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トワノクウ

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トワノクウ
  第三十三夜 千一夜(二)

 顔を上げれば、すでに目の前には萌黄はいなかった。

 いるのは、告天である明だけ。
 明の顔に笑みは、ない。

「言っとくけど、今のはまぎれもなく過去、萌黄さんが言ったことを再現したものよ。信じる信じないは自由だけど」
「何が〝天命を告げる天子(こ く て ん)〟だ」

 低い声を発したのは梵天だった。その手には尖ったカナリア色の羽毛。

「結局はくうに苦悩の種を植えつけてのた打ち回らせたいだけ。挙句、姉の姿まで模して。無傷で帰れると思うな」

 怒っている。あの梵天が。萌黄の立体映像(ホログラム)を出されたから、怒っている。

 この“あまつき”はプロトレプリカ。鴇時によって再構築された仮想世界。
 では、千歳緑は死んで梵天になった、と証言したこの彼は。

「前にお話した千歳緑、覚えてる? その緑さんのアバターがそこの梵天よ。梵天は緑さんの意識。言っちゃえば彼は、んー、千歳緑の幽霊ってとこ」

 ドス、ドス、ドス!

 明に梵天が放った羽毛のダーツが突き立った。
 その行動が何より、明の言葉の正しさを裏付けていた。

 明がダメージを負ったからか、狭間の場所の風景は消え失せ、くうたちは元いた寺の前の道に戻っていた。

(もう何をどうすればいいのか分からない)

 未だ厳しい表情をしている梵天と、その梵天、それにくうを見比べる露草。
 彼らを置いてくうは走り出し、背中の翼を広げた。

「くう!?」

 一人になりたかった。今は誰にもこの心に触れてほしくなかった。
 涙の粒を後ろへ飛ばしながら、遠くへ行くことだけを念じて翔けた。




 くうは一本の高い櫓の上に着地し、翼を閉じた。
 屋根に座り込んで、膝を抱えた。


 〝鴇時さんひとりを救うためだけに作られて、この世に産み落とされた〟

 〝『空』という名前はね、本当に『何もない』って意味なの〟


(やっと分かった。お父さんとお母さんのなれそめ、どんなに聞いても詳しく教えてくれなかったのは。くうを手元に置いてたのは。だからだったんだ)

 とん……

 背後に何者かが着地する音がした。何者か、など思案するまでもない。今のくうを追えて、かつ空を飛べるのは一人だけ。

「梵天さん――」
「何だ。しおれているかと来てみれば、意外と普通にしてるじゃないか」
「梵天さんこそ」

 と、そこでくうは思いつき、思いきってみた。

()()()()()こそ、意外と回復早いんですね」

 梵天の面食らった表情を見て、くうは初めて梵天から一本取ってやった、と場違いな嬉しさで自身を慰めた。

 聞けば、露草は朽葉に事の次第を伝えるために別行動を取ったという。
 ならば、くうは朽葉のいる寺へ帰らなければならない。
 翼を広げようとして、梵天に止められた。化物道を使ったほうが早い、と。

 くうは肯き、梵天が開いた化物道を通り抜けて、寺の境内に出た。


 境内には、露草と、尼姿の朽葉が待っていた。

「くう!」

 朽葉が走り寄って、くうの頬から髪にかけてを撫でた。肉刺だらけの手の感触が、それでも、上質なコットンのように心地よい。

「あいつから、聞かせてもらった。お前の両親がどんな思惑をもってお前を産んだか。――大丈夫か?」

 頬にあった朽葉の手が肩へ移動した。労わってくれている。

「平気。くうは、へっちゃらですよ。ちゃんと知ってますもん。お父さんとお母さんがくうをいっぱい愛してくれてたの」
「なら産まれなんて気にしなくても……」

 言いさした露草を梵天が無言で制した。

「姉と篠ノ女の愛情が本物でなかったら。血の繋がった娘だから愛されてたんじゃなく、鴇時を救う『道具』として期待されてただけなんだとしたら。君はそれが怖いんだろう?」

