機動戦士ガンダム0087/ティターンズロア
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第一部 刻の鼓動
第二章 クワトロ・バジーナ
第四節 強襲 第三話 (通算第38話)
シャアはコロニーの回転速度に合わせて機体を安定させ、静かに機体を着床させた。駐機姿勢を取らせる。相対速度を0にするだけならばコンピュータでも滑らかにできる。パイロットは不慮の事態が起こらぬように目配りを忘れなければいい。AMBACによる補正はコンピュータがしてくれるが、これほど滑らかな着床は誰にでもできる芸当ではなかった。
刹那、全天周囲マルチモニターに警告がけたたましい音と共に表示された。脇に続く連絡路から人が飛び出したのを、熱源探知機が捉え、識別センサーが警告を発したのだ。
「ちぃっ…」
舌打ちを叩きながら、即座にトリモチのトリガーを引く。《リックディアス》の手甲に装備されたマルチプルランチャーからトリモチと呼ばれる粘着剤が射出され、通路から飛び出した人間を壁に貼り付けた。
トリモチは戦艦やコロニーなどに穴が開いた時に使われるウォールフィルムを応用した近接兵器であり、電波を遮断する特性が付加されている。
光学レンズが捉えた映像はコロニー公社のノーマルスーツであると表示してはいたが、中の人間がコロニー公社の者であるとは限らない。
「すまないが、しばらくそうしていてもらおうか。数分で酸素が切れるというものでもあるまい。運が良ければ仲間がくるだろう」
無用な殺生をする気はない。だが、今、彼を解放して自分の侵入を報されることは避けたかった。己の不運を嘆いてもらうしかない。気持ちを割りきると、ハンドジェットを背負ってハッチを開く。《リックディアス》の腹部にあるコクピットハッチからシャアが出た。潜入用に赤いノーマルスーツを着用している。
気密扉のナンバーロックに暗証番号解析装置を咬ませ、エンターキーを押す。アンロックブレーカーが暗証番号を表示しはじめる。が、直ぐにエラーが出た。この手のセキュリティシステムは予め設定されている時間に定められたパスワードを変更するようになっているからだ。
「そう易々とはいかないか…」
自嘲気味に苦笑いを浮かべる。ここまでが上手く行きすぎだったのだ。
ポケットからプラスチック爆弾を取り出す。指向性の強い爆薬を使った潜入用のもので時限式ではなく、着火式である。拳銃を構え、信管を打つと、小さな爆発が起こり、電子錠は解除された。非常用のハンドルを廻してエアロックを開ける。帰路の確保に開けて起きたい所だが、気密と流出風のことを考えるとそうもいかなかった。
「さて……やってみるさ」
独り言を残して通路を泳ぐように無重力帯を流れていった。
迷宮の様に幾つにも交差した通路を抜け、シャアは最後の扉をくぐった。そこは天地左右を地面に覆われたコロニーの内壁だった。開放型コロニーである〈グリーンオアシス〉に本来在るべき採光用の河や緑、街といった風景はなく、一面が軍事施設と工場に侵食され、さながら蚕に饕られた桑の葉である。
「うっ…」
通路で空気の濃度を確かめるためにバイザーを開けていたシャアが噎せた。コロニーの空気がかなり汚れていたからだ。
一般のコロニーでは空気が汚れないように配慮されている。宇宙では空気が最も大切な資源であり、幾度も浄化装置を通し、地上とほぼ同じ構成比率に再調整される循環システムを通して供給されていた。全ての居住コロニーでは排気規制が設けられ、空気を汚すタバコなどは高い税金が課せられている。例え工業コロニーであったとしても巨大な浄化装置が空気を一定のレベルに保っていた。さらに、コロニー内の移動は車は全てエレカかリニアトレインであり、全ての重機が環境保全を義務づけられていた。唯一の例外は軍用兵器――特にMSである。
つまり、空気が汚れていると感じさせられたということは、このコロニーが軍事利用を主眼としていて、一般住民等に考慮する必要のない場所であることを意味していた。機械油、推進剤、火薬などの様々な匂いが混ざりあい、排熱によって淀んだ戦場臭とでも言うべき独特の臭いが立ち込めていた。
「ここまでグリプスの基地化が進んでいるとは…」
埋め尽くさんばかりの工場が見えるということは、隔壁の向こうは軍事教練の演習場か新兵器開発の実験場になっていると考えるのが普通である。しかし、軍事施設もこちらにあるということは隔壁の向こうで行われているのは――「まさか……な?」
嫌な予感はしたが、それを確かめる余裕はない。シャアの任務はグリプス基地化の進捗と、ガンダムと目される新型MSの偵察および拿捕であり、グリプスの実情は視認できればそれでよい。グリプスの内情を精査することではないと気持ちに区切りをつける。
密閉型と同じ改造が施された〈グリーンオアシス〉の中心部――無重力地帯には人工太陽が設けられている。基本的に熱源として造られてはいないが、コロニー内壁を照らす光量を出しているので、高熱を発している。シャアはそこに近づき過ぎぬ様にしながら、ハンドジェットを噴かしてコロニーの内壁をカメラに収めた。
ミノフスキー粒子発見以来、磁気メディアはおろか光学メディア、電子メディアも姿を消し、フィルムペーパー内蔵のカメラが登場していた。シャアの持つカメラも軍用のフィルムペーパータイプである。
デジタルズームが地表の工場群に自動でフォーカスする。シャアはオペラグラスさながら覗き込むだけで良かった。記録時間は六時間。多機能補正によりピントが合わない映像は殆どない。そのカメラに黒い影が写った。
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