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闇物語

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コヨミフェイル
  009

 「黄泉蛙」
 怒りが収まった忍はそう切り出した。
 「駄洒落のような怪異じゃな。まあ、怪異は元々駄洒落にのようなものじゃしのう」
 蛙。
 両生類無尾目の総称。
 体は短く、尾はない。後肢が発達していて跳びはねるのに適した構造に変化している。舌を出して獲物を捕らえ、口に引き込む。
 「『蛙は奈良時代からその鳴き声で親しまれて歌に季語として、そして歌語として歌われてるんだよね。そう、かわずだね。まあ、厳密に言えば、かはづなんだけど。それはそれとして、忍ちゃん、フレンチクルーラーがいいかい?それともポン・デ・リングかな?』」
 似ても似つかない口まねで忍は言った。
 これはだんまりを決め込んでいた忍が忍野と例の廃墟で暮らしていたときに忍野がのべつ幕無しに忍に聞かせた怪異の知識の一部である。以前にも忍の記憶に力を借りたことがあるが、どれも台詞までは覚えていなかったはずだった。忍野が好物のゴールデンチョコレートを買ってこなかったことを根に持っているらしい。
 なかなかに執念深かい。
 五百年も生きているのに器が小さい。
 「まあ、それは別にどうだってよいのじゃが、全くとして根に持ったらんのじゃが」
 と、どこからどう見ても、見るからに不満たらたらな前置きをして続けた。
 「古今和歌集の仮名序に出てくることからどれほど蛙が親しまれてきたのかは自明じゃろう。―『花に鳴く鶯、水に住むかはづの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける』―じゃな。万葉集にもかはづが含まれておる和歌が何首も収まっておるそうじゃ」
 確か万葉集は奈良時代の終わりにできたんだっけか。
 その万葉集に収められているということは奈良時代、もしくはそれよりずっと前から歌語として使われていたことがわかる。僕を含めた現代人がどう思うかは別にして昔の人は惹かれるほどに蛙の歌声が綺麗に聞こえたのだろう。
 「にも拘わらず、蛙に纏わる説話は少ない。いわんや怪異についてはなお少ない。お前様には蛙とは言われても思い付く怪異はおらぬじゃろう?」
 まあ……ないな。
 怪異に限らず、蛙の出てくる昔話も寡聞にして知らない。
 「強いて言うならば、大蝦蟇ぐらいかのう。文字通り巨大な蛙の怪異じゃ。知名度は無いに等しいがのう。それより知名度が低いと言えば、黄泉蛙の知名度が、存在力がどれほど低いのかわかるじゃろう?そのためか黄泉蛙は不死身であり、不死身でない怪異じゃ。存在力とともにアイデンティティも稀薄じゃ。名前から転生を思わせるが――転生はせんし、殺されれば、死ぬ。じゃが、殺されない限り、生きつづける。じゃから不死身であり、不死身でない。不老じゃが、不死じゃない。なんとも中途半端なアイデンティティじゃな」
 転生。
 その言葉は僕にある怪異を彷彿とさせる。
 不死鳥、怪鳥、聖鳥。
 フェニックス。
 ホトトギスの怪異、しでの鳥は人間に托卵する怪異、つまりは不死の鳥として子を孕んだ母親の体内に転生する怪異。
 そして、僕の妹、阿良々木月火である。
 しでの鳥のときは確か不死で不老ではなかったな。
 なにかの因果を感じるのは気のせいではないだろう。
 「こやつは人間に憑依する――いや、その稀薄な存在力故か、憑依をしていないと消えてしまう。それが、この怪異が黄泉蛙とは別に要身蛙、身を要める蛙というふざけた名前がついとる由縁じゃ。黄泉蛙は死期が近づくと、憑依した人間を操って他の人間を喰らう。そして、最後には憑依した人間を喰らうのじゃろうな。タイプで言うと、しでの鳥よりかはどっちかというと吸血鬼のようなタイプの不死の怪異じゃのう。ただ怪異としての地位は吸血鬼よりはるかに下じゃし、黄泉蛙は怪異には憑依できん。身のない怪異なぞに身を要めるような馬鹿な怪異はおらんじゃろう。まあ、できたとしても儂には憑依するどころか触れることすら叶わんわ」
