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真・恋姫†無双 劉ヨウ伝

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第128話 劉協と董卓の不和

 董卓が洛陽に上洛して一ヶ月が過ぎようとしていた。董卓陣営の面々は皇帝を誘拐した張譲を誅殺した功で朝廷より官位を賜った。董卓は少府に加え司隷校尉、賈詡は尚書令、張遼は左中郎将、呂布は虎賁中郎将、陳宮は虎賁中郎にそれぞれ任官された。

「賈尚書令、董少府は今日も朝議を欠席か?」
「王司徒。董少府は司隷校尉の役目で洛外に出ております」

 ここは宮城内の集議の間。上座の一際高い場所には皇帝が座り、三公、九卿、その他百官が各々の席に腰をかけている。朝廷ではある問題で紛糾していた。それは宮廷を襲撃し十常侍を誅殺した麗羽に追手を差し向けた件。

「董少府には問いただしたいことがあるのだがな」
「袁本初の件につきましては、この私が董少府の成り代わり回答させていただきます」
「賈尚書令! 董少府は陛下を愚弄しているのか?」

 王司徒と呼ばれた壮年の女性が険しい表情で賈詡に詰問した。彼女は王允。清流派の重鎮で張譲とは因縁浅からぬ関係だった。黄巾の乱を引き起こした黒幕の一人が張譲であることを知った彼女は張譲を糾弾した。だが、逆に霊帝の逆鱗に触れ、牢獄に入れられ処刑される寸前まで追い込まれた。彼女の宦官派への恨みは他の清流派の士大夫より強い。彼女は表向きは宮廷を襲撃した麗羽を何らかの処罰が必要と主張するが、心の底では宦官を排除した麗羽を賞賛していた。逆に董卓のことは都合よく張譲を誅殺した手並みから漁父の利を狙って出世した卑しい人間と蔑んでいた。

「王司徒、董少府はそのような恐れ多い考えお持ちであろうはずがございません。奸臣張譲を誅殺したことが董少府の潔白を証明しております」

 賈詡は淡々と王允に答えた。王允は賈詡の返答に苦虫を噛み潰した表情をするが直ぐに平静を取り戻した。

「王允。もうよいだろう」

 劉弁が人の良さそうな表情で言った。

「しかし、陛下」

 王允が劉協に食い下がる。

「王允、賈詡より袁本初は冀州へ落ち延びたと報告を受けているではないか。朕は袁本初の忠臣の心十分理解している。だが、宮廷を襲撃した罪は重い。朕は袁本初の官位を全て解官することで処罰とする」

 劉弁の言葉に王允は沈黙したが瞳は賈詡に向けられていた。その瞳は賈詡に対する怒りで満ちていることが傍目から見ても分かった。彼女が劉弁の決定に意見をしなかった理由は麗羽の処罰として無難なものと思ったからだろう。

「これにて朝議は終わりとする」

 劉弁は椅子を立つと賈詡と王允、百官は皆、その場に平伏して劉弁が去るのを待った。



 「賈尚書令、待たれよ」

 王允は侍中の荀爽を伴い集議の間を出て行こうとする賈詡を呼び止めた。賈詡は背後から自分を呼ぶ声の主が誰だか直ぐわかったようで面倒臭そうな表情をした。しかし、振り向き様にはそんな素振りを見せず王允に相対した。

「王司徒、何でございましょう」

 賈詡は恭しく拱手して尋ねた。

「董少府はこう多忙では大変であろう」

 王允は先ほどと打って変わって笑顔で声をかけてきた。賈詡は王允の態度を訝しむが、それを態度に現すことはなかった。

「常日頃、董少府は朝廷のための苦労と思えば、苦労も喜びと感じると申しております」
「董少府には頭が下がる思いだ」
「もったいないお言葉でございます。董少府にも王司徒がそう仰られたと伝えさせていただきます」
「私は董少府の苦労を少しでも軽くしたいと思ってな。車騎将軍に都の治安維持を担っていただくため上洛をしていただいてはどうかと思っている」
「車騎将軍をでございますか?」

 賈詡の表情は強張った表情になる。王允は賈詡の様子を見て笑顔のまま目を細めた。

「そうだ。華北での車騎将軍の威勢は飛ぶ鳥を落とす勢いと聞く。そのような御仁に都を守護していただければ我らとしても安心できよう。朝議に参加できぬほど多忙の董少府も少しは楽になると思うのだがな」

