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闇物語

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コヨミフェイル
  003

 外は茹だるような暑さだった。
 八月も終わりが見えてきというにも拘わらず、猛烈な暑さは衰えを見せない。ほぼ真上に上った太陽から燦燦(さんさん)と降り注ぐ大量の太陽光を吸収してアスファルトは鉄板のように熱くなり、反射熱を絶え間無く放射していた。
 自転車を走らせている間は風に熱を奪われて体温を維持できているが、一度信号に捕まって停止すると、一気に全身から汗が吹き出して不快感を覚えさせる。顔に引っ切りなしに垂れてくる汗を拭う度に苛立ちが募った。髪を伸ばしている所為で暑苦しさも一入だ。
 日本はいつから熱帯に属すようになったんだ。
 ファイヤーシスターズの仕業だったら、僕は迷わず二人を地球外追放するだろう。……あいつらなら生きて帰ってきそうだ。片方は不死身だしな…………これは失言だったか。
 そんなことをたらたらと愚痴って遠くのアスファルトの表面に揺らめく陽炎を怨みがましい眼差しで睨み据えていると、見つけてしまった。
 二十メートル先に小さな体躯に似合わぬ大きなリュックサックを上下左右に揺らし、大きな弧を描いて垂れ下がっているツインテールという名の触角をぴょこぴょこさせながら歩く小学生八九寺真宵を。いつもと変わらず、真夏の太陽の日差しをまるで苦にもしていないようにキョロキョロしながら歩みを進めていた。
 今では吸血鬼の成れの果て、吸血鬼の絞り滓の元最強の怪異にして怪異殺しの忍が僕の影にいて、吸血鬼性が濃くなったり薄くなったりするバイオリズムが僕の中で形成されつつあり、今は比較的濃い時期だから視力と共に身体能力が向上している。
 だから、何だというのだ。
 八九寺を見つけやすくなった?
 はっ、僕は別に八九寺がそれほど好きだというわけではないし、というか彼女いるし。ましてや通学途中にあの見るからに愛くる……生意気そうな八九寺に話し掛ける必要性に僕は迫られてはいない。
 ならばここは、赤の他人のように知らんぷりを決め込んで、さも何事もなかったように通り過ぎて、学校に急ぐべきだろう。早く着けば、それだけ学生の本分であるところの勉強に励むことが出来るというものだ。
 そうだな。そうしよう。
 信号が青に変わると同時に気付かれないように静かに自転車を始動させた。碌に吹けもしない口笛を吹きながら、八九寺まで後十メートルのところまで詰めていき、未だ身に迫っている魔の手(?)に気付かず、キョロキョロしている八九寺に胸が締め付けられような感覚に陥りながらも首を振って邪念を振り払ってから手慣れたように静かに自転車を下り、無音殺法術の使い手宜しく無音でスタンドを立てて、手際よく自転車を道の脇に止めて、音を立てないように細心の注意を払いながら早足で残りの距離を詰めていき、射程距離に八九寺を捕らえると、後ろから思いっ切り抱き着いた。
 「はあああああああああああああちくじいいいいいいいいいいいいいいぃっ!ずっと会いたかったんだぞ、この野郎!」
 火憐に負けないぐらいに強く。
 鯖折りの如く。
 「きゃーっ!」
 そして、続けざまに成長途中の貧乳を触ったり、揉んだ。そんな大切な八九寺とのスキンシップの間、八九寺は嬉しさのあまり叫んでいた。
 「きゃーっ!きゃーっ!きゃーっ!」
 「久しぶりなんだ。思う存分触れさせろ抱き着かせろなめさせろキスさせろ甘えさせろー!こらっ!暴れるな!パンツが脱がせにくいだろうがっ!」
 「ぎゃああああああああああっ!」
 八九寺は喜びの叫び声を上げ続け、
 「がうっ!」
 と、僕に噛み付いてきた。
 「がうっ!がうっ!がうっ!」
 「痛え!何すんだこいつ!」
 痛いのも。
 何すんだこいつも、やっぱり僕だった。
 痛い目には遭ったが、そんなことを差し引いても今回の収穫は大漁だった。一年分はあった。かといって、この僕が八九寺を襲うのを止めるわけがない。
 ふふっ、甘い。これから地道に備蓄を続け、死ぬまでその感覚に溺れるのだ。
 まあ、冗談はさておき、今は野性化モードの八九寺を我に返させるのが先決だ。
