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銀河英雄伝説~美しい夢~

作者:azuraiiru
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第四十四話 仕官




帝国暦488年  4月 12日  オーディン  リヒテンラーデ侯爵邸  ライナー・フォン・ゲルラッハ



リヒテンラーデ侯爵邸の書斎、私と侯はソファーに座って対座していた。侯は紅茶を飲みながら何かを考えている。
「如何思われますか、国務尚書閣下」
私が問い掛けるとリヒテンラーデ侯は“フム”と鼻を鳴らした。機嫌は必ずしも良くは無いようだ。侯がティーカップをテーブルに置くとジロリと私を見た。

「ゲルラッハ子爵、卿は如何思うのだ」
「多少強引かと思いますが已むを得ないとも思います。実際私には解決策が見いだせませんでしたし貴族を優遇しているのは事実です。貴族達も受け入れると思います」
リヒテンラーデ侯がまた“フム”と鼻を鳴らした。

昨日、ブラウンシュバイク公が我が家に来た。貴族達が借り入れている貴族専用の金融機関、特殊銀行、信用金庫からの融資について如何するか、その対策案についてだった。そして今、私がリヒテンラーデ侯に説明している。採用するべきだと思うのだが侯の反応は今一つ思わしくない。

「大公とリッテンハイム侯は承知なのだな」
「既に説明して了承を得ていると公は言っておいででした」
リヒテンラーデ侯が三度“フム”と鼻を鳴らした。
「余程に腹を立てているようじゃの」
「は?」
腹を立てている? どういうことだ?

「ブラウンシュバイク公の事よ。余程に腹を立てておる。とんでもない爆弾を仕込みおったわ」
「爆弾、と言いますと?」
問い返すと侯は私を憐れむかのように笑った
「卿もブラウンシュバイク大公もリッテンハイム侯も気付かなかったようだの。公の提案を受け入れれば数年後には貴族達の大半が没落しておろうな」
「なんと……」
絶句する私にリヒテンラーデ侯が苦笑を漏らした。

「収益の四十パーセントも奪われて貴族達が我慢出来ると考えているのか?」
「それは……」
「ゲルラッハ子爵、私はこれまで内務、宮内、財務尚書を歴任してきた。それで分かった事が有る。貴族の貪欲さには際限が無い、法を無視する、咎めても徒党を組んで圧力をかけてくる、やりたい放題だ。その連中が収益の四十パーセントも奪われて我慢出来ると卿は考えているのか?」

「……ではこの案に反対すると?」
私が問い掛けると侯が首を横に振った。
「反対は出来まい、一応優遇しているからな。だが納得はするまいよ」
「領内開発を行わない、或いは収益を誤魔化すと御考えですか?」
「それも有るな。だが一番有りそうなのは収益をもっと上げろとせっつく事だろう」
なるほど、確かに有りうる事だ。

「無理をすればリスクが高まる。続ければいずれは破綻する事になる」
「破綻……、損失を被るという事ですか」
「うむ、それも致命的なまでにだ」
リヒテンラーデ侯が紅茶を飲んだ。だが表情は苦い。

「損失を被るという事は政府に納める十パーセントの金が出せないという事になります」
「領地の開発資金も出せぬ」
「という事は」
恐る恐る問い掛けるとリヒテンラーデ侯が厳しい目で私を見た。
「領地経営に失敗したという事よ」

やはりそうなるか……、だとすると……。
「取り潰しですか」
「まあ少なくとも領地の取り上げは避けられまい。今政府に金を借りている連中と同じ扱いになるのではないかな。取り潰しでは反発が大きかろう」
「なるほど」

政府から金を借りている連中から領地を取り上げるのはその所為か。前例が有る以上貴族達も反対は出来ない。そして政府は領地を接収し直接税の増収により財政を健全化させていく。政府の力も強くなるはずだ。しかし貴族達が大人しく従うだろうか、混乱が生じかねん。ブラウンシュバイク公はその辺りを如何考えているのか……。

「もっとも条件はかなり悪い」
「と言いますと」
「運用に失敗したのだ、資金はかなり減っておろう。貧乏貴族と言われかねんな」
「なるほど」
領地を失った上に金も無いか、貴族達の影響力はかなり減る。

「如何なさいます」
「……」
「そのまま受け入れられますか。混乱が生じかねませんが」
私が問い掛けるとリヒテンラーデ侯が苦笑を浮かべた。
「代案が有るかな」
「……」
「代案が無ければ受け入れるしかあるまい」
「それはそうですが……」

「それにこれを拒否すればブラウンシュバイク公はこの問題から手を引くぞ」
「この問題を放置すると?」
リヒテンラーデ侯が含み笑いを漏らした。
「領民達が暴動を起こした時点で取り潰せと言うだろうよ。或いは領地の取り上げを主張するか、そちらの方が混乱するだろう。もっとも公の性格なら本当に遣りたかったのはそれかもしれん」
「しかし国務尚書閣下の御指摘にも有りましたが帝国は混乱します」
リヒテンラーデ侯が紅茶を一口飲んだ。

