銀河英雄伝説~美しい夢~
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第四十五話 帝国の実力者
帝国暦488年 4月 30日 オーディン ワルター・フォン・シェーンコップ
監視役の情報部員二名と共にブラウンシュバイク公爵邸を出た。隊員達の居る宿舎に戻ろうと地上車に乗り込むとリューネブルクも乗り込んできた。情報部員が驚く。
「リューネブルク閣下?」
「良いから出してくれ。こいつとその仲間に話す事が有る」
監視役が顔を見合わせたが何も言わずに地上車を発進させた。
「何だ、話とは」
「……」
情報部員がまた驚いている。捕虜が大将にタメ口では無理もないか。俺達の関係を知らんのだろう。いや、情報部だ、知っているかもしれん。それでも驚くか、驚くだろうな。
「俺に話しておけば連中には俺から話す」
「……」
リューネブルクは腕を組み無言で眼を閉じている。ここでは話せない、或いは話す気は無い、そういう事か。二人の情報部員も無言だ。車内の空気が微かに強張った。
宿舎には十五分ほどで着いた。情報部員が露骨にホッとしたような表情になったのが笑えた。この宿舎は情報部が捕虜を尋問する時に使う施設らしい。俺達は一部屋に二人づつ入れられている。もっともブラウンシュバイク公が俺達をスカウトしたがっているという事で露骨な捕虜扱いはされていない。宿舎外には出られないが宿舎内なら行動は自由だ。
会議室に全員を集めると皆がリューネブルクを見て困惑したような表情になった。話があると言ったがリューネブルクは無言だ。つまり俺が先に話してその後でリューネブルクが話すという事か。
「ブラウンシュバイク公と話してきた。喜べ、俺達は帝国軍人になる事が決まった」
会議室がしーんとした。帝国軍人になる、望んだ事、覚悟していた事だが意外な程に重みが有った。
「決定なのですね」
「決定だ、リンツ。ブラウンシュバイク公は既にエーレンベルグ軍務尚書とも調整している。明日にも辞令が発令されるだろうとの事だ」
今度はざわめきが起きた。早いと思ったのかもしれない。俺自身そういう思いは有る。
「リューネブルク閣下の配下、そういう事でしょうか?」
クローネカーがリューネブルクをチラッと見ながら質問してきた。他の連中もリューネブルクを見ている。一度は連隊長として仰いだ、その後はヴァンフリート、イゼルローンで敵と認識して戦った。複雑な思いが有るのだろう。公が俺達を自分の下に引き取ると言ったのはその辺りを考慮したのかもしれない。
「違う、俺達は帝国軍に正式に迎え入れられた後、ブラウンシュバイク公の預かりとなる。任務は平時においてはブラウンシュバイク公爵邸の警備、これは俺達だけじゃない、これまで警備を担当していた人間達と協力して行う事になる。そして戦時は総旗艦フォルセティに詰める。俺は幕僚として、貴様らは艦内の保安任務に就く」
ざわめきが起きた、興奮している。“凄いな”、“信じられない”といった声が彼方此方から聞こえた。総旗艦フォルセティに詰めるという事が驚きなのだろう。実際捕虜に対しては信じられない程の厚遇といって良い。その時だった、リューネブルクが“浮かれるな!”と皆を一喝した。
「浮かれるんじゃない。貴様らはブラウンシュバイク公爵邸を警備するという事の意味、総旗艦フォルセティに詰めるという事の意味が分かっているのか? 分かっていて浮かれているのか?」
「……」
「分かっていないのなら浮かれるな」
リューネブルクは苦虫を潰したような渋面をしている。
「シェーンコップ、貴様は分かるか?」
「優遇されているとは思うが?」
リューネブルクが舌打ちした。
「馬鹿か、貴様は。そんな事は子供でも分かる。俺が言っているのは貴様らがブラウンシュバイク公爵邸を警備するという事の政治的な意味だ」
政治的な意味か……。
