機動戦士ガンダム0087/ティターンズロア
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第一部 刻の鼓動
第一章 カミーユ・ビダン
第一節 前兆 第五話
ふっと、ため息をついて、天井を見る。
十数年見慣れた天井がそこにあった。この部屋でカミーユとにワイヤードの使い方を教えてもらったり、一緒に勉強をしたものだった。
そんな日常が失われて、既に数年経っている。
(今日は妙にセンチメンタルな気分ね……)
何故だろう?
カミーユの居ない生活にもやっと慣れてきたと思っていたのに、(春だから……かな?)などと訳のわからない理由を自分に提案してみる。いや、そうではない。〈グリーンノア〉に忍び寄っている変化に自分が気がついたからだ。
カミーユが居なくなってからしばらくは、それほど変化は如実ではなかった。しかし、ティターンズの基地として〈グリーンオアシス〉が接収されてからは、日増しに変わっている。昼間のバス件だって、図書館の件だってそうだ。
そして、連邦軍と連邦政府の正体などという漠然としたものが、自分の中で言語化してしまったから、不安に感じてカミーユを求めてしまうのかもしれない。
ふと、画面に視線を戻すと、ディスプレイの右サイドにあるメール受信ランプが緑色に点滅していた。
「メール?」
ユィリイが驚くのも無理はない。今時ワイヤードにメールをしてくる人はほとんど居ないからだ。
機能としては旧世紀来、ついているし、一年戦争前ならば、使っている人も多かった。だが、ミノフスキー粒子が常用的に宇宙にまかれて以来、そういう習慣は一気に廃れた。電子メールなど、ミノフスキー粒子の影響でいつ消えてもおかしくないものだから、重要なことはリアルタイムで電話するかプリントアウトして郵送するのが普通だ。お陰で無線などという手段は消え去り、いまや携帯端末だって、ケーブルをつないでワイヤードにしなければネットワークに繋げることも出来ないのだから。
急いでメーラーを開いた。
だが、差出人の欄は空欄だった。
ウィルスチェックは通っている。不審なメールではない。なのに差出人がない……どういうことだろう。開けてみるしかないのか。ユィリイは少しだけ逡巡した。
メールには重要度が設定されていた。普通、そんな機能は誰も使わないし、使ったとしても、気づく人の方が珍しい。メールアドレスでは事務的な手続きも連絡もできない。基本的にはないのと同じなのだ。
(第一、アドレスを知ってる人なんて……)
使われないものは人に教えないし、教わりもしない。そもそもメールするぐらいなら電話をしてくる。
つまり、明らかに不審である。
一瞬開けることを躊躇う気持ちが勝りそうになった。が、開けてみなければはじまらない。不用意に開けてクライアントがダメになるかも知れないと思いながらも、引っ込みかけた勇気を振り絞って、メールと対峙することを決めた。
ーーカチッ
『ファ・ユィリイさんへ
ワイヤード上で、あまり自由なレポートを書かない方がいいでしょう。
ログは消去しておきました。
今後、しばらくは図書館に近づかないように。
近いうちにまたメールします。
貴女の味方より』
「どういうこと?!」
メールが目の前で霞の如く消えたのだ。
勢いよく立ちすぎて、椅子がドスンッと派手な音を立てて倒れた。下にも聞こえていただろう。
「消え……ちゃった……」
(え? これって、今日の昼間の図書館で書いていたレポートのこと?誰かにみられたってこと……? でも、ログを消したって……。それになんで、勝手にメールが消えちゃうの? 私の味方……ってどういうこと)
ユィリイには判らないことだらけだった。
だが、一つだけ判ることは、自分が書いた内容のレポートが誰かに見られたということ。それが、軍部の査閲に引っかかりそうだったのだろう。だが、誰かが、そうならないように未然に防いでくれた。
でも、一体誰が?
それに、私を助けてなんのメリットがあるの?
頭の中が疑問でいっぱいになる。
どうしよう。誰に相談すればいいのか、わからなかった。
(教授……話を聞いてくれるかしら……)
だが、他に頼る術もなく、ユィリイは、ワイヤードでスタンフォーレ教授のアドレスを探した。教授の名前をクリックして、テキストメッセージを送る。教授が前にあまりムービーメールや携帯があまり好きじゃないと言っていたからだ。
『スタンフォーレ教授
ファ・ユイリィです。
お話したいことがあります。近いうちにお時間を作ってもらえますか?
ご都合に合わせますので、できるだけ早めにお願いします。
ファ・ユイリィ』
送信ボタンをクリックする。
ボイスメールやムービーメールに慣れているユイリィには、テキストメッセージは妙に堅苦しい気がした。それに、切迫感が伝わっただろうか。
一刻も早く話をしたいと思ったが、そうそう返事が来るものではない。明日は教授の講義はなかったが、ゼミに行けば会えるかもしれないと気持ちを切り替えた。
――ポーン
着信音が鳴る。
丁度、教授はワイヤードに接続していたということだろうか。メールを開くと、明日の三時に大学の研究室に来る様にと書いてあった。
「明日か……」
不意に携帯が鳴る。
最近流行りのポップスである。呼び出し音として設定していたものだった。表示を確かめるとスタンフォーレ教授からである。
慌てて電話をとった。
「もしもし?」
――スタンフォーレだ。今、いいかね?
「は、はい! きょ、教授!」
落ち着いたバリトンが今のユイリィには心地よかった。上ずった自分の声が恥ずかしい。だが、そんなことを言っている場合ではない。
「あ、あの……」
――君からメールが届くとは思わなかったのでね、ちょっと心配になったんだが、電話では話しにくい内容なんだろう?
