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闇物語

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コヨミフェイル
  002

 何故か僕の妹達は使命であるかのように、宿命であるかのように兄である僕を朝になると決まって叩き起こしにくるのだ。
 そう、言葉の通り、「叩き起こし」にくるのだ。
 アニメで見る純情可憐な妹が起こしにくる画を思い浮かべたいところだが、現実との差に卒倒しそうになるのでやめておくとして、妹達が起こしにくると、いつも殴る蹴るの暴行が伴うのだ。ドメスティックバイオレンスが伴うのだ。日常的に暴力が行われている家庭なのだ。
 中学生とは思えないような剛力無双の力で襲い掛かってくるのだから、寝起きの僕に対処のしようがない。なされるがままだ。それに二人は人間の急所という急所を知り尽くしていて、人体の破壊を生業としているような奴等なのだ。毎朝のようにあちこち殴られたり、蹴られるのは吸血鬼もどきの体質でもってしても堪え難い責め苦だった。
 「兄を虐待して何が正義だ!」
 と、一見、というか完全に兄の沽券が下がるような抗議をしたことあるが、
 「兄ちゃんが正義を語るな!!」「お兄ちゃんが正義を語るな!!」
 自称正義の味方にマジギレされた。いつから僕は正義を語ってはいけなくなったのかも、何故マジギレされないといけないのかもわからなかったが、マジギレされた。そのときは僕が引いたから事なきを得たが、あれほどキレた二人を見るのは久しかった。
 そんなこともあって、対抗策として目覚まし時計を置いたことがあるが、今度は火憐の正拳突きでスクラップにされた。
 「兄ちゃんの目を覚まさせるのはあたし達の役目だ!機械に仕事は奪わせねえ!」
 まるで僕が悪の道を進もうとしているダークヒーローみたいだが、そういうことらしい。
 迷惑極まりない。
 と、言いたいところだが、これが無下にできない。
 叩き起こされているにも拘わらず、遅刻欠席早退などで出席日数ぎりぎりの僕が、妹達に起こされていなければ、今頃既に学校には通っていないだろうことは想像するに難くないのだ。もしそうであれば、皆とは出会っていなかっただろうし、こんな楽しい高校生活を送れてなかっただろう。
 そう思うと、無下にできないのだ。
 とは言え、妹達が今の僕の日常を構成している一部だということを鑑みても、学校のない週末、祝日、長期休暇の間も含めて寝ても覚めても暴力的に起こしにくることを許容できない。
 二人が僕を起こすようになったのは僕が高校に上がったときからである。すなわち、僕は堪え難いような責め苦を二年半耐えたということだ。更には日を重ねるに連れて、二人の激しさは増すばかりで、ゴールデンウィークに月火にパールで頭を打ち抜かれそうになったのは記憶に新しい。
 勿論感謝はしている。だけど、これはこれ、それはそれ。
 ことは既に一刻を争う状況なのだ、一刻の猶予も残されていないのだ。今まで怪異にどれほど殺されたかわからないのに、最期に妹に命を奪われたなんて色んな意味で笑えない冗談である。
 というわけで、僕は、八月十六日、水曜日の朝、自衛手段に打って出た。
 簡単に言えば、自衛手段。
 詳しく言えば、昨夜唐突に身の危険を察知した僕は起きたことを気取られないように初めて使うことになった携帯のアラーム機能で朝の五時にバイブするようにセットした。
 五時に目覚めた僕は掛け布団の端を掴んでスタンバっていたのだ。気取られないためでは勿論あるが、携帯をスクラップにされたくないので起きられるか不安を覚えつつバイブと設定したが、杞憂のようだった。
 だがしかし、このとき僕は昨夜の僕がこの作戦を立てたことを恨むことになった。
 これから人間兵器のような妹と一戦交えるというのに僕はその先に睡魔と静かな激闘を繰り広げる羽目になったのだ。
 僕は温かな布団の中というフィールドで上方補正された睡魔の攻撃力を考慮に入れていなかった。布団なんて睡魔の独壇場だとすぐに思い当たりそうなものであるにも拘わらずだ。
 あまりにも思慮が浅かった。元よりこの作戦もふと昨夜思い付いたもので、シュミレートをしていなかった。ぶっつけ本番である。シュミレートしていれば、この欠陥にはすぐに気づけただろう。
 だが、悔やんでいても仕方がない。既に状況開始していた。後戻りは叶わないし、別の作戦を立てている時間も無論なかった。
