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真・恋姫†無双 劉ヨウ伝

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第163話 復讐の顛末 中編

 正宗は蔡一族の処刑を明日にずらし、襲撃した村に程近い場所に宿営することにした。拘束された蔡一族は一カ所に集められ、見張りをつけ急ごしらえの木製の檻に収監された。彼らには正宗の計らいで夕餉(ゆうげ)が差し入れされたが、明日に処刑される身の上を悲嘆しているのか料理の内容が気に入らなかったのか料理に手をつける気配はなかった。年少の子供達は空腹に堪えられず料理に手をつけていたが、一口食べると落胆した表情に代わり、それ以上手をつけなかった。彼らに出された料理は正宗軍で一兵卒から正宗までが食べる料理だった。正宗は行軍中は雑兵達と同じ料理を食べることにしている。これは正宗以下行軍に同行する上級文武官も同様だった。正宗は蔡一族に対して悪意をもって差し入れしたものではない。しかし、蔡一族は正宗が彼らに悪意を抱き粗末な料理を差し入れしたと考えているか、蔡仲節他数人の大人達は苛立った様子で料理を睨み付けていた。



 正宗は自分に憎しみを向ける蔡一族達を余所に一人陣所で椅子に腰を掛けて瞑目していた。

「清河王、諸葛清河国相と荀文若様が参られました」

 正宗の陣所に控える近衛兵が正宗に声を掛けてきた。正宗は目を開け陣所の入り口に視線を向けた。

「通せ」

 正宗は短く返事した。すると朱里と桂花は近衛兵が挙げた陣幕を潜り中に入ってきた。

「二人ともよく来てくれたな」

 正宗は自分の目の前で拱手する二人に声を掛けた。

「この時間にお呼びになると言うことは蔡平の件にございますか?」

 朱里は徐に正宗に言った。桂花も朱里と同じことを言うつもりだったのだろう。正宗に何も言わず沈黙していた。彼女の様子からして、正宗が普段と違い処刑を延期した時点で正宗の意図に気づいていたのかもしれない。

「その通りだ」

 正宗が朱里に答えると彼女は正宗が話し始めるのを待っていた。

「実は深夜に蔡一族を故意に逃亡させるつもりでいる。伊斗香が滞りなくやるように手筈を整えさせている」
「正宗様、蔡平には同情します。しかし、蔡一族を逃亡させてまで復讐の機会を用意する必要がございましょうか? 恐れながら、今夜は蔡徳珪が夜襲をかけてくる可能性がございます。復讐などと言っている時ではございません。襲撃に備え万全の体制を敷くべきにございます」

 朱里は正宗が計画に賛成していないようだ。蔡瑁の襲撃の可能性を警戒して、余計な不安材料をできるだけ解消したいように見えた。

「朱里殿、正宗様は仰る通りに甘いです。しかし、そのような正宗様だからこそ皇帝陛下は信任されたのでございますよ。人心は荒廃し乱れた世であるからこそ、人は義に厚き英雄に救いを求めるものです。今回の件はわざわざ情報を漏らさずとも、人々の想像を掻き立て人づてに荊州中に広がりましょう。さすれば正宗様の蔡一族への苛烈な処断に不満を抱く者達もおいそれとは動けなくなるでしょう」

 桂花は正宗の計画を擁護した。彼女の考えは一理あった。荊州を牛耳る蔡一族と良好な関係を築いていた者達も居たはずである。彼らは表向きは正宗に従っていても、彼らの内心を知ることは難しい。だが一つ言えることがある。幾ら彼らが正宗に対し叛意を抱こうと、その意思を行動に移すには民の信認が無くては正宗に対して反旗を翻すことは難しいということだ。その意味で荊州の民に正宗の良い人柄が伝わる噂話は正宗にとっても益になる。ひいては美羽の荊州統治を助けることになるだろう。
 朱里も桂花の話を聞き一定の理解を示している様子だったが、まだ何か言いたげな様子だった。

