トワノクウ
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トワノクウ
第三十四夜 こころあてに(一)
前書き
右に左に 傾く 心
拝啓、私の尊敬する先生。
あまりにもたくさんのことを知っていっぱいいっぱいなくうですが、なんとか元気でやっています。
坂守神社襲撃騒動は一応の落着を見て、今は平和なものです。あんな大変な事件が起きたあとでも、人間意外と日常生活を送るのに支障はないものなんですね(あ、訂正です。今のくうは妖なんでした)。
私は今、ふつーに、朽葉さんと沙門さんのお寺に再び居候しておりまして、またお手伝いさんをやっています。
他の方の近況もちょこっとだけ報告しますね。
二度の半壊もあって、六年前の再来が危惧された坂守神社は完全封鎖。
真朱さんや巫女さんとかは各地の寺社に避難しています。気休めですが、神社近隣の寺社仏閣から定期的に結界を敷きにいかせる、と菖蒲先生はお決めになりました。
陰陽寮は別のとこで大忙しです。沙門さんを訪ねてらした佐々木さんが、各地で起きる大きな土地規模の人と妖の争いの鎮圧に、陰陽寮の手勢を割いていると言ってました。
天座の方々は、狭間の森に留まるのは危険だからと居を移されました。その転居先がなんと人間のお宅なんですって。やくざ者の根城になっているところで、そこの頭の煤竹さんという方が梵天さんに傾倒? してるんだとかで。梵天さんに、菖蒲先生以外に人間のお友達がいるなんて思いもしませんでした。
梵天さんはここのとこよく菖蒲先生を訪ねます。今後の対策の話し合いだそうです。
あ、菖蒲先生はどさくさにまぎれてちゃっかり山の学校に戻ってるんです。
今日は私も、朽葉さんと一緒に、その話し合いに出かける予定なんです。
いってきます。
くうは夜空から、眼下にある山頂の校舎へ、朽葉をしかと抱えて降下した。
出迎えは校舎ではなく、裏山に面した庵から出てきた。
菖蒲だ。
「こんばんは。いらっしゃいませ、篠ノ女さん、朽葉さん」
「こんばんは、菖蒲先生」
「久しいな。先日は大変だったな」
「お互いにね」
菖蒲は初対面の日よりずっと穏やかな微笑を湛えた。
「中へどうぞ。梵天達はもう来てますよ」
朽葉と庵の中に入ると、天座の妖たちに加えて、平八や芹もおり、思い思いの位置に陣取っていた。
「おせーぞ、お前ら」
くうたちと真っ先に対面した露草が言った。座敷と土間の段差に腰かけている。
すみません、とだけ答え、朽葉ともども座敷に上がる。
次に声をかけてきたのは、囲炉裏の前でお茶の準備をしていた平八と芹だった。
「Buona sera, Una foglia, La persona dell'uccello.」
「久しいな、芹。元気そうで何よりだ」
「おそようさん。道、大丈夫だったか?」
「問題ない。くうのおかげで楽しい道行だった」
朽葉は持っていた重箱の包みを置き、囲炉裏の前に腰を下ろした。
入れ替わりに芹が席を立ち、隅で壁にもたれる梵天と、横に控える空五倍子の下へと行く。全員が揃ったので、彼らを呼びに行ってくれたのだろう。
「ほっとけ、芹、そんな奴」
「露草もこっち来いよー。端と端じゃ話しにくいぜ?」
「こ、これ芹、羽根をいじるでない!」
わいわいと騒がしくなってくる一同を楽しく眺めていたくうの横に、菖蒲が座った。
「楽しそうですね、篠ノ女さん」
くうは肯こうとしたが、不謹慎だと思い直し、菖蒲にだけ耳打ちする。
(お泊り会みたいだと思いまして)
(なるほど。そう思えば、殺伐としたこの集会も華やぎますね)
「そこ。コソコソしてないでさっさと始めるよ」
梵天の呆れ声にくうは「はーい」と返事したが、菖蒲は答えなかった。
発案者だから仕切れ、と梵天に言いつかったくうは、緊張でしどろもどろになりながら司会を始めた。
「えーとですね、本日集まっていただきましたのは、先日の菖蒲先生の就任式に現れた夜行への対策会議のためです。夜行の目的や、今後の行動を少しでも予想するために、皆さんのお知恵をお借りしたく思いますので、夜行について知っていることがある方はどんどんおっしゃってください」