 ただただ妹共を待った。
 皮肉かな。このときより彼奴等に早く来てほしいと思うことはなかった。
 そして、待つこと一時間、つまり六時に差し掛かったそのときだった。
 「お兄ちゃん!朝だよっ!!」
 「兄ちゃん!!朝だぞっ!起きろー」
 二人の妹が例によって例の如く、扉を勢いよく開け放って僕の部屋を強襲してきた。耳を(つん)ざく二人の声とともに僕の布団が引きちぎらんばかりの力で引っ張られた。布団の端を掴んでいた僕も連動してベッドの上を転がった。余りにも余りある回転速度に血が遠心力で体の末端に流れて意識がブラックアウトしかけたが、頬っぺたの裏側を反射的に噛んで意識を保った。睡魔に襲われる度に噛んでいて、既にもう歯型だらけだった。
 しかし、こんな苦痛も自分の命を思えば瑣末(さまつ)ごとだ。
 体が一回転しないうちに、ベッドから転落しないうちに布団を離し、片腕を伸ばして回転運動によって僕の体に加わった力と今までの恨みつらみを乗せた裏拳を放った。
 この作戦は僕の布団が引っ張られることと僕が回転運動によって裏拳を放った場所に攻撃対象がいることが前提の、今思えば成功確率があるのかどうかも疑わしげなものだったのだが、幸いにも裏拳の軌道上にでっかいの方の妹、火憐の顔面があった。
 ここで何故僕の背丈を優に越す火憐の顔面がたかが八十センチにも満たないベッドの高さと僕の肩幅と腕を足した高さにあるのかというと、火憐と月火は中腰になって布団を引っ張っていたのだが、闘牛士のように布団を引っ張っていたために中腰のままだったのだ。腰を使って引っ張り上げるようにしていれば僕の裏拳は布団に阻まれていたことだろう。その瞬間僕の敗北が決していただろう。
 火憐と月火は布団に気を取られていてまるで僕の攻撃に気付いていない。
 馬鹿な奴め。
 僕の裏拳と火憐の顔面との距離は後数瞬あれば。この回転速度であればコンマ一秒も必要ない。
 喰らえぇぇぇぇぇぇ。
 心の中で叫んだ。それこそバトル物のアニメで仲間を全て蹴散らされて自分も立っているのもやっとの主人公が死力を振り絞ってラスボスに必殺技を放つときのように叫んだ。死力では勿論なかったが、外せば命はないことでは共通していた。
 だが、共通していたのはそこまでだった。
 後五センチ。近くて遠すぎた。
 僕が心の中で叫んでいる途中には既に僕の拳は消失していた。
 驚くばかりだが、本当に消失したのだ。先程まで火憐の顔面に到達する軌道をなぞっていた僕の拳が次の瞬間には消えていたのだ――視界から。
 僕の腕は何らかの外的力によって横に弾かれて(片方の腕だけだけれど)万歳のようになっていたのだ。
 何に弾かれたかは僕の拳のあった場所にある火憐の掌底がありありと物語っていた。後日わかったことだが、ある域を越えた格闘家は制空圏(せいくうけん)という格闘家にしか見えない領域を持っている。その領域というのは刹那(せつな)に攻撃を加えられる範囲であり、逆に言えば、その領域に侵入した攻撃には刹那に対処できるということなのだ。徒手空拳ならば、掌底が届く領域で、武器を持っているならば、武器の届く領域となる。さらに極めれば、他の物に気を取られていても、攻撃を視界の端にさえ収めていれば、反射的に阻むことできるようになるらしい。
 要すると、火憐はその域に達しているということなのだ。
 「ぐはっ」
 僕は裏拳を阻まれた事実を受け入れることができないままベッドから転がり落ちた。俯せで落ちたために鼻とか膝とかを床に強か打ち付けたので、思った以上に痛かった。
 しかし、僕はそんなことに構っていられるような状態には置かれていない。火憐に攻撃を加えて失敗したのだ。これから僕の身に何が降り懸かるのかわからなかった。
 否、わかった。拳と脚だ。
 僕の反逆に逆上していつもとは比べものにならないほどの力で痛め付けられるのだろう。それを本能的に予期したのか、ベッドから落ちるが早いか、痛みを感じるが早いか僕は土下座した。
 とっさの防御姿勢だった。
 とっさの防御姿勢が土下座という悲しい兄だった。
 「何してんだ、兄ちゃん」
 そんな悲しい兄に降り懸かったのは拳でも脚でもなく怪訝そうな声だった。
 「そうだよ朝から妹に土下座って、すっごい引いちゃうね。引き引きだね。それとも今まで私たちにしてきた悪行のすべてを命を以って償いたいということかな」
 「違うわ!」
 体を起こして突っ込んだ。
 「じゃあ何?」
 「えっ?いや……だから……」
 あれ?此奴(こいつ)等気づいてねえのか?