「軍を危険に晒してまですることではありません。兵はモノではないのです。蔡平の復讐心を満足させるために部下達を危険に晒すことなどできません」

 桂花の考えに朱里は不満を示した。

「私の判断に不服か」
「いいえ、過程はどうであれ蔡徳珪の軍に打撃を与える機会を見過ごすような愚かなことはする気はありません。ただ、ここまで正宗様に過分の計らいを受けた蔡平が正宗様にいかにして報いるつもりなのかが気になっただけです」
「蔡平に問題があるのか?」

 正宗は朱里に質問した。

「あの者は正宗様の計らいがどれ程のものか承知しているように思えません。あの者は復讐に目を曇らせ周りが見えていません」
「私は蔡平に恩を着せるために手心を加えたわけではない」
「それは分かっております」
「ですが彼女は理解する必要がございます。今後、正宗様に仕え禄を食むというなら尚のことです」

 正宗は厳しい表情で正宗に意見する朱里を見て笑みを浮かべた。

「正宗様、私は真剣に話しているのです」
「分かっている」

 正宗は真剣な表情に変わり朱里を見た。

「朱里、お前が多忙というのは分かっているが蔡平の面倒を見てくれないか?」

 朱里は驚き正宗を凝視した。

「私は蔡平と剣を交えた。あの者の剣は憎しみに満ちていた。だが、その剣技は荒削りであったが真っ直ぐであった。私はいろいろな者と剣を交えてきた。だから分かるのだ。あのように真っ直ぐな剣を振るうことができるものであれば、磨けばきっと良き官吏となることができるとな。私の夢には多くの官吏が必要となる。だが、良吏とはそうそういるものではない。良吏となれる可能性がある人材が目の前にいるのだ。ならば、育ててみたいと思うのは間違いだろうか?」

 正宗は朱里に対して自分の蔡平への想いを吐露した。それを朱里は黙って聞いていた。
 正宗の話が終わると朱里は沈黙したまま正宗の言葉に感慨深げな様子で目をつぶった。

「正宗様がそこまで蔡平をお買いになられていたのですね」

 朱里は視線を下に向け考え込む仕草をした。

「正宗様、私は少々蔡平のことを色眼鏡で見てしまったのかもしれません。未熟者である私はお許しください」

 朱里は正宗に頭を下げた。その表情は反省している様子だった。

「謝らずともいい。引き受けてもらえるか?」
「正宗様、蔡平の件は私が謹んでお引き受けいたします。ただし、一つ条件がございます」

 正宗は朱里の言葉に訝しんだ。

「条件とは何だ?」
「蔡平の復讐の件はもう何も言いません。ですが、蔡平は己の行動に責任を負わねばなりません」

 朱里の表情は真剣な表情だった。先ほどと違い蔡平の師として正宗に意見しているように見えた。その様子を感じ取り正宗も神妙な表情に変わった。

「もし、蔡一族を一人でも逃がした場合、蔡平は蔡徳珪に内通し正宗様を裏切ったとし処刑することをここでお誓いください」

 正宗は朱里の言葉に難しい表情になるが拒否はしなかった。

「蔡一族を取り逃がせば、荊州の民だけでなく荊州の諸豪族に対する正宗様への権威に傷かつくことは必定です」

 続けて朱里は正宗に説明した。それを正宗は黙って聞いていた。正宗は蔡平に失敗すれば死んで償えと伝えた。

「いいだろう。もう既に蔡平には失敗すれば死んで償えと伝えている」

 朱里は正宗の言葉を聞き目を伏せた。

「朱里、お前が気を病むことではない。無理を押して蔡平に機会を与えた。そして、蔡平はそれを望んだのだ。ここに至っては他人が口出すことではない。私に出来ることは結果を待つことだけだ」

 正宗は物憂げな表情を浮かべ優しく朱里に言った。

「正宗様、承知いたしました。蔡平は覚悟して出向くのならば、私達は見事復讐を果たし戻ってくるのを待ちましょう」

 朱里は正宗に対して気丈に答えた。

「蔡平はきっと無事に戻ってくるだろう」

 正宗は笑みを浮かべた。朱里は正宗に対して頷いた。



「朱里、お前は今夜にも蔡徳珪が夜襲を仕掛けてくると見ているのだな」

 正宗は朱里と桂花に蔡平のための復讐の場を用意することを説明し終わると、朱里と桂花が警戒する蔡瑁による襲撃について話し合っていた。正宗も今夜が危険であると危惧している様に見えた。
 正宗の問いかけに対して、それを肯定するように朱里は深く頷いた。

