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トワノクウ

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トワノクウ
  第十二夜 ゆきはつ三叉路(三)

 
前書き
 凍れる獣と少女と弾丸 

 
 ようやく境内を一望できる場所まで出てこられたくうを、喧騒がわっと襲った。人の怒号は切れるような必死さに満ち、草履が砂利を蹴る音に神社らしい落ち着きはなく、混ざった音が臓器の律を狂わせるようだった。

 くうはたたらを踏み、しばらくあぅあぅと同じ場所を行ったり来たりしてしまった。
 泣きたいくらいの気持ちになりながらも、異常の源を探した。

 薙刀を持った巫女たちが何十人も集まって取り囲むそれは、境内の玉砂利を撒き散らして悲鳴を上げた。

 ――(こお)(てつ)の巨獣。
 黒光りする鉄の四肢を持った豹のような姿の、巨大な獣の妖。それが闊歩するたびに、金属音が鳴って、歩いた跡に霜が下りる。

(いきなりぴーんち。これを劇的に解決できる気なんてしないのですよ)

 今から戻ろうかしら、と現実逃避していたくうの前で、戦巫女の円陣の一角が崩れた。妖が前肢を振り回して巫女たちを吹き飛ばしたのだ。数人の戦巫女が玉砂利の上に投げ出され、呻きを上げる。妖はその内の巫女の一人に狙いを定めた。――くうの中でまた意識が冴えた。

(こんなのゲームの中じゃよくあるシチュエーション)

 仮想現実を遊び尽くしたくうは、作り物の戦闘経験も豊富だった。

(だからこれもゲームだと思えばいい)

 くうは境内に飛び降り、足袋で走った。まず巨獣の前にいた巫女を、すんでのところで引きずって妖の射程から外した。妖の岩さえ砕きそうな顎はくうたちを捉えなかった。そして、すぐに立ち上がる。

「逃げてください、早く!」

 後ろの巫女に叫んだ瞬間、妖が右の前肢を振り上げた。まるでくうが神社の者に対して何かしらのアクションを働くのを待っていたかのように絶妙なタイミングだ。非力なくうは、次の瞬間には妖に殴られて吹き飛ばされるだろう。ままよ、と腹に力を入れる――

 その時、くうの目の前で、妖の前肢が撃ち抜かれた。

 どう! と倒れた妖と、くうの間に割り込んだのは、潤だった。

「無事か、篠ノ女」

 潤は右手に持った拳銃を向けて妖を牽制している。――潤が助けに来てくれた。銀朱第一で妖の嫌疑がかかった()()〟で自分を見捨てた潤が。

「結果的に無事です。この後も無事かは確約しかねますが」
「大丈夫だ。ここからは俺が、君に傷一つつけさせない」
「……潤君、ボークです」

 あまりにも腹が立ったくうは、潤に聴こえないように小さく零した。

「何か言ったか?」
「いいえなんにも! それよりこれからどうするんです? 私、3Dアドベンチャー(ヴァーチャルゲーム)の中でしか妖怪退治なんてしたことありませんよ」
「いや、充分だ。俺もそんな状態から初めて、初仕事もぶっつけ本番だった……って手伝ってくれるのか?」
「おじゃまですか?」
「危ないぞ」
「へっちゃらです」

 むしろこのためにわざわざ外に出てきたのだ。

 活躍は華々しければ華々しいほど、余人のくうへの態度が改まり、理不尽な処遇が緩和される余地が増える。だから、活躍させてほしい。潤と共にこの妖を撃退させてほしい。

「――いや、やっぱりだめだ」
「えー!?」

 不満にいきり立ったくうを、潤は背中に守るようにしてピストルを構えた。横顔は笑むことなどない、真剣そのもの。

「俺のそばから離れないで」

 遠く感じていた青年が、その瞬間、くうが好きだった中原潤に戻った。

 潤はピストルを妖に向けて連射した。

 まずは妖の前脚の付け根、続いて前屈みに倒れたところに後足の付け根。額、起き上がろうとすれば腹部。
 何十発も撃ってもなぜか再装填をせず、容赦なく弾丸を妖に叩きこんでいく。