 「落ち着け、八九寺。僕をよく見ろ」
 「ふしゃーっ!」
 八九寺は家猫の威嚇のような声を上げていた。
 「ほら、僕だよ。僕。忘れた?八九寺の唯一にして最大の友、阿良々木暦だよ」
 詐欺師の常套句から悪びれる風もなく嘘っぱちを言う自分に嫌悪感が沸くばかりだった。
 貝木の野郎と変われねえ。
 最悪だな、僕。
 「ふしゃーっ!ふしゃーっ!ふしゃー……ひっひっふー……」
 「産科医F・ラマーズが提唱した分娩の際に行われる呼吸法を試みたところで何もお前からは産まれねえよっ!生まれるのは僕からの突っ込みだけだっ!」
 説明を付け足すと、この呼吸法のために日本に分娩に夫も立ち会うという慣習がもたらされたのだそうだ。
 うん、極めてどうでもよかったな、この説明。
 「……ん……ああ……」
 ようやく正気を取り戻したのか、超サイヤ人張りの逆立っていた髪の毛が少しずつ戻り、それに伴って赤く染まった瞳も戻った。
 「……せせらぎさんじゃないですか」
 「この灼熱の太陽の下では誰もが欲しているものだが、だからと言って他人のことをまるで市民の憩いの場みたいな名前で呼ぶな。僕の名前は阿良々木だ」
 「失礼、噛みました」
 「違う、わざとだ……」
 「噛みまみた」
 「わざとじゃないっ!」
 「鍵閉めた?」
 「鍵閉めた!」
 なんでここで戸締まり確認っ!!
 って、僕鍵本当に閉めたかな…………?
 閉めた閉めた。
 うん、閉めた。
 だって、閉めたのは事実なのだから仕方ない。
 「で、何ですか?阿良々木さん。性犯罪に及ぶためだけに私の毎朝の日課の散歩を邪魔したわけではないのですよね」
 ジト目で八九寺が言った。もはや僕は犯罪者にしか見えないらしい。
 過去の恩を忘れやがって。飼い犬ならぬ怪異に手を噛まれるとはこのこと言うのだ。
 しかも、朝の日課って、朝となく昼となくいつもしてるだろ。散歩も散歩じゃなくて徘徊の間違いだろ。
 「用がなければ話し掛けてはダメなのか?少女法とか幼女法とか童女法とかにでも記載されてるのか?」
 「ええ、されていますよ、阿良々木さん」
 されているのかよ。
 「少女保護法の第十四章の第百二十四条に《用件がないにも拘わらず、少女に時間を浪費させる行為、又はそれに準ずる行為を犯した者に対し司法を介さず処刑に処する権限を少女は有する》と書かれていますよ」
 「そんな法律一瞬で否決されろっ!」
 少女法まさかの悪法。
 というか、なんだよ第十四章の第百二十四条って。
 日本国憲法より条文あるじゃねえかよ。
 「それは冗談として、」
 と八九寺は話を戻した。
 「『話し掛ける』が先程の一連の行為を指すなら疑問を禁じ得ないのですが、まあ、確かに用がなければ話し掛けてはいけない道理はないですね」
 腕を組んで、目をつむり、考え込むようにして八九寺は言った。
 どこか納得のいかないような面持ちだった。
 「だろ?話題なんて行為に及んでから考えればいいんだ」
 「今間違いなく自白と見做されても何等おかしくないことを口にしましたよねっ!」
 しまった。八九寺の怒りを蒸し返してしまった。せっかくこのままうやむやにして、ことが静まったのをみて再度行為に及ぶ予定だったのに……。
 だがしかし、八九寺は知らない。日本国憲法の第三章の第三十八条に《(3)何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科かせられない》と記述されていることをなっ!
 その小学生までの知識と発展途上のそのずん胴ボディを未来永劫悔やむがいい!
 「その服装とこの時間帯から察するに登校中であることは明らかですが、急がなくていいのですか、阿良々木さん」
 八九寺は少しも怒っている風もなく言った。
 …………あれ?怒ってなかったのか、こいつ。
 まあ、怒ってないのなら怒ってないでいい。こちらとしても色々と有り難い。
 「勘違いされると面倒なので、前以って言っておきますが、阿良々木さん。別に怒ってないわけでないんだからね。だから、夜道では気をつけることをゆめゆめおこたってはいけませんよ」
 「ツンデレと脅迫が全然うまく噛み合ってねえよ!」
 不協和音にもほどがあるだろ!