「正宗様もお気づきのはずです。蔡仲節達の処刑を延期したことで蔡徳珪に考える猶予を与えることになりました。そして、蔡仲節達の命の灯火はわずか。明日には処刑される運命です。動くなら今夜から日が昇る前しかないでしょう。我が軍は多くの戦場を経験した練度の高い騎兵を主力にした陣容です。野戦にて蔡徳珪軍が我が軍を圧倒することは難しいはず。それに我が軍にはまだ本隊五万が控えています。後一ヶ月もしないうちに荊州に到着します。そのため蔡徳珪は自軍の損耗をできるだけ抑えようと考えるはず。蔡徳珪が我が軍を積極的に攻める方法は限られてきます」
「奇襲。もしくは夜襲ということか?」
「はい、ですが時間的な制約を考えれば選択肢は夜襲しかありません」

 朱里は正宗に意見した。桂花も朱里の意見に同意見なのか頷いた。

「夜襲であれば攻める兵数も少なくて済むか」

 正宗は腕組みして考える仕草をした。

「今までの蔡徳珪の手口から考えて、夜襲に乗じて正宗様を暗殺しようと別働隊を用意している可能性もあります」

 桂花が正宗に言った。正宗は桂花の話に頷いた。しかし、その表情は苛立っていた。

「蔡徳珪は大馬鹿者だ。手練れの兵を使い捨てにするなど愚かとしか言いようがない」

 正宗は三度の襲撃を受けた。そのいずれも盗賊のような半端者を暗殺者として送るわけでなく、生粋の武人のような者達が暗殺者だった。希有な人材を使い潰す蔡瑁の姿勢が正宗には心底不快そうだった。

「幾ら蔡徳珪とはいえ、無尽蔵に手練れを暗殺者に立てることは無理でしょう。正宗様を襲撃する機会はこの機会を逃せばそう訪れないと蔡徳珪も思っているはずです。今回は蔡徳珪自身が出てくる可能性も十分あります」
「だが兵をいかに送り込む。少ない兵でも夜襲はできるが、こちらの兵の数は一万九千。寡兵で夜襲を仕掛けるのは自殺行為だぞ。しかし、ある程度の規模の軍を動かせば、夜陰に紛れようとが私達に気取られることを理解できないとは思えない」

 正宗は朱里の考えに対して自分の疑問をぶつけた。蔡瑁は蔡一族が処刑されようと襄陽城に籠もり自制していたのだ。その人物が無謀な作戦を決行するとは思えない。

「蔡徳珪が動くならば荊州水軍を使うはずです。現在においても水軍は割れたままです。水軍が一枚岩でない以上、蔡徳珪の命を受け動く者達もいるでしょう」

 桂花は正宗に言った。正宗は荊州水軍の存在を失念していたのか苦虫を噛みつぶしたような表情になった。

「我が軍はこの辺りの地理には疎いです。大して荊州水軍はこの辺りの河川の情報は熟知しているはず。荊州統治の要である水軍であれば、夜陰を利用して大軍を移動させる術もじ熟知している可能性があります」

 朱里は難しい表情で正宗に言った。この地の出身の伊斗香を蔡一族の追撃隊に回すことを痛い。朱里はこのことを恐れ蔡平の復讐案に乗り気ではなかったのだろう。だが、彼女も既に蔡平の件を承諾した以上、泣き言を言うつもりは無いはずだ。その証拠に朱里の表情に不安はなかった。

「朱里、蔡徳珪は蔡仲節達を救うために決死の覚悟で挑んでくると思うか?」

 正宗は朱里に問いかけた。朱里は頭を振る。

「蔡徳珪は名目上は救援のための出陣と体裁を取るでしょうが、蔡仲節達を救うと見せかけて見捨てると思っています。そのための夜襲です。夜陰に紛れての混戦した結果救うことができなかったと蔡徳珪は方便も立ちましょう」