 撃たれるたびに妖の体から凍った黒鉄が氷のように飛び散り、妖は絶叫を上げた。

(やだ。聴いてるだけで苦しい)

 生き物の痛みの声を、生理的な面が拒絶している。数分前まで、自身がこの妖を倒すのだと意気込んだ気持ちはとうに萎えてしまっていた。くうが甘かった。くうには、妖と、命と戦い合うという覚悟が、足りなかった。

「これで動けないだろう。もう大丈夫だ、篠ノ女」

 潤がふり返りがてら、くうの肩に手を置いた。あたたかく、くすぐったく、鉄を噛んだようにほろ苦い。

「潤く…… !」

 潤の背中、くうの正面、倒れ伏した妖が爆発するように復活し、こちらに向かってきていた。

 死に体の妖は走るごとに氷の屑を撒き散らす。巫女達の何人かが慌てて矢を射るが止まらない。潤がようやくふり返るが、あまりに遅すぎた。

(潤君が食われる)

 次の瞬間、くうの肉体はまったく己の感情にのみ忠実に行動した。常人離れした足捌きで潤と妖の巨体の間に割って入り、拾った薙刀を妖の口に縦に突っ込むことでつっかえ棒にしたのだ。

(妖でも痛そうにされるのはいや。それでも、潤君のほうがもっと大事)

 凍鉄の巨体が異物にもがく。くうは痛痒を押さえ、叫び放つ。

「潤君、今です!」

 潤のピストルから放たれた弾丸が、妖の体の中心を貫いた。
 妖は凍鉄を撒き散らし、ずしゃああん! と倒れた。起き上がる様子はない。
 妖は凍った黒鉄となって粉々に砕け散り、四散した黒鉄も少しずつ空気に薄れて霧散した。

 くうと潤は二人して盛大な溜息をついた。

「助かった。篠ノ女がいなかったらどうなってたか……ありがとう」

 瞳はまだ臨戦態勢を解かず、潤は口の端を上げる。

「いいえ。うっかり出てきてしまいましたが、お役に立てたなら幸いです。ほっとけませんでしたから」

 我ながら心にもないことを言っている。しかし殊勝にしているほうが心証はいいはずだ。そう信じる。

「片付きましたか、潤朱」

 上から降ってきた声に、くうの全身が硬直した。

「銀朱様」

 潤が前に出る。

 勇気を出してふり返る。潤が礼をとるのを、社の中から銀朱が見下ろしていた。

「ご覧になっていたのですか?」
「ええ。残念ながら私の出番は全て貴方とそこの娘に奪われてしまいましたので、高みの見物と洒落込んでいました」

 銀朱は潤と同じく礼をとっていた巫女たちに、怪我人の手当てを命じた。戦巫女たちが負傷した者を抱えたりしてぱらぱらと散っていく。

「さて。貴方の活躍のほどは見ていました」

 銀朱がくうに目を向けた。怖かったが、活躍を見ていたと言われて希望が灯った。
 そうとも、くうは銀朱が敵視している「妖」を退けたのだ。これでくうの待遇も少しはよく――

「潤朱。彼女を奥に戻しなさい」

 顔面が笑顔を維持したまま硬直したのが分かった。

 今、自分は坂守神社の人間を、銀朱の身内を救ったはずだ。それなのにこの仕打ちなのか。妖という要素は銀朱にとって恩も義理も感じさせないほどに邪悪なものなのか。

 動揺をあらわにしたのは、くうではなく潤だった。

「銀朱様っ、ですが彼女はたった今」
「お前の主人の命令が聞けないのですか」

 銀朱が場違いにあでやかに微笑んだ。逆に潤はびくりと跳ね上がる。
 潤は情けを誘う弱々しさを一瞬だけくうに向けてから、銀朱に礼をとった。

「――銀朱様の仰せのままに」

 目の前が真っ暗になった。 
 

 
後書き
 理不尽に扱われて閉じ込められて、頑張りたいと思っても、本心ではやっぱり人間らしい対応を望んでしまうから、気持ちはぐるぐる定まらない。だから状況の変化でコロコロ気持ちが変わる。
 
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