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トワノクウ

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トワノクウ
  第十四夜 常つ御門の崩れ落つ(一)

 
前書き
 花 の 狂乱 

 
 くうは陰陽寮の薄暗い回廊を一人進んでいた。

 あれから部屋で身支度を整えて待っていたくうを、陰陽衆らしき大人が迎えに来て道案内をし、あるゾーンに入るとここから先は一人で、と言い渡されて一人で歩くことになった。

 開けた様式が特徴の日本家屋が多いこの時代に、灯りとり窓もなく、天井の高い回廊を一人進むのは少しばかり恐ろしかった。

 進んだ先に、ふたたび白装束の誰かがいた。

「ようこそ、篠ノ女さん」
「黒鳶さん……」

 薫の指導役の妖使いは、深刻さなど欠片も窺わせずに手を上げた。ここから先の案内は黒鳶が務めるようだ。
 ついて来るように言われて黒鳶の後ろを歩き始めた。

「黒鳶さん、薫ちゃんの……藤袴の容体は」
「今は落ち着いてます。でなきゃ会わせたりしやせんよ。もっとも、会ったとたんにぶり返したら、それは私も保障しかねますがね」


 〝今を逃せば、藤袴とは会話もできなくなるやもしれん〟


 薫との面会を決める前に朽葉に言われた台詞だ。どういう意味かを問うと、朽葉はくうを離してまっすぐに告げた。


「今、藤袴は正常じゃない。妖使いは長いこと妖を使役していると、穢れに心を蝕まれてしまうんだ。そうなると精神に異常をきたす。お前への乱行はおそらくそれが原因だ。今は浄房に入っているが、穢れを落とせなければ人として話すことはできなくなる。その前に――」


 親友がヒトとして手遅れになる前にせめて会っておけ。――朽葉はくうにそう言っていた。

 着いたのは底の見えない地下への階段だった。

 黒鳶について降りて、目の前にあるものを見たとき、くうは怒りのあまり声を発せなかった。

 広い座敷牢だ。木格子を境に、くうたちが立っているのが板の間、牢の中は畳張りでずっと後ろは遊郭の窓のように縦格子が張られている。
 壁一面にびっしり符が貼られ注連縄が巡らされた座敷の中心に――手足を鎖で繋がれた薫が横たわっていた。

「こんなっ、ことが……っ!」

 明治33年公布の精神病者監護法では、精神病患者を私宅監置――座敷牢に監禁することを強要していたくらいだ。向精神薬もない時代だ、精神病患者が事件事故を引き起こさないためには監禁しておくほか無かった。穢れによって正気を失った薫に同じ処置が適用されてもおかしくはない。

 だが、こんなところに心を病みかけている人間を閉じ込めては悪化するばかりではないか。しかも鉄の鎖で繋ぐなど、薫から人間としての尊厳を剥奪している。

「こんなことが許されると思ってるんですか! あなた、仮にも師匠でしょう!?」

 薫は黒鳶を慕っていたのに、その黒鳶からこんな仕打ち。あんまりだ。

「あのねえ、あんた一度あの子に殺された身でしょう。それでよく言えますね。あんたは復活したからよかったですが、これが普通の人間だったら、藤さんは立派な人殺しになってたんですよ。野に放したらこの先、穢れに呑まれて本当に人を殺すかもしれないんです。――師匠だからこうしてんだ。素人がよけいな口挟んでんじゃねえぞ」

 頭巾から一瞬覗いた黒い目に、くうは震え、震えた自分を恥じた。

 そのとき、ちゃり、と鎖がすれる音が聴こえた。薫が起き上がっている。くうは急いで木格子に飛びついた。

「薫ちゃん!? こっち! くうが分かりますか!?」

 薫がゆっくりと頭を上げた。くうは薫の顔をよく見ようと木格子に食いつく。

「……あんた、死んでなかったの?」

 ことばがクリスタルナイフになって胸を抉った。

 くうが立ち尽くしている前で、薫は両手の鎖を引っ張って暴れ始めた。

「師匠、これ外して! そいつ妖なんでしょう!? 敵なんでしょう!? あたしが殺るから外してよ! あたしにやらせて! あたしの手でその妖消させて! 外して、やらせて!」

 律の狂った喚き声と鎖がぶつかる耳障りな音に、くうは座敷牢から離れていた。正確には意思とは無関係に体がふらついたのだ。

 ――見ていられない。

 くうは堪らず自ら座敷牢を飛び出した。






 階段を駆け上がって暗い回廊に戻ると、まるでさっきの出来事が夢に思えてくる。
 薫が精神病患者と同じ扱いを受けていた。薫がくうを殺すと叫んだ。――あんまりな悪夢だ。

「年頃の娘さんにゃきつかったですかね」

 はっと後ろを顧みると、黒鳶が戻ってきたところだった。

「……治るんですか、あれ」
「正直何とも。私のお師匠さんなんかは最後は気合だけで保たせてらしたんですが、藤さんに同じ根性を期待しても無駄でしょう。あの子は脆すぎる。浄房の中で大人しくしてもらって体が清められるのを待つしかありやせん」
「お清めが終わったら、元の薫ちゃんに戻るんですよね?」

 くうは引き攣った笑みを作りながら懸命に尋ねた。
 気休めでもいいから、また薫とおしゃべりする日が来ると信じさせてほしかった。

「そいつぁ藤さん次第でさ。正気が戻るなら良し、このまま戻らねえようなら藤さんはお払い箱。クビですみゃあいいんですが、下手すると処分しなきゃならねえ」
「しょぶん……?」
「妖憑きとやり合えるのは妖使いか同じ妖憑きくらい。やるなら私んとこにお鉢が回ってくるでしょうね」

 何故そんなにあっけらかんと言える。弟子なのではないのか。

 またも怒りで声を失っていると。

「一つ言いますがね、篠ノ女さん」

 ダン!

 黒鳶はくうを壁に押し付け、顔の横に手をついた。笑みを貼りつけた顔とは裏腹に、黒目がちの瞳は笑っていなかった。

「藤さんがああも狂ったのはあんたのせいでもあるんですよ」
「わた、し?」
「あたしらみたいな妖使いは妖と接しすぎることで箍が外れる。ここ数日、身崩れが進んでたあの子に一匹強いのがべったりくっつきゃ、こうなることは火を見るより明らかだ」

 黒鳶はくうから離れた。

「混じり者って境遇にゃ同情する。けどあの子のことは許してやる気はさらさらねえ。せいぜい裁可が下るまで大人しくしてるこった」

 くうが呆けている間に黒鳶は去ってしまった。

(くうのせい、だったの?)

 くうが混じり者だから。くうが薫のそばに居続けたから。くうの妖の穢れが薫を狂わせたから。――だから、くうは薫に殺された。

 全てはくうが妖になってしまったせい。

(妖は、人の、敵)

 潤と薫の敵意は、だから。くうはやっと構造の根本を理解した。 
 

 
後書き
 ドラマCD2巻によると狂った同僚は責任を持って処分するらしいです。黒鳶はCD版鳩羽と対峙したとき最初は説得しようと努めてましたが。というかドラマCDだと鳩さん助かるのに原作じゃ死んでるんですよねあんちきしょう!orz
 黒鳶の態度はあくまで師匠としての情です。ここ後に重要になってきます。 
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