 朱里は淡々と彼女が分析した考えを説明した。彼女の中では蔡瑁が蔡仲節達を救う可能性は限りなく低いのだろう。正宗が桂花に視線を向けた。

「桂花はどう思う?」
「朱里殿と同じ意見です。処刑を延期し間が開いたことで蔡徳珪は出てこざる終えなくなりました。何もせず襄陽城に籠もっていたとあっては彼女は臆病者の誹りを受けるでしょう。正宗様に対し籠城戦にて持久戦に撃ってでようという彼女にとって、これ以上自軍の志気を落とすことは何としても避けなければならないはず。ですが、蔡徳珪が自軍を損耗してまで、蔡仲節達を救いたいと考えているとは考えにくいです。彼女は部下を平然と切り捨てています。そして縁者である秋佳にも情け容赦ない」

 桂花の喋る様子から彼女にとって蔡瑁が万が一でも蔡仲節達を救うために動くつもりはないと確信しているようだった。彼女の中では蔡瑁の出陣は自軍への引き締めと志気を維持させるためと見ているのだろう。

「正宗様、桂花殿の言う通りです。蔡徳珪が本気で蔡仲節達を救うなどないでしょう。蔡徳珪は籠城する側です。兵も食料も物資も消耗するのみ。大して正宗様は攻める側、蔡徳珪も正宗様が荊州の諸豪族から食料物資を徴発したことは承知のはずです。この機会に乗じて蔡徳珪は我が軍の兵力を損耗させることが目的だと思います」

 朱里は沈着冷静に自分の考えを正宗に説明した。

「一族を見捨ててもか?」
「正宗様、蔡徳珪のこれまでの行動を見れば、彼女が情にて動く者でないことはわかります。実妹を殺され逆上したのは事実でしょう。しかし、蔡徳珪は幾度となく人を使い捨ててきました。極近い身内には情深くとも、その外にいる者へ向ける情などないのです。一族を殺されようと襄陽城に籠もっていたのがその証拠です。一族を殺されたことを恨みに抱いていたとしても、それは正宗様が彼女の面子を潰したことえの怒りでしょう」

 朱里は蔡瑁を軽蔑しているのか歯に衣着せない蔡瑁への評価を口にした。

「蔡徳珪は正宗への反抗心を見ても気位の高い人物だと思います。しかし、ある程度の知恵は回る人物です。そして、冷酷で残忍な性格です。自軍に多大な損耗を覚悟して攻めてくることはないでしょう。形成不利と分かれば直ぐに撤退するはず。ならば対応のしようはあります」

 桂花は朱里の説明を補足すように意見を加えた。

「蔡徳珪は荊州で州牧である劉景升の外戚して権勢を欲しいままにしてきた。その驕りから気位が高いのだろう。このまま一族を私に粛正されるのを黙って見ているのは蔡徳珪も我慢ならないであろうな。ならば私を襲撃するのは今かもしれん。我が軍は蔡徳珪が襄陽城に籠もったままであることで蔡徳珪への警戒が緩んでいることは確かだ。狡猾な蔡徳珪なら、この隙を利用しようと考えてもおかしくはない。本隊五万が荊州に到着すれば、蔡徳珪が私に野戦を挑んで勝つ機会は無いだろうからな」

 正宗は虚空を凝視した。

「朱里、桂花。蔡仲節は予定どおりに逃亡させる。私達は蔡徳珪の夜襲に備え準備するぞ。この宿営地に既に蔡徳珪の素破が潜り込んでいる可能性もある。心して動いてくれ」

 正宗は朱里と桂花に向き直り命令を下した。二人は頭を下げ正宗に対して拱手した。

「桂花、お前は麗羽の家臣であるにも関わらず、私の家臣のように扱い済まないな」

 正宗は桂花に徐に気遣う言葉を口にした。

「いいえ。気にしておりません。此度の蔡徳珪の乱を治めましたら、麗羽様を揚州刺使にご任じいただき、それと私めに相応の官職をいただきたく存じます」

 桂花は正宗に拱手したまま自らの要望を願いでた。彼女が今まで正宗に露骨に要求することは無かっただけに正宗も以外に思っている様子だ。しかし、洛陽を都落ちして冀州で亡命し現在に至るまでそれなりに時間が経過している。そろそろしっかりとした立場を正宗に用意して欲しいと思うのは自然のことといえた。正宗も彼女の要求を聞き、一瞬申し訳なさそうな表情を浮かべた。

