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トワノクウ

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トワノクウ
  第三十三夜 千一夜(一)

 
前書き
 少女 の 産まれた 理由 

 
 夜行――叔母である篠ノ女明から〝鈴〟を預かって三日が経った。


〝薫ちゃんと中原君のことを克服できたらその鈴を鳴らして〟


 宛がわれた寺の一室で、くうはドレスに着替え、こっそりと寺を抜け出した。

 翼を広げて人のいない郊外へ行こうとしたくうは、

「どこ行くんだよ」

 知った声に、ぴゃっ、と肩を跳ねさせ、つい声のしたほうをふり返った。

「露草さん、梵天さん!?」

 驚いた。いくら深夜とはいえ、人里に彼らほど高位の妖が下りてきたことに。

 半眼の露草がつかつかとくうに歩み寄り、鈴を持ったほうの手を掴み上げた。

「――夜行か」
「あ、の――はい」
「犬憑きの女に見張らせておいて正解だったね」
「朽葉さんに?」

 梵天は折り鶴を出して見せた。確かにあれは、朽葉が前に連絡用の式神だと言ったものと同じ。

「なんかあったら頼れって言っただろうが」
「明おばさん……告天は、私自身のことで話があるみたいに言ってました。くうだけの問題に、お二人も、誰も巻き込めません」
「告天の誘いなんざ絶対ろくなもんじゃねえぞ」
「それでもくうの叔母さんです。お父さんの妹さんです。くうの、家族です」

 露草は無言で梵天をふり返る。梵天は溜息交じりに肩を竦めた。

「付いてくぞ。俺たちも。反対意見は聞かねえからな」
「どうしてそこまで。くうはくうで、鴇先生じゃないのに」
「鴇の面影重ねてんじゃねえって前にも言っただろうが」

 くうは、諦めた。
 厚意からの心配なのだと言ってほしかったが、言わせるまで問答を続けるほど、駄々っ子にはなれなかった。

「――行きます」

 くうはついに鈴を鳴らした。
 すると周囲があの〝狭間の場所〟へ塗り替わった。




 かくて、そこには水干で男装した麗人が立っていた。

「いらっしゃい。案外早かったのね」

 夜行にして告天。篠ノ女明。くうの父方の叔母であった人。

「潤君の心までは、これが案内してくれましたから」

 くうはワインレッドのスマートホン――潤の形見を出して示した。

「なるほど。それにしても、素敵で厄介な護衛(SP)付きね。隅に置けないじゃない」

 くうはつい頬を紅潮させた。

 確かに両名共に知り合いの欲目を引いても魅力的な男だ。それがくうのようなちんちくりんを心配して付いて来てくれた事実を、改めて実感してしまったのだ。

 くうは深呼吸し、きっ、と顔を明に向けた。

「明おばさん。くうに本当の業を教えてくれるって言いましたよね。でも、その前に一つだけ教えてください」
「なあに?」
「明おばさんが、どうしてあまつきに来て、夜行なんかにされたのか」
「私自身の過去バナかあ。つまんないよ?」
「でも知っておくべきだから。家族ですから」
「本当に君はいい子だなあ」

 明は快活に笑った。

「――まだ小学生だったっけ。もう曖昧。紺お兄ちゃんに会ってみたいなんて気まぐれ起こして上京して、大江戸幕末巡回展に行ったの。初めての都会が物珍しかったのかな。お兄ちゃんを探すのを忘れて遊び回った。そこのゲーセンで、たまたまやったゲームをプレイした瞬間、私はあまつきに引きずり込まれた。そのゲーム機ってのが、たまたまお兄ちゃんがあまつきに不正ログインするのに使ってた筐体だったの」
「昏睡したからあまつきに来たんじゃなくて、あまつきに来たから目覚められなくなった……?」

 兄妹の繋がりを確かめに行った者が、その繋がりによって非情の世界に放り込まれた。何という世界の皮肉。

「正解。知らずにお兄ちゃんと同じリソースでここへ来た私は、よりによって夜行なんてメインプログラムに目を付けられて、回収されてしまった。そして閉じ込められた。電子の海の底の、さらに底へ」

 ここで明は初めてネガティブな表情を浮かべた。

「この辺はさすがに千歳の選民思想を恨んだ。帝天を出し抜いた篠ノ女紺の妹なら、同じくらい優秀な頭脳の持ち主に違いないって? 馬鹿か。私とお兄ちゃんじゃあ、能力はあっても特化してる方向がまるで違うのに。――ここは土の感触がしない。木の香りがしない。光はただのライト、雨はスプリンクラー、空には網! 全部が全部、本物じゃない! 私を帰せ! 山に、森に、川に、本物の大自然の中に!」

 明は肩を上下させて息をしてしばし、冷静な顔に戻った。

「……ってね。最初は怒鳴って泣いて叫んだりもした。でもさ、これでも農民だから? 諦めるのって慣れてるのよ。で、『今』『この場』でできることないかなあって考え始めたのよ」

