【短編集】現実だってファンタジー
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俺馴?その2ー1
前書き
「それが君の”しあわせ”?」の続き書いてたはずなんですけど、なんか出来上がりました。
世の中には費用対効果というものがある、とはだれの言だったか。
その物事に支払った費用によって得られる成果――この効果が良いと言う事はすなわち少ない費用で大きな効果を得られるということだ。その費用対効果の面から見て――さざめにはいりこがアーケードゲームにかじりついている理由がイマイチ理解できなかった。
ゲーム画面からは無駄に気合の入った男のプレイヤーに対する敗北宣言が声高らかに告げられている。
『討・死!!』
「あぁ~ッ!?何でぇ!?ちゃんと避けた筈なのに!!むぅ、ひょっとして当たり判定が2ドットくらいずれてるんじゃないの?検証の必要あり……いりこ、吶喊しまぁ~すッ!!」
「おい、その百円玉……何枚目だ」
「12枚目だけど?」
その12枚目を何の躊躇いもなくコイン投入口に放り込んであっけらかんと答えるこの女の後頭部を一発はたいてやろうか、と考えたさざめだったが、保護者じゃないんだから財布事情にまで口を挟むまいと自分に言い聞かせて止めた。12枚ということは既にいりこはこのゲーム筐体に1200円も貢いだということになる。
1200円ということは、安いゲームソフトくらいなら買えるし丸1日分の食事代くらいにはなる値段だ。節約すれば2日目に突入するかもしれない。ともかくそれほどの価値があるものを、いりこは目の前のゲームにつぎ込んでいるのである。
彼女がやっているのは今日稼働したばかりの新型シューティングゲーム「金ヶ崎シリーズ」の最新作である『金ヶ崎イクリプス』。何でも主人公の戦国武将が迫り来る敵兵に蹴鞠の鞠をぶつけて次々に撃破していくゲームだとか。何故か2メートル大の扇に乗って浮遊してるし、鞠が無尽蔵に連射できるしで突っ込み所が満載だ。そもそも何故戦国武将が鞠で敵に攻撃するのかがさっぱり理解できず、その訳の分からなさが逆に人気を呼んでいるらしい。
1プレイ100円、持ち残機2機。コインを入れたらゲームが始まり、延々と迫り来る敵とその攻撃を倒したり避けたり、倒したり避けたり。一度でも敵の攻撃や敵自身に接触すると即撃墜判定。パワーアップアイテムもあるが、どれも一長一短で使いにくい。
シューティングゲームに造詣が深いわけではないさざめだが、格闘ゲームやSTGに入れ込む人間の心理が理解できなかった。傍から見ればそれは浪費以外の何物でもない。
「何が楽しいんだよそれ。クレーンゲームやらと違って景品も出ないし……すぐやられるし。やって得することあんのか?」
「えぇ、楽しいじゃん!そりゃ上手くいかなかったらウガァ!ってなるけど、だからこそ狙い通りに通った瞬間が嬉しい訳で……あ、死んだ。これずれてるんじゃなくて当たり判定がちょっと大きくなってるんだ。わーこれは辛いなぁ……」
言いながらも自分の疑問を解消するために残機を一つ犠牲にしたいりこ。さざめにはさっぱりわからないが、操作しているいりこの感覚では攻撃の命中判定範囲が広くなっているそうだ。そんなことが分かるようになるほどに彼女はこのシリーズをやり込んでいた。
それを理解できるほどゲームが上達するのにいったい幾らの金をかけたのやら。少なくとも二千円や三千円では済まないのだろう。それだけの金があればクレーンゲームでお菓子やぬいぐるみを取った方が有意義に思える。
が、そこでさり気なく痛い所を突いてくるのがいりこという女。鋭い指摘が飛んでくる。
「そぉいうさざめくんはクレーンゲームやってて楽しいの?あんなのあっという間に終わるし、アームの強さとか変な設定いっぱいあるしで全然思い通りにいかないじゃん!現にさざめくんの本日の収穫ナッシング!!」
「うぐっ……い、いいんだよ!本気で欲しい景品は無かったし、そもそもこの辺のゲーセンじゃ調整キツイから当たらない方が多いの!」
「で?で?そんな理由で五百円浪費したのに何の効用も得られてないさざめくんになんで楽しさを説かれなきゃいけないの?……っとぉ、危ない危ない。ホーミングキツイなぁこの足軽大砲」
(どんな大砲だそりゃ……?)
