バフォメット
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3部分:第三章
第三章
宴の場には鰻や肉、果物等が並びパンやワインも置かれている。彼等はそれを手で食べながら美酒に美食を楽しみ話に興じている。まずは他愛のない話であった。
「実はですな」
「うむ」
騎士団の一人が王達に話をしている。
「先日カイロに行った折ですが」
「何か面白いことがあったか」
「ええ。サラセンの者達ですが」
「ふむ」
サラセンとはアラビア人達のことだ。当時キリスト教徒達はムスリムである彼等をこう呼んでいた。つまりムスリムのことも言っているのだ。
「彼等は酒を飲みません」
「その様だな」
「ですがそれが違うのです」
「違うのか」
「はい。カイロで酒盛りをしているのを見ました」
このことを語るのである。
「あのタタールの者達が飲んでいる白い酒で」
「白い酒とな」
王も教皇もそれを聞いて眉を顰めさせる。彼等がはじめて聞く酒だったのだ。
「その様なものがあるのか」
「それはまた面妖な」
「いえ、これが本当なのです」
しかし彼は言う。
「馬の乳から作りまして」
「馬の乳からか」
「そうです。それを飲んでいました」
「さらにわかりませんな」
「全くだ」
王と教皇は顔を見合わせて言い合っている。
「そんな酒があるとは」
「しかも馬の乳を飲むとは」
「不思議だと思われますね」
「想像もできぬ」
これは王の言葉である。
「馬の乳を飲むのもそこから酒を作るのもサラセンが酒を飲むのもな」
「信じられませんか」
「うむ」
「私もだ」
教皇も王に続く。その相槌の打ち方から彼が完全に王の言いなりになっているのがわかる。騎士団の者達はそれを見て内心で侮蔑の笑みを浮かべていた。もっともそれは決して表には出さないが。それでも教皇を馬鹿にしているのは事実だった。それを見せないだけなのだ。
その彼等に対して。教皇は何気なくを装い続けて問う。
「そしてだ」
「はい」
「サラセンの者達のことだが」
「その彼等ですか」
「そうだ。偶像を崇拝しているそうだな」
「いえ、それは違います」
だが彼等はそれを否定した。
「違うのか」
「むしろ彼等はそれを否定しています」
正直にこのことを述べた。
「我等が崇拝するのはいいのですが彼等の中では」
「決してないのか」
「ただ。石を拝んでいます」
今話している彼は自分が知っていることをただありのままに述べているだけだ。ここには何の悪意もない。しかし聞いている方の悪意には全く気付いていなかった。
「石をか」
「左様です。メッカにある石を」
また述べる。
「拝んでいるのです。それも毎日」
「ふむ、そうだったのか」
「我等が聞いているのと全く違いますな」
「そうだな」
教皇は王の言葉に頷く。ここでも芝居だ。
「それにしてもだ」
「ええ、全く」
「サラセンの者達のことに実に詳しい」
最初に出た悪意だった。ただし隠された悪意だ。
「よくぞそこまで知っているな」
「やはり交易で出会いますから」
「むっ、出会うとな」
「そうです」
向こうの悪意には気付かずに頷く。頷くがそれでも今は何の悪意もない肯定だった。彼等は。
「交易をしていれば当然ながら」
「教皇様」
王はここで急に真剣な面持ちになった。その顔で教皇に問う。
「これは由々しき話ですな」
「そうだな。この交易とは」
「?それは当然では」
「左様です」
騎士団の者達は二人の話に何の疑いもなく言葉を返した。
「しかもこれは教皇のお許しがあってすることです」
「ですから」
「確かに交易は許した」
教皇はそれは認めた。
「それはな」
「では何の問題もないではありませんか」
「違いますか?」
「交易は許したが出会いは許してはいない」
詭弁だった。バチカンがよく使うものだった。教皇は当時は宗教家というよりも政治家だった。信仰は方便に過ぎなかったのだ。ただ己の権勢と富の為に動いている者が多かった。バチカンの腐敗は恐ろしいまでのものでありそれは天下に知られていたがそれを恥とも思わなかったのだ。『恥を恥と思わなくなった時最も恐ろしい腐敗がはじまる』という言葉がある。その言葉通りの腐敗にあったのが当時のバチカンなのだ。
「違うか」
「!?何を仰いますか」
「我等は節度を守って」
「口では何とも言える」
己のことであるのは意識して見てはいない。
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