 強い。くうは率直に思った。篠ノ女明は強い人だ、と。
 諦めるという行為のネガティブ面を、明はポジティブなベクトルに向け直すだけの精神力の持ち主なのだと。

「――もしかして、六年前の坂守神社襲撃事件は、そのために?」

 鴇時と鶴梅が投獄されていた時。夜行による結界の破壊と操られた蛇の大妖の大暴れに始まり、ついには神社の敷地にあった全てが黒い穴に呑まれた――という話を、朽葉たちから聞いた。

「変だと思ったんです。だって()()()()()()()()()()。鴇先生が狙いなら、助けに入った露草さんと空五倍子さんが鴇先生を救出して、社の敷地を出てから強奪すればいい。そうすれば罪は全て天座が被ってくれる。なのに、明おばさんはそうしなかった。あえて蛇妖を暴れさせて、あの場に天座も陰陽衆も、脅威になりうる全員を集めた上に、怒らせるために知り合いの死体を操って見せた。もしかしたら、それは『夜行という人と妖に共通の敵』を演じて、()()()()()()()()()()()()()()()だったんじゃないかって。ずっと、そう思えてならなかったんです」

 明は目をぱちくりさせて、くうを見つめ返している。

「――すっごい。全部正解よ、それ。襲撃のタイミングからそこまで推理したの?」
「しちゃい、ました。その、すみません」
「謝ることなんてないよ。分かってくれる人がいたってだけで、とても救われる。それもそれが自分の姪ならなおさらね」

 明は自身を抱き、憐れめいた笑みを浮かべた。

「そんな君に、私は君が背負わされたもののことを告げないといけないのね」

 憫笑したまま明はその言葉を、告げた。


「君はあまつきを救うために、いえ、鴇時さんひとりを救うためだけに作られて、この世に産み落とされた。もしお兄ちゃんと萌黄さんで鴇時さんを救うのが間に合わなかった、その場合のために。この意味、聡い君なら理解できるでしょ?」


 頭のてっぺんから足の爪先まで、その意味が浸透していく。四肢の機能が麻痺していく。


「君の親は――お兄ちゃんと萌黄さんは、()()()()()()()()()君にそれ以外の働きを求めなかったの。勉強に励むことも家の手伝いをすることも友達と仲良くすることも、たった一つ期待した結果を出せないなら、二人にとっては無意味の無価値でしかないんだから。そういう捉え方では、君の名は本当に体を現してる。空虚――ひとつ以外の意味を持たされなかった君に」


 くうは立っていられずその場に崩れ落ちた。

 明は瞼を伏せ、いつのまにかくうの手から消えていた鈴を、手に持って鳴らした。

 すると、くうに歩み寄ってくる足が、ひらりと揺れるスカートの裾とストールが、長い黒髪が、胴が、胸が形成されていった。

 くうの前にその人が立った時には、その人物は完全に全体像を成していた。

「お母さん……」

 歳を経てなお若い女性のような容貌の母が、くうを悲しげに見下ろしていた。

 なぜ今ここに母がいるのか。ホログラムなのか、本人なのか。なぜあまつきに入れたのか。
 疑問はいくつも浮かんだが、くうにとってそれらは口に上るほどではなかった。
 聞きたいのは、たった今知った真実の裏側。

「私を産んだのは、鴇先生のため?」

 搾り出した声が震える。

「鴇先生のこと以外でしてきたことは、全部無駄?」

 薫と過ごした「友達」の時間。
 潤と会って知った恋の楽しさ。
 楽研の仲間と重ねた練習に、突っ走ったステージ。

 篠ノ女空にとって宝物だった全て――ただの余分、不純物、脇道。

「『空』という名前はね、本当に『何もない』って意味なの」

 萌黄かどうかも分からない人物は、語り始めた。

「私達が託そうとした身勝手な願いさえなしに、まっさらにして産んであげたかった。だから『空』にしたの。でもくうには届いてなくて、くうを苦しめちゃったね。……ごめんなさい」

 くうは両手を握り締めた。

「信じない! 信じない信じない信じない……!」

 懸命に、頑なに否定した。

「そんなの後知恵にしか聞こえないわ! こんな産み方をした私に申し訳なくて、そういう意味付けを後から足しただけでしょう!?」

 相手を傷つけるためだけの酷い言葉が、自分の口からこんなにも滑らかに出ているのを、どこか冷めた部分が分析している。

「ごめんなさい、お母さん。今は、何を言われても受け入れられないの……」

 叔母に出会い、出生を聞かされ。くうの頭と心ははち切れる寸前だった。萌黄が誠心誠意訴えたところで、くうには到底聞いていられない。

 俯いていた視界から、母の足が粒子に散るように消えていった。 
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