なんだかんだ言いつつもゲーム画面から一切目を離さないその集中力をもっと別の所で使うべきだと思うのだが、いりこは優等生の割に変なところで浪費家だ。この間も神社のおみくじが何種類あるかを調べるとか言って1回2百円のおみくじを大量に引きまくっていたし、その前は博物館のおみやげを計数万円分買い占めたらしい。謎の生態である。
そしてその理解しがたい傾向は今現在も全面に表れており、ムキになったいりこの反論には随分熱が籠っていた。……付き合わされるこっちの身にもなって欲しいのだが。
「こぉゆうのはね、やってる人にしか解んない楽しみがあるんだよっ!ゲーム音痴のさざめくんには分かるまい、エンディングを迎えた瞬間の達成感がっ!」
「あーそうかいそうかい。じゃあ満足するまで勝手にやってろ。俺はついて行けん!」
「……あ、あれ?帰っちゃうの?」
さざめは返事を返さずすたすたとゲーム筐体の前を後にして、ゲーセン内部の人ごみに紛れていった。理解できないものを横で見てても、それこそ楽しいことなどないから。
背後から子犬が見つめてくるような寂しげな目線が刺さったような気がしたが、ここで振り返るのもなんとなく癪なのでそのまま去った。
= =
去りゆく仮初の幼馴染を横目で見ながら、いりこは不満そうに口元を歪めた。このゲームの素晴らしさを知ってもらいたかったのだが、言うに事書いてやって得するのか、とはひどい。そのような利益追求主義みたいな考え方は視野を狭めてしまうだろう。
そもそも娯楽というものは元々生産性のないものだろうに、さざめは浪漫を解せない男だ。楽しい事は健康にもいいと言うのに。そうやってストレスを溜めて病気になってしまえ、と吐き捨てたくなるが、弱ったさざめというのはイメージが全く湧かない。
(さざめくんも付き合い悪いよねぇ。普通女の子の誘いについていっておいて自分だけどっか行く?)
ゲーセンに一緒に来たのは、たまには遊びに行こうという話になったからだ。
実を言うと、いりこもさざめもそれなりに互いの家へ遊びに行くことがある。提出しなければいけないけれどやるのが面倒、という課題があるとさざめは直ぐにいりこに手伝ってもらおうとし、その代金代わりにいりこがさざめの家に遊びに行許可を得る。そんなこんなで行き交いはしているのだ。
そんな中で、いりこが「偶には家の外に遊びに行ってもいいよね」と半ば強引に連れだしたのがゲーセンだった。女の子らしいチョイスかと言われれば微妙なところだが、生憎デートのいろはなど知らないいりこはこれといって深く考えずにここに連れてきた。ところが、それなりにテンションの高いいりこに反してさざめの反応は芳しくなかった。その2人の温度差がこの現状を招いたのかもしれない。
内心は恐らく退屈半分照れ半分。しかし素直でないさざめがテレなど表の感情に出すわけもなく、結果として退屈だけが前に出てしまったのだろう。少し失敗したかな、と気が沈むが、直ぐに目の前の戦いに顔を向ける。
弾幕に次ぐ弾幕。なだれ込む敵。そして立ちはだかる異形に成り果てた名武将たち。その行動パターンを読み、アルゴリズムを解析し、自機の行動を最適化していく。いりこは既にゲームを楽しんでいるという領域を超え、一つの精密機械と化そうとしていた。
ボタンをタップしながら小刻みに画面内の自機を操り、そのミスが許されない緊張感にペロリと舌なめずりする。このギリギリの中で己の精神をどこまで研ぎ澄ませるか、その感覚が堪らない。全身の集中力が身体からはがれ、正面の画面に集中していくような感覚・・・一種のトランス状態へといりこは突入する。
さざめは知らなかったことだが、『金ヶ崎イクリプス』は歴代シリーズ最難関と名高い難易度を誇る。特にゲーム開始直後のスタートボタンで隠しコマンドを入力することによって、隠しモード『難易度:悪鬼羅刹』に挑戦することが出来る。その難易度たるや従来のそれより飛躍的に向上し――開発者でさえクリアが難しいと言われる領域にまで達していた。
既にこのゲーセンより先に稼働した店でゲームに挑んだSTGプレイヤーたちが「開発スタッフは悪鬼羅刹」「誰がここまでやれと言った」「樋口さんを生贄に奉げても1面の中ボスを突破できない」などの悲痛なコメントを残している。