「良かろう。元より麗羽の揚州刺使を据えるつもりでいた。荊州の混乱を理由に使持節の権限で現在の揚州刺使を罷免し、揚州刺使の治所である寿春県がある九江郡太守にお前を据えることを約束しよう。正式な任官は私が洛陽に上洛した時に皇帝陛下に上奏しよう」

 正宗の言葉を聞いた桂花は満足そうだった。

「正宗様、ありがたく存じます」

 桂花は正宗に対して礼を述べた。

「これからも麗羽を支えて欲しい。私はいずれ冀州に帰らねばならない。その時、麗羽の支えとなるのはお前だ。麗羽の第一の臣として頼むぞ」

 正宗の言葉に桂花は強く頷いた。

「元より私は麗羽様のために尽くす所存です。正宗様の志のため、麗羽様の志のために揚州を掌握してご覧にみせます」

 桂花は正宗に言うと朱里は笑顔に見ていた。漸く麗羽にも本拠地を得る目処が立ったからだろう。現在は麗羽は居候状態であったし、桂花も口には出さないが気苦労があったに違いない。

「桂花殿。まずは蔡徳珪の夜襲に備えましょう。ここで躓いては正宗様のお言葉も空手形になってしまいますよ」

 朱里は桂花に笑顔で言った。

「そうでした。蔡徳珪が夜襲を仕掛けてこなければ、それはそれで良いと思いますが用心だけはしておかなければなりませんからね。それに蔡徳珪の夜襲があった方が我が軍にとっても利は大きいかと思います。夜襲を仕掛けてきた蔡徳珪の軍を蹴散らせば、荊州の民に我が軍の精強さを知らしめることができます」

 桂花は朱里に返事すると正宗の方を向いて言った。

「蹴散らすのは構いませんが彼らには襄陽城に籠もり抗って貰わなければなりません。先のことを考え深追いは無用です。それより私達は拘束した蔡一族が一人も逃亡させないことが一番重要です」

 朱里は桂花に襲撃への対抗策の方針を話すと正宗の方を向いた。

「伊斗香殿が蔡一族の追撃に回る以上、蔡徳珪軍の夜襲があれば正宗様にも前線に出ていただくしかございません。本来は総大将に前に出ていただくなどもっての他と考えています。ですが、夜襲による混戦となれば武に長けた武将が必要になります」

 朱里は正宗のことを心配しそう見上げた。

「今や貴方様の身は貴方様だけのものではございません。ご無理はぐれぐれもなさらぬようにお願いいたします。夜襲があろうと勝つ必要はありません。彼らを撤退させればいいのです」
「分かっている」

 正宗は朱里の心配を打ち消すような自信に満ちた表情で答えた。その表情を見た朱里と桂花は正宗に拱手して陣所を去っていた。



 正宗は提出された戦後処理の資料に全てに目を通すと遅めの夕餉を食べた。彼は食事を終えると寝間着に着替え寝所に腰をかけ何かを待つように瞑目した。その様子は周囲の気配を探っているようにも見えた。蔡徳珪の襲撃を警戒しているのかもしれない。

