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トワノクウ

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トワノクウ
  第十三夜 昔覚ゆる小犬と小鳥(三)

 
前書き
 彼女たちの〝鴇〟 

 
「では――名は六合鴇時。私が知る鴇は、今は二十二歳になる。これは紺同様にずれているだろうから考えないことにしよう。弥生の生まれといっていた」
「こっちの先生も名前は六合鴇時です。歳は四十代ですが。三月生まれです」
「髪は茶色。片目が見えない」
「茶髪で、目も悪いみたいで、眼鏡かけてます」
「薬品や蘭学の知識に通じていた」
「中学校の先生で、教えてらっしゃる教科は理科」
「右利きだった」
「右利きです」
「やたらと騒ぐくせに肝は据わってる」
「めったなことでは動じません」
「すぐに手を握ってきたり、抱き締めたり」
「よく頭撫でてくれます。出かける時は今でも手繋ぎます」
「口が上手くてやかましいが、人の心の機微に敏い」
「物静かですが、相手の本質をずばっと見抜くことをおっしゃる方です」

 ん? くうと朽葉はそろって首を傾げた。最後の最後でぶれた。

「お前のほうの鴇は、口達者じゃないのか?」
「朽葉さんの鴇先生はおしゃべりさんなんですか?」

 んん? 二人はさらに首を傾げる。

「……いや、その程度なら老けて落ち着きが出たとも考えられるな」
「若さゆえにお元気だったとしても不思議はありませんね」

 うんうん。二人ともそれぞれに着地点を見出した。

「割と一致するな。天狗は鴇に関しては何も言わなかったのか?」

 言わなかった。くうは首を横に振った。
 朽葉は困ったような溜息。

「とりあえず、ここまで揃ったことだし、こちらとそちらの鴇が同一人物だとしよう」

 くうの家庭教師の先生が、ここでは神様をしている。
 まったく実感が伴わない。鴇時は何がどうなってこの世の神様などを引き受けるはめになったのか。

「だとしたら何かしたのは一人しか考えられん。――篠ノ女紺。お前の父親だ」

 父が帰れないはずだった鴇時を連れ戻した。父の話によると鴇時は高校時代に事故に遭い、後遺症から健忘と情緒の欠落がある。そのせいで鴇時の友人はぐんと減った。
 人形同然の鴇時が父とだけは友人を続けてきたのは、異世界に行った者同士という特別な連帯感があるからなのか。

「この世と彼岸、どちらともに同時に存在できるようにするなんて……あいつは一体鴇に何をしたんだ」
「同時に存在? そういえばさっきも鴇先生は彼岸に帰れるはずがないとおっしゃいましたよね。帝天はこの世を守ってるとも」
「ああ。そうでなければおかしいんだ。何故なら」

 ――聞くのが怖かった。

「この雨夜之月は、帝天がいなければ消滅してしまうんだ」

 世界の存亡という、ゲーマーとしては食傷のはずのテーマを持ち出され、めまいがした。

「消滅……?」
「この世はあまりに儚い。支える者がいなければ本当に潰えるんだ。覚めれば消える人の夢のようにな」

 夢のように――フレーズは恐怖を伴ってくうの胸に沈んだ。

「もっともこれは天狗や先々代の姫巫女の受け売りだ。鴇は『夢』などと口が裂けても言わなかった。――帝天は人柱だ。帝天は天人にしか務まらない。そうと知って逃げる鴇ではなかった。我らは彼岸人を、鴇を犠牲に生き延びていくしかない。私は」

 朽葉の顔が苦痛に歪むのを初めて見た。

「鴇さえいてくれれば、この世が滅びの運命を課されたままでもよかったのに……っ」

 朽葉は膝の上に拳を握って唇を噛みしめる。ああ、そういうことだったのか。いろんなピースが全てあるべき位置にはまった。

「好きだったんですか?」

 一拍置いて、朽葉の貌がボンッと真っ赤に染まった。

「好きだったんですか!? 好きだったんですね!? どこが好きだったんですか!? なれそめは!?」
「せ、迫るな襲いかかってくるな! こんな話が楽しいのか!」
「はいっっ!!」

 くうが大好きな人を他の人も好きだった。しかも特別な意味で好きだった。六合鴇時はそんなにも魅力的な男性だったということだ。ああ、こんなにもうれしいことはないとも!

