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真・恋姫†無双 劉ヨウ伝

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第144話 暗殺

 孫権と甘寧が海陵酒家で働きはじめて二週間が過ぎ、燕璃との約束も残すところ一週間になった。



「休み?」
「ええ、明日は店を休みます。正宗様もゆっくり休まれてください」

 燕璃は正宗にそう告げると客のいない店内の机を布巾で拭き始めた。燕璃から休みをもらった正宗は彼女の背中を凝視しがら何か考えごとをしていた。

「燕璃、無理にとは言わないが、私と手合わせをしないか?」

 正宗は徐ろに燕璃に言った。

「どういう風の吹き回しです」

 口調と裏腹に燕璃は興味有りげな表情だった。

「燕璃の腕前を知っておきたいと思っただけだ」
「喜んで受けさせていただきます。久しく剣を扱う機会が減ってよい修練となります。ただ、午後からは用事がありますから、それまででよろしければ」
「問題ない。では決まりだな。燕璃、手合わせにおあつらえ向きな場所を知っているか?」
「それなら城を出て南に百里の場所にある小高い丘があります。そこなら人の目を気にすることなく存分に剣を交えることができます」

 正宗と燕璃が話していると泉が現れた。彼女は正宗と燕璃が仲良く会話しているのを見て面白くない様子だった。未だ燕璃とのわだかまりがあるようだ。だが、一週間後は同僚になることを自覚しているためか直ぐに感情を押し殺して表情を変えた。泉の存在に気づいた燕璃は泉に気さくに声をかけた。

「満伯寧殿、無理に気を使う必要はないよ」
「無理はしてない。互いに武官。これから命を互いに預け合うことになるかもしれない。わだかまりで正宗様にご迷惑をおかけする訳にはいかない」
「真面目だね。嫌われるようなことをしたのは私だから感情をぶつけられる方が気が楽だよ」

 燕璃は泉に困った表情を浮かべながら笑顔で言った。

「『殿』付けは止めてくれ。私のことは『泉』と呼んでもらって構わない」

 泉は淡々と言った。

「申し出は嬉しいけど、心を許し合っていない相手に真名を預けてしまって本当にいいのかい? 私は満伯寧殿を信用できる人物と思っているよ」

 燕璃は真面目な表情で言った。

「何度も言っている。戦場で互いに命を預けるかもしれないのだ。わだかまりは一旦捨て置く。武官として当然の心構えであろう。だが私はお前のことが嫌いだ!」

 泉は燕璃に迷いなく答えた。

「泉、私のことは『燕璃』読んでおくれ」

 燕璃は泉のことを快活な笑みを浮かべ見ていた。彼女は泉の真っ直ぐな性格を気に入ったようだ。



 仕事着から普段着に着替えた孫権と甘寧が現れた。愛紗も一緒だった。愛紗は孫権と世間話をするくらいには仲良くなっていた。愛紗は面倒見がよく、孫権と甘寧の仕事の面倒を見ていたことが大きいのかもしれない。

「愛紗、仲謀、興覇。明日は店を休むからゆっくり休みな」
「お休みですか?」

 孫権と甘寧が尋ねてきた。

「ああ。一週間後には店を閉めるから世話になった人達に挨拶をしておこうと思ってね」
「わかりました」

 孫権は素直に返事した。甘寧も孫権に倣って返事した。甘寧は相変わらず口数が少ない。愛紗には若干心を開いているようだが、彼女が正宗の家臣であることから態度が少し余所余所しい。甘寧は正宗に何か聞きたいことがあるのか、ここ二週間時たま正宗を遠目から伺っていることがよくあった。正宗も甘寧の視線に気づいていたが無視していた。甘寧が正宗に近づくことができなかった理由は四六時中泉が側に控え目を光らせていたこともあるだろう。