 最後は自慢話になったが、要するに怪異としてはそれほど強力ではないが、憑依できるということが重要なのだろう。
 怪異にとって憑依できることはそれほど珍しいことではないように思えるが。
 「いや、確かに珍しいことじゃないが、ありふれているというわけでもないぞ。お前様は憑依することができる幽霊と怪異を混同しているようじゃな。人間の感情や欲望から産まれたという点では同じじゃが、幽霊は人間から、怪異は人間の感情から産まれる点で大いに異なっておる。まあ、それはそれとしてじゃ」
 と、忍は幽霊談義に脱線しかけた話を戻した。
 「黄泉蛙は簡単には人間は喰えん。というよりかは人間を喰ってもそのまま霊的エネルギーにはならんのじゃな。人間と怪異が相容れないように人間を霊的エネルギーに変換することは容易ではないのじゃ。儂の場合、というよりかは吸血鬼の場合、喰らうことがエナジードレイン、エナジードレインが喰らうことじゃし、色ボケ猫は、エナジードレインが特性じゃから成立するのであって、黄泉蛙には憑依こそすれどそのような手段はない」
 人間を霊的エネルギーに変換するしか手段がないと、忍は続けた。
 確かに蛙にはドレイン、吸収のイメージは全くない。
 「変換するには勿論段階が必要で時間がかかる。あのアロハ小僧いわく必要な時間は一日だったかのう。物質を霊的エネルギーに変換するのは一筋縄ではいかんのじゃな」
 ならば助かる見込みは十分にあるだろう。
 不死身の怪異を専門とするツーマンセルがいるのだからと、高をくくるのは愚の骨頂だが、肩の荷が降りたのは違いなかった。
 「他に何か言っておったような気もするが………」
 忍はうんうんと唸って必死に思い出そうとしているようなのだが、思い出せないのだろう。だからと言って流石に春休みに披露した脳を掻き混ぜるあれをしてほしいとは思わない。概して思い出そうと思えば、そう思うほどに思い出せないものである。それは怪異も例外ではないようで、忍は目的地に到着するまでただしわを寄せて唸っていた。
 階段の前に自転車を停めてそれほど長くはない階段を登り、頂上を目指した。
 「遅いよ、鬼いちゃん。もう来ないかと思ったよ――僕はキメ顔でそう言った」
 階段の最後の段に斧乃木ちゃんが座っていた。
 「観客席はここだよ」
 無表情で手招きする斧乃木ちゃん。
 「観客席って」
 それに応じて僕は階段の一番上の段を目指して上りはじめた。後ろを斧乃木ちゃんを一目見ただけで不機嫌になった忍がついてきた。八九寺は例に漏れず、階段を上っている最中にいつとなく消えていた。
 「ん?」
 階段を上っている途中で不意に疑問が浮かんだ。
 静かなのである。奇妙なほどに、いや気味の悪いほどにと言うべきか。戦闘音のせの字も聞こえてこないのだ。僕の記憶が正しければ、僕との戦闘の時は床を拳打の連打で打ち抜いていたりと破壊音はかなりのものだったと思うが、今僕の耳には何一つその類の音が入ってこなかった。既に終わったのだろうかと思ったが、その予想は裏切られることとなった。
 最上段まで後八段のところで足を止めた。いや、止められたと形容した方が的を得ているだろう。
 その原因は単純に階段で見えなかった境内が見えたからだった。そこで行われていたのは戦争だった。相手の破壊を目的とした一方的で静かで小さい戦闘。
 影縫さんのすべての攻撃が相手に加えられているのだから破壊音が聞こえてこないのも当然だった。かわされたとしてもそれを次の攻撃へと繋げて相手に体勢を整える時間さえ与えない。集中してやっと影縫さんの突きや蹴りが空気を裂く音や息遣い、靴が擦れる音が聞こえる程度だった。しかし、それでもその戦闘は壮絶を極めていた。
 ただ、一方的な大人と子供の戦いでなかったらもっと迫力があっただろう。
 罰当たりにも境内の石でできた崩れかけの灯籠の間を縦横無尽に目にも止まらぬ速力で跳び移っては、蹴りや突きを見舞っているのは紛れも無く影縫さんだったが、影縫さんが圧倒的な攻撃力でもって痛め付けている中学生と思われる男子には見覚えがなかった。
 って、あれ?中学生?