 「怒ってるんだからね。責任とって主人公の座を辞してください」
 「怒っていることを否定しないというツンデレの大原則を覆すという斬新さ!!というか、主人公がいなくなったらお前の悲願のアニメ化どころではなくなるぞ!」
 「それなら心配いりません。そこは不肖ながらこの私が主人公、ヒロイン、ディレクター、作画、音響、特殊効果とか熟しますから」
 「オールラウンダーだったのかお前はっ!」
 不肖なつもり全然ないだろっ!
 しかも最後面倒になって『とか』で締めくくるなよっ!
 「ふふっ、私の力はまだまだこんなものではありませんよ、阿良々木さん」
 休む間もくれることもなく、八九寺は続けた。
 もう八九寺に振り回されてしっちゃかめっちゃか。
 さっき僕と同じ制服を着た男子二人が眉を顰めて横を通り過ぎていったが、もうどうでもいい。学校内での僕の噂は絶えないし、その内容もまた奇想天外、支離滅裂なものばかりだ(半分ぐらいは本当なんだが)。
 というわけで、これ以上どんな噂が立ったって痛くも痒くもない。そんなことに僅かにでも気を回させられることで八九寺との時間に水を差される方がよっぽど頭に来る。
 「別にできるだけ一緒にいたいからって、ついていっているわけではないんだらね。ただ隙あらば、ナイフで心臓を一突きする機会を窺っているだけなんだからね」
 「全文ツンデレ口調に統一しただけで、内容は一回目と寸分も違ってねえよ!」
 前文で少しキュンとした僕はやはり八九寺の言葉の魔力に躍らされているのだろうか。八九寺の言葉の魔力による回旋曲におどらされているのだろうか。
 「それより、阿良々木さん」
 と、八九寺。
 「ツンデレの意味を知っていますか?」
 いきなりツンデレ談議が始まった。
 脈絡がないという訳ではないけどさあ。
 「あれだろ。表では刺々しいけど、実は内心はデレているっていうあれだろ」
 「いえいえ。違いますよ、阿良々木さん」
 ピンと立てた人差し指を得意げに振って言う八九寺。
 「それは時代とともに変質してしまったツンデレの意味です。私が聞きたいのはツンデレの純粋で汚れのない原義です」
 意味のわからないことを語りはじめたぞ、此奴。
 八九寺はツンデレの座でも狙っているのだろうか。
 そうならば、前途多難だな。戦場ヶ原が座を明け渡したとは言え、戦場ヶ原のインパクトが強くて今更その座についても常に背に戦場ヶ原の亡霊を感じなければならないだろう。
 「わからねえよ、そんなこと」
 「はー。だからダメなんですよ、阿良々木さんは。かつての戦場ヶ原さんの属性を正しく理解していないなんて」
 「…………」
 蔑まれる覚えはないんだが。
 確かに戦場ヶ原はツンデレだったけれど、というかツンドラだったけれど、僕がツンデレの原義を知っているかいないかは関係ないだろう。更に言えば、戦場ヶ原がツンデレであろうと、なかろうと好きになってただろうしな。
 …………口にしてみると、無性に恥ずかしさが込み上げてくる台詞だな。
 「まったくですよ、阿良々木さん」
 「なんで地の文を読んでるんだよっ!!」
 しかもよりにもよってそこだけ拾うな!!
 「地の文から行間まで読みます!あなたの心の出力機、八九寺真宵ですっ!!」
 「変なキャッチコピーを掲げるなっ!!」
 ただの質の悪い読心術者じゃねえかっ!!
 僕はこれから一体どこにプライベートスペースを求めればいいだ!