 それとも僕が火憐に裏拳を喰らわせようとしたことを僕の口から言わせようとしているのか?
 僕の裏拳が偶然の産物ではなく、意図的なものだったのか確証を得ようとしているのか?疑わしきは罰せず、疑わしきは被告人の利益にということなのか?
 いや、此奴等がそんな罪刑法定主義の精神から導かれる鉄則を心得ている訳がない。天地逆転しても有り得ない。疑わしきは断罪どころではすまないだろう。
 なら、本当に此奴等は気づいてねえのか?
 月火はともかくとして、僕の裏拳を弾いた火憐も怪訝そうにしているところ見ると、有り得るような気がする。
 だけど、弾いたはずだよな、此奴。それで気づいていないって。あまりにも不自然だ。
 演技……?のはずはないか。蜂の巣みたいな頭している奴がそんな器用な真似ができる訳がないしな。
 ん?待てよ。蜂の巣みたいだったら数秒前のことも忘れられるのではないか。現に火憐は僕に千単位で約束を破られているというのに僕に対する信頼は少しの揺らぎも見せない。これが記憶力の悪さからくるのであれば、火憐は驚愕すべき記憶力の持ち主ということになるよな。
 う~ん。そうであって欲しくないが、そうかもしれない。可能性は十分にある。
 ……鎌をかけてみるか。
 「それよりさあ……………………………………」
 鎌かけるにしても、どういう風に鎌かければいいのか全くわかんねえ。ていうか、鎌をかけるとか言ったが、そんな話術なんて持ってねえ。
 慣れないことはするなとよく言ったものだ。
 周囲に雄弁多弁な奴ばかりだから自分にも話術の才があるのではと勘違いしてしまった。思い上がってしまった。
 「それよりさあ、何か弾いた覚えあるか、火憐?」
 とか言ったら、蜂の巣のような頭しかない火憐は騙せても、月火は当然食い付いてくるだろう、というか火憐以外なら誰でも食い付くだろう。
 食い付かれたら最後白状させられるまで離してくれないだろう。かなり面倒な状況になるのは火を見るより明らかだった。
 「それより……?」
 言葉が詰まって黙り込んでいると、何か察したのか月火が先を言うように促してきた。
 仕方ない。ここは一度当たり障りのない雑談でもして、場を持たすしかない。
 「それより今日でもうすぐ夏休みが開けるわけだが、宿題は大方片付いたのか?」
 「大方じゃねえ。全部片付いてるぜ」
 「全部終わっているよ。お兄ちゃんの人生ぐらい終わってるよ」
 「僕の人生が終わっている前提で話をするな」
 折角妹達が正義マンごっこに(かま)けているばかりで夏休みの課題を疎かにしているのではないかと兄なりに心配してやっているというのに。
 「お兄ちゃんこそ宿題は終わらせたの?それとも人生を終わらせるの?」
 「なんでその二択なんだよ!」
 「だってそうでしょ。夏休みの宿題が終わらなかったら受験どころか卒業さえ危ぶまれるんだよ。わかってる?」
 「逆に心配されている!?」
 確かに妹達はエスカレーター式に進学できるのとは違って僕は受験だし、数え切れないほどの遅刻欠席早退した所為(せい)で僕の先生に対する心証(しんしょう)は著しく悪く、課題の提出は必要不可欠なのだ。それにも拘わらず、未だ手すら付けていない。勉強を怠っているわけではないのだ。毎日死ぬ気で頑張っているのだが、課題までに手が回らないのだ。戦場ヶ原と羽川に毎日出される課題で手一杯なのだ。羽川は自分が普通と思い込んでらっしゃるから羽川にとって『軽め』の課題は僕にとっては重いし、戦場ヶ原は絶対に意図的に僕が音を上げるぎりぎりの線まで重くしているのだ。
 「で、どうなんだよ、兄ちゃん?」
 「ぐっ……少しはやってるぞ」
 だからと言って本当のことは口が裂けても言えない。
 ここで少しでも傷を広げないようにしなければならない。風前の灯の兄の沽券を守らなければならない。
 薄っぺらな自尊心である。
 「『少しは』じゃないでしょ?」
 「すいません、まったくできてません」
 しかし、薄っぺらなだけに月火に一瞬で見抜かれてしまったようだった。
 「ほらやっぱり。やってるところ見たことないもんね」
 「鎌かけられていたのは僕の方かよ!」
 「ん?どういうこと、『鎌かけられていたのは僕の方かよ』って?」
 やっちまった!