と言っても、ここに集まったメンバーは、行儀よく挙手して指名されるのを待つ学童とは違う。
くうは溜息をつき、まず人側のトップである菖蒲に質問した。
「あれから坂守神社や各地の寺社で何か起きてませんか?」
「毎日のように、とはいきませんが、かなり高い頻度で小競り合いの報告をよく受けます。機動力は陰陽寮のほうが高いので、神社勢の我々は遠征に駆り出されないのが救いですかね」
次いでくうは梵天を向いた。
梵天は質問するまでもなく答え始めた。
「就任式の夜に社に突っ込んだ馬鹿どもは躾け直しておいた。ついでに他の妖にも、境界線意識を強く持つよう注意喚起しておいた」
「就任式の日の妖達は自発的に動いたんですか?」
「いや。前後の記憶があいまいな奴ばかりでね。夜行に惑わされた線がなくはない」
「同じく。主犯格を尋問しましたが、要領を得ない問答が続くばかりです」
どちらにも明が関与し、互いをけしかけ、わざと争わせた。
その可能性に、くうは訳も分からないまま落ち込んだ。
叔母。父の妹。
親戚というものを持たなかったくうにとって、篠ノ女明は初めての「血縁」で、その格はもはや「家族」であった。
沈んでいくくうの心情にはお構いなしに、菖蒲と梵天の論は続いている。
「六年前と違うのは、人にせよ妖にせよ、就任式の夜にやり合ってしまったせいで、明確な憎悪を抱いているいるということ。そしてその矛先が、完全に互いに向け合わされているということです」
「六年前のように〝共通の敵〟がいないんじゃ、確かに互いを憎み合うしかない。夜行が表舞台を降りたのは案外痛手だったね」
明は六年前、人と妖、両者共に共闘関係に持ち込めるよう立ち回ったと言った。
くうがあまつきに来てからも、鵺をけしかけて(かなり痛い思いをしたが)、鴇に最も近い朽葉にくうを巡り会わせてくれた。
(こんな考え方してる時点で、私の心情は明おばさんに傾いてるって分かりきったようなもの。明おばさんは六年前に鴇先生達の邪魔をたくさんして、たくさん心に傷をつけたんだから。だめ。だめよ、私)
「ざっくりまとめてしまえば、いつ人と妖の全面戦争が起きても不思議はないのが現状というわけだ」
朽葉のまとめ方は、本人の言う通り、本当にざっくりしていた。
そして、それに対して誰も反論しないほどには、的確だった。
休憩タイムとなってから、くうは持って来た重箱を開けた。
「ご開帳です~」
「おーっ。豪勢じゃねえか」
「Wow! Sembra Buono!!」
重箱の中身は、今夜の夜食にするために、くうと朽葉の二人で腕によりをかけて作った数々の料理だ。もちろん、植物を口にできない露草や、鶏肉料理だと共食いになる梵天と空五倍子の分も、分けて用意した。
なお、これらの料理を見て天座兄弟が「飲みたい」と言ったのだが、これは菖蒲が断固許さなかった。笑顔で。――未成年のくうや芹を気遣ってのことだと分からないくうではない。
重箱の料理を銘々摘まみながら、花が咲くのは明るいおしゃべり。
その内、話題は「この場の者たちが昔、鴇とどう接していたか」になったので、くうは真剣に耳を傾けた。
「この犬女、鴇の前でだけ猫被りやがってよ。犬のくせに」
「被ってなどおらん! 鴇の前ではあれが素だ」
「はっ。どーだか。鴇に助け出されたとたんに骨抜きのデレデレで、みっともねえったらなかったぜ」
「――ははあん? さては貴様、妬いてるのか。男同士でベタベタしようものならそれこそ男色だとでも言われかねんからな。本当は堂々とくっつけた私が羨ましいんだろう」
「な……! んなわけあるか!」
ぎゃんぎゃんと言い合う露草と朽葉。
くうはただただ圧倒され、引き攣った笑みを浮かべるしかなかった。
「せんせーモテモテ……」
「どうにもほっとけない人でしたからねえ」
「愛想をふりまくことにかけては人並み以上だったからね」
菖蒲と梵天それぞれから出た賛辞に、くうは苦笑するしかなかった。
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