 目を一度擦ってからじっくりと見たが、やはり影縫さんの攻撃に翻弄されて身動きを取れずにいるのは紛れも無く中学生の男子だった。Tシャツが影縫さんの攻撃で綺麗に真ん中から左右に裂けていた。
 「何をしているのですか、影縫さん!!」
 それを知覚するや否や、叫んでいた。
 残りの段を二段飛ばしで駆け上ったが、最上段で僕の前に立ちはだかった斧乃木ちゃんに阻まれた。
 「あれは不死身の怪異に犯されているんだよ」
 「え?」
 斧乃木ちゃんの言葉に無意識的に境内の方に目を遣った。
 月火が斧乃木ちゃんに上半身を吹き飛ばされた映像がフラッシュバックしたこともあって、頭に血が上って全く気づかなかった。それに加え、影縫さんにあまりにも気を取られて重大なことに気づいていなかった。
 服が破れているだけで、その下の体はいたって無傷だった。服の破れ方からして致命傷の一つでもしそうなものだが、体には何事もなかったように、否再生したように傷一つなかった。追い込まれているはずの少年は斧乃木ちゃん顔負けの無表情だった―顔だけに。焦りも恐怖の類もその顔からはまるで感じられなかった。
 少年は怪異に憑かれている。そう思わざるを得なかった。
 「それに実況見聞したお前様の妹御の思い人の家で嗅いだ匂いと同じ匂いが此奴からするのう」
 「じゃ……、奴が雌鳥ということか!」
 「大方そうじゃろうな」
 「影縫さん、気が済むまで殺っちゃってください―じゃなかった!憑かれているからといって、やり過ぎじゃないのかよ!」
 全く取り繕えていなかったが、何事もなく続けた。
 だけど、まあ、勿論後半部分も本心から言ったことではある。怪異に犯されているからといっても限度がある。傷が再生するにしても、再生力は無限じゃない。今は凌いでいてもいつかは再生力が底をついて、致命傷を負うかわからない。
 「前にも言ったと思うけど、お姉ちゃんはやり過ぎることがないから不死身の怪異ばかり退治してるんだよ」
 斧乃木ちゃんは僕が口を滑らせたことにまるで気にする事なく言った。
 「それは怪異が憑依していないときの話だろ!」
 「は~」
 斧乃木ちゃんは肩を竦めておもむろに大きなため息を無表情でついた。
 「だからお姉ちゃんが手加減しているのがわからないの、鬼いちゃん」
 だって、まだあの少年は体を真っ二つにされてないじゃないか。
 と、斧乃木ちゃん。
 ついさっき「お姉ちゃんはやり過ぎることがないから不死身の怪異ばかり退治してるんだよ」とか言ってなかったっけ。
 「お姉ちゃんと一度闘ってわかっていると思っていたけど、やはり鬼いちゃんは鬼いちゃんなんだね――僕はキメ顔でそう言った。あのときお姉ちゃんが本気で鬼いちゃんを殺しに掛かっていたら十中八九死んでたんだよ。感謝しないとね」
 それはそうだろうけれど、そんな感謝のされ方をされる覚えはないぞ。それに、
 「あれで手を抜いていると言いたいのか?」
 あの怒涛の攻撃がか?残像とかで拳が夥しい数に見えるぐらいに高速の攻撃を加えているのにか?アニメじゃん。
 「そのようじゃな。まあ、もう終わるみたいじゃぞ」
 割り込むようにして忍が言った。
 僕の後ろで斧乃木ちゃんを睨め付けていた忍は斧乃木ちゃんから視線を外して境内の闘いを見ていた。
 「なんか利用するようであんま気が進まへんけど、面倒やから、ありがたとお使わせてもらうで」
 そのときちょうど影縫さんが少年の腹部に痛烈な飛び蹴りをいれたときだった。僕の立ち位置からは影縫さんの足首まで少年の腹部に減り込んだのが見えてしまった。強烈にトラウマが蘇る。