 王允は畳み掛けるように賈詡に言った。

「車騎将軍は冀州牧を兼任されております。現在、華北は異民族が跋扈し、車騎将軍はその抑えとして睨みを効かしているからこそ平原の安寧が守られていると具申いたします」
「賈尚書令は車騎将軍が上洛しては都合が悪いようだな」

 王允は賈詡を嫌そうな表情で見た。

「そのようなことはございません」
「先ほどのことは忘れてくれ。最近、田舎から上ってきた物騒な奴等の存在に不安感を募らせる者達が多くてな。車騎将軍であれば宗室という高貴な血筋と先帝に重用された人物であることから、その者達の心も安らかになるだろうと思っただけだ」

 王允は態とらしい嫌味を賈詡に言うと去っていた。賈詡は王允の言葉を黙って聞いていたが彼女の拳は血の気を失うほど強く握り絞められていた。




「あいつ等!」

 賈詡は集議の間から一目散に自分の執務室に戻ると机に向い椅子に深々と腰掛け目を瞑る。暫くすると歯ぎしりし両手で執務の机の上を何度も叩き続けた。机の上に山積みになった竹巻が崩れ落ちるが彼女は気にも止めていない。
 その様子を張遼は部屋の隅の壁に背中を預け腕組みしながらのんびりした表情で眺めていた。彼女は賈詡に呼ばれて先に賈詡の部屋を訪れていた。

「機嫌が悪そうやな。出直してきたほうがええかな」
「気にしなくてもいいわ。王允の婆とちょっとあっただけ」
「ほうか。王允は賈詡っちに空きもせんと突っかかってくるな」

 張遼は哀れむような瞳で賈詡を見ると苦笑いをしていた。

「あいつとあいつの取り巻きは目の上の瘤だわ。いっその事、実力行使で排除してやりたいくらい。でも今は無理だわ」

 賈詡は鼻息を荒くしながら王允への怒りを露にしていた。集議の間での出来事を思い出したのだろう。

「賈詡っち、あまり気せん方がええで。こればっかりは気長に構えるほかないやろ」
「霞。ところで禁軍の掌握はどうなの?」

 賈詡は顔だけを上げ、誰が見ても機嫌悪いと分かる表情で張遼の方を見た。張遼は口角上げ笑みを賈詡に返す。

「何進を失ったせいで動揺しきっているから、そないに難しいことはないな。中にはウチ等ことを面白うないと思うとる者がいるけど。数は三割というところやろか」
「そいつらはどうする訳?」
「何もせん」
「反乱の危険性があるんじゃない」
「じゃあどうせいというん? 始末するなんてできんやろ。それより協力するように説得するのが一番や。ころころと主変えれる奴より余程信用できるわ」
「それはそうね。でも、出来るの?」
「ウチ等次第やろ。地道に信頼を勝ち得ていく。直ぐ直ぐには無理やろうけど半年位あれば少しはウチ等に協力してくれるやろ」
「気の長い話ね」

 賈詡は疲労した表情で天井を見ていた。

「武官は何とかなりそうだけど。問題は文官の連中ね。元々からの高官が絶望的に私達へ敵対心を抱いているわ。本当に面倒だわ」
「そないにか?」
「ええ。このままだと政争に明け暮れている間に群雄割拠の時代に突入しちゃうんじゃないかしら。皇帝陛下には廃位していただく他ないわね。でも時期を見誤ると私達は逆賊になるわ」
「物騒な話やな。賈詡っち、その方法しかないんか?」
「私達にそんな沢山の選択肢なんてないわ。都に縁故なんてないのよ。私達はこの都では異物。武力にものをいわせ権力を得ているだけ」
「不正を行なう官吏や宦官を粛正して都の内政に役立っているのに酷いな」
「不正官吏を荒事で粛正しているのが気に入らないんでしょ。始末した悪徳官吏達を正攻法で粛正していたら都の治安はいつまでたっても良くならないわ。粛正しても粛正しても湧いてくるんだからしょうがないじゃない。劉正礼が都に見切りをつけた理由がよくわかるわ」

 賈詡は天井を見上げたままうんざりした表情で愚痴った。

「涼州に戻ったらええんやないか? 無理して大層な夢目指さんでもええやろう」

 張遼はどうでもよさそうに賈詡は言った。

「何言ってんのよ! 腐っても朝廷は朝廷。利用価値は十分にある。政情不安につけ込めば私達が朝廷を掌握するのも夢じゃないの。これを足がかりに絶対に月の名を天下に轟かせてやる」

