トワノクウ
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トワノクウ
第二十夜 禁断の知恵の実、ひとつ(一)
前書き
知識と兆し
拝啓 私の尊敬する先生
あの、私が二度目の死を体感した夜からまだ少ししか経っていませんが、なんだかとっても長い時間が過ぎたように感じます。
私は今、天座にお世話になっています。お寺にいた時のように家事をする必要もなく、実はちょっぴり退屈です。でも本当にやることがないといいますか、あっても梵天さんがやらせてくれません。こういうお客様扱いって苦手です。
たぶん梵天さんは、お母さんの娘である私に気を遣う……というより遠慮しているのかもしれません。
ほら、私よく、お父さんからも先生からも「お母さんの若い頃そっくり」って言われるじゃないですか? だからお母さんに重ねて無意識に、だと思います。
お役に立てた時といえば、露草さんを回復させてさしあげたあの一回こっきりです。
空五倍子さんは大喜びで、逆に露草さんを怒らせてしまいましたが、それも親しい仲であってこそですね。
梵天さんはいたって普通に接しているのですが、心なし生き生きしている気がしなくもないです。私は一人っ子ですし、兄弟みたいな間柄の人ってまわりにいなかったので、こんなものかなとしか思えませんが。
でですね、そのあとが大変だったんです。
急に話が変わりますが、先生は人が死ぬの、見たことありますか?
私はありません。あってもその「死」は全部ヴァーチャルで、ゲームのシナリオに添って発生したイベントとしてでした。しかもゲーム上のイベントですから、かなりドラマチックに美化されたものです。
でも、現実の「死」って、そんなものじゃないんですね。
色んなことがごっちゃになって、信じてたものが急に揺らいでしまうくらいに、とんでもないものだと知ったんです。
あるひとりの教師と出会って。
ばったり眠ったくうは昼にようやく起き出し、露草に引き合わされた。
「露草。彼女がくうだ。太平楽に寝てたお前を優しく起こしてくれた、篠ノ女の一人娘」
梵天の皮肉は三割増しでキレがいい。
(どんだけうれしーんですか梵天さん。ああ、なんか空五倍子さんも三割増しで毛並みが膨らんでます~)
ニヨニヨと苦笑がまじった笑みを浮かべたいのを堪え、くうは露草を見上げた。
(異種の兄弟とは聞きましたが、似てるとこも似てないとこもあり、ですかね)
美人は美人なのだが、梵天とは質が違う美人だ。
まず露草は造形が整っているだけで梵天のような色香はなく、健康的な気質だと感じられる。全身のバランスがとれていて、筋骨隆々でも痩身でもない。いわば肉体全体を総合して〝美人〟なのだ。
「篠ノ女空と申します。よろしくお願いします。それと、ご快癒おめでとうございます」
「露草だ。よろしくしなくていいぞ」
……第一声がこれ。地味に傷ついた。
(最初からずっと不機嫌でいらっしゃいますけど、私、何かしちゃったんでしょうか?)