 影縫さんは反動で後ろに飛び上がると華麗に一回後転し、灯籠に音も無く着地した。少年はというと、後方十メートルの崩れた北白蛇神社の本殿まで一度も地面につくことなく真っすぐに吹っ飛ばされて、叩き付けられていた。僕が数ヶ月前に忍野に張るように頼まれた札、良くないものを拡散させる札が張ってある本殿の正面の戸に叩き付けられたのだ。
 その瞬間少年は電撃を浴びたかのように体をのけ反らせて、無表情を貫いていた顔を歪ませて口を大きく開けたが、その口からは声が出ることはなく、代わりに黒いものが吐き出された。その黒いものは球体にひれのようなものがついていて、小さく数回跳びはねたかと思うと、ぴくりとも動かなくなった。
 少年は口から黒い物体を吐き出すと同時に何かから解放されたかのように膝から崩れ落ちた。意識は失っているようで、黒い物体と同様に動かなくなった。
 それを確認してから影縫さんは灯籠を軽快に跳び移って、神社の本殿に一番近い灯籠で少しだけ強く灯籠を蹴って苦も無く本殿の戸の前に降り立った。本殿は石の土台の上に建てられているので、地面に触れないという判定のようだ。少年のそばでしゃがんだ影縫さんはまるで臆する事なく黒いものを摘み上げた。
 「やはりな」
 影縫さんは黒いものをじっくり見ることもなくその黒いものを地面に落とすと、踏んだ。
 なんの躊躇も無く、踏み潰した。
 踏み潰した際弾力のあるものが押し潰されたような生生しい音がそれなりに遠くにいる僕の耳にまで届いた。その音に僕は引いたが、斧乃木は勿論、忍もまるで動じなかった。
 まあ、僕は純粋だし、二人は怪異だしな。仕方がない。
 「やはりってどういう――」
 ことですかと、訊こうとしたところで右の腰辺りが小刻みに震えた。
 携帯がメールを受信したようだったが、影縫さんの意味ありげな言葉が気にならないわけがなく、メールを見るのは聞いてからでも遅くないと思い携帯はとらなかったが、
 「見た方がええで」
 行きと同じく灯籠の上を軽快に跳び移りながらこちらに向かっている影縫さんが言った。どうやってメールの内容を知ったのかは先ほどの意味ありげな言葉ぐらい不思議で不可解だった。
 「勘や」
 そんな僕の気持ちを知ってから知らずか、影縫さんは付け足した。今日で女の勘がどれほどの驚異的なものなのか身をもって知っていた僕は影縫さんの言葉を何故か信じられた。下手な理由より納得できる気がした。
 僕はポケットから携帯を取り出し、メールを開いた。
 『from・羽川/subject・家に帰ってきて』
 羽川からだったのだが、一瞬それが羽川からなのかわからなかった。拝啓から始まり、草々で終わる堅い文体のメールがそこには皆目なかった。というか、本文がなかった。
 誰かが羽川を名乗って送り付けてきたのではないかと思えそうなものだが、『家に帰ってきて』だけで僕が頭に血を上らせて思考能力を失うには十二分に十分だった。
 僕は機械的に踵を返して階段を駆け降りようとしたが、
 「まあ、待ちいな」
 呼び止められた。
 「待てません」
 このときにまだ呼び止められて止まるほどの正気を保てられていたことが驚きだった。多分春休みの僕だったら影縫さんの制止を振り切っていたことだろう。僕も少しは成長したものだ。これが忍野のおかげなのかと思うと少し虫唾が走るけれど。
 「そう急ぎなってゆうてんねん。今からうちがゆうことはそれと関係あることやとおもうしな」
 「どういうことですか」
 「さっきうちが退治したんは黄泉蛙の子や」
 「………………えっ?」
 ……子?