 賈詡は椅子から飛び起き張遼に自分の夢を熱く語った。

「賈詡っち、そうは言っても。陳留王とウチ等険悪な関係やろ。ウチ等に協力するとは思えんのやけど」
「陳留王には何が何でも協力させるわ。それに陳留王は月のことは悪く思っていないし、陳留王のことは月に任せるわ」
「月にか。無理やないか」
「大丈夫。私が補佐するし」
「余計に心配やな」

 張遼は賈詡の言葉に心配そうな表情を賈詡に向けた。

「何がよ?」
「賈詡っちが行くと火に油を注ぐことになると思うんやけど」
「仕方ないでしょ。月だけじゃ腹黒いことを出来るわけがないじゃない」

 賈詡は眉間に皺を寄せ張遼を非難した。張遼は「自分のこと腹黒いと認めるんか」と言っているような表情をしていた。

「劉正礼のこともあるしね。どうしても陳留王の協力は不可欠だわ」
「陳留王と劉正礼にどんな関係があんねん」

 賈詡は面倒臭そうなに張遼を見て口を開く。

「わからない?」
「真逆、陳留王と劉正礼が恋仲とかか? 無いやろ」

 張遼は腹を抱えて大笑いをした。

「恋仲なわけないでしょ!」
「じゃあどない関係と言うん?」

 張遼は笑いを堪え、青筋を立てる賈詡を見た。

「まだ確信は持てないんだけど、劉正礼は陳留王の後見的な立場じゃないかと私は睨んでいる。でも、公式にと言うものじゃないと思うの」
「どういう意味や?」
「劉正礼の昇任の速さは普通じゃないのよね。彼は宗室だけと皇族じゃないのよ。分かる? まあ、三公を輩出した名門の出身ではあるんだけど、それを考慮しても昇任の速さは普通じゃない」
「先帝の覚えが目出たかっただけとちゃうん」
「それはあるんだしょうけど気になることがあるの。劉正礼は何進派でしょ」
「そりゃ、そうやろな。劉正礼の妻・袁本初の上司は何進やったんやろ?」
「ええ。でも、劉正礼は張譲派にも足を突っ込んでいた感じがするのよね。ううん! 違うわね。張穣派じゃなくて先帝派と言った方が正しいわね」
「二股かい。そんな真似してただじゃすまんやろ。隠し通せると思えんで」

 張遼は「ありえへん」という表情で賈詡を見た。

「張穣派じゃなく、先帝派と言っているでしょ。だから問題にならなかったのよ。先帝の密命であれば、バレようが何進が騒げる訳ないじゃない。知ってても黙認せざる負えなかったと思うの」
「先帝派ね。先帝派は何をしようとしていたんや」
「皇帝陛下が即位される前、激しい後継者争いが起こったのは知っているわね」
「知っているで。ウチ等も張穣と談合しとったからの」
「何進派は『劉弁』、張穣派は『劉協』をそれぞれ推したことが後継者争いの発端。先帝は『劉協』を次期皇帝に推したいと考えていた。劉協は後ろ盾が誰もいない。彼女の母は何皇后の嫉妬から死に追いやられた。唯一、彼女の支えとなったのは先帝の母君の董太后。先帝は不安だったでしょうね。自分が死んだ後、皇帝に即位して欲しい劉協を支える者が誰もいないことに。政争に敗れて死ぬかもしれないんだし」
「そこで劉正礼か」
「そうよ。劉正礼は華北で異民族を救うために自ら汚名を被るような激甘な男。先帝の目には彼が輝いてみえたんじゃないからしら。彼がいくら何進派といえ、彼に劉協を託せば悲惨な目に遭わせるはずがないと確信したはずよ。そして、先帝は劉正礼に劉協を護りぬけるだけの力を与えた」