露草からすればよほど態度を許した相手でない限り、これがデフォルト――いわゆる時間経過型のツンデレだということをくうは知らない。
唐突に視界上部が広がった。顔を上げて、露草が帽子を取り上げたのだと気づいた。
「か、かえしてっ、返してくださいっ」
くうが手を伸ばして跳んでも、露草は腕を上げて遠ざけるので帽子に手が届かない。
「んなもん被ってたら顔見えねえだろ。――この目、鵺に奪られたのか?」
「は、はひっ。こっちに来てすぐ、そいで、朽葉さんに助けてもらって」
「ふぅん、犬憑きに」
花色の瞳に射られて四肢が竦む。なまじ遺伝子操作の入った花よりよほど美しい色をしている。
「あんま篠ノ女に似てねえな」
「彼女は母親似なんだよ。髪は鳳の影響で色落ちしているしね」梵天が助け船を出してくれた。「いい加減返してやれ。子供じみた真似をするな」
「へーへー。ほら」
露草は帽子をくうの頭に押し付けた。視界が狭まってやっとくうは安心した。
「篠ノ女の娘っつーからどんだけ生意気な女かと思ったら、ただの童女じゃねえか」
「う……つまんない子でごめんなさい」
「何で謝んだよ」
「くうの気分の問題です」
篠ノ女紺の娘。千歳萌黄の娘。あまつきの人や妖と縁ができる時、必ずくうに付いて回るレッテルだ。紺や萌黄を引き合いに出され、比べられるたびに、くうは己のつまらなさ、至らなさに悩まされる。謝りでもしなければひたすら落ち込むのを防げない。
「冗談。これで親のどちらかに似ていたら救いようがない」
「まあ篠ノ女はともかく――帝天は、なあ」
今聞き捨てならない名称が聴こえた。
「帝天は鴇先生じゃないんですか!?」
今の言い方ではまるで母が、千歳萌黄が帝天であるかのようだ。
「……お前、言ってなかったのか?」
「一度に知識を与えても扱いきれず暴走させるだけ。ただでさえ彼女はあの時点ですでに詰め込み過ぎだったからね」
梵天はのどをとんとんと指した。詰め過ぎ、とは、のどに、という意味か。くうは自分ののどを押さえる。
確かに昨日の時点で、くうは自分の身体でいっぱいいっぱいだった。この上、母親の秘密など知れば、息ができなかっただろう。
「そういうわけだから、篠ノ女と萌黄の昔話はまた今度だ。然るべき時にちゃんと与えてあげるよ」
「はい。梵天さんがそうおっしゃるなら、お任せします」
梵天の判断なら信ずるに値する。くうは笑って軽く頭を下げた。
「これからまた考えることが増えるんでしょうから、梵天さんのよいように計らってください」
「――へえ。よく分かったね」
露草と空五倍子が揃ってこちらのやりとりに怪訝を呈す。
「露草」
「あ?」
「お前のことだ、どうせあの町人の顔を見に行くんだろう。だったらついでに彼女を銀朱に会わせてやれ」
銀朱、と聞いてくうの中に戦慄の記憶が蘇る。
第一印象を裏切る、苛烈なまでに使命に殉じている男の姫巫女。潤を変えた人。くうを一度、殺した、――
「大丈夫だよ」
両手を強く握って震えを堪えていたくうは、梵天の言葉にはっとする。
「名前が同じなだけで坂守神社の姫巫女とは別人だ。怖がらなくていい」
「ほんとに……?」
「ああ」
くうの体からどっと緊張が抜けた。自分で思う以上に二度目の死のトラウマは大きかったらしい。
全身を血でマーカーできるくらいの傷。鉛玉に開けられた無数の穴と、眼球の奥や胃の中まで満ちた鉄の味。思い出すだけで吐きそうだ。
それに、潤が号令を下したことももちろんだが――あの時の銀朱は心から怖かった。くうを人間と見なすことをやめた右目が剣山のように刺さった。
「おい梵天、銀朱はまだ……」
「まだ、だからこそ会わせる意味があるんだよ」
露草は渋面を作った。「次に与える実がよりによって〝あれ〟ってわけかよ。趣味が悪いとこだけ白緑に似てきやがって」
「諸国漫遊の間に少しは諧謔を身につけたかい」
このまま空気が冷え込むのは堪りかねた。くうは疑問解消のためも含めて声を上げる。
「その〝銀朱〟さんはどんな方なんですか?」
梵天はどこか意地の悪い笑みを向けた。
「君と同じで妖を己の体にしている人間だ。色々と学ぶ所も多いと思うよ」
後書き
梵天の知識の与え方は白緑を意識してみました。親子なんだからその辺無意識に似てくるんじゃないかなーなんて。
しかし知恵の実といえばあまつきにはもう一人重要人物がいますよね。今回はその方の回なのです。彼の経歴は注意書きの人物紹介の通りなので、スレた感じを出せるようがんばりたいです。
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