 「黄泉蛙がおどれの身内を襲ったんは、回復のためやのおて、子を産むためやったんや。この町に来たんも子を産むための力を蓄えるためやったんや」
 くそっと、心底憎らしそうに舌打ちをして影縫さんは言った。
 黄泉蛙の子っていうことは、おたまじゃくし……か。
 ならあの黒いものはおたまじゃくしだったのか。それで影縫さんが「やはりな」と、言ったのも途中からこれに気づいたからだったからか。
 と、心の中で納得していたが、拭いきれない疑問が残ってはいた。
 怪異が繁殖することは寡聞にして知らない。
 僕にとって怪異は現象だという認識しかない。どこにでもいて特に何かない限り、障ることもなく、憑くこともなく、そこにいるだけのもの。そのようなものが生物のように種の存続を目的とする繁殖を行うなんてことはにわかに信じ難かった。
 「何を驚いておる、我があるじ様よ。儂だってしておるじゃろう」
 僕の困惑を察して忍が助け舟を出してくれたのだが、それは悪い方に作用した。勿論忍を責めているのではない。むしろ、繁殖の言葉から情交を連想する僕の幼稚さが悪いのだ。
 「繁殖って、お前、まさか、そんな」
 僕の頭には完全体ヴァージョンの忍がツインベッドの上でバスローブ一枚で婀娜っぽく手招きしている画が浮かんでいた。
 「お前様は何を想像しておるのじゃ」
 それが伝わったのか忍がぐりぐりと踵で僕の足を踏んでいた。口元にはニヤニヤとした笑みを浮かべていて満更でもなさそうだった。この推定六百歳の吸血鬼は、その年齢もあってか実は神原と比べものにならないほどに性に開放的なのだ。
 影縫さんと斧乃木ちゃんの物言わない視線が痛い。
 「お前様が強制命令権を片手に迫られてはさしもの儂でも従わざるを得んがのう」
 「いや、しない……から、そ、そんな……こと…………」
 俯いてもごもごと言った。
 先程まで真剣だっただけに、忍に初心であることを弄ばれることに羞恥心にかられる。恥ずかしいにもほどがある。
 「初心じゃのう。別に遠慮せんでもよいのじゃぞ?」
 それにもかかわらず、続ける忍ちゃんだった。
 完全に面白がっている。こんな状況で面白がることができるのは、六百年という人生経験のおかげなのだろうか。
 「お前様だって一時は儂の眷属じゃったろうに」
 ようやく気が済んだのか、話を本筋に戻した。
 「ん?……ああ」
 眷属。従僕たる眷属。
 吸血鬼は吸血をすることでその相手を眷属にすることができる。
 もちろんそれは吸血の一つの側面で、もう一方は『食事』。栄養補給である。
 己が純然たる従僕たる眷属を吸血により増やす、殖やすことは繁殖と形容しても何等差し支えないだろう。
 「子を産むちゅうことはそないに珍しいことやない。眷属を造ることも分身を造ることもそうや。人間に認知される手っ取り早い手段やからや」
 と、ここで黙っていた影縫さんが付け足すように言った。
 確かに数が増えれば、増えるほど、人間との遭遇率は上がり、遭遇率が上がれば上がるほど、怪異譚が増える。そして、結果的に存在力を増すことに繋がる。
 キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードならまだしも、世界を飛び回って存在を誇示するよりかは眷属を作って散らばらせる方が効率がいいのに決まっているのだ。
 「ということは生命の危機に瀕した黄泉蛙が自身の生存を棄てて黄泉蛙自体の存続を優先させたということですか」
 「そうやない」
 「えっ」
 てっきり肯定されると思っていた僕は予想と異なる答えに困惑した。
 「追っ手が迫っているこの状況で普通産まへんやろ。すぐに殺されてまうのに、と思わんけ?鬼のお兄やん」
 確かに、そうだ。
 現に退治されている。
 「うちはこれは時間稼ぎやと思う。自分が生き残るためのな」