「帝国屈指の実力者、名門貴族を警備する事になるな。それなりの信頼を得ている、そういう事だと思うが……」
「零点だな、シェーンコップ。呆れたぞ」
「……」
喧嘩を売っているのかと思ったがそうではなかった。リューネブルクは冷たい視線で俺を見ている。呆れたと言うのは悔しいが事実だろう。
「良いか、ここは同盟ではない、帝国だ。同盟のように人は皆平等などという甘ったれた概念は無い。帝国は皇帝を頂点としたピラミッド型の階級社会なのだ、そこを胆に銘じろ」
「……なるほど」
「この帝国で実力者と呼ばれるためには皇帝と極めて親密な関係を築く事が必要不可欠だ」
皆がリューネブルクの言葉に頷いている。
「政治的、軍事的な能力に対する信頼。血縁、姻戚関係による信頼。愛情による信頼……。この国で皇帝の寵姫が権力を振るう事が有るのもそのためだ、同盟なら最高評議会議長の愛人が権力を振るうなど決して有り得ない。良いか、しっかりと肝に銘じろ。帝国程人間関係が、それによる力関係が重視される世界は無い」
重みのある言葉だ。リューネブルクが逆亡命者でありながら帝国軍大将にまで昇進したのはブラウンシュバイク公との親密な関係が大きく影響したのだろう。
「ブラウンシュバイク公爵家は帝国屈指の大貴族だ。だがそれだけでは公は帝国屈指の実力者には必ずしもなれん。ブラウンシュバイク公爵家は先代の大公が皇帝フリードリヒ四世陛下の皇女アマーリエ様と結婚した。お二人の間には御息女エリザベート様がおられる。当代のブラウンシュバイク公の婚約者だ」
リューネブルクが“分かるか”と俺達に問いかけた。相変らず視線は冷たい。
「ブラウンシュバイク公は皇帝と姻戚関係に有る、極めて親密な関係に有る、そういう事だな」
俺が答えるとリューネブルクは頷いた。
「そうだ、公は平民の出だが皇帝陛下にとっては義理とはいえ孫になる。軍では元帥、帝国軍三長官の一人として宇宙艦隊を預かる身だ。そして今、帝国では皇族は少ない。当然だがその配偶者の存在は非常に大きいのだ」
なるほど、と思った。大貴族、皇孫との姻戚関係、そして宇宙艦隊司令長官。どれ一つとっても皇帝との関係は近しいものになるだろう。それを全て備えている。若いが帝国屈指の実力者というのはそういう事か、軍人としての評価だけではないのだ。同盟に居ては見えない事実だな。
「ではシェーンコップ、もう一度お前に訊こう。お前達がブラウンシュバイク公爵邸を警備するという事の政治的な意味は何だ?」
皆の視線が俺に集まった。リューネブルクは相変わらず冷たい目で俺を見ている。俺が何処までこの帝国を理解しているか、試しているらしい。下手な答えは出来ん。
「皇族二人を含むもっとも皇帝陛下に近しい方々が住む屋敷を警備する事になった。帝国で最も高貴な方々を守れるだけの能力が有り信頼出来ると評価していただいた。そういう事か」
“フン”とリューネブルクが鼻を鳴らした。
「五十点だな、見所が有ると思っていたが予想外に出来の悪い奴だ」
皆が苦笑するのが分かった。からかっていると思ったのだろう。
「随分と点が辛いではないか」
「点が辛い? 馬鹿を言え、甘いくらいだ」
ふむ、リューネブルクの視線は相変わらず冷たい。からかっているわけでは無いな。隊員達も気付いたのだろう、皆の顔から苦笑が消えた。
「俺は何か見落としているか?」
「ああ、見落としている。言ったはずだぞ、帝国程人間関係が、それによる力関係が重視される世界は無いと」
「……」
確かにそんな事を言ったな。人間関係、力関係か……。リューネブルクは何を俺に伝えようとしているのだ? リューネブルクが一歩俺に近付いた。そしてニヤッと笑った。
「お前は公とお前達の関係を理解した。ならばそれを一歩進めて見ろ。お前達とお前達以外の人間関係、力関係に」
囁くような声だった。だが俺には雷鳴の様に響いた。
「……そうか、そういう事か」