 賈詡は眼鏡の縁を指で押し上げながら真剣な眼差しを張遼に向けた。

「そやけど劉正礼は陳留王を皇帝に推すために動かなかった。違うな。何進派と張穣派のしがらみで動けなかったということか。袁本初の救援の軍が異常に迅速やったのも、都に変が起これば直ぐに動けるようにしていたということなら頷けるな」
「先帝は崩御した後だし、皇帝の後継者争いに参加せず日和見を決め込むことで何進派と張穣派の顔を立てたということでしょうね。救援の軍を迅速に派遣する準備を事前に行なうんだから、何進が命が狙われる可能性が高いことは容易に予想がついたと思うわ。でも、何進を警護するための兵を一人も派遣していない」
「何進が死んでも構わんかったということかいな。酷い奴やな。でも、ウチ等が言うことやないな」
「証拠はないけどね。劉正礼の行動からして張穣に力を貸すとは思えないのよ。先帝の頼みであれば別でしょ」
「でも劉正礼が陳留王を皇帝に推戴する密命を受けていたんならまずいちゃうか。張譲派が勝利した場合、劉正礼が協力しなかったことを糾弾せんとも限らんで」

 張遼は黙考した後、賈詡に疑問を投げた。

「密命は皇帝に推戴することじゃなかったんでしょ。だから亀みたいに冀州に引っ込んで勢力拡大に専念していた。でも先帝からの密命があるため密かに都を監視していた」

 賈詡は「ここまで言えばわかるでしょ」と言わんばかりの表情で張遼を見た。

「陳留王の守護か」
「先帝の親心ね」
「劉正礼が陳留王の守護を先帝から頼まれていたなら、陳留王は劉正礼と面識あるはずやな」
「陳留王と劉正礼との間にそれなりの信頼関係があるな。でも憶測の域やろ。賈詡ッチ、確信はあるんか?」
「確信はない。でも袁本初に追手を放った件を知った時の陳留王の剣幕は凄かったわ。私達が彼女の身内に危害を加えたような怒りようだったもの」
「それだけかい。陳留王は聡明で潔癖そうやったし、単に嫌っていた宦官を誅殺した袁本初に共感してただけとちゃう」
「その可能性は捨てきれないわ。でも、劉正礼と交渉する窓口がどうしても欲しいのよ」
「藁をも縋る気持ちか。幸先悪そうや」

 張遼は賈詡の心境を慮って渋い表情をした。賈詡は正宗が華北を併呑するまで動かないと確信しているが状況が何時一転するかわからないため不安を払拭できなかった。
 また、正宗が華北を併呑するということは董卓陣営にとって脅威でしかない。それが現実のものとなれば正宗に抗える諸候はいるのだろうか。

「賈詡っち、ウチ等詰んでるんとちゃう」
「だから時間稼ぎが必要なのよ。それに幽州には皇族の長老・劉虞がいるわ。彼女がいる限り、劉正礼が露骨に天下への野心を示すことは難しいはず。彼は後顧の憂いを取り除くまで南下しようと思わないわ」

 賈詡は真剣な表情で張遼を見た。

「劉正礼と何を交渉するんや。ウチ等の要求を『はいそうですか』と飲むとは思えんけど」
「不可侵の密約を交わすつもりよ。対価は彼女の姉・劉公山を兗州牧への任官」
「兗州の牧の地位か。青州で黄巾賊が跋扈しているから兗州に牧を置くことは無理なことやないな。でも、劉正礼やなくて姉の劉公山にとはな。劉正礼は納得するやろか」
「劉正礼の一族、それも実姉に兗州を任せるのよ。文句ないはずよ。これ以上、あいつに力をつけさせる訳にはいかないの。劉公山はあいつと違い文官肌の人物。青州黄巾賊を背後に身動きが取れなくなるはず。自ずと劉正礼は劉公山を支援するために戦力を分散することになる。劉公山自身も州牧になれば人材集めと政務に忙しくて朝廷へ目に向ける暇なんてないでしょ。劉公山が青州黄巾賊に殺されれば御の字なんだけどね」

 賈詡は青州の状況を見誤っていた。青州の黄巾賊は正宗の配下、張姉妹によって掌握されていた。正宗は青州を意図的に政情不安な状況に置くことで冀州牧である彼が青州へ介入する口実を作っていたのだ。

「陳留王と劉正礼が知己でない場合、どうするんや?」
「そのときはそのときよ。どうにかして劉正礼と交渉の糸口を作るわ。はあ。袁本初を抑えられなかったのは本当に痛いわね」

