真・恋姫†無双 劉ヨウ伝
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第134話 桃香の再就職 後編
前書き
第133話は書き直しているので全くべつものになっています。
誰も何も喋ることなく時間だけが過ぎていく。暫くして冥琳が天幕に戻ってきた。すると桃香はおもむろに口を開く。
「愛紗ちゃんには悪いと思っている。だから、心を入れ替えて頑張っている。もっと早くに気づけばよかった」
桃香は俯きながら小さい声で言った。
「桃香、お前の愛紗への懺悔と私への頼みごとは関係ないだろ。論点をぼかして情けを買おうとするな。生憎だが私は情けで賊討伐を買ってでるつもりはないぞ。賊討伐の責務は本来は県令であるお前と潁川の大守にあるのだからな」
桃香と環菜は正宗に言葉を受け、正宗を失望した表情で見た。
「だが条件次第で賊討伐を請け負ってもいいぞ」
正宗の言葉を聞き先程と違って桃香と環菜は希望に満ちた表情に変わった。
「条件って何です?」
おもむろに桃香が口を開いた。正宗は桃香の返事を聞くわずかに口角を上げ笑うと冥琳へ視線をやった。
「私周公瑾が正宗様に代わり私が条件について述べさせてもらおう。条件は三つだ」
桃香と環菜は冥琳へ視線を向け声の主を確認すると緊張しているのか唾を飲み込む音が二人から聞こえた。冥琳は二人を確認して条件を話した。
一つ、臨穎県で賊討伐する間、正宗軍へ糧食を提供すること。
一つ、正宗が出奔した愛紗に士官の交渉をすることを認めること。勿論、愛紗に士官を無理強いすることはない。
一つ、賊討伐の報奨金として五銖銭で五十万銭(現在の日本円に換算して五千万円相当)。
「待って! 一番最初のは理解できるけど。他の二つは納得できない! 最後のなんて法外すぎだよ」
桃香が声を荒げて正宗に抗議した。正宗と冥琳は済ました表情で桃香を見ていた。
「二つ目は愛紗次第だ。愛紗が私の士官の話を断れば潔く引く。無理強いで私の家臣にしても役に立たないからな。最後のは賊討伐の当然の報酬と思うぞ。桃香、お前は私の家臣に無報酬で命を張れというつもりか?」
「正宗様の仰る通り。一つ目と二つ目は条件と言えない。一つ目は賊討伐を依頼する為政者側が負う当然の責務。二つ目は劉県令が正宗様に関羽を家臣として差し出すことを要求しているわけでなく、関羽の意思で士官の話を断ることもできる。劉県令と関羽の間の信頼は左様に脆いものなのか? 正宗様から士官の話を持ちかけられた位で関羽が正宗様に靡くのであれば、劉県令と関羽の間の絆はその程度のものでないのか?」
冥琳は意地悪い笑みを浮かべ桃香を見つめた。
「正宗さんの誘いを受けるような愛紗ちゃんじゃない! 愛紗ちゃんとはずっと一緒だったんだよ。仲間だもん」
桃香は冥琳に攻撃的な視線を向けるが迫力に欠けていたため冥琳は動ずることはなかった。仮に迫力があろうと冥琳は動じることのない胆力はある。
「では問題ないな」
桃香は冥琳の言葉に黙らざる負えなかった。
「でもでも最後は納得できない。理不尽だよ。五十万銭なんて払える訳ない」
桃香は正宗を上目遣いで瞳をウルウルさせ訴えてきた。彼女の涙を見て正宗は罪悪感を抱く感覚に捕われそうになるが顔を左右に振り自らの甘さを振り払おうとした。
「そんな目で見ても無駄だ」
正宗は厳しい表情で桃香を見た。
「劉県令、貴殿にもわかるだろう。軍には金がかかる。正宗様に付き従い黄巾の乱の激戦を潜り抜けた三千の精兵を無償で使えると思っているのか? 条件が気に入らないなら大守なり郡尉なりに陳情していれば良いだろう」
冥琳は桃香を突き放すように険しい表情で言った。桃香は冥琳の言葉に窮して押し黙った。
「劉将軍の掲示された条件はごもっともでございます。ですが臨穎県は賊による被害により疲弊しております。臨穎県の民を救うためにご助勢願えませんでしょうか?」