俺が溜息を吐くとリューネブルクが“ようやく分かったか”と満足そうに頷いた。
「ブラウンシュバイク公はお前達を預かりお前達に対して絶対的な信頼を示した。お前達は公の後ろ盾を得たのだ。その事は貴族、政治家、軍人、平民、皆が理解する筈だ。誰もお前達を侮辱する事は有るまい、そんな事をすれば公を敵に回す事になる。オフレッサー装甲擲弾兵総監もお前達を見て顔は顰めてもそれ以上の事は出来ん。そんな事をすればオフレッサーといえども首が飛ぶ、それが帝国だ」
それが帝国か……。役職や地位では無く人と人との結び付きが大きな意味を持つ。
「だから浮かれるな」
リューネブルクがまた厳しい声を出した。皆を睨み据えている。
「本来ならお前達はピラミッドの底辺に居る筈の人間なのだ。嘘では無いぞ、俺が良い例だ。亡命して三年、ただの一度も戦場に出る事も無く飼い殺しにされた。ようやく戦場に出られると思えばどうしようもないお荷物艦隊に配属された。その後も露骨に切り捨てられそうになった事が有る、何度絶望した事か……。幸い生き延びて此処まで来たが今思えば信じられない程に幸運だったと言える。公と出会っていなければ間違いなく俺は亡命した事を後悔しながら不本意な一生を終えていた筈だ、この帝国の、底辺でな」
やはりそうか、あのイゼルローンでの一件で分かっていた事だがリューネブルクとブラウンシュバイク公の繋がりは非常に強い。何が二人を結びつけたかは分からない。どう見ても接点など感じられない二人だ。だが戦場で助け合う事で深め合った絆なのだろう。
「帝国は今政治改革を進めている。平民の権利を拡大し貴族の放埓を抑えようとしているのだ。推進者はブラウンシュバイク公だ。当然だが貴族達はその事を面白く思っておらん。お前達がドジを踏めば貴族達はここぞとばかりに公を責めるだろう。一つ間違えば改革が頓挫しかねん、帝国の未来を左右しかねんのだ」
彼方此方で呻き声が聞こえた。皆の顔が強張っている、おそらくは俺も強張っているだろう。
「リューネブルク、つまり俺達は帝国の政争に巻き込まれるという事か」
俺が問い掛けるとリューネブルクは首を横に振った。
「そうではない、もう捲き込まれているのだ、シェーンコップ。お前達が公に引き取られた時からな。公はそのリスクを承知の上でお前達を迎え入れた。そうでなければお前達の立場は惨めなものになる、そう思ったのだろう。お前達もそのリスクを理解しなければならん」
再び呻き声が聞こえた。俺も呻きたい、思った以上に俺達は厄介な立場に居る。ブラウンシュバイク公が俺達に好意を示したのは事実だ。だがそれだけで済む話では無かった。俺達は右も左も碌に分からぬ状況でブラウンシュバイク公の与党だと皆から認定されたというわけだ。
「だから浮かれるな、ドジを踏むなと言っている」
「……」
「公の足手纏いになる事は俺が許さん。もし、そうなるようであればその時は……」
「俺達を殺すか?」
リューネブルクが俺の答えに冷笑を浮かべた。
「甘いな、シェーンコップ。俺に殺して貰える等と思うな、俺はそれほど優しくは無い、自分で始末をつけろ」
「……」
「帝国屈指の実力者の期待を裏切った以上、お前達に未来は無い。この帝国の底辺で惨めに朽ち果てるか、或いは戦場で無惨に切り捨てられるかだ。その場で死んだ方がマシだろうよ、それだけは保証してやる」
そう言うとリューネブルクは背を向けて会議室を出て行った。
帝国暦488年 5月 12日 オーディン ブラウンシュバイク公爵邸 フレーゲル内務尚書
「ようやく終わりましたな」
財務尚書ゲルラッハ子爵が感慨深げに言うとブラウンシュバイク大公、公の親子、リッテンハイム侯、リヒテンラーデ侯、ルンプ司法尚書、エーレンベルク元帥、シュタインホフ元帥、そして私の八人が頷いた。
「此度の事ではブラウンシュバイク公に大分御骨折り頂きました。感謝しております」