 月火の話術に乗せられた!鎌かけられていないのに口に出してしまった!
 だめだ。このままでは月火の話術に呑み込まれて今までひた隠しにしてきたあれやこれやを全て吐かされる。まるで敏腕刑事じゃねえか。伊達に参謀役を名乗っているわけではないということかよ。
 「それと何で今日は妙に寝起きがいいのかな?まるで前もって起きていたみたいだけど」
 「そうだよ、兄ちゃん。兄ちゃんが朝一番に土下座したこともすっげー驚いたけどさ、兄ちゃんが朝一番にそんなに目がぱっちり開いているのも驚きだぜ。おどろおどろきだぜ」
 「ぐっ……」
 「自然に起きたわけがないから、目覚ましかな?う~ん。だけど、この部屋に目覚まし時計ないし、携帯のアラーム機能を使ったのかな?お兄ちゃん、携帯出して」
 「がはっ」
 勘が鋭利過ぎるわ!お前は羽川か!
 「出せないの、お兄ちゃん?」
 月火がニコニコしながら言う。
 軽く忍の凄惨な笑みより怖い。たれ目のままなのに怖い。
 「お兄ちゃんには選択権はないんだよ」
 そう言って手を差し出す月火。
 ここで渡せば、この場は切り抜けられるだろうが、携帯のアラームのログを見られた暁には携帯がいつかの目覚まし時計みたくスクラップにされただけでは収まらず、僕までもスクラップにされ兼ねない。
 だからと言って出さなかったらこの場で処刑だ。
 正義の断罪をされる。
 どっちに転んでも死しか待っていない。
 どうすればいい。どうすればいい。どうすればいい。どうすればいい。どうすればいい。どうすればいい。どうすればいい。
 「火憐ちゃん、お兄ちゃんを押さえていて」
 「ラジャー」
 脳を今までにないほどに回転させていたが、二人の強行策に敢なく阻まれた。
 火憐に一瞬で背後を取れられて、首を両腕で締め上げられた。というか、チョークスリーパーだった。
 かの怪異の王として名高いキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードは不死に究極的に近い治癒力を持っているが、弱点がないわけではないのだ。日光、大蒜、十字架、杭は勿論で、それに加えて毒は効くし、内蔵を潰されれば、治癒するまで機能はしない。
 だから締め技はかなり有効なのだ。傷つけられているわけではないので治癒力も用をなさないし、落とされれば、気絶もする。
 しかも此奴(こいつ)首が(ねじ)切れそうなほどの力で締め上げてやがる。気道潰しどころの騒ぎじゃねえ。
 以前に捩り上げた僕の腕を足で搦め捕るようにしながら、改めて自らの両腕で、僕の首を締め上げる、火憐曰(いわ)く「チョークスリーパーX」なる横文字の空手の技を掛けられたことがあるが、そのときは火憐の体調が思わしくなくてまるで極まっていなかったから、完全体のときにはこれほどまでに苦しいのかと思い知らされていた。
 「これが本当のチョークスリーパーXだっ!!」
 「チョークスリーパーXに本当も糞もねえよ!ていうか、離せ!ギブギブギブギブギブギブ」
 腕が首に減り込んできていて火憐の腰辺りを何度もタップしたが、まったく解放してくれそうもなかった。月火に殺される前に火憐に殺される。
 「まじで……や、めろ……」
 やべえ。視界が明滅しはじめやがった。
 体に力が入らねえ。
 チクショ…………僕はここまでなのか?
 なんで妹二人から命を狙われているんだろう?兄の命を奪おうとするなんて、僕の妹達はいつから正義の道を踏み外すしてしまったんだ?