「環菜、そうはいかんな。条件を飲めないなら賊討伐に力は貸すことはできん。桃香、民を救う力がないのであれば県令の職を朝廷へ返上してはどうだ。非力な為政者ほど民にとっては迷惑なものはない」
正宗の言葉に環菜は怒りに満ちた目で正宗を見つめた。環菜は表情に気持ちを出すことはなかったが、その拳は怒りで強く握り締められていた。環菜の桃香への忠誠心は史実通り高いようだ。正宗自身も環菜のことをそう認識したのか冷静な目で環菜のことを見つめた。環菜は自分に向けられる観察するような正宗の視線に気づき、頭を下げ視線を逸らした。
「私が県令を止めれば、正宗さんが賊を討伐してくれるの?」
「桃香様、何を言っているんです」
桃香の発言に慌てて環菜を制止しようとするが、桃香は環菜を無視して強い意志を篭った表情で正宗を見つめていた。その表情を正宗は逸らすことができなかった。
「桃香、お前が県令を辞そうと私は賊を討伐しない。私の通り道に賊が居れば火の粉は払うがな」
「どうして助けれくれないの!」
桃香は悲痛な表情で正宗に言った。正宗は桃香を見つめた後、ゆっくりと口を開く。
「お前が県令を辞せば、臨穎県の治政は宙に浮く。腰の重い郡尉でも流石に賊討伐に動く可能性はある」
「そんな」
桃香は正宗の言葉に悲嘆した表情を返した。正宗は桃香の表情を見て、呆れた表情で桃香を見ていた。
「お前は何なのだ。市井の民なのか? お前が市井の民ならば、この私はお前の願いを聞き届けてやる。それが士大夫として生まれ、官職を得た者の勤めだ。県令であるお前は自ら剣を取ってでも、傭兵を雇ってでも賊を討伐するのは当然ではないのか!?」
「正宗さんに言われなくても、そんなこと分かってるよ。でも、愛紗ちゃんが家出してから賊の被害が大きくなって、この秋の税収は全然期待できないんだもの」
桃香は涙目で正宗に縋るように見つめてきた。
「私が賊討伐を行なっても、その成果は県令であるお前のものになるのだぞ。何故、私がお前の成果のために働かなければならない。条件は飲んでもらうぞ」
正宗は桃香の様子に一瞬たじろぐが心を鬼にして言った。桃香は正宗の言葉を聞き、脱力したように肩を落とす。
「劉将軍、よろしいでしょうか?」
意気消沈した桃香を余所に環菜が割り込んできた。
「何だ?」
正宗は環菜を訝しんだ。
「劉将軍、臨穎県の窮状をお察しください。無い袖は振れません」
環菜の開き直りとも取れる態度に冥琳は険しい表情で環菜を睨みつけた。
「話は最後までお聞きください。条件を飲まないとは申しません。ただ、臨穎県の負担を軽減していただきたいのです。勿論、お願いする賊の討伐の内容も多くを望みません」
環菜が正宗に提案した内容は、
一つ、正宗は臨穎県の治所に二週間滞在する。この間に環菜は正宗が臨穎県に滞在していることを臨穎県の周辺の県と大守の行政府のある街に噂を流す。
一つ、正宗旗下の軍は勢力の一番大きい賊を討伐する。討伐後は盛大に臨穎県の周辺の県と大守の行政府のある街に噂を流す。
一つ、正宗が大守宛に臨穎県の治安安定の助勢ため軍を派遣するように依頼する手紙を書き、正宗配下の者の手で届けさせる。手紙を届けた後、大守の行政府のある街に噂を流す。
だった。
「環菜、質問してもいいか?」
「なんなりとお聞きください」
「お前の提案内容だが、何故行動毎に噂を流すのだ。そもそも、この噂の内容は何だ」
正宗は本能的に嫌な予感を感じたのか環菜をジト目で凝視していた。
「劉将軍の名声と武威を利用させていただきます」
「どのような噂を流すのかと聞いている」
「劉将軍と桃香様がご友人であると流すだけです」
正宗は露骨に嫌そうな表情を顔をした。
「環菜、お前の案であれば我が軍の負担は小さくなる。しかし、この案だと桃香の利が大き過ぎるだろう」
「車騎将軍であり、冀州牧であられる正宗様と劉県令が『友人』などと潁川郡中に噂を流せば大守と郡尉は劉県令への便宜を計ろうとするのは目に見えている。正宗様が去った後も、その効果は消えることはない。何故、正宗様がそこまで劉県令に骨を折らねばならない!」