「孫仲謀」

 正宗に声をかけられた孫権は以外そうに正宗を見た。普段、正宗から孫権に声をかけることはなかったからだ。

「明日の午後は暇か?」
「特に用事はありませんけど」
「なら昼餉でも取りながら話でもどうだ?」

 燕璃と愛紗は鳩が豆鉄砲を食ったような表情で正宗のことを見た。普段、正宗は孫権に対して素っ気ない。その態度からずれた行動を取る正宗に違和感を覚えるのが普通だ。泉は正宗が孫権を客将に招く話をするつもりであることを事前に聞いていたので慌てる様子はなかった。
 甘寧は泉の平静な態度に剣呑な表情を浮かべた。正宗が孫権を食事に誘うことに一番最初に反発しそうな人物が落ち着き払っているからだ。甘寧は泉から視線を正宗に移した。

「先輩、私もご一緒してもよろしいでしょうか?」

 甘寧は正宗と孫権の会話に割り込むように言った。

「甘興覇」

 正宗は甘寧の申し出に微妙な表情を浮かべたが少し思案した後に口を開く。

「構わないが、孫仲謀からはまだ『行く』と返事をもらっていないぞ」
「えっ!? 申し訳ありませんでした」

 甘寧が慌てて謝罪すると孫権を『クスッ』と小さく吹き出し笑った。孫権は甘寧の心中を察していないようだった。

「先輩、喜んでお誘いをお受けいたします」

 孫権は悪意を微塵感じさせない笑顔で返事した。

「そうか。泉、お前も同席せよ。店の差配は泉に任せる。頼めるか?」
「畏まりました」

 泉は正宗に拱手して応えた。

「正宗様、私も同席させていただけないでしょうか?」

 様子を傍観していた愛紗が正宗に声をかけてきた。愛紗もまた正宗から孫権を誘うことと泉の様子に違和感を感じじている様子だった。日頃、孫権と甘寧を後輩としてフォローしていることもあり姉御気質の愛紗は二人のことが心配になったのだろう。

「構わないぞ」

 正宗は一瞬悩み表情を浮かべるも一拍間を置いて口を開いた。愛紗が正宗に差し出がましい意見をするのでないかと懸念しているのだろう。それは十分にあり得た。泉が正宗の心情を表す様に渋い表情を浮かべた。



――翌日。

 正宗は早朝に燕璃の元を訪ねると、泉に用意させた駿馬二頭で目的である小高い丘に向かった。泉も当初は正宗に同行しようとしていたが昼餉の店の手配を任されていたこともあり泣く泣く同行を諦めた。
 現在、正宗は馬上より小高い丘の下に広がる風景を堪能していた。その隣には同じく馬に乗る燕璃が控える。
 周囲には朝露に濡れた草々が陽光を浴び輝いていた。
 開けた丘の背後には深い森が広がり巨木が雄々しく鎮座し美しい緑色を映えさせている。

