで駆け抜けた。
何かが通り過ぎたと感じて後ろを振り返った頃には、なんとか桃子の家に入ることができた。どうやら気づかれずに済んだようだ。
バタン!
美紅が入るとすぐに桃子はドアを閉めた。その音が辺りに鳴り響いた。
「よかった! 間に合った!」
桃子はそう言うと、美紅の無事の到着を喜んだ。
ダッシュしてきたばかりの美紅は、玄関で立ち止まり肩で息をしていた。
とりあえずピンチを脱することができてホッとしていた。
「一時はどうなるかと思ったわ。美紅ちゃん、ゆっくりしてるんだもん」
アオイからも笑顔がこぼれる。
「別にゆっくりしてたわけじゃないけど、やっぱり恥ずかしくて……」
そう言ってうつむいた。そのタイミングで、改めて自分たちの格好を見ると、ほとんど何も隠しているものはない、全裸と言っても過言ではなかった。
桃子も美紅やアオイを家に迎え入れることに必死で、恰好のことなど気にしてはいなかったが、美紅と似たようなものだった。
アオイの格好は2人とは違っていた。もともとトイレットペーパーが多かった、ということもあるが、やはり地球人とは汗のかき方が違ったようだった。
そのため、それほど破損はなかったが、それでも大量に汗をかいていて、完全に透けている。逆にセクシーさが増していた。
ただ、3人とも溶けたトイレットペーパーがゲル状になって体にまとわりついてベタベタだった。
「みんなすごい恰好ね」
そう言って笑った。
森本宅の玄関でひとしきり笑うと、そのベタベタが気になってきた。
「なんか気持ち悪いですよね」
美紅は自分の体にまとわりついているゴミと化したトイレットペーパーをめくってみせた。
「そうよね。まあ、こんなの……」
アオイも少しうんざりした顔をした。
「じゃあ、シャワーでも浴びましょう!」
桃子が2人に提案した。
「ナイスアイデア!」
アオイは大ノリだった。
人の家に上がり込んで、シャワーをいただくというのも正直気が引ける話だったが、美紅も早くこの気持ち悪さからオサラバしたかった。
「私も……入れてもらえると……」
桃子はノリノリになって美紅の背中を押した。
「一緒に入ろ!」
そう言って桃子は自分の家の風呂場に案内した。
桃子の家は一軒家とは言え普通の庶民の家だ。
シャワーは一つしかない。風呂桶も大人3人が入るようにはできてはいない。親1人、子供2人がは入ればかなり窮屈だ。
まだ夕方で風呂桶にお湯は張っていなかった。
それでも気持ち悪いのは3人とも同じだ。
「さあ、今日あった嫌なことも一緒に洗い流しましょ!」
とりあえず善は急げ。お湯を張りつつ、それぞれシャワーで体を洗うことにした。
3人が入るということで、大した量のお湯を張らずとも浸かることができた。
美紅と桃子はどちらかと言えば小柄、アオイにしてもスレンダーではあったが、さすがに3人で入るには少しばかり窮屈ではあったが、肌を寄せ合いながら、それでも浸かりたかった。
湯船に浸かるとと、ようやく今日の戦いから解放されたような気がした。
「気持ちいい~」
美紅も手を上に向けて体を伸ばして、開放感を感じていた。
アオイも桃子もさすがに疲れきっていた。
正直、今は何もする気にはなれなかった。
しばらくすると、3人も女の子がいるのに、しかもこれほど身を寄せ合っているのに、会話もなくなっていた。
湯船に浸かりながらのんびりと、ボーっとしていた。
静かで平和な時間が流れた。
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