 自分の子を何の躊躇いもなく時間稼ぎのために差し出すことに怪異と生物の違いを意識させられる。子孫を残すことより自分が生き残ることで、結果的に種の繁栄に貢献できると考えての選択なのだと思うとなおさらだ。
 「……時間を稼いで黄泉蛙は何をするつもりなんですか?時間を稼ぐということは何か策でもあるということですよね?」
 「その通りや。妹の彼氏の家族を襲ったんは子供を生み付けて、囮を造るためやったんやろうけど、そんなんで稼げる時間なんて知れとる。また人間を襲うちゅうこともできへん。なら、何する、鬼のお兄やん?」
 僕がどんな返答をするかを巣穴から獲物が顔を出すのを今か今かと待つ捕食者みたいな影縫さんの口調とは裏腹に僕はその口調にひょうひょうとした忍野を思い出せずにいられなかった。
 「何か忍野みたいですね。出し渋らないで言ってほしいんですが」
 「そないなつもりはなかったんやけど、まあ、確かに忍野くんはこないなことしそうやな。前にもそないなことを言われたっけか。ついでに忍野くんやったらこないなこともゆうんやろうな――元気ええなあ、何ぞええことでもあったんけ?」
 と、忍野なら如何にも言いそうなことをおどけて言う影縫さん。
 「頭に血を上らせてもええことはないで。ヒントをやるさかい、落ち着きぃや」
 「ヒントなんか望んでいません。時間がないんです」
 そんな影縫さんに対して苛立ちを隠さずに言った。
 しかし、影縫さんは僕の言葉を聞いておもむろに嘆息して
 「その様子やと全くわかっとらへんみたいやから、教えたるわ」
 と、呆れたように言った。
 「お人よしの忍野くんには何べんも助けられとったようやけど、今はおらへんし、堂々と言うのも何やけど、うちがここにおんのも今回はうちの不手際のせいやからや。他にも退治屋は少なからずおるけど、こないな縁もゆかりもないゆうような場所にそんな都合よお来てくれるんかなあ」
 影縫さんは嫌みっぽい笑みを浮かべて言った。
 「そんでもって聞かせてもらうけど、これからは頼れる人がおらへんときに怪異絡みの事件に巻き込まれたらどないするつもりなんかな?阿保みたいに走り回んのけ?」
 「…………っ」
 沈黙せざるを得なかった。ぐうの音もなかった。
 先程斧乃木ちゃんに窘められた直後である。自分の思慮のいたらなさが無性に情けなく、腹立たしくなった。
 「せやから一人でどうにかできるように少しでも一人で考えさせたろゆうてんねん」
 それなら初めからそう言ってほしかったという拗ねた思いもあったが、押し止めた。
 「わかりました」
 「んじゃあ、切り替えて行こか。ヒントはおどれの身内や」
 「僕の身内……?」
 唐突に影縫さんの口から出た言葉を飲み込めなかった。僕の身内という意味をではない。なぜ僕の身内がヒントになるかだ。僕の妹は怪異とは切っても切れない縁があるのは確かだ。一人は怪異の毒にやられ、一人は怪異そのものだ。しかし、それが今回の件に関して何の手掛かりとなるのか見当もつかなかった。
 「黄泉蛙に人間を喰う時間はない。なら後喰えるのは自然と絞れると思うけどな」
 と、言われれば
 「怪異……ですか」
 と、答えるしかない。人間か怪異かの二元論だ。二者択一だ。
 「その通りや」
 案の定の返答だ。
 「それと僕の身内がどう関係して――」
 「おるやん。偽もんの身内が」
 答えが出たところで疑問を投げ掛けようとしたが、遮るように、阻むように影縫さんが言った――わざわざ『偽物の』という修飾語を付けて。
 矢張りまだ完全に水に流してくれてはいないらしい。月火は影縫さんの正義の例外にしてくれたのだが、その例外も影縫さん次第では例外ではなくなるのだ。貝木なら未だしも、影縫さんに限ってそれはしないだろう。
 「僕には偽物の妹はいません。馬鹿と正義がモットーの血の繋がった妹が二人いるだけです」
 僕はお返しとばかりに言った。
 それに影縫さんは、ふん、とだけ言って話を戻した。