「貴族達が反乱を起こせばそれこそブラウンシュバイク公の思う壺だ。宇宙艦隊を使って反乱を潰すに違いない。そして領地も財産も全て接収する。今の宇宙艦隊の指揮官は下級貴族と平民だ。貴族達に遠慮はするまい、多少の時間はかかるだろうが財政難など一気に解決だな。カストロプ公の私財がどれ程であったか、卿も知っておろう」
「……」
リヒテンラーデ侯が低い笑い声を上げた。

「元は平民であったからの、何故自分が貴族達の不始末の尻拭いをせねばならんのかという不満が有るようじゃ。その思いを無視は出来ぬ。不満が募ればいずれは厄介な事になるからの」
「危険ですか」
「その思いを無視すればな」
リヒテンラーデ侯が頷いた。

外見は穏やかだが内面には激しいものが有るとは認識していた。貴族に対して強い不満が有る事も認識していた。しかし自分に説明していた時は穏やかで誠実そうな表情をしていた。まさかそのような事を考えていたとは……、自分は公の説明をそのままに受け取っていた。

「ブラウンシュバイク大公とリッテンハイム侯は公の提案の真の狙いを理解しているのでしょうか」
「おるまいな。卿同様理解してはおるまい」
「では公の目論み通りになれば……」
諍いが起きるのではないか、そう思ったがリヒテンラーデ侯は首を横に振った。

「誰も公を責められまい。公からの提案は良く出来ておる。貴族達がまともなら没落する貴族は居ない。居ても少数の筈だ。そして政府は財政を健全化し平民達も開発の恩恵を受けられる。貴族達が予想以上に愚劣で貪欲であった場合にだけその全てが無に帰す。それでも公を責められるか?」
「……」
答えられなかった。確かに責める事は出来ないだろう、自業自得だ。

「それに公自身白を切るであろうよ。こんな事になるとは思わなかったと言ってな。或いは開き直るかな、それがどうしたとでも言って。まあ私の考え過ぎという可能性も有る」
リヒテンラーデ侯が苦笑を浮かべた。

「では公からの提案は」
「受け入れる」
リヒテンラーデ侯がきっぱりと断言した。
「どれだけ馬鹿が多いか、皆が認識する良い機会よ。それに何処かで貴族は抑えなければならなかったのだ。少々手荒いが理はこちらに有る。躊躇うべきでは有るまい。この問題は先延ばしには出来んのだ。何より、公をこれ以上怒らせるのは危険だからの」
リヒテンラーデ侯がほろ苦い表情で笑った。



帝国暦488年  4月 30日  オーディン  ブラウンシュバイク公爵邸  ワルター・フォン・シェーンコップ



「どうした、緊張しているのか」
「そんなことは無い」
「そうか、なら良いんだが……」
リューネブルクがちょっと心配するような口調で話しかけてきた。或いは本当に心配しているのか。ハイネセンからオーディンに戻った。そして俺はブラウンシュバイク公爵邸の応接室で公を待っている。同席者はリューネブルク、なんでこいつと並んで座らなければならんのか……。

ガチャっと音がしてドアが開いた。ブラウンシュバイク公が部下を三人連れて入って来た。リューネブルクと俺は立ち上がって敬礼した。公が答礼する。礼の交換が終ると三人で席に座った。三人の部下は公の背後に立った。護衛だろう。
「お待たせしたようですね」
「いえ、それほどでもありません。ワルター・フォン・シェーンコップ、帰還しましたので御挨拶をと思いお邪魔しました」
ブラウンシュバイク公が頷いた。

「如何でしたか、ハイネセンは」
「あまり思わしくは有りませんでした」
公が困ったような表情をした。
「いえ、そうではなく懐かしい人、大切な人とは会えたのかと訊いたつもりなのですが」
なるほど、そういう意味か。自分の勘違いに可笑しくて笑ってしまった。久しぶりに笑った気がする。
「会ったのはローゼンリッターの隊員と他に一人だけです。ハイネセンは小官には危険でした」

ブラウンシュバイク公が“そうですか”と言って大きく息を吐いた。
「裏切ったと疑われているのですね」
「そうです」
今度はリューネブルクが小さく息を吐いた。多分自分が同盟から逆亡命したことが影響していると思ったのだろう。確かにそれは有るだろう、しかし根本的な問題は同盟政府が目の前の人物の恐ろしさを認める事が出来ない事に有る。俺達は同盟を裏切ってはいない、だからこそ目の前の男の恐ろしさが分かる。第七次イゼルローン要塞攻略戦はこの男の所為で敗れた……。

「辛い事ですね」
ぽつんと言った公の言葉に思いがけず胸が痛んだ。リューネブルクも切なそうな顔をしている。妙な事だ、同盟人よりも帝国人の方が俺を、俺達を理解し憐れんでいる。リューネブルクは俺達を裏切ったというのに……。後ろに控える三人の顔にも俺への同情が有った。

