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闇物語

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コヨミフェイル
  008

 自転車で五分のところに肉鳥くんの家があった。中流階級だと思われるありふれた一戸建て住宅だった。第一発見者の証言通り駐車場には停めっぱなし乗用車があった。マツダのファミリアだ。
 「ここまでしか近づけないか」
 規制線が張られている際まで近づいた。事件発覚してからしばらく時間が経っているからか、やじ馬の姿はほとんどなく、規制線の際までは簡単に近づくことができた。
 現場は一見すれば、いつもと何一つ変わらないように見えるが、いまだに実況見分が終わっていないのか玄関を鑑識とおぼしき人々が出入りを繰り返していた。家の前にも数台のパトカーが停まっている。
 日常と非日常が混在しているようで違和感を否めなかった。
 「何かわかったか、忍」
 隣にいる忍に言った。
 八九寺は僕を忍と挟むようにして並んでいる。
 「そうじゃな。二つあるぞ。朗報と悲報どちらから聞きたいかのう、我が主様よ?」
 「何故にサブキャラが主人公に重たい事実を告げるときみたく言うんだよ。どっちからでもいいから言ってくれ」
 「じゃあ悲報から言おうかのう。悲報はこの件に怪異が絡んでおることじゃな。まだ新しい怪異の臭いが残っておる」
 「そうか」
 このことに驚きはしなかった。
 薄々気付いていたのだろうか。いや、春休みから今に至るまで怒涛のように怪異絡みの事件に巻き込まれているからだろう。この事件が人間によるものだとすると、不自然な点が浮かぶことと今までに関わった怪異絡みの事件の経験からこれが怪異絡みだと無意識のうちに判断していたのだろう。
 ただ流されるままに揉まれていたわけはないというわけだ。
 「その怪異は特定はできるのか」
 「できんのう。前にも言ったと思うが、怪異は儂にとってはただの食料じゃ。それ以上でもそれ以下でもない。今はあの軽薄な小僧に拷問のように聞かされた聞きかじりの知識はあるが、怪異の臭いなんぞは覚えとらんし、覚えようとも思わん」
 「そうか……じゃあ、朗報は何なんだ?」
 「それは後ろを向いたらわかることじゃよ」
 と、忍が言ったことに疑問を抱くが早いか、
 「そこにおんのは鬼畜なお兄やんに元最凶最悪に蝸虫のお嬢ちゃんやないけ。なんや三人寄れば文殊の知恵でも検証しとんのけ?」
 と、どこか懐かしくもあり、防衛本能を刺激する京都弁が耳に入った。
 ダークカラーのパンツルックにストライプのシャツの暴力陰陽師、影縫余弦を肩に載せたオレンジ色のドルストブラウスにティアードスカートの無表情憑喪神、斧乃木余接がこちらに向かって歩いていた。
 二人はツーマンセルで不死身の怪異を専門としている。つまり、不死身の怪異を退治して回っているのだ。
 だからここにいるということは嫌でも一つの予感をさせる。
 あれは六月の十四日の月曜日。
 あの忌まわしき忌むべき詐欺師によって二人の耳に月火が不死身の怪異、しでの鳥であると知られて月火を退治されかけたが、どうにかこうにかして死闘の末に思い止まらせたという因縁がある。
 確かそのときも影縫さんは斧乃木ちゃんの肩にのっていた。影縫さんは外見からでは太っているように見えないのだけれど、少女の肩の上に影縫さんほどの大人の女性がのっているのは目立つ。
 目立ちすぎる。
 逆でもそれなりに目立つと思う。
 しかし、どうしてか警察に職務質問をされないらしい。いや、毎回撒いている――と、考えるのは突飛過ぎるか。
 まあ、専門家だからその事態に対する策は講じているのだろう。
 そんな専門家を肩にのせた斧乃木ちゃんは忍を挑発して涙目になるほどボコボコにされた経緯があるのだが、相変わらず無表情を決め込んでいる。
 清々しいほどに無表情である。まるで、そんなことはなかったような表情である――無表情だけど。
 忍はというと、僕の隣で胸の前で腕を組んで仁王立ちしている。
 威張っているようなのだが、そのあまりにも愛らしい矮躯が台なしにしているどころか、どこか健気で愛らしさを引き立たせていた。
 八九寺はというといつの間にかいなくなっていた。二人が加入して文殊の知恵作戦が実践できないと見限ったのだろうか。薄情な奴だ。