焦って落ち着きを失くしていた自分が、少しだけ納まっていくのを感じる。
「はい。明日三時に研究室へ伺います」
――今からそちらに向かおう。君の御宅の前に三〇分後に着く。それでいいかい?
「はい!」
――では後ほど。
スタンフォーレは言いたいことだけ言うとさっさと電話を切った。
時計は二一時〇五分を指している。
遅い時間とは言えない。とりあえず、着替えよう。カーテンからちょこっとだけ首を出す。キョロキョロと見回すが、何もない。
周囲に不審な様子がないか窺ったのだ。特に変わった様子は感じられなかったが、もしあったとしてもユィリイには見つけられなかっただろう。ティターンズの指揮下にある諜報部員がユィリイのような素人に見つかるはずもない。
少しだけ安心して、外出着に着替え、レポートをフィルムペーパーに転送する。フィルムペーパーにはワイヤードには繋がっている書換タイプとワイヤードに繋がらない書込タイプがある。紙に出力している暇がないと判断したからだが、もし、消失したとしても惜しくはないからだ。
紙媒体が復活したのはミノフスキー粒子の被害が日常的になってからであり、それ以前はこのフィルムペーパーが主流になっていた。液晶と電子機器の発達はすさまじく、紙の衰退を招いていたが、戦後、記録の保全は紙に戻ってしまっている。
急いで身支度を整えるとフィルムペーパーを巻き上げた。
下に駆け降りると、両親がテレビを見ていた。
「ユィリイ? こんな時間からお出かけ?」
イーフェイの声には少しだけ険がある。遅い時間の外出を快く思っていないのだ。だが、今はそんなことに構ってはいられない。
「出かけるというか、教授に渡すものがあるんだけど、もうちょっとしたら家の前に寄ってくださるって電話があったの」
ユィリイは最後まで言い切ることができなかった。イーフェイの悲鳴のような驚きの声に遮られたのだ。
「まぁ! スタンフォーレ教授がいらっしゃるの?」
リビングからイーフェイが出てこようとする。
慌ててユイリィは母親をリビングに押し返した。
「あぁ、家にはあがらないから」
「そんな訳にいかないでしょう?アナタがお世話になっている教授さんに」
「いや、そうじゃなくって、研究の話だから、誰にも聞かれたくないのよ」
せめて挨拶ぐらいしないとと言い出したイーフェイを宥めすかして追い返し、外に出る。もうすぐ夏休みというのに夜が肌寒く感じたのは気のせいだろうか。
ほどなく、教授のものらしいエレカが来た。
――プッ
短いクラクションが鳴る。周囲を警戒してか、家の真ん前には付けず、少しだけ手前に止まっていた。
スタンフォーレのエレカは割とスポーティーだった。レンタルタイプではなく、自家車に違いない。エレカは個人で持つことを許されてはいたが、あまり持つ人は多くなかった。というのも、コロニー内ではいつでもどこでも安価に借りることができるからだ。持っているのは余程の金持ちか、改造したがる連中だけだった。その改造も違法すれすれである。
「教授」
「とりあえず、助手席へ」
反対側から開けられたドアから、スタンフォーレが声を掛けた。頷いて助手席に座る。
バタンとドアを閉めると、スタンフォーレがエレカを発進させた。
ギルバート・スタンフォーレ教授はイギリス生まれの生粋のアースノイドだ。近代史学の教授でもあり、どちらかというと親スペースノイドの立場であった。彼は豊かな髭と、厳しそうな顔をした初老の紳士でもある。市立グリーンノア国際大学に招かれて教鞭をとってはいるが、移民した訳ではない。偏見のない平等さと話の面白さ、毒舌さが学生の人気だった。
厳しいというのは、表情ではなく、強い意志をもった瞳が印象的ということであり、正体を見抜かれるかのような洞察力を持っている雰囲気があるのだ。
しばらくして街中に入ると、スタンフォーレはエレカをオートにして、ユィリイに話を促した。
「これを見てください」
フィルムペーパーを開いて渡す。
スタンフォーレは怪訝な顔を一瞬のぞかせたが、ユィリイのフィルムペーパーを再生し読み始めてくれた。読み進む内に愉快そうな顔をしはじめる。
「これは何処で書いたね?」
「国立図書館です」
事情を手短に伝える。
ふむふむと真剣な表情で頷き相槌を打つ。
驚いたりせず、落ち着いたスタンフォーレの様子にユィリイは自分が安心していくのを感じていた。
「なるほど。この件は私に任せなさい。君は何もしてはいけないよ。それと……夏休みに私の研究室でアルバイトをしてみないか?」
「アルバイト……ですか」
「いやなに、私の研究の手伝いだよ。この件のこともある。近くに居てもらった方が都合がいい」
意味深に笑顔を向けたスタンフォーレに、ユィリイはそれ以上何も聞けなくなってしまった。
「そのメールの送り主にも会えるぞ?」
ユイリィは初めてスタンフォーレが謎めいた人に見えた。これまでスタンフォーレは、優しいが鋭い目つきを持った頼りがいのある茶目っ気たっぷりの初老の紳士だったが、ここでそれが羊の皮であり、本性は謎めいた陰謀家なのではないか、と勘ぐった。
ユィリイは自分が何か運命の岐路に立たされている様に心細さを感じていたが、何故かスタンフォーレを疑う気にはなれなかった。
「では決まりだな?」
スタンフォーレは再びエレカのハンドルを握ると、ユィリイの家へと進路をとった。
後書き
第五話は正直に言って尻切れトンボ。
こっちの話で進めてもよかったんじゃないか?と思うほどです。いずれこの話はきちんと続きを書きますが、ひとまずは「カミーユにバトンタッチ」です♪
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