「それで、如何します? あくまで同盟に対して節義を貫きますか、それとも帝国で新たな人生を歩みますか。どちらを選んでも大佐を非難する人間は居ないと思いますが」
「お言葉に甘えまして帝国で新たな人生を歩みたいと思います」
「それは大佐だけですか、他の隊員も?」
「捕虜になった三十五名、全員の意思です」

ブラウンシュバイク公が頷き、そしてちょっと心配そうな表情をした。
「ハイネセンのローゼンリッターとはこの事を話したのですか?」
「帝国で仕官するかもしれないとは伝えました。彼らも理解してくれています。そうするべきだと或る人物に勧められたのです」
公が“或る人物”と呟き訝しげな表情をした。

「ヤン・ウェンリー准将です」
「……」
公の表情が幾分厳しくなった。なるほど、エル・ファシルの英雄はブラウンシュバイク公といえども無視出来ないか。となると事情を詳しく話した方が良いだろう。

「我々が帝国で仕官すればハイネセンのローゼンリッターは我々を非難出来る、旗幟を鮮明に出来ると言うのです。今のまま、裏切ったのか裏切っていないのか、はっきりしないまま疑われているのではどうにもならないと言われました」
「なるほど、確かにそうかもしれませんね。しかし非情では有る、大佐達もハイネセンのローゼンリッターも辛い思いをする事になります」
ブラウンシュバイク公が俺を気遣うような目で見ていた。思わず視線を伏せてしまった。この男は俺達の、亡命者の苦しみを理解している。

「我々の仕官、認めて頂けましょうか」
「もちろんです、歓迎しますよ、シェーンコップ大佐」
“閣下”と公の後ろから声がかかった。黒髪の士官だ。
「宜しいのですか?」
心配そうな声だった。俺達を信用出来ないと見ている。ここでも疑われるのか、いや経緯を知ればそれも当然か……。そう思った時、ブラウンシュバイク公が軽やかに笑い声を上げた。

「大丈夫ですよ、アンスバッハ准将。彼らは卑怯、卑劣といった言葉とは無縁な男達です、心配は要りません。それにとても勇敢で有能だ」
確かにそうだ、自負はある。だが随分と俺達を高く評価してくれる。リューネブルクが嬉しそうにしているのが見えた。お前への評価じゃないぞ、俺達への評価だ、勘違いするな。

「ではシェーンコップ大佐達の処遇ですが小官の所で預かるという事で宜しいでしょうか」
リューネブルクの配下か。まあ妥当だが少々不満だな。
「ウーン、そうなりますかね。しかし三十五人というのは中途半端でしょう。大将も扱いが難しいんじゃありませんか」
公がそう言うとリューネブルクも“まあ、多少は”と言葉を濁した。

その通りだな、いきなり俺に連隊を率いさせる事は出来まい。せいぜい良くてリューネブルクの副官、或いは幕僚、そんなところか。しかしそうなるとリンツ達は如何するか……。
「私の所で預かりましょうか」
“え”っと思った。公が預かる? リューネブルクも驚いている。いやリューネブルクだけじゃない、部屋にいる全員が驚いている。驚いていないのは公だけだ。

「ブラウンシュバイク公爵家で預かると仰られますか」
「本籍は軍です。そこから出向という形で公爵家に来てもらう。如何です?」
「しかし、それは……」
「平時は屋敷の警備ですね。私が戦争に行く時は総旗艦フォルセティに詰めて貰います。大佐には幕僚として仕事をして貰い他の隊員には艦内の保安任務に就いて貰います」
リューネブルクが“ウーン”と唸った。

「いずれはローゼンリッターを連隊ごと引き取りましょう」
また“え”っと思った。そんな事が出来るのか?
「家族の問題も有りますしね、バラバラというのは良くない、そうでは有りませんか?」
まあそうだ。今回捕虜になった三十五名の中にも家族が同盟に居る人間が居る。

「しかしそんな事が出来ますか? 難しいと思いますが……」
リューネブルクが俺を見ながら公に問い掛けた。安請け合いはするなと忠告している。或いは俺に本気にするなと言っているのか。
「これは私だけの考えですが近々帝国、同盟がそれぞれ抱える捕虜の交換を政府、軍上層部に提案しようかと思っています」
三度“え”っと思った。今日は驚かされてばかりだ、目の前の青年は奇襲作戦が得意らしい。

「その際、ローゼンリッターを帝国に譲って欲しいと同盟に頼んでみましょう。向こうも持て余しているのであれば譲ってくれる可能性は有ると思います。もちろん隊員本人達の同意が必要ですが」
なるほど、と思った。確かに持て余してはいるだろう、帝国に譲る可能性は有る。というより譲らせるように交渉するのだろう。

面白い事を考える男だ、信じて良いのかな、そう思った。目の前の男は俺達が亡命者だというだけで疑うような事は無いらしい。だとすれば後は俺達の働き次第か、リューネブルクも亡命者でありながら大将にまで昇進している。帝国での人生も悪くないかもしれない……。






 
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