「良い眺めだな」
「見渡す限りに畑と田が広がっています。今年も豊作でしょう。美羽様は立派に太守を勤められています」

 燕璃は畏まった口調で正宗に言った。

「『美羽様』か。ここには二人だけしかいない。普段通り『美羽嬢ちゃん』でも構わないぞ」

 正宗は燕璃に言い丘の上からの田園風景をしみじみと眺めていた。

「よく治めているようだな。燕璃、この場所を手合わせの場に選んだのは、この風景を私に見せたかったからか?」

 燕璃は笑みを浮かべ頷いた。

「美羽は良き為政者となったようだな。安心して華南を任せることができそうだ」
「華南ですか。世の中が乱れる時勢とはいえ。私は聞かなかったことにいたします」

 燕璃は口角を上げ笑みを浮かべ言った。

「いずれ分かることだ。私に仕える以上覚悟はしておけ」
「分かっております」

 燕璃は正宗の背中を見ながら笑みを浮かべた。

「雑談はこれ位でいいだろう。燕璃、手合わせ頼むぞ」
「はい」

 二人は馬から降り、各々の獲物を手に距離を取った。正宗は双天戟、燕璃の体躯に相応しい大ぶりの巨槍だった。



 二人は二十尺(約六メートル)の間合いを取り向かい合った。

「まじまじとみると大した獲物だな」

 正宗は燕璃の朱塗りの巨槍を上から下までまじまじと眺めながら言った。

「正宗様のほうこそ業物とお見受けいたします」

 正宗と燕璃は言葉を交わすと沈黙した。相手の隙を探そうとする両者の張り詰めた空気が一帯に漂う。あたりは虫の声すら聞こえない程に静寂を保っていた。
 数十分の睨み合いの末に最初に動いたのは正宗だった。

「甘いっ!」

 燕璃は隙を作った正宗に対して叫びと渾身の一撃を正宗に叩き込んだ。

「?」

 燕璃の一撃は正宗を捉えることはできなかった。正宗は体躯を左にずらし、闘気を込めた槍を縦にし巨槍の突撃の軌道をずらした。そのまま彼は燕璃の懐に潜り込まんと間合いを詰めようする。
 燕璃は槍を片手で軽々と操る正宗の膂力と正宗の動きに驚愕するが、彼女は間合いを詰めてくる正宗から距離を取ろうと後方に下がろうとした。戦場での場数を経験しているだけあり、行動は迅速だった。しかし、寸での処で間に合わなかった。

「貰った!」

 正宗は拳を燕璃の左腹目掛けて一撃を入れた。燕璃は顔を顰め手に持った巨槍を手放すと、険しい表情で正宗に一撃をお見舞いした。
 正宗は燕璃の一撃が直撃して左方向に吹き飛ばされる。燕璃は息を荒げ地面に落ちた自分の巨槍を拾うと正宗を確認した。
 正宗はよろめきながら立ち上がると何事もなかったように槍を構えた。

「正宗様、化け物ですか!?」

 燕璃は息を荒げながら正宗に毒吐くと巨槍を構えた。正宗による左腹の一撃が効いているのか構えに隙が出ていた。

「生まれつき体が少々頑丈でな」

 正宗は燕璃に笑みを浮かべて双天戟を構えた。彼の構えには一切の乱れがなかった。

「正宗様、変則的闘いをなさるのですね。一角の武人であれば武器のみの技巧で戦うものですよ」
「戦場に置いて武器の技巧にのみ拘るのは馬鹿げている。武器は所詮道具でしかない。武器と体術の両方を自在に扱い戦闘した方が効率的ではないか?」
「正宗様は戦場に身を長く置きすぎていらっしゃる。案外、孫文台と馬が合うと思います」

 燕璃は皮肉げな笑みを浮かべ言った。正宗は自らの戦闘スタイルが孫堅と同じと評され嬉しくない表情を浮かべていた。

「孫文台と私が一緒だと」
「一緒と申しておりません。ただ、戦への考え方が合い通づるものがあると思っただけのこと」

 正宗は大勢を深く構え双天戟を構えた。彼の周囲の空気が一気に凍りつくいく。言葉のあやだが言い得て妙と言えた。

「孫文台と同じと言われるのは癪だが。今更考えを変えるつもりもない」
「それで良いと思います。武人であれば己の道に拘りを持つものです」

 燕璃は苦しい表情だったが薄い笑みを浮かべ正宗のことを見た。

「安心しろ。死なない限りどんな深手を負っても治してやる」
「神仙の如き言葉ですな」

 燕璃は左腹が痛むのか額に脂汗を浮かべながら半信半疑の表情で正宗を見ていた。正宗は燕璃の返事には何も答えず真剣な表情で槍を構えたままだった。

「正宗様、次の一手で終わらせていただきます」
「望むところだ」

 燕璃は巨槍を構え瞑目した。正宗は燕璃が動き出すのを待っていた。呼吸を整えた燕璃は足を地面につけた状態でジリジリと正宗との間合いを詰め出した。正宗は燕璃の行動を静観してただ動きを追っていた。
 燕璃は正宗との間合いがあと少しというところで静止した。