 賈詡は疲れた表情で嘆息した。それを見た張遼は申し訳なさそうな表情を賈詡に返した。

「霞。あんたのことを非難していないわ。ごめんなさいね。ちょっと疲れているみたい。少し休んでから月と陳留王の元に出向くわ」

 賈詡は張遼に頭を下げた。

「そうか。じゃあ、ウチはお暇するな」

 張遼は賈詡に手を振り部屋を後にした。部屋に残された賈詡は椅子に目深に腰掛け目を瞑り仮眠を始めた。数分後、賈詡から寝息が聞こえてきた。



「陳留王、本日はご機嫌麗しゅうございます」


 董卓と賈詡は劉協の元を訪ねていた。劉協は賈詡を確認するなり露骨に嫌そうな顔をしてきた。その態度に月は困った表情で劉協と賈詡を見ていた。

「何用で参った」

 劉協は董卓と賈詡を見比べ感情の篭らない表情で言った。

「陳留王とお話をしたくて参りました」

 董卓は屈託のない笑みで返事した。彼女の雰囲気からは悪意は全く感じられない。

「月、お前に言っているのでない。賈詡に言っている」

 劉協は賈詡を訝しむような表情で見た。劉協と賈詡の間には些か確執があった。賈詡は張譲を誅殺しようとした麗羽に追手を放った。これに劉協は激昂した。劉協は兼ねてより専横を極まる張穣率いる十常侍を蛇蠍の如く嫌っていた。それを排除しようとした麗羽に劉協は好意的に思っていた。また、麗羽が友の契りを交わした正宗の妻であることもあり、賈詡のした行為がどうしても許せなかった。
 そして、劉協は麗羽の件で董卓達を糾弾した。しかし、賈詡はどんな理由があろうと宮廷を混乱させた麗羽を捕まえることは当然と劉協に抗弁したため、逆に劉協は賈詡に「お前達はどうなのだ!」と罵声を浴びせたのだった。劉協にしてみれば麗羽の行いは奸臣を排除するための義挙。董卓達は禁軍を掌握し百官を武力で恫喝して権力を得ようとする奸臣に写っているだろう。ただ、劉協の様子から董卓に対してだけは好意的な感情を持っているように見て取れた。

「詠ちゃ、尚書令は決して悪意を持って袁本初殿に追手を放ったわけではありません。彼女は職務に真面目なだけです。陳留王、どうか尚書令のことをお許しください」

 董卓は悲しそうな表情で必至に劉協に訴えかけ頭を下げた。賈詡は董卓の背後で董卓に倣い頭を下げた。

「月、お前の友を悪し様に言いとうはないが、そちの見立ては間違っておると思うぞ。そやつは袁本初に追手を放った理由は拘束が目的ではなかろう」

 劉協は賈詡を蔑むような目付きで賈詡を見た。

「陳留王、恐れながら申し上げます」
「なんじゃ」
「目的と仰るのはどういう意味でございましょうか? 私に二心などございません」
「賈詡、お前は袁本初を拘束した後、車騎将軍を脅迫するつもりでなかったのか?」
「そのようなこと滅相もございません」
「月並みよな」