 「黄泉蛙が怪異を喰わんのは逆に喰われてまうほどに弱い奴やからや。せやけど、都合ええことにエネルギーの塊ゆうような不死身の怪異が自分が怪異ちゅうことも知らん戦闘力なぞ零に等しい奴ときとる。こんなにも喰らうのに打ってつけな奴はおれへんと思わんけ?」
 さらにそのお返しとばかりに不適な笑みを浮かべながら影縫さんは言った。
 「…………っ!!」
 そうだ。その通りだ。春休みに忍が三人のプロフェッショナルに襲われ、四肢を奪われたのは不死力の象徴である忍の身体を我が物とするためではなかったか。不死身の怪異は強さの程度によらず、それ自体に価値があるのだ。
 「だけど、忍にさえ見抜けなかったんですよ。それでなんで忍に引けをとる怪異が見抜けられたんです!」
 「おどれの妹はもうよお知られてもうてんねんや」
 「えっ?」
 「落ち着いてよお考えや。うちら二人におどれと旧ハートアンダーブレードに貝木。少なくとも五人にも知られとるやん。それに多分おどれは他の人にもゆうてたりするんちゃうんけ?」
 「……五人に言っています」
 羽川に戦場ヶ原、神原、千石と八九寺だ。八九寺が人に数えられかはよくわからないが、他に言い方も思い付かなかったので人に数えた。
 五人には月火に何かがあったときのために怪異であること、それも不死身の怪異であることを包み隠さず伝えた。程度の差はあれど、五人全員が驚いていた。
 けど、五人ともそれ以上のことはなかった。いつもと変わらず月火には接してくれた。
 まあ、月火に八九寺が見えていなようだが。
 「ちゅうことは少なくとも十人にも知られとるゆうことや。そんだけ知られれば、怪異の存在力に十分影響及ぼすわ。しかも、うちが無害認定を出したから、それなりに同業者にも知られているやろうしな。多分、十数人ぐらいやろな」
 「だけどたかが二十数人なんて!」
 「されど二十数人や。誰にも知られへんかったんが、急にそれほどの人に知られたんやさかい、おどれの妹の怪異としての存在力がごっつ増してもおたんやな」
 怪異の力の源はどれだけ人に知られて畏れられるかだ。どれほど、名を轟かせていた怪異だとしても、忘れ去られば、死に絶える。神も信仰されなければ廃れるようにだ。
 「くっ……、くそ!だったらこんなことをしている場合じゃねえだろ!」
 自分が火憐や月火を怪異から遠ざけようとしてことが、結局逆のことをしていたことに気付いてしまった。その不甲斐なさがさらに僕の平常心が掻き乱される。
 振り返ってがむしゃらに駆け出そうとした。体を動かして何かしている気分になって考えることから逃避しようとしていると僕は気付いてない。
 「やから、頭を冷やせ」
 だが、一歩目を踏み出す前に影縫さんに襟を掴まれて、不様な恰好でこけた。
 「離せっ」
 「自惚れもそうやけど、無鉄砲も身を滅ぼすで、鬼畜なお兄やん。いや、身内も滅ぼすんか」
 影縫さんの拘束から逃れようともがいていると、上から相変わらず涼し気に影縫さんは言った。
 「もっとはよお着く方法を教えたるから、待てゆうてんねん」
 「えっ」
 もがくのをやめて見上げた。
 「なあ、斧乃木」
 そう言って影縫さんは得意げな笑みで斧乃木を見下ろした。
 「うちは引き続き散らばったおたまじゃくしを潰しとく。せやからちょっとの間斧乃木を貸したるわ。ほんじゃあな」
 影縫さんは飛び上がると、歩くように木の枝を渡って行った。それを見送る僕と忍と斧乃木ちゃん。
 肝心の方法を聞いていないんだけど、と思っていると、
 「鬼いちゃんとなんか話したくもないけど、お姉ちゃんの命令だから仕方ない」
 これみよがしに斧乃木ちゃんが言った。口調にツンデレが微妙に含まれていることに少しの興奮を覚えたが、次の言葉がそんな興奮を吹き飛ばしてくれた。
 「鬼いちゃん、僕にしがみついて」 
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