「借りは返させていただきます!」

 燕璃は脂汗をかきながら皮肉げな笑みを浮かべ巨槍を握る手に力を入れた。巨槍に闘気が込められていくのを正宗は感じ取っていた。正宗は険しい表情を浮かべ警戒するように燕璃と巨槍を交互に凝視していた。

「燕璃、巨槍に殺気が籠っているぞ」
「正宗様が悪いのです。それに正宗様を殺せるとは思ってはおりません」

 燕璃は言い終わると同時にそれは起こった。
 燕璃は正宗との間合いを詰めることなく巨槍を突き立ててきた。正宗の目には巨槍がどういう訳か回転しているように見えた。この間合いでは巨槍が自分に届くことはないと彼は高を括っていた。しかし、彼の背筋に寒気を感じた。咄嗟に彼は間合いを取るために後方に下がった。すると、正宗が先ほどまで立っていた場所に人一人が入る位の穴が空いていた。深さは平均的な大人の腰位の深さはある。正宗は表情を引きつらせた。

「外しましたか」

 燕璃は大きな溜息をつくと巨槍で体を支えるように立ち、残念そうに独白した。

「これがお前の奥の手か?」
「ええ。外しましたけどね」

 燕璃は残念そうに言った。

「その巨槍で照準を定め相手に気を放つ。お前も気を操れるのか?」

 正宗は燕璃を驚愕した表情で見つめていた。彼はこれまで気を扱う人物と出会っていない。そのため気を操れる人間の絶対数は少ないと考えたのだろう。

「故郷の徐州に居た折に」

 燕璃は辛そうに答えると巨槍で体を支えながら片膝を着いた。彼女の息遣いから本当につらそうなことが伺い知れた。
 正宗は燕璃の容体が気になり駆け寄ろうとした。
 その時、どこからともなく十数本の矢が空から降ってきた。矢は三四本ずつ正宗達に到達し一定の時間差で放たれてきたようだった。
 正宗は矢を全て薙ぎはらうと燕璃を庇うように前面に出て矢が飛んできた先を厳しい表情睨みつけ凝視した。彼の視線の先には深い森が広がっている。正宗は森の奥を探るように目を凝らした。

「何者だ! この私を清河王と知っての狼藉か!」

 正宗は矢が放たれた森に向かって怒声を上げた。しかし、彼の言葉に反応する者はいなかった。険しい表情を浮かべた正宗は森に向かって歩き始めた。正宗は周囲の気配を探らんと気を張り巡らす。

「正宗様っ!」

 燕璃が叫ぶ声が後方から聞こえる同時に正宗の首を横に射抜ぬかんと一本の高速の矢が正宗を直撃した。
 その矢は正宗の命を狩りとるどころか傷一つつけることができなかった。正宗が肉体に気を張り巡らすことで皮膚は鋼鉄並みの硬度に変化していたためだ。
 正宗は矢の衝撃を受けた首筋を右手でさすると、その掌を凝視した。次に視線を地面に移し自分の命を狙ったであろう矢を無造作に掴み取ると鏃の部分を凝視し臭いを嗅いだ。

――鏃の表面にどす黒い何かを塗っている。鉄の臭い以外に気になる臭いはしない。毒!? 蔡瑁か? 蔡瑁やってくれるではないか。しかし、前方と左方向複数人の弓兵達による犯行か。あれだけの正確な弓の手練れを暗殺に使うなど考えられるだろうか? もしや劉表の手によるものか? いや劉表にこんな大それた真似はできない。ではやはり蔡瑁か?