 いや、最初から踏み外していたのか。
 僕が妹達の歪んだ正義を芽生えさせたときからか。
 火憐は僕の暴力によって火憐は正義に目覚めたらしい。ならば、火憐や月火がこんな風に育ったのは僕の所為である。そして、その正義により僕が罰せられようとしている。
 これは悪が滅ぶ一番多いパターンではなかろうか。
 圧政を推し進めていた君主が殺されるのは決まって虐げてきた市民によってである。
 僕のこの状況は言わば君主が市民に追い込まれた状況なのである。自業自得と言えば、自業自得である。
 と、そんなことを暗転する視界とともに薄れゆく意識でうつらうつらと考えている間に月火は僕のポケットをまさぐって、携帯を奪取していた。
 「火憐ちゃん、もういいよ」
 月火が携帯をしばらく操作してから言った。
 火憐によると、部屋の温度が氷点下に達するではないかと思うぐらいに月火の声は殺気を孕んでいたらしいが、意識が消えかけている僕にはそれがただの雑音にしか聞こえていなかった。
 「お、おう」
 しかし、火憐はそのただならぬ気配を察知してすぐに僕を解放して離れた。
 「がはっ、かはっ。は~っかはっごほっ」
 唐突に息ができるようになって肺に空気を取り込もうとする生存本能のままに空気を吸い込もうとして思わず咳込んでいた。
 落とされかけただけあって、意識がまだはっきりしないし、視界もぼやけている。
 「お兄ちゃん、もう私たちが必要ないんだね」
 徐々に視界は回復しているようであるが、未だにぼやける視界の中を月火を探して視線を泳がせたものの見つけられたものは中に浮く月火の着ていた浴衣と同色のようであるシミとその上に浮く月火の黒髪と同色のシミだけだった。
 「どういうことだよ。いつ僕がそんなことを言った?」
 ボーッとする意識の中慎重に言葉を選んでそれを紡いだ。
 この状態で襲われたら一溜まりもない。
 「だって、携帯のアラームを使っていないということは自分で目覚ましなしで起きたってことでしょ」
 「あん?」
 アラームを使っていない?
 いや、使ってるはずだ。目覚ましなしで僕が起きれるわけがない。
 じゃあ、どういうことだ。
 「惚けないで!」
 思考を月火のヒステリーを起こしたような声に阻まれた。
 「何を惚けるってんだよ!」
 「いつから一人でも起きれるようになったのよ!?」
 「起きれてねえよ!」
 「起きてるじゃん!?」
 「今日は……たまたまだ!」
 「つまり、いつかは私たちが不要になるってことじゃん!」
 要するにヒステリーになってる妹は今まで全く一人で起きられなかった僕がたまたま起きられるようになったということは、つまりいつかは人の手を借りずに起きられるようになっている前触れでそのいつかの日に自分達がお役御免になると言いたいのだろう。
 「マジか!!あたし達御祓い箱にされるのか!」
 「ややこしくなるからお前は引っ込んでろ!それとお前等が僕を起こせなくなったら何が困るんだ?僕を起こす必要がなくなるんだぞ?」
 そんでもって僕より早く起きる必要がなくなるんだぜ?
 「お兄ちゃんはいいの、それで?家族との繋がりがなくなるんだよ?」
 「どうしたらそんな論理の飛躍ができるんだ!!」
 今回ばかりは解説はできない。全く以って意味がわからない。家族との繋がりって、妹共との繋がりならまだ分かるにしもだ。
 「だって唯一の家族との繋がりであるところの食卓の団欒に付き合っているのは世間体のためでしょ?」
 「違うわ!」
 食卓の団欒も家族との唯一の繋がりじゃねえよ!
 「挨拶も社交辞令でしょ?」
 「僕はそんな薄情じゃねえよ!」
 「男子が『助けて!』って言ってきても、『んー、遠慮しとく』とか社交辞令で言うんでしょ」
 「何でそのエピソード知ってんだよ!ていうか、それはもはや社交辞令じゃねえよ!」
 多分、というか絶対戦場ヶ原が此奴等に吹き込んだな。先日妹共に戦場ヶ原を紹介したばかりなんだけどな。結構気が合ってみたいだったしな、そのときに吹き込んだんだろう。
 「ったく……。そんなことを真に受けやがって、僕はどこぞの地球撲滅軍の英雄みたいな薄情者じゃねえよ」
 立ち上がって言った。足はふらつかなかったし、意識もはっきりしていて既に視界が完全に回復していた。