冥琳は鬼気迫る険しい表情で環菜に文句を言った。環菜は冥琳は凄まじい剣幕にたじろいだ。
「桃香様は劉将軍より受けた大恩をいずれ必ずやお返しなさります。どうか桃香様の窮地をご助勢くださいますようによろしくお願いいたします」
環菜は椅子から折り地べたに這いつくばり頭を地面に擦り付け土下座し正宗に懇願した。その行動に正宗達は一様に驚いた。環菜の土下座は凄く板についた。この大女が土下座するのは初めてではないような気がした。環菜は桃香のために陰日向関係無く苦労してきたのだろう。主君である桃香は環菜の行動に動揺している様子だった。
「環菜、立て。土下座しても無駄だ」
正宗は短く答えた。
「劉将軍、どうかどうかお願いいたします!」
尚も土下座する環菜を見ていた桃香は正宗を向き直り、自らも土下座した。
「正宗さん、お願いします。私、正宗さんに何も返せてないけど、私があげられるものであれば何でもあげます。だから、力を貸してください!」
桃香は土下座したまま正宗に頼みこんできた。正宗の周囲の者達の視線が痛い。冥琳に視線を向けると彼女の表情は「桃香の願いを聞き届けてはいけない」という意思が滲み出ていた。
麗羽は桃香と環菜主従を悲しみに満ちた表情で見つめていた。対して桂花は二人を三文芝居を見ているように冷酷な視線を送っていた。朱里も同じような表情だった。
泉は政治の世界に疎く戦場畑が長いせいか二人の姿に感動し貰い泣きをしていた。
「三文芝居だな」
正宗は小さい声で呟いた。
「桃香、臨穎県の県令を辞せ。お前の後任が賊の件はどうにかするだろう。代わりにお前に仕事をやる。月華先生を捜せ。そして、彼女の病気の看病をしていろ。この私の直臣として遇してやるから経済的なことは心配するな」
正宗は有無を言わさない表情で桃香と環菜を見ていた。冥琳は正宗の言葉に呆気に取られていた。
「でも臨穎県の人達はどうなるの!」
「お前が県令を辞せば、郡尉が治安維持のために動かざるえない」
「でもさっき郡尉が動くか分からないっていたじゃない」
桃香は正宗を抗議するように言った。
「桃香が県令を辞すだけであればな。お前は病を理由に官職を辞せ。その時に大守と郡尉に渡す書状を私が書いてやる。書状は臨穎県の治安の悪さを糾弾するものだ。もし、臨穎県の治安悪化への対策を講じないなら朝廷へ奏上すると書いて置く」
「それで本当に臨穎県の人達は賊から襲われることないの?」
桃香は正宗に縋るように見つめてきた。正宗は溜息をつく。
「ああ。桃香が県令にある限り、俺の奏上があろうと責任はお前にある。詰め腹を切らされるのはお前だ。大守と郡尉は私に気を使って支援はするが賊討伐に積極的に関わろうとしないはずだ。仕事のできる大守や郡尉なら陳情を受けた段階で賊の鎮圧に動くだろ」
「私が県令を辞めることで解決するなら地位に未練はないけど」
桃香は心配そうな表情で正宗を見た。正宗は溜息をつく。
「桃香、安心しろ。お前が辞せば万事上手くいく。お前の部下がどのくらいいるのか分からない。だが関羽が出奔しただけで、この有様ではこの地域を治めるのは無理だろう。お前は荒事向きではない。治世で県尉程度が一番あっている。分かったら、さっさと立て」
正宗は優しい表情で桃香を見た。その表情を見て桃香は安心したのか立ち上がった。しかし、環菜は土下座したまま頭を上げることはなかった。
「環菜、桃香は県令を辞す。それで桃香は納得した。さっさと立て」
「嫌です」
正宗は環菜の言葉に耳を疑った。彼女の主君である桃香が県令を辞すことで納得しているのだ。家臣である環菜がとやかく言うことではない。
「桃香様は県令として頑張られていました。足らないのは賊を討伐する武力だけです。関羽が裏切らなければ桃香様がこのような辱めを受けることはありませんでした」