 十二刻(三時間)程経過した頃、暗き天上に昇る月には雲が塞ぎ地上を月光が差すのを邪魔していた。兵達の多くが就寝しているのか、人の気配は疎らだった。大軍が宿営しているということもあり、等間隔に松明が掲げられ火が煌々とし幻想的な風景を作っていた。その中を時折武装した警邏の兵達が二人組で巡回をしていた。
 気温が低いのかいつになく肌寒い。辺りは静まりかえり、聞こえるのは警邏の兵の足音だけだった。正宗が宿営する場所の北の方角に大きな川が流れている。肌寒さは川が近くにあるからかもしれない。伊斗香から川辺は蔡瑁軍の奇襲の危険があると献策され、襲撃した村から五十里離れた場所に移動し宿営地とした。泉と榮菜は蔡瑁の奇襲に備えるために正宗達と合流せず襄陽県の県境を封鎖し、蟻一匹すら抜け出れないよう警戒網を敷くために正宗達とは別行動を取っていた。
 正宗は相変わらずただ瞑目していた。


 更に二刻(三十分)程経過しただろうか。瞑目する正宗の表情に変化が現れた。すると外の方が急に騒がしくなった。兵達が慌ただしく走り回る足音が聞こえた。その喧噪の中、正宗の陣所に近づいてくる足音が聞こえてきた。その足音は陣所の入り口を塞ぐ陣幕の前で止まった。

「清河王! 大変にございます!」

 近衛兵が陣所の陣幕越しに声を大にして正宗を呼びかけてきた。正宗はゆっくりと両目を見開いた。

「こんな夜更けに何事だ?」

 正宗は動じた様子もなく、冷静な様子で近衛兵に声をかけた。

「収監しておりました蔡一族が逃亡いたしました」

 近衛兵は乱れた呼吸を整えながら正宗に報告した。その様子から一目散に正宗の元に駆けてきたのだろう。

「逃亡だと!?」

 正宗は朱里と桂花と伊斗香の三人と示し合わせ蔡一族が逃亡することは既知のことだったが驚いた様子で近衛兵に声をかけた。彼は寝間着姿のまま陣幕を潜り外に急いで出た。外で片膝をつき拱手していた近衛兵は彼の姿を確認すると慌てて深々と頭を下げた。

「蒯異度様からご伝言でございます。蔡一族を追撃するため追撃隊を編成し出立するとのことでございます」
「蒯異度は既に兵を率いて出立したのか?」

 正宗は伊斗香が既に出陣したのか確認した。

「その通りにございます」

 近衛兵は正宗に即答した。

「見張りはどうした?」
「見張りの兵は酒に酔って眠っておりました。尋問したところ近隣の村の住民と名乗る者達が酒を差し入れしてきたとのことです。その酒を彼らは飲み睡魔に襲われ、彼らが目覚めた時には檻が壊され蔡一族達が既に逃げた後だったとのことです」

 近衛兵は拱手し顔を伏せたまま報告した。報告の内容を聞く限り、酒を持ち込んだ者達は胡散臭さ満載である。この付近の村は正宗による襲撃のせいか、攻撃対象でない村々の住民まで襄陽城に向けて逃げだしていた。この辺りの村々に残っている者達はかなり少ないのだ。伊斗香との段取りなしにでこのような事態に陥れば正宗も違った反応を示したに違いない。

「見張りの者達はどうしている」

 正宗は冷静な声で近衛兵に聞いた。それを正宗が激怒していると感じたのか近衛兵は自らの落ち度でないにも関わらず恐縮している様子だった。

「清河王、見張りの兵は拘束しております。如何なさいますか?」

 近衛兵は神妙な様子で正宗に意見を求めた。暗がりのせいで彼の表情は確認できないが正宗から処刑の命令を受ければ、直ちに失態を犯した兵達を処刑する腹づもりに見えた。処刑を待つ罪人を酒に酔って逃亡させたのだ。近衛兵の反応は適切といえた。

「拘束は解いてやれ」

 近衛兵の心中とは裏腹の命令を正宗は出した。

「よろしいのですか!?」

 近衛兵は正宗を驚いた表情で見ていた。敵を逃亡させたに等しい者達を見逃すと言っているのだから近衛兵の反応は正しいといえた。

「ここを逃げたところで奴らの逃げる先は襄陽城しかあるまい」
「ですが。見張りの兵は罪人を逃亡させる大罪を犯しております」

 近衛兵は正宗に意見した。

「差し出された酒に酔いつぶれた隙に罪人を取り逃がしたなどと外に漏れれば我が軍の威信に関わる。ならばことを握り潰し、初めから無かったことにした方がいい。そうは思わないか? それに蒯異度が蔡一族を皆殺しにすれば済む話だ。逃亡した蔡一族の中には幼子もいる。そうそう遠くには逃げ切れん」

