一つ一つの力
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第一章
第一章
一つ一つの力
坂村麻紀は資産のある家で優しい両親に囲まれ何一つ不自由なく育った。その為彼女もかなり優しい性格になった。天真爛漫で誰にも優しい女の子であった。
恵まれた環境で何一つ不自由なく育てられると我儘になるか優しくなるかのどちらかだが彼女は幸いにして後者であった。だから彼女は誰からも好かれた。
「いい娘に育ったね」
「そうですね」
彼女の両親もこのことを心から喜んでいた。そんな麻紀は好きなものがあった。
まずはぬいぐるみだった。彼女の可愛らしい如何にも女の子といった部屋の中はぬいぐるみで一杯だった。それは中学校に入った今でも変わらない。
「あの、お嬢様」
彼女専属の執事である。田所美幸はいつもそのぬいぐるみの部屋を見て困っていた。黒い髪を後ろで上に束ねお団子にしている細面の彼女は小柄で童顔、しかも丸い顔をしていて茶色の髪をロングヘアにしている彼女とは正反対であった。麻紀は小柄で体型も幼い。小学生にも見える。それに対して美幸は背も高くプロポーションもいい。いつも彼女が通っている有名なお嬢様学校の制服のほかは白やピンクのやたらとフリルのついたドレスの彼女とは違い渋い色のスーツを着ている。下はいつもズボンである。これもまた実に対象的であった。
「またぬいぐみが増えていますが」
「だってどれも可愛いから」
こう言うのである。
「だから一つも捨てられないじゃない」
「どれもですか」
「うん、どれもよ」
その邪気のない笑顔での言葉であった。
「捨てられないわよ。皆私のぬいるぐみだし」
「ですが一つ位捨てられては」
いい加減部屋がぬいぐるみだらけだからだ。壁もベッドの上も本当にぬいぐるみだらけである。美幸が言うことも無理はなかった。
「如何でしょうか」
「駄目よ、御父様と御母様も仰ってたわ」
しかし彼女は少し怒ったようになっていつもこう言うのだった。
「ものは大事にしなさいって。そうでしょう?美幸さん」
「それはそうですが」
「だから。どれも捨てちゃ駄目なの」
こう返すのが常であった。
「絶対にね」
「やれやれですね」
ここで折れるのがいつもの美幸であった。仕方ないですね、といった顔になって結局は負けるのである。そしてある日のことだった。学校の授業が終わって迎えに来た美幸と一緒に車で家に帰っているとだった。不意に道にあるものを見つけたのである。
それを見た麻紀はすぐに。美幸にこう言った。
「美幸さん、車を停めて」
「車をですか」
「ええ、停めて」
こう言うのである。
「すぐに」
「一体どうされたのですか?」
「あそこ見て、あそこ」
後ろの席からの言葉である。車は家の運転手が動かしている。後部座席に美幸が右手、麻紀が左手に座っている。麻紀は左手を指差して美幸に告げてきたのだ。
「あそこに猫がいるから」
「猫もいるでしょう」
それに対する美幸の返答はクールなものだった。
「それが一体」
「首輪がないから野良猫よ」
彼女は言った。
「だから停めて。あのままだと可哀想よ」
「あの、お嬢様」
美幸は少し困った顔になって麻紀に告げた。
「野良猫なぞ幾らでもいますし」
「車停めて」
しかし麻紀はまだ言うのだった。
「町田さん」
「はい」
運転手の名前だ。赤い髪を短く切った若い女の人だ。女性の運転手なのである。
「車停めて」
「わかりました、お嬢様」
「ちょっと町田君」
美幸もまた彼女に声をかけた。自分より年下なので君付けである。呼び捨てにするのは好まないしちゃん付けは麻紀の手前宜しくない。それでいつも君付けにしているのである。
「そんなことしても」
「お嬢様の御言葉には逆らえませんから」
忠義一徹の彼女であった。
「ですから」
「仕方ないわね」
「ちょっと待ってて」
車を停めるとすぐに外に出る麻紀だった。仕方なく護衛の為に美幸も出る。彼女はただの執事ではなく麻紀のボディーガードも兼ねているのである。ついでに言えば麻紀が成長したならば秘書になることもあらかじめ決められている。文武両道の人物であるのだ。
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