 「人文から経巻まで揃えています!皆の書店、八九寺真宵ですっ!!」
 「人文から経巻って変な嗜好のセレクト書店だなあ!」
 人文と経巻の間に一体何が含まれてるんだ。
 「それより本当になんでわかったんだ?まさか、地の文を読んだからでも、神原みたいにテレパシーで読んだからでもないだろ?」
 「ああ、それは大きく顔に書いていたからですよ、阿良々木さん」
 いつか戦場ヶ原に同じことを言われたことがあるな。
 目は口ほどにも言う、目は心の鏡とか言われるが、僕の場合はどうやら顔に出ているらしい。顔の方がお喋りらしい。こればかりはどうしようもない。目は瞼があるし、口には唇という保護装置があるけれど、顔にはない。
 う~ん、どうしたものか。
 「阿良々木さんは顔に出やすいですからね」
 「僕もそう思うよ」
 「今だって、『ああ、八九寺はなんて良いメリハリボディーの持ち主なんだろうか』と思っているみたいですからね」
 「微塵も思ってねえよ!!」
 そんな喋り方しないしなあ!
 一回当てたぐらいで調子に乗りやがって。僕が本当にそう思っていると思われたどうするんだ。僕はパッツンパッツンが好きなんだ。決して八九寺の絶壁ボディ何かが好きだというわけではないのだ。
 「またまた~、阿良々木さんは恥ずかしがり屋なんですから。『ばれちった☆』と書いていますよ」
 「ばれたのはお前の馬鹿さ加減だ!!」
 『ばれちった☆』何て言ったら誰しもがドン引きだわ!
 「それはさておき、阿良々木さん。十分過ぎる時間を与えたのですから、ツンデレの原義の答えは出ていますよね?」
 「考えられるわけないだろ!というか、わからねえよ!」
 「はー。しょうがないですね、アララト山は」
 「今までで一番惜しい噛み方だが、しかし八九寺、僕の名前をノアの箱舟が流れ着いた場所として有名なトルコの最高峰の山にするな!僕の名前は阿良々木だ!」
 「失礼。噛みました」
 「違う、わざとだ……」
 「噛みまみた」
 「わざとじゃないっ!?」
 「マジ泣いた」
 「小学生が泣いた!!今世紀最も泣ける映画が近日上映決定!!」
 小学生が泣いたところで良い映画かわからねえ!
 「というか、ツンデレの原義はなんなんだよ」
 解答の度に脇道に逸れているような気がする。本筋が遅遅として進まない。楽しいからいいんだけど、読者からは批判がくる。
 「ああ、そんな話でしたね」
 「おいおい、自分で振っておいて忘れるなよ。もしかして、口から出まかせを言っただけなのか?」
 「いやいや、阿良々木さんじゃないんですから、出まかせなんて言いませんよ」
 「僕だってそうだよ」
 「妹さんを前にしても同じことを言えますか?」
 「ぐっ……」
 なんで知ってんだ。
 顔にでも書いていたのか?本当に僕のプライバシーなんて筒抜けじゃないのか?
 「ツンデレの原義は、普段はツンツンしているのに、特定の男性と二人きりになると急にデレデレになるような性格や様子または最初はツンツンしていたのに、時間が経つとデレデレするような性格、ですね」
 僕の心配を余所に八九寺は言葉を続けた。
 「……戦場ヶ原の説明を聞いているようだな」
 戦場ヶ原はどっちにも当て嵌まるよな。
 二人きりのときは「こよこよ」だし、最初は口を開けば毒舌で無表情だったのに、今ではデレまくりだ。二人きりが保証されいている戦場ヶ原の家か僕の部屋にいるときだけだけれど。
 そういう意味では戦場ヶ原はツンデレを地で行っていたんだな。今更だけど、凄いな、戦場ヶ原。
 「それにも拘わらず、戦場ヶ原さんをヤンデレの部類に入れる読者や視聴者はツンデレが何たるかをわかっていないということです」
 「またメタ発言かよ!」
 「ほんと私だってつるぺたずん胴ボディのロリ少女ではなく、出るところは出て締まっているところは締まっているナイスボディのお姉さんなんですけどねっ!!」
 「活字だがからって何大胆不適なイメチェンをはかってるんだよ。矛盾大発生するわ」
 「胸があると、足元が見えなくてよく転んでしまうんです。でも、胸がクッションになるから大丈夫、なんちゃって」
 「胸がある人のエピソードとか出してこないで、痛いから。こっちが胸を締め付けられるような思いになるから」
 「ノリが悪いですね、阿良々木さん」
 「いや、ここは僕が責められるところじゃないだろ」
 ここで八九寺に便乗したら、お前成長してることになるんだぞ。
 自らの価値を捨てるような行為じゃないか!