 劉協は賈詡の返答は予想がついていたのか、興味が失ったように席を立つと庭園を見渡すことができる縁側にゆっくり移動した。董卓と賈詡は劉協の後を追う。

「陳留王、袁本初殿の件は私が尚書令にきつく申し付けております。どうかお怒りをお沈めくださいませんか」

 董卓は必至に賈詡への許しを乞う。

「月。もうよい」
「では?」
「許す」
「ありがとうございます」

 董卓は満面の笑みで劉協に礼を言った。

「陳留王。寛大なお心に感謝いたします」

 賈詡も劉協に礼を言うと劉協は頭を軽く縦に振り返事した。

「それで今日は何用だ」

 劉協は「要件は早く言え」という表情だった。

「はい。陳留王は車騎将軍とはお知り合いでございますか?」

 董卓は短刀直入に劉協に聞いた。側に控える賈詡は董卓の言葉に驚いている様子だった。

「車騎将軍と会ったことも話をしたこともない。だが、機会があれば会ってみたいな」

 劉協は動じることなく董卓に答えた。賈詡は劉協を一挙手一投足見逃すまいと凝視していた。

「そうですか……」

 董卓は劉協の返答に力無く言った。

「もう終いか?」
「いいえ。世間話でもしませんか?」
「そうか。賈詡、お前も加わるのか?」
「陳留王がお許しくだされれば」
「許す」
「ありがとうございます」

 賈詡は深々と拱手をした。

「おい、三人分の焼菓子と茶を持て」

 劉協は侍女に命じて茶会の仕度させた。劉協は自分の指定席に腰をかけた。董卓と賈詡は劉協が座るのを確認すると彼女に倣い台を間に挟み椅子に腰かけた。

「お前達は都の生活には慣れたのか?」
「はい。おかげさまでつつがなく生活できています」
「それは良かった」

 劉協は董卓に笑みを返す。すると茶会の仕度を終えた侍女が三人に焼菓子と茶を配膳していく。それが終わると侍女は劉協に一礼し去っていた。

「月、市井の者達はどうしている。相変わらず飢えておるのか」
「はい。努力をしておりますがもう少し時間がかかると思います」
「そうか」

 劉協は悲しそうな表情で湯のみを持ち茶を口にした。

「私も茶でなく白湯(さゆ)に変えるかの。菓子も暢気に食べておれんな」

 劉協は少し俯き独白した。

「陳留王、そこまでなされなくても」
「民の飢えているのに贅沢はできまない。私は食事が出来て寝るところもある。民からすれば今でも十分贅沢すぎると思う。月は気にすることはない。私の偽善でしかないのはよう分かっている。それでも何かしたいのだ」

 劉協は月に力なく微笑みかけた。月は劉協の言葉に心討たれた様子だった。対して賈詡の表情は沈黙したまま何も答えなかった。

「車騎将軍は冀州にて内政改革を行い農産物の増産に成功していると聞き及んでおります。車騎将軍のご協力を得ることができれば、都の民の暮らしぶりを解決できるのでないかと思います」
「車騎将軍は有能なのだな。月、賈詡。お前達も車騎将軍を見習い頑張ばらなければならないな」
「はい!」

 劉協は正宗の話を聞くと我がことのように嬉しそうな表情だった。董卓は劉協の激励に力強く返事をした。

「ところで賈詡。先ほどからお前の話は車騎将軍のことばかりだな。お前は車騎将軍を河南尹に推挙したいと思っているのか?」
「いいえ。そのようなことは」
「では何故そのようなことを言う」
「車騎将軍に内政のご指南をしていただきたいと常日頃より考えておりましたのでつい」
「賈詡、お前はよくやっていると思っている。自身を持て。いずれ結果がきっと出るはずだ」

 劉協は賈詡に諭すように言った。月は笑顔で二人を見ていた。

「ありがたきお言葉感謝いたします」

 賈詡は拱手して劉協に礼を述べた。

「車騎将軍に面会を望むなら皇帝陛下に願いでればよい。兄上なら聞き届けてくれるのでないか? まあ、お前の多忙振りを見るに冀州へ出向く暇などないと思うが」

 劉協は賈詡を見て言った。劉協の最もな意見に董卓と賈詡は沈黙した。

「陳留王。本当に車騎将軍とご面識がないのでしょうか? 実は今日ここに参ったのは陳留王と車騎将軍が知己であると教えてくれた者がおりまして」

 賈詡は劉協に鎌をかけた。一瞬、劉協の表情が強張るが直ぐに平静さを取り戻していた。しかし、賈詡はその一瞬を見逃さなかった。

「知らぬな。そのようなことを申した者は誰なのだ?」
「内密にする条件で教えていただいたものですから何者かは申し上げるわけにはいきません」

 賈詡は劉協の質問に答えなかった。

「まあよい。そのような世迷い言を口にする者など興味はない」
「陳留王、お願いいたします。車騎将軍と知己であればお力添えをお願いいたします。我らは車騎将軍の奥方に追手を放ち、そのことで恨みを抱かれているかもしれません」

 賈詡は頭を下げ劉協に頼み込む。

「車騎将軍とは知己の間柄ではない。私などでなく皇帝陛下に言え」

 劉協は賈詡の言葉など意に介さず突き放すように言った。

「我らは車騎将軍とのわだかまりを解消したいだけです。私事で皇帝陛下の手を患わせるなど不敬かと思いました。そこで陳留王の知己をお頼りしたいと考えました」

 賈詡は劉協の言葉など聞いていないとばかりに話を続ける。その態度に劉協は怒りを覚えている様子だった。

「聞こえなかったのか。私は車騎将軍と面識などない!」

 劉協は正宗との関係を強く否定した。劉協と正宗の交流を知る者は先帝、張譲など極少数に限られる。この前の宮廷襲撃で主だった宦官が死んだ結果、劉協と正宗の交流を知る者はいない。それにも関わらず劉協と正宗が知己であると確信した態度を露にする董卓達に劉協は不信感を抱いているようだった。