だが――難易度が上がれば上がるほどにいりこは挑戦したくなる。
なんというか、こういった難易度の高い作業を求められると血が滾る気がするのだ。
(向こうの世界じゃまだ娯楽が少ないんだもん。旧文明では栄えてたみたいだけど、復元が難航してるし………)
向こうの世界ではデジタルなゲーム機というものは、諸事情によりほぼ失われている。
辛うじてパソコンのミニゲーム程度のものならば遊べるが、RPGや本格的なアクションゲーム等はまだ発想の外と言ってもいい。そもそも地球の文化の中でもサブカルチャーの類は大半がデータロストしており、現在は過去のデータをサルベージして復元している段階でしかゲーム機というものが無い。
物語の類はあるが、それでも地球再開発に勤しんでいた地球移民は非常に忙しかったため、作家などいない。となると必然、移民元の惑星にあった物語が延々と回される事態になる。最初はそれで良くとも、流石に移民2世が誕生することには完全に飽きられていた。子供たちの中にも当然飽きる者が出てくる。
いりこなど、あまりにも退屈が過ぎたせいで、神秘属性数の構成数列で最難関と言われる「000」の神秘数列を延々と解読するという異次元の娯楽に手を染めていたほどだ。
……その結果、いりこは向こうの歴史上3人目の「000」習得者になるという歴史的偉業を達成していたりするが、ともかく彼女はなんにでも熱中できてしまう人間なのだ。こと、細かくて作業的なことになると病的な集中力が如何なく発揮される。それが証拠に、彼女は快進撃を続けていた。
ただ一つ。さざめに腕前を褒めてほしかったという密かな願望が叶わなかったことに少しだけ残念な感情を抱きながら――いりこはその一抹の寂しさに蓋をした。
「さあ、じゃんじゃん撃つぞぉぉーー!!」
女一人。友達も連れずにゲームセンターで独りぼっちの彼女の背中には、微妙に残念な人の哀愁が漂っていた。
= =
(いりこレポートその37:シューティングゲームに熱中するやり込みゲーマーである。今までの傾向からしてサブカルチャーに関する関心が深いらしいが、それとあいつの存在の因果関係は不明……っと)
スマホのメモ機能に手早くいりこの生態観察を書きこんださざめは、ゲーセンの隅のソファで一息ついていた。
いりこレポートとは、未だに判然としないいりこの正体を暴くのに役立つかもしれない情報をちまちま書きこんでいる研究資料である。内容は割としょうもないことばかりだが、それでも積み重なればなんとやら。重ねて行けば見えてくることもある。先ほどのサブカルチャー好きもその一つだ。
ふと、こんなものを書いていることを周囲に知られれば危ない男だと思われるのではないかという疑惑を抱く。周囲にはストーカー扱いされそうだが、こんなことをしても尚あいつが何者なのか分からないのが悪いと責任転嫁する。
一先ず、最近はいりこの正体について3つの可能性に絞って考えている。
その一。いりこ、超能力者説。
記憶改変などの特殊な能力を駆使して人間社会に入り込もうとしている。
その二。いりこ、人外説。
あいつの身体能力は妙に高いし、実は人でない存在が人に化けているのではないか。
その三。いりこ、未来人説。
実はあいつは未来からやってきたので、不可思議な現象は全て極度に発達した科学技術のもたらしたものである。
で、万が一いりこが普通の人間だった場合は――残念ながら俺の頭だけおかしくなっていることになる。そもそも、いりこの正体について考えれば考えるほど、俺だけがあいつを覚えていないことがおかしいのだ。
それとも向こうにしか観測できない特異性が俺にあるとでも言うのだろうか。――それこそ確認のしようがないことだ、とかぶりを振って立ち上がる。
不意に横を見ると、通りすがりのカップルらしき男女がクレーンゲームを後にしようとしていた。どうやら男の方が取ろうとして失敗したらしい。見た所クマをモチーフにしたクッションらしく、その形状は如何にも枕にしたら気持ちよさそうである。それに鋭く視線を向けて、ある事に気付く。
「――あれは、取れるな」