 一安心である。
 「本当か?」
 火憐が不安の色を呈した目で覗き込んでくる。
 …………可愛い。
 いやいや、何言ってんだ、僕。落ち着け。
 「ああ。だからそんな心配をするな。だから目覚ましも――」
 「わかった!うん、一件落着だな、月火ちゃん」
 「うん、そうだね、火憐ちゃん。あっ、これ返すね」
 僕が目覚ましの任から解放させようという情理を尽くした提案をしようとする前に、さっさと僕に携帯を返すとまるで申し合わせたかのように機嫌を直した二人は止める間もなく物凄い勢いで部屋を出て、
 「朝ごはんできてるからすぐに下りてこいよ!」
 と、だけ言い残して勢い殺さず、階段を駆け下りていった。
 月火がヒスったり、火憐に首を絞められた割に幕切れが呆気なかったことに呆然としていたが、
 「まあ、いいか」
 と、言って嘆息した。
 何がまあ、いいかなのかよくわからなかったが、起きたばかりなのにも拘わらず、もう色々と疲弊していたので、その場で腰を下ろして、嘆息するだけだった。
 夏休みに入って二人のはしゃぎっぷりと言ったら手に負えない域を超越して手に負いたくない域に達している。
 ついに会うことがなかったが(というか会わせたくないが)、忍野メメは二人を見て見透かしたように言うのだろう。
 「元気だね~。いいことでもあったのかい、お嬢ちゃんたち」と、
 どこまでも軽薄でどこまでも見透かすようなあのエキセントリックなオーソリティは今頃どこをほっつき歩いているのだろうかと窓から見える所々に雲が浮いている青空を見据えて思った。
 彼と過ごした時はたったの三ヶ月。
 短いようで短くなかったように感じる。
 幾度となく助けられたけど(助けてない。人は勝手に助かるのだよとでも言うのだろうが)、結局僕は忍野のことを知ることができていないと思う―お人よしであること以外は。
 いつでも何でも見透かしたようなあの態度には困惑されっぱなしだったが、今ではそれもどこか懐かしい。
 軽薄な割には頼りがいがあってことあるごとに助けを請いにいっては、「遅かったね、待ちかねたよ」と出迎えられ、「人は勝手に助かるのだよ」と言われる。
 これもまた昨日のことのように思い出す。
 名残惜しいのだろうか。
 きっとそうなんだろう。
 いつの間にか、気づかぬうちに気心の知れた仲となっていたわけだ。
 なぜ今になって感慨に耽っているのだろうかと思ったが、すぐにその答えは頭に浮かんでいた。
 もし彼がこの町に、あの廃墟に未だ居を構えていて、怪異譚の蒐集を続けているならば、僕が一人で付けた決着――今までのあれが決着と言えるのか甚だ自分でも疑問だが――よりも決着らしい落着、落着らしい解決をできたのではないかという思いがそうさせたのだ。
 時折、あの時の選択は最善だったのかと思い悩む。
 しかし、とどのつまり堂々巡りするばかりだった。最善が何を指すのかわからないのだから当たり前で、それに加えて過去のことを悔やんだって何か変わるわけではないし、生まれわけではないのだ。
 今もそれにはまりかけていたが、不意なあくびがそれを遮った。
 これ以上頭を絞っても捻っても堂々巡りに陥って何も出ないと暗に脳が言っているのだろう。学習能力の賜物である。
 まあ、確かに彼がいたらという仮定は些か都合が良すぎるか。
 無駄な思考を止めて立ち上がり、制服に着替えたところではっとして影に声をかけた。
 「おい、忍。起きてるんだろ」
 「なんじゃ、我が主様よ。用件があるなら手早く済ませ」
 案の定朝陽に照らされてできた僕の影から欝陶しがっていることを隠そうともしない忍の声が聞こえた。
 「お前だろ、僕の携帯からログ消してくれたの」
 ログが自然消滅することは考えられにくいし、消せられるようなものでもない。
 となると考えられるのは、忍の物質想像能力である。
 「僕の携帯を返してくれないか」
 「ふんっ、気付かれてもうたか」
 という忍の言葉とともに影から白く細い腕が伸びた。その手には見慣れた携帯が握られていた。というか、僕のである。
 それをそっと受け取ると、代わりに持っていた携帯を渡す。
 「それにしても便利だな。そのスキル」