 梵天の指摘は残酷なほど的確だった。

「――そうよ」

 ぎり、と唇を噛み締めてから、くうは強く睨んだ。

「親に子を愛する義務なんてないわ!!」

 肺腑から抉り出した絶叫には、さしもの兄弟も朽葉も呆然としたようだ。

「親にとって子供は厄介者か嗜好品のどっちかよ! だから! 愛するのが当たり前じゃないから! 親からの愛情は尊いんじゃないの!」

 露草が唖然としてくうを凝視している。

 いい気味だ。自分の知る世界がいかに狭いか思い知ればいい。この心の痛みに、平気な顔をしている彼を引きずり込めれば、どんなにか胸が空くだろう。

「くう」

 低い声に肩が跳ねた。

 梵天がくうを見ている。憐れむようなまなざしで。

「彼岸ではね、親は子供を殺す生き物なんです」

 落ち着くためにも、胸の内を口から出してしまうことにした。

「泣きやまなくてイライラして殺しちゃった、なんて日常茶飯事ですからね。だから、殺さず育てる親って偉大だと思います」

 ニュースでは当たり前に報道される子殺し。
 初めて見た時はショックだったが、今では()()()()世の中なのだと思える。

「でもそれより、自分が親元で育ったってことのが大きかったですね」
「? 人間の子は親元で育つものだろう?」
「彼岸では、子供は五歳程度で教育施設に入れられます。最近の家庭ほどその傾向は顕著ですから、都会で親と一緒に生活できる子供は、よっぽど親に溺愛されている子供だけなんです。中学の頃は毎日うるさいったらなかったなあ」


 “篠ノ女さんて親と一緒に暮らしてるんだー〟

 “過保護なんだねえ〟

 “箱入り?〟

 “ウチなんか田舎暮らし(スローライフ)だし。いいなー、便利でしょ〟

 “都会で親と同居とか贅沢じゃん〟


 親と離れて暮らすのが「普通」のご時世で、くうはクラスの中でも浮いた存在だった。もちろん、くう自身の性格が集団になじまないことも理由だが、「親と同居」はそれほどに〝恵まれた環境(い し つ)〟だったのだ。

「周りに親と同居している子は一人もいませんでした。それを知って、ああ、私はそんなにもお父さんとお母さんに可愛がられているんだ、と思い知りました」

 世間一般の〝普通〟に背く過剰な愛を注がれた子供は、内側からパリンと壊れてしまった。

「だからね、できれば育ててもらった恩に報いたいし、愛された分だけ返したい。お父さんとお母さんの自慢の娘になりたい。お父さんとお母さんが喜ぶことなら何でもしたい。全部、くうの本心なのに。言えば言うほど、心がカラッポになっていくのよ」

 くうは大きく息を吸い、吐いた。夜気が肺に染み、胸を冷やした。


「自分で、決めたかったな」


 星空に独白を零す。


「―――私が生きる理由……私が、自分で決めたかったな―――」


 風が吹いて、白い髪を慰撫して去った。


「泣けばいい」

 言ったのは、梵天。

「そんなにいびつにしか笑えないなら、いっそ泣いてしまえばいい」

 もし運命が一つでも違えば、ただの叔父と姪として会えていたかもしれない彼の言葉で、臨界を超えた。

 くうは梵天の胸に飛び込んだ。

「私、もう、どうすればいいのか分からない!!」

 しがみつく。吐き出す。思いの丈を、心の痛みを。

「菖蒲先生は、自分で考えずに人に聞くのはずるいって言ったけれど、もう私、自分で自分が分からないの! お父さんとお母さんから生きる理由まで与えてもらって、カラッポな私がようやく満たされるはずなのに、私、前よりむなしくなってる! 世界で一番大好きなお父さんとお母さんが、こんな私に期待してくれているのに! 私にとってすごくうれしいことのはずなのに!」

 涙が溢れて、溢れて、溢れて。
 ガランドウにこだまする父と母の願いが、篠ノ女空を内側から殺していく。

「お父さんとお母さんの期待で満たされないんじゃ、もう私、どこへ行けばいいのか分からない……!!」

 ふいに梵天の手が背中に触れた。

「君ってほんと……損な性分だよね」

 深い深い実感のこもった声に、どうしてだろう、涙が少し引いた。引いた涙の分で、くうは顔を上げる。

「俺は君が欲しがるような慰めは口にしないよ。少なくとも、親に否定されたことはないからね」

 くうは肯く。充分以上に理解している、という意で。

「だが、これだけは言わせてもらう。己をこの世に産み落とした存在だからといって、己の生き筋を勝手に決めるならば死ぬ気で抵抗すべきだ」

 今度は理解できず、くうは首を傾げた。

「俺も天網に括られていた身だ。俺達を造ったのは確かに姉さんや漆原であり、千歳コーポレーションだ。だが俺は彼らの誰にも服従する気はないし、ましてや彼らを喜ばせてやろうなどとは思わない。俺は俺の道を往く。歪めるならば、天人であろうが許さない」

 あまりに確固たる宣言に、くうはすっかり毒気を抜かれた。

 どれだけ束縛されようが彼の翼は穢れない。
 梵天はその生き様だけで、自ら立つとは何かをありありと見せつける。
 誇り高き鳥。
 これは、あまつきの命の在るべき姿だ。

(分かった。このひとを知って、そして、それをどう生かすか。私が今この場でやれること。私があまつきに呼ばれた訳)



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