 正宗に意見する近衛兵に気分を害すことなく自らの意見を近衛兵に話した。それを聞き近衛兵は一応納得した様子だった。少々釈然としない様子だったが、正宗の意見に黙って従おうと思ったのだろう。

「拘束している者達には『今夜のことは他言無用、他言した場合は死罪とする』と伝えておけ。いいな?」
「かしこまりました」

 近衛兵は正宗に拱手した。

「ところでお前は見ない顔だが新入りか?」
「鉅鹿郡都尉・臧宣高様にお引き立ていただき、此度の荊州への遠征に加えていただきました」
「榮菜の推挙か。名は何という?」

 正宗は近衛兵に声をかけた。

「孫仲台と申します。生まれは臧宣高様と同じく兗州泰山郡にございます」

 正宗は一瞬考える素振りを見せ能力で「孫仲台」なる人物を能力で照会した。すると彼は目を見開き近衛兵を凝視した。彼がまざまざと近衛兵を視線を向けると大人しめだが胸の膨らみがあった。あまりに胸が小さいので正宗は彼女のことを男と思っていたのかもしれない。その証拠に二重に驚いている様子だった。
 正宗が驚いたのは近衛兵の素性を知ったからだ。彼女は孫観(そんかん)といい。正宗の知る歴史では彼の配下である臧覇の側近だった人物だ。臧覇の側近は孫観以外に呉敦と尹礼がいる。この三人は歴史では曹操に厚遇されたことから有能だったことは間違いない。いつの間にか側に逸材が居たことに正宗は驚愕している様子だった。

「孫仲台、此度の従軍には呉黯奴と尹盧児も加わっているのか?」

 正宗は額に手を当てながら視線を孫観から逸らし、徐に呉敦と尹礼の名を出した。今度は孫観が驚いていた。正宗の発した言葉に戸惑っている様子だ。彼女からすれば、無名の自分たちを何で正宗みたいな貴人が知っているのだろうと思ったのだろう。彼女の反応から多分、二人は既に榮菜の配下となっているとみて間違いない。

「清河王、何故に二人のことを?」
「榮菜から同郷の者を仕官したと聞いていたのだ」

 正宗は冷静を装いながら咄嗟に嘘をつき孫観に答えた。孫観は納得した様子で頷いていた。

「二人は荊州に来ているのか?」
「はい。尹盧児は臧宣高様に従軍しております。呉黯奴は私と一緒に近衛に配属されました」
「榮菜の元に従軍できず残念では無かったか?」
「いいえ。近衛に配属できたお陰で清河王と知遇を得ることが出来ました。臧宣高様のご配慮感謝いたします」

 一瞬、孫観は口を噤んでいた。朝敵の族滅とはいえ、老若男女問わず虐殺する凄惨な体験をしたであろう彼女は思うところがあったのかもしれない。しかし、直ぐに平静を取り戻し正宗に返事した。その様子を正宗は見ていた。彼は彼女の態度で何か察したのか暗い表情をした。だが直ぐに正宗も表情を元に戻した。

「そうか。それは良かったな」

 正宗は孫観に笑みを浮かべて言った。

「逃亡した蔡仲節達の件は追撃隊に蒯異度がいれば問題ないだろう」

 正宗は襄陽城のある方角を見て言った。しばし、彼が空を眺めていると彼は表情をしかめ鋭い目つきに変わった。

「清河王、何かご懸念でも?」

 正宗の様子の変化に気づいた孫観は真剣な表情で声をかけた。正宗は孫観の声に反応することなく、鋭い視線を北東の方角に向けた。

「孫仲台、この地から北の方角には船が通れる程の大きな川があったはずだな?」
「はい、付近を探索した斥候の兵から仰る通りの川があると話を聞きましたが。何か問題がございましたか?」