少々金がかかるかもしれないが、あれは取れそうだとさざめは思った。いりこの言うとおりいくらかは既に無駄打ちした小銭だが、財布の中身はまだ余裕がある。そして目の前に取れる商品があったら取ってみたくなるのが人情と言うもの。500円で6プレイと書いてあるため目算でそれくらいかかるだろうと500円を投入しボタンを押す。今月分の小遣いがだいぶ消費されている気がするが、まだ許容範囲内の筈だ。品定めするように左右からクレーンの形状と景品を眺めて、顎を撫でる。
「ふぅん、さっきやってた奴はなかなかに下手くそだったみたいだな。全然イケる角度になってないじゃないか」
ざっと見た所、狙いどころの耳などを引っかけるには都合のいい角度を向いている。狙ってやれない難易度ではない。ボタンを操作して、正確に自分の狙い通りの場所へクレーンを移動させたさざめは舌なめずりした。ここいらで景品をゲットしてクレーンゲームの素晴らしさをいりこに思い知らせるのも悪くない。
――ただ、さざめは少々迂闊な行為を取っている事にまだ気付いていない。
さざめは目つきが悪い。時折不良に間違えられることもあり、事実として準不良程度の素行である。そんな男がゲーセン内で、もこもこのクマさんクッションを抱えていたら、周囲にどんな目で見られるのか。
= =
――彼女は12枚目の百円玉で最終ステージである6面にまで辿り着いていた。
ただ偶然辿り着いたのとはわけが違う。弾丸の発射に使用するプログラムから開発者の配置の癖など、様々なデータを分析に分析し続けた結果の最終ステージだ。3面から先は初見クリアである。ありていに言えば廃人の域だ。
(あぁ~……やっぱり金ヶ崎シリーズは凄い!和楽器をふんだんに使用した完成度の高い音楽!一見簡単そうに見えて絶妙にプレイヤーの位置を誘導しようとする配列!何よりドットとCGを併用した高解像度で細かいグラフィック!どれをとっても向こうのソレとは段違い・・・あっちじゃ球を飛ばすゲームはエアホッケーが関の山なのに!くぅぅぅ、地球最高ッ!!)
ちなみにおみくじは未知の文化だったことからデータ収集のために大量購入しており、博物館のお土産に関しては向こうでは学術的価値まであるがゆえの買い取りである。普通の女の子を演じている癖して節々に学者臭い傾向が垣間見える。
ゲームに夢中になっている今はアドレナリンのおかげでさざめに置いていかれたことも忘れられる。そう考えると実に悲しい女に見えなくもない。そもそも男性との交際経験ゼロの彼女にとってはさざめを誘うことにも結構な抵抗があったのだ。こういうのは友達の女子達と一緒に行くのが専らであり、男子なんぞ連れて行っても面倒なだけという感覚だった。
まぁどちらにしろ向こうの地球の男子の好みとさざめの特徴が一致するとは限らないので別に構わないのだが。どちらであってもさざめについて調査を重ねなければいけないのは決定事項であり、いずれはミッションプラン通りに結ばれればそれでいいのだ。
欲を言えばミッションだからではなく「好きだから」というシンプルな事実を以て共に歩みたいのだが。そう思って、ふといりこは漠然とした疑問を頭に思い浮かべた。
(――そういえば、任務を完遂したあとはどうなるんだろう)
これは任務で、自分は組織に属するエージェントだ。任務が終わって必要性が無くなれば、上の命令次第ではさざめの目の前から――
「ッ!今は目の前に集中……!!」
敵の弾幕が激しくなってきた。いったんこの思考は捨て置こう。今はゲームを楽しめばいい。
なお、周囲には同じく『金ヶ崎イクリプス』に挑もうと待っているプレイヤーや既に手痛くやられたプレイヤー、さらには前人未到の最終ステージに辿り着いたいりこの評判を聞いてやって来た野次馬などのギャラリーが集まってきていた。
「人間性能やばー………」
「あ、この前の子だ。うめー……」
「すげっ……あんなに前に出てんのに避けくれるとかマジヤベーぞ?」
「おいそこどけよ!前が見えねえだろ!」
「っていうかあの子可愛くね?」
このゲーセンは通い出して日が浅いためあまり顔を知られていないが、前に行きつけだったゲーセンでは有名人になってしまって通いにくくなっていたりする。中にはナンパ目的で声をかける男もいたので男避けもかねてさざめを誘ったのだが……いや、今更そんなことを言っても仕方ない。
(ふんだ、いいもん。さざめくんがいなくたって一人で楽しめるもがゲーセンなんだから!)