 八九寺は成長しないことがアイデンティティなのだ!
 成長する八九寺は八九寺じゃない!
 「何気持ち悪いこと言ってるんですか。目には目を、歯には歯をに倣って阿良々木さんは死んでください」
 「全然等価じゃねえ」
 「あっ、間違えました。目には冥王、歯には覇王でした」
 「どういう状態なんだよっ!」
 明らかに釣り合ってないだろ!目の対戦相手が鬼畜過ぎる!
 「そして、耳にはメアリー」
 「使い古されすぎててギャグなのかすら曖昧な決まり文句だし、よく聞いたら違う!!」
 いや、よく聞かなくとも全然違う!
 「そしてそして、苛政は虎よりも(たけし)
 「合っているが、武って誰だ!」
 ちなみに正解は苛政は虎よりも(たけ)しだ。
 「そしてそしてそして、世故に(たける)
 「又しても合っているには合っているが、健って誰だ!」
 ちなみに正解は世故に長けるだ。
 「つまり、最後に人名っぽいのが入っている故事成語が何気に多いってことですね」
 「絶対に先人はそんなことを意識してないだろうけどな」
 苛政は虎よりも猛しに至っては中国の経典から出典された故事成語だろ。
 確か中国の御偉い思想家が身内を虎に食い尽くされたのにも拘わらず土地に留まる女性に、なぜ土地を離れないのかと尋ねると、それでもこの土地には酷い政治がないと答えたという故事からだったよな。
 受験勉強の賜物と言いたいところだったが、肝心の思想家の名前が思い出せなかった。
 「わかりませんよ、阿良々木さん。もしかしたら遠い未来にこうして話のネタにしてくれていることを予期して作ったのかもしれませんよ」
 「いや、それは万が一にもねえよ。成語として使われることも予期してないかもしれないんだぞ」
 況んや日本人名っぽいのが含まれていることで話のネタにされることなんて言うに及ばずだろう。
 「ですけど、故事成語は現代風に言えば、流行語ですからね」
 「流行語……」
 「そうです。故事成語は言葉なのですから当然自然発生したわけではありません。世間に受け入れられようになって初めて成語となり、長い年月を経て故事成語となるのですよ。どんな高い地位の人が成語を作ってそれを使うことを奨励しても、受け入れられなければ、定着はしません。流行に乗らなければ定着はしません」
 「確かにそうだな」
 一人で使っていても何百年も残るわけがないしな。
 とは言っても、近来は死語が多くなっているからな、今まで残っていた故事成語の寿命も近いのかもしれない。
 「ですから私は先人は世間に定着するまで、現代の芸能人がするように、耳にタコができるほど行く先々で言っていたのではと推測します」
 「……それは……ないと思うけどな」
 先人の尊厳が少女の勝手なイメージによって泥を塗られている。目上を大切にしない現代っ子の象徴だろう。
 「だって『チョー、有り得ないんですけど~』と『チョー、霞に千鳥なんですけど~』って雰囲気が似てません?」
 「『チョー、有り得ないんですけど~』が流行語なのかも、『チョー、霞に千鳥なんですど~』が故事成語なのかも怪しいが、雰囲気が似てると言えば似てる」
 先人がそんな崩れた言葉遣いをするのかは抜きにしてだけど。
 「まあ、つまり、阿良々木さん」
 と、そこで八九寺。
 「故事成語は流行語なのです」
 「無理矢理だな」
 結論に至るまでの過程をいくつかすっ飛ばしているだろ。是が非でもその結論に帰着したかったんだな。
 先人を敬えよ。どんだけ先人を貶めたいんだよ。
 「ていうか、何の話をしてたんだっけ?」
 本題から逸れまくってしまった。まるで本題の内容を思い出せねえ。
 「阿良々木さんは実は戦場ヶ原のようなツンデレ娘ではなく私のような発育途中の少女が好きなロリコンだという話です」
 「それには断固抗議するぞ!!」
 「がーん!!そこまで拒否されるとは思いませんでした」
 漫画でお馴染みの効果音を自分で入れてその場に膝から崩れ落ちる八九寺。
 「私に対する今までの度重なるセクハラはなんだったのですか?」
 「いや……それは悪かったよ。僕も悪乗りが過ぎたと思うよ。だけど、それは僕がロリコンだということにはならないんだ」
 セクハラする相手が必ずしも好きな相手ではないのだ。それならば僕はどれほどの女子をセクハラの手に掛けなければなくなるのだ。
 まったく……やり切れないぜ。
 それに加えて僕がロリコンだって?