 「使えるのはお前様の影の中だけじゃがな」
 どういうからくりか説明させてもらうと、何かの拍子で(多分火憐にチョークスリーパーを掛けられたときに忍にそれがダイレクトに伝わり、息苦しくなって)目覚めた忍が状況を瞬時に理解し、影から、詳しく言えば僕の日常着のパーカーのポケットの影からポケットの中にあった携帯を確保し、アラームのログがない僕の携帯を創造して入れ換えたのだろう。
 「取り敢えず、ありがとう。今度暇ができたらミスタードーナツに連れてってやるよ」
 「その今度がいつになるかせいぜい楽しみに待っておるわ」
 眠りについたのかそれからは僕の影から応答がなかった。
 一階に下りると、食卓には火憐と月火が着いていた。
 隠すことでもないが、僕の両親は揃って警察官である。父が警察官である人は少なくはないと思うが、母が婦人警察官だという人は少ないだろうし、両親ともに警察勤めは更に珍しいのではないだろうか。
 聞いたことがないから知らないが、勤め先が馴れ初めであれば、珍しくはあれど、不思議ではないのかもしれない。
 まあ、そういうわけで食卓には夜勤の両親を除いた火憐と月火が食卓に着いている。
 食卓は一般的な気でできた長方形のもので長い辺の方は二人座れるぐらいのスペースと短い辺の方は一人がちょうど座れるぐらいのスペースがあって食卓にはそれに合わせて六つの椅子がある。長い辺のうち一つは妹共の、もう一方は両親の定位置だ。僕はというと決まった席はない。両親が警察官ということもあって食卓に全員が揃うことは滅多にないから特に僕は決めていない。空いている席を適当に選んで座っている。
 「せんちゃんの家で何しよっか」
 「歯磨き大会に決まってる!!」
 「いや、ダメでしょっ!!」
 今日も二人は並んで朝食をほうばりながら仲良くしゃべっていた。今日は千石の家に遊びに行くらしい。
 妹共は毎日食卓でその日のファイヤーシスターズの活動の予定、つまり遊びに行く友達の家で何をするかか、今日の相談もしくは恋愛相談相手は誰だとかの話に花を咲かせている。
 実はファイヤーシスターズは恋愛相談にまでもチェーン展開している。一度月火にお世話になったことあるが、思いの外その恋愛相談も馬鹿にできないもので、そのとき僕の勘違いを正してくれたという経緯がある。正してくれたから今があると言っても過言ではない。妹に助言を求めることはあれが最初で最後になるだろう。
 まあ、しかし、もしあのまま勘違いしたままだったら、月火に相談を持ち掛けなかったら、今僕はどうしていただろうか。羽川と付き合っていたのだろうか。それであのゴールデンウィークの一件はなかったのだろうか。さらに言えば、戦場ヶ原や八九寺、神原の面面に出会っていたのだろうか。今では確かめる術はないが、どうなのだろうとふと思う。
 まあ、思うだけでそれ以上はないのだけれど。
 過去に戻れたところで僕はあのときの選択を変えるつもりはない。過去の僕の選んだ道なら今の僕もきっとその道を選ぶという確信がある。僕はそういう人間なのだ。
 それはさておき、僕の妹共はなんてめでたい奴等なんだ。
 断っておくが、別に無邪気に友達の家で何をするかに思いを巡らせている妹共が愛しくて可愛らしくて愛でたい奴等だというわけでは勿論ないから誤解はしないでくれ。
 それどころか朝から友達の家に遊びに行く二人を自分の分の朝食を用意しながら恨みがましい眼差しを向けているのだ。
 夏休みだからと言って、どれだけ遊ぶつもりなんだよ。
 もうお前等始業式まで後一週間だぜ?
 僕は後五日だぜ?
 しかも僕は今日も学校が主催している夏季講習に行かないといけないんだぞ。
 と、心の中で毒づいている間も
 「う~ん……じゃあ……しりとりっ!!」
 「なんでっ!もっと他にあるでしょ!」
 「えっ!ダメなのか?じゃあ……あたまとりっ!!」
 「そういう問題じゃないよ!」
 と、はしゃいでいた。
 会話を聞いていて無性に火憐の知能指数を疑いたくなるのは気の所為じゃないだろうな。
 なんだよ、あたまとりって。
 友達の家で武功を立ててどうするつもりなんだ。
 いや、それともメデューサでも退治しに行くつもりなのか?
