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トワノクウ

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トワノクウ
  第十夜 吟変り(三)

 
前書き
 尋問と質問 

 

 銀朱は市女笠を外していたが、右半面は、包帯の上に呪文らしき文字を書いた布で覆われていた。それでもようやく、くうにも銀朱が男であるとの確信が持てた。

「どうでしたか、潤朱?」
「仰せのとおりにいたしました。彼女は間違いなく彼岸の友人です。この先は銀朱様の判断にお任せします」

 くうは心の弾みに任せてつい微笑んだ。ただし、潤には見られないようにした。簡単にほだされる女だと思われたくなかった。

「いいでしょう。――お座りなさいな」

 銀朱に言われてくうは腰を下ろす。

 銀朱は歩いていって上座に上がる。座る前に潤が音もなく座布団と肘置きを用意した。さすがは旅館の息子、人が寛ぐために必要な用意を心得ている。

 壇上の銀朱と、下に控えた潤。――くうは内心で焦る。

(たかが十センチでも見下ろされるのは精神的にきついな)

 ただでさえ小柄なくうは、相手を座らせなければ目線の高さを同じかそれ以上にできない。
 屈してしまえば冤罪者の運命特急便。平静を保て。

「まず、貴方の処置についてですが、現在協議中です。幸い陰陽寮筆頭の佐々木が来ているので、佐々木達も交えて決めます」
「あの、私のことの前に一ついいですか」
「どうぞ」
「藤袴はどうなりましたか? 私を神社に入れて、処罰されたりしないんですか?」

 はたと、潤が今思い至ったというように顔をしかめた。
 状況が状況でなければ、この大馬鹿! ぐらいは怒鳴りつけたかった。他ならぬ薫のことなのに忘れるとは何事だ。

「私自身があの娘を特にどうこうする気はありませんよ。先刻、少しばかり巫女達が彼女を詰問しましたけれど、彼女の師匠が仲裁したので大事には至りませんでした。ご心配なく」

 くうは一度も話したことのない黒鳶に拳を握って感謝した。

 銀朱はくすくすと、くうの様子を見て愉しんでいる。

「本題に戻りましょう。――問題にすべきは簡単なことです。篠ノ女空さん、貴方が肉体的あるいは対外的に妖と何かしら関わりを持つ者であるか否か、です」

 銀朱の話し方だとお天気の話でもしているような錯覚が起きる。

「あったら私はどうされるんでしょう?」
「よくて神社から叩き出す。害となりうる存在ならば――」

 銀朱の端正な半面から笑みが消えた。

「殺します」

 歪めるでも凄むでもない能面に、真っ黒な澱が体内で逆流したような吐き気がした。

 何がお天気の話題だ。とんでもない。今でさえ上から4トントラックにのしかかられている心地がして、畳に這いつくばりたいくらいなのに。
 やましいところがなのに、銀朱の尋常でない何かに屈し、砕かれそうだ。

 喘ぐように銀朱を見上げたくうの前で――突然、銀朱がくずおれた。

「銀朱様!!」

 潤が血相を変えて壇上に上がって、銀朱を支え起こした。
 銀朱は右半面に爪を立てて押さえている。苦悶に歪む表情。くうはただおろおろするしかなかった。

「長く外の空気に当たってはお身体に障ります。奥に戻りましょう」

 銀朱は大丈夫だと告げたいのか潤を押し返し、一度、くうを顧みる。

 潤に支えられて銀朱が立ち、くうの横をすり抜けて広間を出ていく。くうは一人広間に残された。

(憎まれてる)

 とてもすなおに納得できる、そんな銀朱の目だった。





 潤と銀朱が退席してからどれほどそうしていたのか。考えを巡らせていたくうを訪ねる者があった。

「佐々木さん……」
「おや。姫様や潤朱さんはいらっしゃらないんですか」

 佐々木とまともに話すのは二度目だが、一度目から変わらず飄々とした掴み所のない御仁だ。

「少し前に、銀朱さんの具合が悪くなって出て行かれたんです」
「あらら、すれちがいでしたか。それじゃしょうがないですね。姫様のあのお身体ですし」

 銀朱は体が弱いのか。それとも難病や障害を抱えているのか。
 どれにせよ、くうにはかける言葉がない。朽葉や薫のときと同じ無力感を、かすかに感じた。

(潤君や薫ちゃんなら、ああいう人にも上手いこと言えるんでしょうね)

 カラッポの自分とは違って、たくさんのものを持っている二人なら。

「ところで佐々木さん、どうして坂守神社に? 陰陽寮の方はよくここにいらっしゃるものなんですか?」
「いえね、今度予定してる討伐が神社と共同でやることになってるんですよ。その打ち合せも兼ねて、ここに頼りになりそうな人材を借りに来たんですけどね。姫様がああなって以来、妖の害は増すばかり。人手はいくらあっても足りませんよ。かえって人手を割かされるとは予想外でしたが」

 ほえ? くうは首を傾げる。

「君の見張りに何人がウチのをお貸しすることになりまして」
「そりは貴重な人員を奪ってしまいましてご迷惑をば」

 こうなれば平身低頭より他は選択の余地なし。

「おやおや。てっきり睨まれでもするかと思いましたが」
「皆さんを右往左往させたのはくうですから。はっきり無実だと分かっていても証明する手立てがないのが辛いとこですが」

 彼岸なら弁護士を呼べるのに。この世界、冤罪者に優しくない。

「これはお優しい娘さんだ。ですがねえ、篠ノ女さん、度を越した優しさは裏を疑われるだけですよ。特に私のような人間にはね」

 優しい。篠ノ女空とはもっとも縁遠い形容句に、くうは小首を傾げる。

「君、とっても胡散臭いですよ」

 虹彩や瞳孔が失せた白目が、のっぺりとくうを見据える。

「悪いのですが私は性悪説の人間でして、あまりたやすく人を信用できないんです。君が現状に何をもたらすかは知りませんが、一応何の犠牲が出るかは見張っておかないとと思いまして」
「――」

 くう頭を下げた。

「お任せします。良いように計らってください」

 いくらくうが朽葉と沙門の関係者でも佐々木にとっては危険因子になりうる存在だ。佐々木の判断は妥当だから責める気はない。苦しいものはあるがきっと今だけ、すぐに潔白が証明される、と押し込めた。

「くうも、元から人間はそんなにいいものじゃないって知ってます」

 佐々木は首を傾げた。くうは続ける。

「でも、だからこそ、優しくなりたいとか正しくいたいとか、よりよいものであろうとする気持ちが、とても好きです」

 ――生まれながら綺麗だったものが歪んでしまったと思うより、そのほうがずっと誰かを好きになれる、と尊敬するあの先生は言った。

「――どうやら君『も』、長生きできない種類の人間のようですね」

 去り際に佐々木のそんな台詞が残された。



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