 甚だ遺憾だな。冗談もほどほどにしてほしいぜ。
 「責任とってください!ファーストキスとファーストタッチとその他諸々のセクハラ行為と純情な私のガラスの心に深刻なダメージを与えた責任をとってください」
 「おいおい過ぎたことを言ってしょうがないだろ?」
 「あなたのセクハラ行為には時効は存在しませんっ!」
 「何?忘れたのか?少女保護法の第十章の第百五条には《少女に対する阿良々木暦によるあらゆるセクハラ行為に時効は存在しない》と記載されているぜ?」
 「なんで少女保護法で少女の人権が蹂躙されるんですか!それでは保護法じゃなくて反故法ですっ!!」
 「ははっ。まあ、それはそれとして、戦場ヶ原が真のツンデレだという話だったな」
 「……はい、そうです」
 八九寺は不承不承の態で言った。
 「羽川さんが委員長の中の委員長なら、戦場ヶ原さんはツンデレの中のツンデレ。ツンデレクィーンということなのです」
 ツンデレクィーン……ね。戦場ヶ原が深窓の令嬢だっただけに意味深だな。八九寺は悪気はないんだろうけれど。
 「そんなことは重々承知だ」
 「本当ですかね、阿良々木さん」
 八九寺は少しニヤニヤしながら言った。
 「ツンデレは思っていることと異なる、もしくは逆のことを言うのはそうなんですけど、もう一つあるんですよ」
 「なんなんだ」
 「思っていても黙っていることもあるということですよ、阿良々木さん。してほしいけど、恥ずかしくて言えないってことはツンデレにはそれが多いと思うんです。特に表情に人情の機微さえ窺い知れない戦場ヶ原さんには。それには気を付けているんですか?」
 「ああ」
 言われるまでそんなことは考えもしなかったことに気付いた。恥ずかしくて本心と異なること言ってしまうのだから本心を言えずに黙ってしまうことだってあるはずである。何等おかしいことはない。
 「言葉の裏まで読むのも大事ですけど、心を読むのは特に必要とされるのです」
 だからと言って読みすぎるのはだめですよ、阿良々木さん。
 と、八九寺は笑いながら付け加えた。
 「ちゃんと戦場ヶ原さんとは二人だけの時間は作っているのですか?勿論勉強の時間を除いてですよ」
 「ない……な」
 「ですよね。多分戦場ヶ原さんのことですから、阿良々木さんの勉強時間も考えたりして口に出せていないのではと思うのですけど」
 「そうかもしれないな」
 あの初デート以来デートと呼べるようなことは一切できていないのは事実だ。だけど、夏休みが勉強の遅れを取り戻すときであるのも事実なのだ。言い訳に聞こえるかもしれないが、勉強漬けとまではいかないけれど、それなりに忙しい時間を過ごしたのだ。戦場ヶ原とは勉強会で二人きりになれたし、時折談笑したり、戦場ヶ原の教え方がうまいのか、わからなかったものがわかるようになっていく楽しさもあって、自分では満足していた。
 しかし、確かにそれで戦場ヶ原が満足しているということにはならない。楽しい時間を送っているということにはならない。
 戦場ヶ原のことを考えていたつもりだったが、違っていたらしい。
 蒙を啓かれた気分だ。
 「以後は戦場ヶ原さんの思いを汲み取る努力はできる範囲ですることお勧めします」
 「わかったよ、ありがとうな。教えてくれて」
 「いえいえ。阿良々木さんには一応恩がありますから」
 「……一応って」
 まあ、いいけど。僕だって恩着せがましく言うつもりはないし。
 「では」
 と、そこで八九寺。
 「学校に遅刻するといけないですから、ここで別れましょう、阿良々木さん」
 「おう」
 八九寺は僕の返事に大きく頷き、大きな笑顔を作ると、さようなら、また会いましょうと、言ってさっと振り返り、歩き出した。
 八九寺は本当に突然何も言い残さずに消えてしまうのではないかと、遠ざかって行くどこかはかなげな八九寺の背中を見えなくなるまで見詰めながら思った。 
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