考えていることは間違っていないのだが、それを自分に言い聞かせている時点で自分の本音が垣間見えているような気がする。ゲーセンにはカップルもちょくちょく見かけるのが余計にいりこの心根にちくちく針を刺した。あんなカップルに混ざって素直にクレーンゲームの方に手を出していれば、今頃は――と考えて、虚しいのでやめる。
そんな学者系天才少女いりこは、周囲のギャラリーが見守る中でとうとう最終ボスの前までたどり着く。何とラスボスは何故かかの有名な武将――源義経だった。
「って歴史が源平合戦まで戻ってるぅぅーーーーッ!?」
義経から語られる衝撃の事実。なんと主人公は戦っているうちに蹴鞠で次元を突破してしまったそうだ。スタッフの悪ふざけ全開である。
= =
クレーンゲームに五百円を投入したさざめは見事に景品を手に入れていた。それまではよかったのだが――五百円を投入したのは迂闊だったとさざめは見事に後悔することになった。
「しまったな……まさかこんなことになるとは。くっ、持ちにくい……」
今、さざめの両手には人気景品であるアニマルクッションが入った袋が抱えられていた。その数、計3つ。信じられない事だが、なんとあの五百円6プレイでさざめは3つものクッションを手に入れてしまったのだ。
拍子抜けな事にも、始めたその一回目でクッションをあっさりゲット。残り5プレイ分の代金はいまさら戻ってこないので仕方なく続けたら、なんとその後2つも取れてしまったのだ。なかなかに大きいクッションだったため景品袋1つには入りきらず、やむを得ず2つの袋に入れて運んでいた。
しかも――周囲の目線が痛い。
というのも、どう見ても可愛い物好きには見えない男が両手に可愛らしいクッションを抱えてゲーセン内を歩き回っているのだ。実際にはそれほどの目線が送られていなくとも、さざめにとってこの状況は非常に気まずい。いっそこれで隣にいりこがいればまだ荷物持ちのように見えて誤魔化せたかもしれないが、残念なことに今のさざめは一人である。こんなのは自分のキャラではない。
通りがかりの女の子に「クッションかわいー!」と言われたり、店員の女性が妙に微笑ましいものを見る目でこちらをチラ見しているのが落ち着かない。自分はもっと冷めていてこういうアイテムには全然関心が無い男ではないか、と自問するが、まさか取ったものを捨てるわけにもいかない。誰か知り合いに押し付けたいところだ。
間違っても今、知り合いにこんな姿を見られたくはない。もしこれを悪友の達田や馬鹿の晴にでも見られた日には――
「あれ?そこに見えるは我が盟友さざめじゃあないか?お前一人でゲーセンに来るような奴だっけ?」
「―――」
さざめは何も言わず、何も聞かなかったことにして足早にその場所を通り過ぎることにした。即決即断。清々しいまでの聞こえなかったふりである。いっそここまで綺麗にスルーされると自分の見間違いだったのかと考えてしまう所だろうが、残念ながら今回の相手はそんな風にあっさり諦めてくれる人間ではなかった。
「あ、おい無視するなって!なあなあ、その袋に何入ってんの?というかカノジョはー?」
「黙れ便所蟋蟀が。その触覚みたいな二本の前髪引きちぎってやろうか」
「開口一番で汚い虫扱いアザーッス!!」
俺に罵倒されてこんな返事を返す奴は一人しかいない。
底抜けに何も考えてなさそうなアホ面に、馬鹿みたいに前髪から突き出している2本の荒ぶるアホ毛。そして罵倒されて感謝するという気持ち悪いマゾヒスト。馬鹿で阿呆で鬱陶しい上に馴れ馴れしい変態という特異な人間。
その名を、会いたくない筆頭だった2人の内の一人――東雲晴。
しかもその後ろにはさらに一人、何故こんな馬鹿と一緒に行動しているのかが分からない女が一人。こちらを見ておや、と意外そうな顔をしている。