 正宗は険しい表情で鏃を睨んでいた。燕璃は正宗の様子に驚愕しているようだった。常人なら即死の攻撃を受けて平然としているのだから当然の態度といえる。

「毒矢か」

 正宗はぼそりと呟くと自分を狙った矢が飛んできた方角を凝視した。その方角にはここに来た時のままの深い森が広がっている。気を探知できる正宗に気取られずに矢を放つにはかなりの距離を取る必要がある。それは弓の使い手がかなりの腕前ということだ。正宗は険しい表情で再度森の奥を睨みつけた。しかし、再び矢は飛んでくることはなかった。
 暗殺者は去ったと察したのか正宗は燕璃に近づく。

「正宗様、大丈夫なのですか!?」

 燕璃は平然としている正宗の様子に動揺している様子だった。

「大丈夫だ。それより左腹を見せてみろ。治療してやる」

 正宗は燕璃に答えると彼女の左腹を見せるように促した。

「これしきのこと大丈夫です。それより正宗様は直ぐにこの場を去られてください」

 燕璃は痛みに表情を歪めながらも正宗に逃げるように進言した。

「元々暗殺が目的であったのだろう。でなければ遠方からの弓による攻撃など面倒なことはせん」

 正宗は燕璃に淡々と言った。その言葉に燕璃は表情を変え弓が飛んできた方角を見た。

「この辺りには人の気配はない。だから伏兵はいない。私が人の放つ気を感じ取ることができることは知っているな。長弓による射程限界からの射撃と見ていい。私が警備の厳重な城から出たのをこれ幸いと見てしかけたのだろう。暗殺に失敗した以上、この場に長居はせんだろう。それよりさっさと治療するぞ。治療しづらいから地面に寝転べ」

 正宗は燕璃に寝転ぶように促すと燕璃は素直に従った。燕璃は横になろうとする時、左腹の痛みからか苦しそうな表情を浮かべていたので正宗が支えて寝させた。
 燕璃は正宗から治療してもらうことが気になるのかしきりに正宗と左腹を見ていた。

「あの正宗様」
「燕璃、悪いが左腹を見せてもらうぞ」
「えっ!?」

 正宗はそう言うと燕璃の服をはだけさせた。燕璃は胸にサラシを巻いていたのでハプニングに成らなかったが、彼女は恥ずかしそうに正宗から視線を逸らした。正宗は燕璃の態度に興味がないのか、真剣な表情で彼女の左腹を凝視した後に軽く触れた。

「ぐっ」

 燕璃は正宗に左腹に触れられると苦悶の表情を浮かべくぐもった声を上げた。

「手加減したつもりなだったのだがな。肋骨を何本かやられている。悪い悪い。だが、この程度なら問題ない」

 正宗は独白しつつ飄々と詫びを言いつつ右手を燕璃の左腹に当てた。すると正宗の左手が黄金色のように輝き始めた。

「あ暖かい」

 燕璃は独白すると、彼女は眠たそうな表情で正宗の治療を黙って受けていた。



――数十分後。

 燕璃の左腹の傷は正宗の治療で治っていた。燕璃は狐に化かされたような表情で仕切りに左腹を触っていた。

「正宗様、何をなさったんです」
「気で治したのだ」

 燕璃は正宗の言葉に驚いていた。数十分で折れた骨が修復するなどありえない。彼女が驚くのも当然だった。

「正宗様、真逆(まさか)と思いますが『五斗米道』と縁をお持ちなのですか?」
「ない」
「では、その力はどこで手に入れられたのです?」

 燕璃は正宗の両肩に掴みかかり顔を近づけて聞いてきた。

「幼少の頃から自然に使っていた。誰かに教えてもらった訳ではない」
「まことですか!?」

 燕璃は「信じられない」という表情で正宗のことを見つめていた。

「お前がどう思おうと私は生まれながらにこの力を持っていたのだ」

 正宗は面倒臭そうに燕璃の体を退けた。

「俄かに信じられませんがとりあえず正宗様の言葉信じます」
「『とりあえず』とは何だ。『とりあえず』とは。私は何も嘘は言っていないぞ」
「信じていないとは言ってはいません。あまりのことに驚いているだけです」
「ところで一つ聞いていいか?」
「何でしょう?」
「荊州で弓の名手と言えば誰だ? 長距離からでも正確に的を射抜く技量を持ち速射のできる人物だけに限る」