 どちらにせよ聞いていて頭が痛くなるような内容だ。
 つい最近になって火憐が実は目も当てられないような馬鹿であることが判明して以来、将来どんな風になるか心配で仕方がない――のは半ば嘘で半ば本気。
 かといって、してあげられることもないし、させてくれはしないだろう。月火は月火なりに考えているようだが、火憐は正義マンごっこを続けると言い張って頑として止めない。しかも、自分のしていることを僕が了承したと言ってやがるからさらに質が悪い。
 こんなことなら助けない方がよかったな。
 貝木いわくほって置いても三日で治っていたらしいしな。
 「お兄ちゃんも来る?」
 食卓につき、朝食の食パンを口に運ぶが早いか月火が訊いてきた。
 「は?何の話?」
 理由もなく惚けてみる。
 「惚けないで!プラチナむかつく!!」
 至近距離からマグカップが飛んできた。
 「うおっ!!」
 間一髪のところでそれを受け止めた。幸いに中には湯気が立っているような熱い液体は入っていなかった。入っていたら、大火傷がみるみる回復していくところを見られるところだった。そうなれば、流石に言い訳が立たない。そのときはそのときで告白すればいいと思うかもしれないが、まだその時期ではないと僕は思う。僕は受験を控えているし、二人はまだ多感な中学生である。告白するにしても今するべきではないのは明らかだ。
 そんな僕の思いやりにも拘わらず、このヒステリックは僕に余程怪我をさせたいらしい。ばれるとしたら絶対それは月火が原因だと断言できる。妹のためと思って秘密にしているというのに、それを妹が暴こうとしているのだから皮肉もいいところである。
 「馬鹿か、お前はっ!!」
 胸を撫で下ろすより先に怒声を上げた。
 「惚けるからでしょ!!」
 切れていた。
 さっきまではしゃいでいたのが嘘のようだ。
 ちゃっかり惚けていることもばれてるし。
 「言っておくが、僕は行くことができないからな!」
 「どうせ暇でしょ!」
 「この制服が目に入らないのかっ!!」
 これは少しセンスを疑われそうな台詞だが、月火のヒステリックに当てられて僕もハイになっていた。センスを利かすほど頭が冷えてなかった。これを鑑みるに僕はそれほどクールではないのかもしれない。僕の初期設定がニヒルでクールぶっている奴だったはずだが、それが光陰矢の如く崩れ去ったのはその所為なのかも知れないな。火憐の首を何度か絞めたことがあるらしい。もしかしたら月火のヒステリックは実は僕の影響かもしれない。
 「見えない見えない見えなっいー!!」
 月火が手足をじたばたさせている隣で火憐は
 「ははー」
 平身低頭していた。
 もうこうなると手がつけられない。馬鹿とヒステリックの二重苦だ。戯言と金切り声の二重奏だ。
 「もう、わかったわかった。わかったから」
 降参の意を表して両手を上げた。ハンズアップの姿勢である。
 此奴等と付き合っていたら日が暮れてしまいそうだ。ここは適当に話を合わせて、やり過ごすしかない。
 「来てくれるのか!!」
 火憐が下げていた頭を音が聞こえてきそうなほどの勢いで上げた。
 目がすっげえキラキラしてる。
 …………罪悪感半端ねえな。
 だけど、今日は、というか今日も学校の後に大事な用事があるんだ。
 「時間があったらな」
 「そう言ってどうせ来ないつもりでしょ」
 いつの間にかヒステリックが収まっている月火が疑いの眼差しで僕を見ていた。
 ちっ、目敏い奴め。
 「何を言っているんだ。僕が約束を違ったことがあるのか?」
 「うん、そうだ。兄ちゃんは私の誇りだ」
 「…………」
 鳥のような脳しか持っていない火憐は頷いていたが、月火はただ黙って僕を睨みつけていた。
 「せんちゃん喜ぶと思うんだけどな」
 「そうか?どっちかって言うと、迷惑だろ」
 呼んでもない人が来ても困るだけだろう。
 しかもその相手が千石だと、無口というか内気だから嫌でも我慢するだろうと思うと、更に行きたくなくなる。
 「…………」
 月火は未だ僕を睨みつけながら黙り込んだ。
 と、思えば
 「まあ、男女間の友情だもんね」
 と、意味深にぼそっと言って、黙々と朝食の食パンを口に運びはじめた。
 「どういうことだよ」
 「知・ら・な・い」
 一句一句途切れさせて怒気を顕にして言った。キレる一歩手前だ。引かないと次は何が飛んでくるかわかったものじゃない。兄の威厳も大事だが、ここで妹の言いなりになるのも大人の振る舞ということだろうし、妹ごときに突っ掛かっていたらきりがないだろうから何も訊かずに月火に倣って口を聞かずに胸に嫌なもやもやを抱えたまま朝食を食べはじめた。
 ファイヤーシスターズは朝食を片付けてさっさと部屋に消えたかと思うと、疾風迅雷の如き速さで玄関に走っていって「兄ちゃん、絶対に来るんだぞ!!」「せんちゃんに伝えておくからねー」とこちらに大声で言って出掛けていった。
 僕は嘆息してから気を取り直すようにマグカップに残っているコーヒーを呷った。
 食器を片付け、学校指定の鞄を抱えて玄関に向かった。靴を履き、誰もいないリビングに向かって「行ってくる」とだけ言って、玄関を出た。そして、庭に止めてあるママチャリを出した。
 かつては二台あった自転車が今では、ある悲惨な事故のためにプライベート用だったマウンテンバイクはスクラップにされ、通学用のママチャリだけが現存している。いつか近いうちにこのママチャリも同じ目に遭い、廃棄されるような気がしてならない。 
 

 
後書き
この二話目は前半迷走したので何じゃこりゃと御思いになったでしょうが、三話目以降は楽しく詠んでいただけると思います。 
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