「そちらの御仁はたしか晴の友達だという……ええと、シャークだったか?」
「友達じゃねえ。あと鮫じゃなくて冴鮫だ」
「そうそう、サザメであったな!これは失敬」
得心したようにぽんと手を鳴らすそいつは、その変態馬鹿男と何故か縁があるらしい幻の生物。少し前に海外から転校してきた金髪少女にして、晴に劣らない一本のアホ毛がそびえたつ一角獣。その名を倉知マイリという。
マイリと晴、この2人は外見も性格も大して似ていないのに、何故か日常生活における行動の思考回路が異様に似ている。似ているものだから、廊下でばったり出会うと互いに互いを避けようとして延々とパントマイムのようなシンクロニシティを発揮するのだ。そしてその際の2人の顔はうんざりしている訳でもなく真剣そのもの。似ているのか似ていないのかが実にはっきりしない。
そして、そのマイリも性格的には人懐っこくて空気が読めないアメリカン気質の人間。アメリカにいた頃から日本語を習っていたそうだが、時代劇大好きだった親の影響で妙に言葉が古臭い。
話しかけるのは構わないが、クッションの存在には気付くな!という全力の念を無視するかのように、俺の腕にぶら下げられたものの正体を目ざとく発見したマイリはパッと顔を輝かせた。
「……おおお!その手に持っているのはぬいぐるみクッションか!?もっとよく見せてくれ!……ああ、これはクマクッションとトドクッションではないか!」
「お、おいコラ引っ張るな!」
「え?ぬいぐるみ?さざめが?何それキャラチェンジ?それともあれか、昔流行ったヤンキーデレって奴だろ!うわーなんかお前がやると妙に微笑まし……」
「黙ってろポンコツ野郎!」
右手の袋を引っ張られながらも左手ですぱーん!とひっぱたいておいた。マイリは単にかわいいもの見たさだからいいが、晴は単純にからかっているだけなので許さない。
「ぉぶへッ!?な、殴ることないだろ!!」
「ポンコツは殴って壊す!そして別の家電に買い替える!」
「壊すなよ!そして金で友達を買おうとすんなよ!」
頭を押さえて非難の目線を送るだが、殴られたくないなら殴られるようなことをしなければいいだけだ。……客観的に見れば晴に非があったかどうかは微妙だが。
しかし、そんなことはお構いなしに目を輝かせて人の腕を引っ張るマイリ。空気が読めない。そしてそんなマイリの真似をするように反対の袋を引っ張る晴。やはり空気が読めない。その2人がかりの引っ張りに翻弄されていら立ちが募る。どうしてこいつらはこうも――
「なあなあ、サザメよ!このトドクッションはどうしても手に入らなかったものなのだ!ちょっと抱かせてくれ!一回でよいから!」
人の気持ちも知らずに図々しく――
「酷いじゃないかさざめ!でもお前実はけっこう手加減してくれてるよな。その絶妙な力加減はやっぱりあれか?カノジョに怪我をさせたくない一心で――」
しかも2人バラバラで喋りまくるくせに、呼び止める行動は一致していやがるのか!
「だー!もー!ちょっとは静かにせんかこのアホ共がぁぁーーーーッ!!」
怒りが爆発したさざめの両腕は二人の後頭部をがしっと鷲掴みにし――
ごっちーん!といういかにも痛そうな音を立てて2名の頭を正面衝突させた。
「ぬごぅおおおおおおッ!?」
「うぐうううううううッ!?」
――2人はそのままズルズルと床に崩れ落ち、動かなくなった。
ああ、すっきりした。
後書き
倉知マイリ 「P.T.M」に登場したちょっと馬鹿な少女。2組に転入してきた日系アメリカ人。
東雲晴 以下同文の少年。同じく2組で、さざめは中学時代の同級生。
「俺馴」の他にもう一つ「俺幼」という略しかたが提唱されたのですが、どっちがいいですか?
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