トワノクウ
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トワノクウ
第三十夜 冬ざれ木立(一)
前書き
最後の談義
拝啓、私の尊敬する先生
私の好きな男の子が、死にました。
天座の皆さんに啖呵を切ったくせに、朽葉さんに会ったとたんにまた悲しくなってしまって。私、情けないですね。どうしようもないです。
勝手ながら、彼の遺品のスマホを見てみました。
送信エラーのメールがたくさんありました。最初は現状を訴えてSOS。それが無理だと分かってからは日記代わり。最後のほうにはタイトル欄にただ一言「たすけて」とだけ。
潤君は、本当に元の世界に帰りたかったんだと、分かりました。
それが叶わなかったから、せめて見出した坂守神社という場所に、銀朱さんの隣に執着した。
ただ居場所から弾かれるのを恐れていた。自分がそこにいるために、妖退治をして、私を拒絶した。
保身と言い切るのは簡単です。でもそれは、言葉ほど単純な心理じゃないと知りました。
非常識と不条理に満ちた異世界で、彼は自分を守ること、自分を保つことで精一杯だったのです。
この世界はかくも残酷です。自分の立ち位置がどちらか定めておかないと、生きていくこともできないのです。
そしてまた一人。その残酷の犠牲になろうとしている人がいます。
私にできることは無きに等しいのですが、梵天さんと一緒に、せめて話をしにいこうと思います。
もう誰も、人と妖の問題のために、行きつく所まで追い込まれてしまわないように。
人と妖の天秤は、幕末動乱期こそ人に傾いていた。
されど開国以来、天秤はゆっくりと妖に傾きつつあった。
数の逆転はそのまま趨勢の逆転へと繋がる。
そして、つい先日の姫巫女の死。人は最大の盾を欠いた。
人と妖のバランスは一気に妖に有利になるかと思われた。
しかし、そのバランスを再び支えたのは、一つの知らせ。
――30代目〈銀朱〉就任。
***
――この鳥居を訪れるのは何年ぶりだろう。
梵天は空五倍子と露草を森に待たせ、一人、坂守神社と狭間の森の境界となる鳥居を見上げた。
昔はよくここで彼と他愛もない遊びに興じ、養い親の死後はこの世の行く末を語らった。
天から放たれた今、二人がこの場所で会うことは二度とないはずだった。
物思いに耽っていた梵天の元に蝶が一匹飛んでくる。凍て蝶だ。
手を差し出せば、細い指に凍て蝶が止まる。梵天は凍て蝶が飛んできた方向を見やり――待ち人を見つけた。
「そんなものを使ってまで呼び出すなんて、ずいぶんと回りくどい真似をしますね」
巫女装束、しかも典礼用に特別豪奢なそれをまとい、かもじまで着けた、男の巫女。
30代目にして先代ということになっている|当代の〈銀朱〉だ。
そして、梵天にしてみれば「友」と呼べる数少ない存在でもある。
「慎重に慎重を重ねたと言ってくれ。〈銀朱〉に指名されてから、 君は潔斎のために表の世から姿を消して籠ってしまったんだ。社の修繕が終わるまでずっとね。ようやくの接触の機会を安全なものに、というのは至って順当な配慮じゃないか。それとも就任式の前に結界を壊してほしかったかい?」
「私は一向に構いませんよ。騒ぎに乗じて脱走しますから。今度はそうですね……二度と見つからないように、海の向こうの国にでも逃げますか」
やりかねない。幻惑の小妖怪を使ってまでして呼び出して正解だった。天座の主が坂守神社の安全を心配するというのも妙な話だが。
「また君の巫女装束を見ることになるとは思わなかったよ」
「私だって今もって実感がありませんよ。忌々しい心地はしてますけどね」
「その科白、そっくりそのまま鶴梅に聞かせてやりたいね」
「言ったら殺します」
皮肉を混ぜるのも忘れた刺々しいだけの言葉。
(ずいぶん荒れている)
かけがえのない妻を奪った〝人間〟を守るのは、彼にとって屈辱に違いない。
人間の悪性から何もかもを奪われた彼自身が、悪性の守護者の名を再び継ぐなど、皮肉を超えて残酷だった。
「さて。君はまた〈銀朱〉になったわけだけど、前のようにそう呼ばれたい?」
「呼ばないでください。たとえ他ならない貴方の口からでも、今はその名は憎い。――きっと私はもう、誰にもその名を呼ばれることも許せない。この場にいない鶴梅にすら、呼ばせたくないんです」