「わわ分かった! 話す、話すからまずはどけ!」
「はいっ!」

 くうは急いで朽葉から離れてきちんと正座した。朽葉はほっとしたように、やたらと髪をいじる。

「まったく。そんなに正面きって鴇の話をしてきたのはお前が初めてだ」
「ごめんなさい……」
「あ、いや! 悪い意味ではないんだ! 尋ねてもらえて嬉しいんだ! 単にな、重苦しく終わってしまうからみんな敬遠していただけで、お前みたいに楽しそうに聞いてくれる者の存在は、うれしい」
「朽葉さん……」

 彼岸の鴇時はくうが初めて会ったときから独身を貫いている。大好きな家庭教師の先生を独り占めできるのはうれしかったが、かねがね疑問だった。
 あんな素敵な先生と、こんな魅力的な女性が恋仲だったのならば、鴇時にずっと女の影がなかったのも肯ける。

「鴇があまつきに来たのは六年前。紺が来てから二年後だった。お前のように鵺に襲われているところを私が助けた。情けなくてかっこわるい男のくせに、私が犬神憑きであることを侮辱されたときには影で侮辱した浪人どもに制裁を加えていたりしてな」

 好きな異性に体を張って庇われたことを語る朽葉は、乙女オーラ全開だ。

「奴はケンカはからっきしでな、私の役目は、鴇が信じる道を進めるように、鴇を害する全てから鴇を守る剣だった。うん、それでも、私が救われたほうがきっと多かった。人に好きだと言われるだけでこんなにも世界は色づくのだと、鴇が教えてくれた」

 そこまで語って朽葉は照れたのか、複雑な笑みを浮かべた。

「年甲斐もなくはしゃいでしまったな。まったく我ながら若い娘でもあるまいに」
「いいんですよ」

 くうは朽葉の言をさえぎった。

「いいんですよ。朽葉さんは女の子なんですから。女の子はかわいくていいんです。鴇先生のこと語る朽葉さんは可愛い女の子でいいんです」

 言っていて自分でもこんがらがった。

「――ありがとう」

 朽葉は咲いた花のような笑みでくうの頭を撫でた。
 こんな訳の分からないことを言ったくうに礼を言ってくれた。
 申し訳なくて哀しくて、でも届いているかもと思えることが嬉しくて。

 ほんわかした二人の空気を断ち切るように襖の外から呼び声がした。
 朽葉が立って廊下に出た。
 襖を後ろ手に閉められたので話が不鮮明で聞き取れなかった。

 手持無沙汰になったくうは、小さな窓を開けて外を眺めた。日はすでに落ちかけ、空は茜色に染まっていた。視線を落とせば整えられた庭が広がっている。
 本当に何もかも坂守神社とは違う。ここは陰陽寮なのだ――

(なら、薫ちゃんもここにいるかもしれない)

 努めて考えまいとしていた不安を思い出し、くうは音を立てて窓を閉じる。それは自らを守る砦を少しでも保とうという焦りに似ていた。

「どうした、くう」

 襖が開いて朽葉が戻って来た。
 くうは立って朽葉の胸に飛び込んだ。朽葉が困惑したのが伝わり、次いで頭を撫でる感触があった。
 感触に縋って己を落ち着かせることに懸命になった。

「――なあ、くう、快復したばかりのお前にこれを言うのは酷だとは思うが……藤袴に会う気はあるか?」

 落ち着きかけた気分が再び乱れた。

「すまん。辛いだろうとは分かる。だが聞いてくれ。今を逃せば、藤袴とは会話もできなくなるやもしれん」


                              Continue… 
 

 
後書き
 彼女の「鴇」と朽葉の「鴇」の差異。
 とにかく朽葉かわいいよ朽葉。

 そして次回はまた残酷友情物語の再開です。わくわく。
 
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