ゲルラッハ財務尚書が頭を下げるとブラウンシュバイク公が柔らかい笑みを浮かべた。
「お気になさらないで下さい、ゲルラッハ財務尚書こそ御疲れでしょう」
「畏れ入ります。しかし私などよりはるかに公の方がお疲れの筈、御自愛下さい」
ゲルラッハ財務尚書がブラウンシュバイク公を気遣うと公は“有難うございます”と言って微笑んだ。
ゲルラッハ財務尚書が公に感謝するのも無理は無い。膨大なまでに膨らんだ貴族専用の金融機関、特殊銀行、信用金庫からの貴族への融資、そしてその不正利用、そこにようやくメスが入り融資資金回収の目処が立った。ブラウンシュバイク公が法案を作成し財務省が法制化した。そして今日、それが黒真珠の間で発表された。政府の財政再建にも大きな意味を持つ筈だ。
「領地を失う貴族達ですが以外に大人しかったですな、もう少し反発が有るかと思ったのですが……」
ルンプが首を傾げるとリヒテンラーデ侯が微かに笑った。
「公が事前に根回しをしたからの。領地は無くなるが借金は無くなる、融資資金はそのまま貰える、おまけに内務省から派遣されている監督官から解放されるとな。連中、余程監督官が目障りだったらしい、意外にすんなりと受け入れたようだ。フレーゲル内務尚書、お手柄じゃの」
応接室に笑い声が満ちた。私も苦笑せざるを得ない。
「彼ら自身分かっているのですよ、領地経営はこれから難しくなると。お金もかかりますが領民達の不満を理解しそれを解消する方向で統治しなければならない。結構面倒です。それよりは気儘に金儲け出来る立場の方が楽だ、そう思ったのでしょう」
公の言葉にまた笑い声が上がった。
「無責任な奴、と非難したいところですが彼らのおかげで他の貴族達も大人しく受け入れてくれました。領地を失う連中が受け入れたのですからね、領地を持つ事が許された連中は文句を言えません」
上機嫌なゲルラッハ財務尚書の言葉に皆が頷いた。厄介事が片付いた所為だろう、皆も表情が明るい。
「無責任というのも悪くは無いようですな」
「ごく希にだがそういう事も有るらしい、いつもでは困るが」
シュタインホフ統帥本部総長とエーレンベルク軍務尚書の遣り取りに彼方此方で噴き出す音が聞こえた。耐えきれないように大公が笑い出す、皆がそれに続いた。
一頻り笑った後、リヒテンラーデ侯が口を開いた。
「この後は平民達への説明だが……」
「一難去ってまた一難ですな。ここで失敗しては元も子もない」
私が続けると皆が頷いた。今回発令された法は貴族にとって決して不利とは言えない内容になっている。平民達にとっては納得しかねる部分も有るだろう。だが平民達に暴動などを起こされては今度は貴族達が硬化しかねない。一旦受け入れた連中も撤回を言い出しかねないのだ。詰めを誤ることは出来ない。
「此処はブラウンシュバイク公に説明して貰いたいのだが」
リヒテンラーデ侯が幾分遠慮気味に発言すると皆が公を見た。已むを得ない事だ、平民達は公が平民階級出身である事、改革の担い手である事を良く理解している。そして少しずつではあれ貴族達の横暴を抑え平民達の権利を拡大している事もだ。公が広域通信で説明すれば平民達は多少の不満は有っても仕方無いと納得はしてくれるだろう。もちろん、公にとっては不本意で面倒な仕事では有る。公は政府閣僚ではなく軍人なのだ、担当外という思いも有る筈だ。リヒテンラーデ侯が気遣うのもその辺りの事を思っての事だろう。
「分かりました、私の方で説明します」
公は不機嫌になるでもなくごく普通に答えた。ホッとしたような空気が応接室に流れる。
「その代わりと言っては何ですが一つお願いが有ります」
皆が公に注目した。やはり簡単には終わらない。
「捕虜の交換を実施して頂きたいのです」
捕虜の交換? 皆が顔を見合わせた。
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