 「中らずと謂えども遠からずっというところです、影縫さん」
 と、浅くお辞儀をした。
 「ここで話すのも何ですから、場所を移しませんか」
 公共の場で怪異の話しをすることが憚れることもあるが、話が少し長くなると直感したための提案だった。影縫さんには快く受け入れてくれたようだった。
 「そうやな。なら叡光塾にせえへんか」
 という要望で、僕と忍、影縫さんに斧乃木ちゃんはあの例の廃墟に移動することとなった。


     


 場所はミミズク鳥くんの家の前から移り、例の廃墟の四階の教室、忍野が寝泊まりしていた教室、そして僕と影縫さんが(というか、ほとんど影縫さんが)暴れて床に大穴が出来ている教室である。
 職質の対策を講じているにしても、やじ馬とか警察がいるところで童女の肩の上に乗っているお姉さんと話す度胸がなかったので人目につかないこの場所を指定されてホッとするばかりである。
 ここは因縁の場所とも言うことができるが、もともと僕はそれを慮って別の教室に入ろうとしたが、影縫さんの要望でこの教室で話すことになったのである。
 「お久しぶりです、影縫さん」
 挨拶の言葉を口にしていないことに気がついて改めてお辞儀をして言った。
 僕は教室に散乱している椅子の一つを取ってきて忍を膝に載せて座っていた。影縫さんに椅子を勧めたが、やんわりと断られて、代わりに斧乃木ちゃんを座らせた。
 「そないに畏まらんでええよ。水臭いわ。おどれとうちは浅からん関係やん」
 斧乃木ちゃんの肩の上で八九寺の消失を気にしている風もなく涼しげにミステリアスに影縫さんが言う。あの件はすっかり水に流してくれたのか、それとも根に持っているが、ただ表に出していないだけなのかわからなかった。
 「ええ、まあ……」
 「殴り合って生きとる相手はたいがい仲良おしとるから気にせんでええで」
 僕の不安を察したのか、影縫さんはそう言ったが、安心させようとしているのがわかるのだが、内容が物騒で安心するどころかさらに不安にさせられる。まあ、悪い人ではないし、大丈夫だろう。
 影縫さんは既に目の前にいて驚異的なバランス感覚で斧乃木の肩の上で膝を折って僕の目線の高さに合わせていた。
 「はあ……」
 「そーゆーことやさかい仲良おするついでに聞かせてほしいことがあんねんけど、何があったんけ?」
 「一家が蒸発しました」
 影縫さんが言い終える前に割り込むように言った。
 「あなた方がいるということは、この町に怪異が、それも不死身の怪異がいるということなんですね」
 僕の言葉に影縫さんは口を挟まず、目を細めていた。
 「……全くその通りや。昨夜、うちの不手際で獲物逃がしてもてこの町に逃げ込まれてしもた。言葉もあらへん」
 口元には自嘲の笑みが浮かべられていた。本当に屈辱だったのだろう。表には出さないが、そう思えた。
 「いえ、責めているのではありません」
 これは本心だった。
 確かにてっきりただ不死身の怪異を追ってこの町にきたとばかり思っていた僕には実は影縫さんは逃がした怪異を追ってきたのだという事実は驚きに値するが、羽川に忍野メメが幾度となく返り討ちにされていると知っている僕に影縫さんを責める気にはなれなかった。忍野が時折見せるものと影縫と対峙したときに感じたものが似ていたからなのかもしれない。怪異のオーソリティが持つ独特の雰囲気だろうか。そう思うと、忍野のときのように影縫さんも失敗したことにある特殊な事情があるに違いないと思えたのだった。
 「いやいや、これは完全にうちの落ち度や。責められへんゆう方が気持ち悪いわ。蒸発したんはおどれの身内やろ」
 「そうですけど、いや、だからこそなおさら責めません」
 と、僕が言うとわかっていたのか変わらず涼しいそうな顔をしていた。
 「ゆうようになったやないけ、鬼畜なお兄やん」
 「それほどでもないですよ。それよりも、影縫さん、状況が状況です」
 「みたいやな。人が蒸発してもうたのはどお考えても、うちの逃がした怪異が関わっとるちゅうことやろ」
 「はい。いきさつを話させてもらいますと――」
 僕は現状をなけなしの国語力を総動員して説明した。誤解なく伝わったかはわからなかったが、説明はおおよそ五分で済んだ。これが忍野に世話になる度にいきさつを話しているおかげなのかと思うと、いい気分ではないが。
