迎え
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6部分:第六章
第六章
「その手を離せ」
「そしてその子を置いていくんだ」
「そんなこと絶対にしないよ」
一樹はそんな声のした方を振り向くことなく言った。
「この手は何があっても離さないから」
「その間にその子が俺達に食べられてもかい?」
「えっ」
一樹はその言葉に思わず立ち止まりそうになった。
「そんな、さっちゃん」
「私はいるわよ」
「そ、そうだよね」
「大丈夫よ、私食べられたりなんかしないから」
「うん、それじゃあ」
「小さな女の子は美味しいよ」
「柔らかくて食べ易くて」
「嘘だ」
一樹はその声を否定した。
「そんなことない。さっちゃんは食べ物じゃないんだ」
「いやいや、食べ物なんだよ」
声達はそれに言い返す。本当に不気味な、地の底から響いてくるような声だった。
「俺達にとっては」
「久し振りに御馳走が来たよな」
「今からぱっくりと」
「そして坊やがここから出た時には」
「くっ」
不安になり振り向こうと思った。だがそれは自分で止めた。
「駄目だ、振り向いたら」
「もう後ろには誰もいないのに?」
「あの娘美味しかったなあ」
声達は一樹を馬鹿にするようにして言った。
「ああ、とてもな」
「御馳走様」
「そんな、さっちゃん」
聴こえてくる言葉にぎょっとした。
「食べられちゃったの!?」
「美味しかったよなあ」
「やっぱり生きている娘の味は違うよ」
声は不安になる一樹の心を煽るようにして続けてきた。
「けれどまだ手は」
握っている感触がある。大丈夫だと思おうとした。しかし。
「そのうち手も冷たくなってな」
「まるで鉄みたいになるぜ」
「嘘だ、そんなこと」
「嘘だと思うなら確かめてみなよ」
「そうさ、もういないから」
「振り向けばわかるぜ」
「どうなったのかな」
「振り向けば」
振り向いてはいけない、それはわかっている。けれど今一樹の心は周りの得体の知れない声により散々に掻き乱されていたのであった。とても平衡を保ってはいなかった。
「そこにさっちゃんが」
「いないよ」
「そうそう、もう振り向いてもいいんだよ」
「いないんだからね」
「いないのなら」
仕方がない、そうも思えてきた。
「振り向いても」
「さあ振り向くんだ」
声達はまた一樹に囁きかけてきた。
「振り向けば全部わかるから」
「あの娘がいないのも」
「はっきりわかるよ。ちょっと頭を動かすだけで」
「よおくわかるからね」
「けど・・・・・・」
振り向いてはいけない。これは約束だった。一樹はその約束を忘れていなかった。そして。それを破っては絶対にいけないということもわかっていた。
迷っていた。けれど約束を思い出した。彼はそれを破ることは出来なかった。若し破れば早智子だけではなくあのお姉さんも早智子のお父さんもお母さんも裏切ることになる。そう思った。だから彼は言った。
「振り向かないよ」
周りの声達に対して言った。
「何があっても」
「もういないのにか」
「いや、さっちゃんはいるんだ」
声に言い返す。
「絶対いる。だって今後ろに感じるから」
本当は不安で仕方がない。だがこう言い返して声を退けようとしていたのだ。痩せ我慢でもあった。しかしそれは覚悟のうえの痩せ我慢であった。
「絶対に振り向かないよ」
「振り向かないんだな?」
「そうだよ、決めたんだ」
声の囁きが弱くなっていた。一樹はそれを感じてさらに強く言葉を発する。
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