 正宗の言葉に燕璃は真剣な表情で黙考した。



「直ぐに思いつくのは黄漢升です」
「黄漢升?」

 正宗の表情は一瞬曇った。黄漢升といえば黄忠のことである。正宗は神妙な表情で考え込む。正宗は原作の知識がある。もし、原作通りなら黄忠には一人娘の璃々がいる。正宗への復讐に燃える蔡瑁が璃々を人質に取り無理矢理に命令したとも考えられる。

「黄漢升は確か荊州牧に仕えていたはずです」
「それは本当か?」
「本当です。前荊州刺史亡き後、後任である現在の荊州牧に仕えています」

 正宗は考え込む。

「甘興覇の可能性はないか?」

 正宗は徐に燕璃に言った。史実・演義共に甘寧は弓の名手だ。弓で人を殺しまくっている。正宗の中では彼女の華麗なる弓による殺害歴が頭の中に浮かんでいた。正宗と燕璃が手合わせをするために城を出ることも甘寧は知っている。「蔡瑁に唆され甘寧が自分を殺そうとしたのではないか」と想像していた。だが、甘寧が暗殺を行い、それが露見すれば間違いなく孫家は破滅だ。甘寧が脳筋であったとしてもあまり愚かな行為。とても甘寧が自ら進んで実行するとも思えない。だが正宗の中で甘寧への疑心がくすぶっていた。

「興覇が何で正宗様を狙わないといけないのです。それに、興覇の獲物は曲刀じゃないですか」

 燕璃は呆れたように言った。

「お前は知らないのだ。私は知っている。あいつは弓の腕前もかなりのものだ。それにあいつには動機が十分にある」

 正宗は一拍置いて喋りだした。

「あいつは私を間違いなく恨んでいる。主君である孫文台をこけにしたことがあるからな。蔡徳珪に唆され私の」
「いい加減にしてください!」

 燕璃は声を荒げて正宗に怒鳴った。

「興覇は確かに愛想が悪いですけど根を良い子と思います。正宗様の考え過ぎです。もし、そんなことをして露見すれば、興覇だけじゃなく孫文台と孫仲謀も斬首の憂き目に遭います。興覇はその位理解できる分別はあります」

 燕璃は甘寧を擁護した。正宗は燕璃の言葉に沈黙してしまった。

「少々、疑心暗鬼に陥ってしまったようだ。甘興覇のことを疑ってしまいすまない」
「もういいです。ですが、長距離から正確に矢を放つとなると荊州では黄漢升以外にないように思います。私が知らないだけで、他にも無名の弓の名手がいるかもしれませんが何ともいえません。ただ黄漢升は荊州牧の家臣です。蔡徳珪の命令とはいえ王爵にある者を暗殺する命令に大人しく従うものでしょうか? 王爵にある者は漢室の藩屏たる存在。その存在を暗殺する行為は漢室への反逆に等しいです。最悪、主君である荊州牧も連座で破滅しかねません」

 その後、正宗と燕璃は二刻(一時間位)かけて森の中を探索して暗殺の実行犯の痕跡を見つけた。
 正宗はこの探索により少人数による犯行であると結論づけた。彼は暗殺に使用された矢を全て回収した後、それを暗殺の証拠の品として持ち帰ることにした。



 正宗達は一先ず宛城に戻ると一旦別れた。正宗は自室に戻り着衣を整えると泉と合流し、孫権達と合流するため太守の役宅を後にした。燕璃は世話になった人物への挨拶回りを予定していたが、元々の予定を一部変更して宛城内の知り合いだけを訪ねることにしたようだ。 
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