 説明の間影縫さんは黙って僕の言葉に耳を傾けていた。
 「話は大体わかったわ。ほんじゃあ、けじめつけに行こか」
 「え?」
 説明が終わっても考え込むように黙り込んでいた影縫さんは立ち上がると、快活に言った。てっきりこれから共闘する上で必要な情報の共有がなされるのだと思っていた僕は肩透かしを喰らったように呆然とした。
 しかし、影縫さんはまるでそんな考えは頭にないようで、それどころか
 「おどれらはここに残ってくれへんかな。さっきゆうたようにこれはうちの落ち度で、うちが取らなあかんけじめやさかい、手出しは無用やで」
 と、言った。
 声音に怒気を感じなかったが、目は鋭くぎらついていた。獲物を狙う捕食者の目だ。
 「そうはいきません、影縫さん。身内が関わっているんです」
 「わかってる上でゆうてんねん」
 なおも目に鋭い光を宿しながら澄ました風に言う影縫さん。
 「だったらなんで……」
 「まだわからないの、鬼のお兄ちゃん、もとい鬼いちゃん」
 今まで精巧な彫刻のように微動だにしなかった斧乃木ちゃんが無表情で、棒読みで言った。
 「鬼いちゃんは吸血鬼性を持つ人間だけど、結局は人間なんだよ。今まで何とか切り抜けてきたからって自分に力があると思うなよ。素人が僕達について来ても邪魔なだけ、足手まといだ。自惚れは身を滅ぼすよ、鬼いちゃん――僕はキメ顔でそう言った」
 「…………」
 図星だった。少なくはない怪異との戦いで自分は怪異のことを知っているつもりでいた、戦えると思い込んでいたのかもしれない。確かに一人では何もできなかったことはないけど、二人について行けばわずかながらでも力になれると思っていた、思い上がっていた。
 だから、その言葉は鋭く心を刺し抜いたけど、不思議と受け入れらた。言っているのが怪異だったことも関係しているのかもしれない。
 というか、その口癖まだ直ってなかったんだね。
 「言わせておれば、この三下の下等な怪異がっ!!」
 横にいた忍がただならぬほどの殺気を発した。襲い掛からなかったことが不思議に思えるほどの殺気だった。肩は怒りに震えて燗燗と光る目は斧乃木ちゃんを睨み据えていた。
 「いいんだ、忍。斧乃木ちゃんの言う通りだ」
 「じゃ、じゃが、我が主様よ!」
 一瞬のうちに殺気を引っ込めた忍が慌てて僕の方を向いた。忍は必死に僕を擁護してくれているのだろうが、僕はそのいじらしい忍を可愛いとしか思えなかった。
 なんかこれだけ切り取ると、変態の発言としか思えないな。
 「いいんだ、忍。その気持ちだけで」
 と、言うと、一瞬固まってから、はにかんで照れ臭そうに顔を背けた。しかし、それもまた一瞬ですぐに目付きを鋭くさせて斧乃木ちゃんを睨んだ。
 それに思わず苦笑いを浮かべる。
 「僕はそれでもします。何もせずにいることなんて僕にはできませんから」
 真っすぐ影縫さんの目を見つめた。
 「好きにしぃ。止めへんわ」
 例によって影縫さんは涼しげに言った。
 「でも、お姉ちゃん―」
 「ええねん」
 影縫さんは斧乃木ちゃんの脳天に拳を振り下ろして黙らせた。
 ……さすが暴力陰陽師の名を欲しいがままにする人物。式神にも容赦ねえ。
 心なしか斧乃木ちゃんの目が潤んで見えた。
 「まあ、おどれらの好きにしぃ。精精頑張りぃや。ほなな」
 影縫さんを肩にのせた斧乃木ちゃんは影縫さんをのせていないかのように軽やかに踵を返した。
 「影縫さん!」
 一歩を踏み出そうとした影縫さん、もとい斧乃木ちゃんを呼び止めたが、斧乃木ちゃんは僕の声など聞こえていなように歩を進めた。
 しかし、影縫さんは聞き入れてくれたようで
 「黄泉蛙」
 と、だけ言い残して片手を上げてひらひらさせながらい教室を出ていった。影縫さんが口にした言葉が何を示しているかなんて考えるまでもなかった。
 「忍――」
 「わかっておる」
 忍に声を掛けたが、二言目を口にする前に遮られた。
 忍は僕の膝から下りて、教室の戸口に歩いていった。
 忍には言葉が無くても伝わるらしい。これもペアリングのおかげだろうか。
 思えば忍がいなければ、今まで僕はろくに戦えてなかっただろう。忍にはよく助けられていて自分の力だけで解決できたこと少ない。障り猫しかり、囲い火蜂しかり、しでの鳥しかりだ。
 いや、僕が今までやってこれたのはこの並外れた身体能力おかげだろう。僕は忍にお世話にならなかったときはなかったということだ。