野に下る彼に「『銀朱』と呼ぶのをやめようか」と梵天が提案しても、「〈銀朱〉だったから貴方と会えたんです」と鮮やかに辞退したというのに。
(何て脆い生き物だ)
――喪失とは、人をここまで変貌させる。
「じゃあどう呼ぼうか」
「菖蒲、で構いません。それ以外に思いつきませんから」
それで、と面を上げた菖蒲は、すでに私情を隠していた。
「天座の主が比良坂の杜くんだりまで、わざわざ世間話をしに来たわけではないでしょう。何の用です」
「本当に性急になったね、君は。前はこちらが本題を忘れかねないくらいに話し込ませたくせに」
「――、帰りますよ」
菖蒲は本当に踵を返した。
「菖蒲。今になって〈銀朱〉に戻されたのは何故だと思う?」
菖蒲は訝しげに梵天を顧みた。
「……居場所そのものは把握されていたんです。今年まで泳がされていただけ、欠員が出たから私で補充しただけ」
「それも正しいが、完璧な解答じゃない」
「では貴方は何を掴んでいると?」
「夜行が出たのは知っているね。ここに、贋作の姫巫女がいた頃の話だ」
「伝聞では」
「夜行はまるで替え玉に最後の後押しをするために現れた。現に夜行の宣告で替え玉は自滅した。よりによって彼岸人の内二人がいる時に現れた。偶然とは考えにくい」
菖蒲は考え込むそぶりを見せた。
「篠ノ女さん達を中心にまた〝天〟関係の事変が起きようとしていると?」
梵天は今度、何の含みもなく首肯した。
「ああ。夜行が出るくらいだ。事態は今や」
「手遅れに近い――ですか」
両者の間に沈黙が流れた。先に破ったのは梵天だった。
「俺からの話は終わり。悪いが、次の客が待ってるよ」
梵天が顎をしゃくった先の宵闇から、その闇に融け込みそうな色のドレスと、浮き立った白髪を翻し、一人の少女が出てきた。
「ご無沙汰してます、菖蒲先生」
篠ノ女空は菖蒲に向かって一礼した。
菖蒲が〈銀朱〉に就任したと予想して、梵天に確認すべく天座を訪れれば、案の定だった。
すでに坂守神社から手を回されて俗世を離れた菖蒲とは接触できず、菖蒲の潔斎終了を待つしかなかった。
そして待ちに待った就任式の今日。梵天が直接菖蒲に会いに行くというので、くうも坂守神社に同行させてもらった。
「お元気そうでよかったです。ずっと会えなかったから、心配でした」
にこり。くうは他意も含みもない笑顔を浮かべた。
「それは人としてですか? それとも妖としてですか?」
「両方です」
新しい〈銀朱〉が就任すれば妖への牽制にはなる、と朽葉が教えてくれた。人として、妖に害される人が減るのを安心した。
新しい〈銀朱〉が就任すれば、各地で妖祓いが活性化し、雌伏している妖さえ狩り出されてしまうかもしれない。妖として、人に害される妖が増えるのを危惧した。
どちらも篠ノ女空の偽らざる本心だ。
「あくまでどちらの肩も持つ、と」
「はい。くうは、欲張りですから、梵天さんも菖蒲先生も、どっちともと仲良しでいたいんです」
ぷふっ。菖蒲は遠慮なしに噴き出し、笑った。
「意外と青臭いんですね、貴方。私の下に通って来た頃は、もっと合理的な子だと思っていましたが、買い被りでしたか」
くうはドレスの裾を両手で持ち上げて踏まないようにしながら、階段を降りた。神社の敷地に入るか入らないかの、小さなスペースで立ち止まる。
「これが最後かもしれません。ここは、くうには辛い思い出がありすぎて、また来られるなんて約束、できないから。それに、また明日って簡単に言える世界じゃないってことも、もう分かりましたから」
くうは菖蒲をまっすぐ見上げた。菖蒲の目から濁りは消えていない。
「だから、今日で終わらせましょう。人って何か。妖って何か。その議論」
Continue…
後書き
思えば「人と妖」談義をさせるためにこの二人の関係は始まったんだったなあと思いつつ。
初対面の頃からオリ主の性格描写もずいぶんしたたかになった気がします。
傷アリ系純粋ちゃんを目指してた自分よどこへ行った……orz
オリ主にとっては菖蒲は「自分で考えること」を教えてくれた二人目の人間です(一人目は梵天)。だからここには何かしらの決着を見ないとな、と思っていました。
「天」を挟まない「人と妖」が今作のテーマでもありますんで。
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