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トワノクウ

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トワノクウ
  最終夜 永遠の空(二)

 
前書き
 “その程度” で ない もの 

 
 ただの土だった地面が、地獄色の骨の畑へと変えられていく。

 戸惑っていた人が一人、二人と。
 訝しんでいた妖が一体、二体と。

 がくりと項垂れたかと思うと、全身を赤黒く染め、咆哮を上げた。そして、目の前にいる者を見境なしに襲い始めた。


「な、んですか、これ」
「開いた地獄の瘴気に侵されて、理性を失っていってるだけ。一度染まれば、それこそ聖者級の術者か、何百年も生きた大妖か、あとは帝天でない限りは戻せない。君達も知ってるでしょう? 夜行が穢れを振り撒く存在だってのは。私はそれを大規模に、平等に、実行したの」

 人も妖も刀を揮い、牙を突き立て、目に入ったものは片っ端から殺していく。乱戦状態だ。

「穢れっていうのは負の念の集まり。つまりは人も妖も両方が心の底には持ってるもの。私の瘴気はそれの箍を外してあげただけ。元から嫌い合ってるのよ。どっちも」
「よ――くも。よくも、よくも、よくもぉ!」

 そうならないために梵天が、朽葉が、どんなに心を砕いてきたか。
 それを明は一瞬にしてぶち壊したのだ。

 くうは片手に大鎌を出し、凶暴な激情に任せて明の脳天に振り下ろした。

 大鎌が明の頭をかち割る、その寸前、無数の糸が大鎌に幾重にも縛り上げて大鎌を止めた。
 糸が繋がるのは、明の両の五指。

 くうは大鎌の向きを変え、糸を振り切る軌道になるよう薙いだ。狙い通り、大鎌を拘束していた糸は切れた。

 急いで翼を羽ばたかせ、明から離脱した。

「忘れた? 私は告天であると同時に、夜行。私が表に出る前から、夜行は興味を持ったモノを収集、収納してた。それは何も生き物には限らないのよ」
「そんな、物まで」

 日本史で「糸」が関わったエピソードを脳内検索してヒットした道具は、『古事記』まで遡ってようやく登場するマイナーな楽器だった。いかに前の夜行が好奇心に貪欲だったかを物語っている。

「私の相手なんてしてていいのかな? ほら見て。地上での争いは激化する一方だよ。止めなくていいの?」
「……っ」

 くうは大鎌を消して、朽葉を抱え直して地上へと翔けた。






 不忍池の穢れが弁天堂を腐敗させた時、その上にいた黒鳶たちはそれぞれの手段で散った。

 黒鳶は子飼いの猫股を出してそれに乗り、穢れた地面に接地することを避けようとした。
 だが、その子飼いの猫股こそが穢れに当てられたせいで、術の縛りが解ける前に収納し、自身の足で赤黒い地面に立たざるをえなかった。


 はぐれた仲間と合流するために走っていた黒鳶は、ほぼ同じ経緯だろうと簡単に察せられた露草と、鉢合わせてしまった。

 反射的に苦無を抜いた。相手もまた錫杖を構えた。

 武器を構えずにいられないほど高揚した気分だった。
 それは露草も同じようで、興奮した獣のように瞳孔が細まり、確かな殺気を放っていた。

 そして、それらの事実より、何より。

「今度はやり合わねえ理由はねえ――」
「――だよな……っ」

 まるで積年の宿敵同士のようだ、と思い、元からそうだったと思い出した。自分たちは本来、殺し合うのが正しい在り方。
 黒鳶は人で、露草は妖。
 人と妖は交わることのない、争い合うもの。
 彼らは同時に苦無を、錫杖を、互いに向けて突き出した。

 だが、それらの刃が、彼らを裂くことはなかった。

 くうが上から黒鳶と露草の間に割り込み、苦無と錫杖を、素手で握って止めていたのだ。

「っ、離せよ」
「離しません。離したらお二人、殺し合うじゃないですか」
「ったりめえだろ。こいつぁ妖だ。妖を殺すのが俺ら妖祓いの仕事だ」
「言われなくてもちゃんと分かってます。知ってます。()()()()()()()()()()()ってこと」

 苦無を握った白い手から、どくどくと血が流れては落ちてゆく。空恐ろしくなる勢いの出血なのに、裏腹にくうの表情は穏やかだ。

「その理由だって知っています。くうは二度、友達に殺されてますから。薫ちゃんと潤君は人で、くうは妖だったからです」

 弟子のしでかしたことも言われ、黒鳶は言葉に詰まった。

 ――過去を忘却してまっさらだった弟子に「妖は敵」、「妖を退治するのが全て」と刷り込んだのは黒鳶だ。
 彼女はその通りに行動して、同郷の友を殺した。
 弟子に、自らの命を投げ出すほどに愛していた親友を、殺させた。

 何もかもを踏みにじって許される不文律の、はずだった。

「確かに上手いこと折り合いつけて助け合ったり想い合ったりしてる人と妖もいます。でもくうには、くうと薫ちゃんと潤君にはできなかった。くう達の絆は〝その程度〟でしかなかった。()()()()()()()()()()で終わった」

 ほんの一瞬だけの寂しさが、すぐに穏やかさに塗り潰される。

「だとしても、〝その程度〟じゃないものもちゃんとあるんです。くうが傷ついた数以上に、結ばれたものも見て来たんです」

 先にくうから武器を取り返したのは、露草のほうだった。
 露草が錫杖を投げた。黒鳶はそれを、己を狙ったものだと思い、身を庇う姿勢を取った。

 そうではなかった。

 投げ放たれた錫杖は黒鳶の真上、曼珠沙華の骨の手に突き刺さった。骨の手が砕け、骨粉が散った。
 助けられたと分からない黒鳶ではない。

「前の時はお前のほうが先に頭冷やしてたな」

 ――六年前。夜行にそれぞれ縁ある者の骸をけしかけられて、先に立ち直ったのは黒鳶だった。だから彼はその時、混乱していた露草に発破をかけてやった。

「今度は俺が先だったぞ。ざまあみろ」

 したり顔で言いきる露草は、今、明らかに自分より一枚上手だった。

「露草さん……っ」

 くうの顔に喜色が浮かんだ。

 黒鳶は舌打ちし、苦無を引いた。刃を引いたことで、くうの手は自然治癒を始めた。

「黒鳶さん……」
「弟子の顔を立てて、今だけですよ」

 藤袴――長渕薫が命をなげうって痛みから救った少女。当の薫が死んだとはいえ、師としてその想いを蔑ろにはできない。
 それだけだ、と黒鳶は自身に言い聞かせた。






 止められた。たった二人だが、くうが争いをやめさせることができた。

「よかった――」

 くうは傷が治っている最中の右手を左手で胸に当てさせた。 
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