 『儂はお前様の味方ではあっても、だからと言って決して人間の味方というわけではない』
 『例えば、困っている人間がいるとするじゃろう。おそらくお前様はそやつを助ける。しかし、儂はそやつを助けはせん』
 『人類を滅ぼしたりもせんが―人類を救いもせん』
 忍はそんなルールを自分に課しているはずだったが、なし崩し的になくなっている。
 というわけで今回も忍には付き合ってもらう。図々しいにもほどがあるが、僕の我儘に付き合ってもらうことにする――僕が忍の手を借りずに済む日まで。
 しかし、八九寺はそうはいかない。
 八九寺には危ない目には遭って欲しくない。八九寺が危ない目に遭うと想像しただけで胸が裂けるように痛くなる。勿論他の皆にも危ない目には遭わせたくない。しかし、八九寺は離れ離れになった母親に会おうとして事故に巻き込まれて浮遊霊となり、十一年間さ迷い続けたのだ。だから、八九寺をこれ以上の不幸に遭わせたくないという気持ちが際限無く沸き上がるのである。これも僕の我儘なのだろうけれど、この我が儘を押し通したとしても責める者はいないだろう。
 「八九寺」
 影縫さん達が去ったことで戻ってきているであろうと踏んで八九寺の名を呼んだ。
 「わかっています。ここでお別れですね。無駄でしょうけど、くれぐれも無茶だけはしないでくださいね、とだけ言わせてもらいます」
 八九寺は戸口から顔を覗かせて言った。
 「ああ。ありがとうな、飲んでくれて」
 「青酸カリですか?」
 「ここはいつ心中の現場になったんだ!」
 「それより、阿良々木さん。青酸カリって精算(仮)みたいじゃないですか?」
 「精算に(仮)も(株)もねえよ!!ここはシリアスパートじゃなかったのか?僕が間違っているのか?」
 「う~ん。確かに清算(仮)はなかったですね。ちっとも面白くも何ともないですね」
 「そっちかよ!」
 「ああ、阿良々木さん。気付いていると思いますが、阿良々木さんが間違っていないときなんてないので『僕が間違っているのか?』という質問は無視させてもらったのですよ」
 「気付きたくねえ!」
 僕は間違っていないはずだ!!
 「お前のことを思って言ったんだぞ!」
 親切心を返せ!
 「『お前のことを揉むって言ったんだぞ!』って、阿良々木さんの変態加減の底が知れません!!」
 確かに言われてみれば、似ていなくもないフレーズだが、公然で僕はそんなことは言わねえよ!……多分。
 「ごめんなさい!今まで何度もみだりに胸を揉んでごめんなさい!!」
 「うるさいっ!!」
 忍の声だと思う間もなく僕の体は宙に舞っていた。今日三度目のアッパーを忍から有り難く顎に頂いていた。僕が八九寺と戯れ、もとい八九寺を説得している間にいつの間にか僕の下にいたらしい。アッパーで男子高校生を打ち上げるといい、さすが残り滓とは言っても元怪異最強。
 「ぐふっ、かはっ」
 受け身も取れないままに背中からアスファルトにしたたかに打ち付けられた。肺から空気を押し出されて、軽く呼吸困難に陥った。ダメージから見て、優に二メートルぐらい打ち上げられたようだ。顎も三度に渡る痛撃についに音を上げていた。しかし、幸いにも今は吸血鬼性が濃いので、既に痛みは消えていた。
 「お前様はっ…………」
 忍は音が聞こえてきそうなほどに歯を強く噛み締めて、肩を震わせていた。
 かなり虫の居所が悪いのは間違いなさそうだ。
 「儂をどれほど怒らせれば気が済むのじゃ。ものには限度があるということは聞いたことはないかのう?」
 声が震えていてさらに言葉尻が疑問形なのが忍の怒りのパラメーターが振り切っているのをありありと示していた。だとしても、八九寺を真剣に説得しようとしていた僕に対してあまりにもひどい仕打ちじゃないか。
 だが、そんな理不尽に今の忍には関係ないことだ。
 忍の墳怒の一端を担った八九寺は素知らぬ顔で口笛を吹いていた。
 こいつっ……!
 絶対に後で胸を気が済むまで揉んでやるからな!
 固く決意を胸に刻み込んで僕は覚束ない足取りで階段をおれていった。
 目的地は良くないものが溜まる場所。怪異が傷を癒すのに打ってつけの場所。
 北白蛇神社である。 
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