 孫観は要領を得ない表情で正宗に答えた。正宗の表情を段と険しくし、緊張した表情で北東の方角を睨んでいた。

「北東から敵が迫ってきている」

 正宗は苦虫を噛みつぶした様な表情で北東の方角を睨んだ。その様子に孫観は戸惑いながらも状況を理解しようと平静を装っていた。伊斗香が居ない留守を狙って夜襲をしかけてきたのは嘗ての同僚を襲うのが忍びないとかではなく、自分たちのやり口を知り尽くした伊斗香を警戒してのものだろう。

「何故、敵が北東から迫っていると思われるのですか?」
「時間がない。孫仲台、諸葛清河国相、荀文若を急いで呼んでこい。二人に伝えたら、兵達をたたき起こしてこい」

 正宗は有無を言わさない態度で孫観を黙らせた。しかし、彼の雰囲気からただことでないと感じた孫観は拱手し急いで去っていた。



「正宗様、火急なお召しと聞きまかり越しました」

 正宗が軍装に着替えていると朱里と桂花が彼の陣所の陣幕越しに正宗に声をかけてきた。

「非常時だ。早く入ってくれ」

 正宗の慌ただしい様子に両名は目を合わせて陣所内に入った。

「近衛の者から敵が迫っていると聞きましたが本当ですか?」

 朱里は正宗に確認するように聞いてきた。彼女は正宗が離れた場所の人間の気を感知できることを知っているためか疑いというより、話の詳細を聞きたい様子に見えた。対して桂花は正宗の言葉に半信半疑の様子だった。しかし、正宗が秋佳の削げた鼻を再生させたのを目の当たりにしているからか、正宗の発言を戯言とは思っていないように見えた。

「本当だ。北東から敵が迫ってきている。数は五千は超えているだろう。正確な数はわからない」

 朱里と桂花は正宗の言葉を聞き冷静だった。陸路から五千もの兵を動かすなら斥候が見逃す訳がないからだ。となれば陸路から進軍してきたのではない。考えられることは一つだけだった。

「北の方角に流れる川の上流には支流がいくつか流れています。我々が把握してない支流を利用して兵を送り込んできたのかもしれません。もしくは部隊を幾つかに分けて合流したのかもしれません」
「地の利に明るくなくては無理な用兵ですね。荊州水軍が関わっていると見て間違いありません」
「二人の見立て通り蔡徳珪は夜襲を仕掛けて来たということだな」

 正宗は険しい表情を浮かべ朱里と桂花を見た。

「地の利を生かし夜襲を仕掛けて来るとは面倒なことです」

 朱里は夜襲を予見していたが、その表情は晴れない。彼女の想像以上に荊州水軍の動きが迅速であったことが予想外だったのかもしれない。

「ですが私達は運が良いです。正宗様のお陰で敵が攻めてくるのがわかっております。このまま準備を整え蔡徳珪軍を迎え討ちましょう」

 桂花は正宗と朱里を見て言った。桂花は蔡瑁を蹴散らす機会が来たことを喜んでいた。彼女は自らの才を生かす機会を得たことに昂揚しているのかもしれない。

「朱里と桂花、敵はかなり近くまで迫っている。あまり時間はない。万全の布陣を整えるのは難しいが大丈夫か?」
「既に騎兵を三千を夜陰に紛れさせています。それと、伊斗香殿の手勢を編成しなおし弓兵一千を森の中に潜ませております。後は正宗様が五千の騎兵を率い敵が進軍してくる場所を先導いただければ、後詰めの私達も戦線に加わり敵を敗走させてご覧にいれます」

 朱里が作戦を正宗に伝えた。

「正宗様、今回は蔡徳珪軍を壊走させることが目的です。決して全滅させないようにお願いいたします。孫文台には襄陽城攻めで頑張っていただかないといけません。蔡徳珪軍が壊滅状態にしては後々の計画に支障がでますのでご注意ください」
「心しておく」

 正宗が答えると朱里と桂花は正宗に拱手して踵を返し去って行った。正宗は二人が出て行くと、陣所の端に鎮座した自らの軍装に手を伸ばし急いで着替えた。 
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