環菜は怨嗟の声を上げ「関羽が裏切らなければ」とゆっくりと言った。彼女の声音は憎悪に満ちていた。彼女にとって関羽は恨みの対象なのだろう。冥琳が掲示した正宗の条件を桃香に突きつけた時、環菜は「臨穎県の負担を軽減」と求め条件の変更を求めてきた。もしかしたら環菜は関羽のことなどもうどうでもいいのかもしれない。正宗と冥琳は環菜の言葉から何かを察した様子だった。
「環菜さん、裏切りって大げさ。愛紗ちゃん一人に仕事を多くまかせすぎて大変だったから家出しちゃっただけだよ」
環菜の雰囲気に困惑した桃香は元気良く環菜に声を掛けたが彼女は返事しなかった。
「劉将軍、桃香様にお力添えを! お力添えいただければ、この環菜は劉将軍への大恩を終世忘れず、その大恩に報いてみせます!」
環菜は顔を上げ、力強い声で強い意志を秘めた瞳を正宗に向けた。正宗は椅子に座したまま環菜を見つめた。
「桃香でなく環菜、お前が大恩に報いるというのか。環菜、ここで私が『死ね』と言えばお前は死ねるのか?」
「死ねます!」
環菜は正宗の眼を直視して淀むことなく答えた。正宗は椅子から立ち上がり腰の剣を抜き放ち環菜の首の右側寸前で止めた。彼女の首からは剣が擦ったのか血が少し滲み、首から鎖骨にかけ涙のように血が滴っていた。環菜は逃げることなく正宗を見つめていた。
「正宗さん! 環菜さん、最近少しおかしいの。許してあげてください」
桃香は正宗の側に寄り、必死で頭を下げた。それを正宗は無視し、環菜へ殺気の篭った視線を向け睨みつけた。環菜は緊張した表情で額に玉の様な汗をかきつつも正宗から視線を逸らすことはなかった。
「気に入った! 環菜と言ったな。お前に私の真名『正宗』を預ける。これより私のことは正宗と呼べ」
正宗は環菜から抜き身の剣を鞘に戻すと椅子に戻った。環菜は体中の力が脱力し、体勢を崩した。桃香は肩の力を脱力して疲れた様子だった。
「劉将軍、桃香様へお力添え下さるのでしょうか!?」
環菜は体勢を崩しながらも顔を上げ正宗の顔を伺った。正宗は軽く頷く。
「環菜、桃香を支え、この私に桃香が敵対しないように尽力せよ。さすれば、今回だけでなくこれからも桃香を引き立ててやろう。それが叶わぬ時はお前の命を貰い受ける。だが忘れるな。お前の命を私が奪う時、桃香は惨たらしく死ぬことなることをな」
「劉将軍。かか感謝いたします。環菜は劉将軍の大恩を忘れません!」
環菜は正宗の言葉に感涙し咽び泣きながら正宗に礼を述べた。
「桃香。お前は未だ臨穎県の県令を続ける意思はあるか?」
「えっ!? 私は」
正宗に声を掛けられた桃香は戸惑っていた。
「お前に『県令を辞めろ』と言った私がどうこういう資格はないと思うが。お前は臨穎県の県令を続ける意思はあるか?」
正宗は真剣な表情で桃香を見つめた。桃香は被りを振った。それを見た環菜は絶望した表情になった。環菜は命を懸けて正宗に嘆願したのだ。落胆は当然だろう。
「私は臨穎県に住む人達が幸せになれば良いの。今の私じゃ、皆を幸せにできそうにない。正宗さんに言われた通り、県令を辞職して暫く月華先生を看病しようと思うの。えーと。正宗さん、よろしくお願いします」
桃香はペコッと正宗に頭を下げた。必死に正宗に嘆願した環菜の姿がシュールに見えた。
こうして桃香は県令を辞職し正宗から「月華先生の看病」という就職先を斡旋してもらうことになった。
後日談だが環菜と士仁、桃香に最初から従っていた古参の兵達は月華先生を探しに幽州へ向う桃香に着いていくのだった。士仁以外は桃香への忠誠心から桃香に付いていくが、士仁だけは違った。桃香が優良就職先である正宗の直臣に収まったからだ。また、病人の看病ということで今までの激務から解放されるという現金な気持ちから来るものだったことは誰も知らない。
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