「陳留王もう一度お聞きいたします。車騎将軍と面識がおありでないのですか?」

 董卓は陳留王に純真無垢な表情で質問した。

「あるわけがなかろう。車騎将軍は先帝に重用されておったから宮廷内で良く話を聞いた程度。しかし、袁本初が十常侍の誅殺したことは胸がすく思いであった。そう言えば張穣はお前達が誅殺したのであったな」

 劉協は上機嫌に言った。

「本当に車騎将軍とは知己でないのでしょうか?」

 賈詡は劉協を厳しい表情で見た。劉協は賈詡の威圧に動じることなく即答した。

「知らぬ。お前達も知っているだろう。私は母と若くして死に別れ董太后に育てられた。後ろ盾も何も無い私が車騎将軍と知己であるわけないだろう。車騎将軍と知己がある者など私の周辺に尚更いるわけなかろう」

 劉協は自らの身の上を恥じることもなく董卓と賈詡に言い放った。二人は彼女の言葉に閉口せざる負えなかった。

「陳留王、ご不快な思いをさせてしまい申し訳ございませんでした。今日は失礼させていただきます」
「月っ!」

 賈詡は董卓の言葉に抗議しようとすると董卓は後ろを向いて賈詡の顔を見据えた。賈詡は何か言いたそうな様子だったが何も言わなかった。



 陳留王の屋敷を出て董卓と賈詡が馬車に乗り込むと走りだす。暫くすると賈詡が口を開いた。

「月、どうして引き下がったのよ」

 賈詡は不貞腐れた表情で董卓を見た。

「陳留王は知らないと言ったでしょ」

 董卓は天使の微笑みを賈詡に返す。賈詡は気勢が削がれたように溜息をついた。

「あんなの嘘に決まっているでしょ。あの餓鬼は間違いなく劉正礼と知り合いよ」
「もう。陳留王と車騎将軍のことをそんな呼び方しては駄目だよ」

 董卓は困った顔で賈詡を見た。

「月、分かったわよ。陳留王、車騎将軍でいいんでしょ」
「うん!」

 董卓は満面の笑みを浮かべ賈詡に言った。彼女の笑みは正に花が咲いたと表現が言い得て妙だった。

「月、陳留王と車騎将軍は知り合いのはず」
「それは詠ちゃんの推論だよね」
「そうだけど。私が鎌をかけた時の態度で確信に変わったわ。間違いなく知り合い」
「それでも陳留王を困らせないの。車騎将軍と知り合いだとしても、それを隠すということは事情があるんじゃないのかな。無理強いは良くないよ」
「月は全然分かっていないわ。車騎将軍が私達を本気で潰す気になれば跡形も無く叩き潰されるわ。本来なら袁本初を使って車騎将軍を抑えるつもりだった。でも、それに失敗した以上、車騎将軍と和解して向こうをこちらに取り込まざる負えない」
「詠ちゃん、どうして袁本初さんを捕らえようとしたの?」

 董卓は賈詡を悲しそうな表情で見つめる。

「それは月のためよ」
「私はそんなことを頼んでない」
「月、あなたは天下を収める器量があるわ。私はあなたが蒼天を引き継ぐ日を側でみたいの」

 賈詡は董卓の肩を掴み熱く語った。

「そんな恐れ多いこと考えたことないわ。私は皆が幸せに暮らせればそれでいいの」

 董卓は涙を瞳に湛え、賈詡を見つめる。その表情に賈詡は目を逸らし俯いた。

「月、ごめん。でも、月の望む幸せな暮らしだって何時まで望めるかわからない。これから世は乱れると思うわ。もう朝廷の威光は地に落ちようとしている。その時、月の望む未来を守るためには力がいるの。悲しい話だけど力がない者はただ一方的に蹂躙されるだけ。わかるでしょ。西涼でだって力ない民草が虫けらのように死んで行くのを毎日見たじゃない」
「詠ちゃん」

 董卓は賈詡の言葉を聞き胸を痛めている様子だった。賈詡が天下を望む理由。賈詡もまた乱れた世を憂い少しでもよくしたいと思っていることが痛いほど理解できたからだろう。

「ごめんね。詠ちゃん。私、いままで詠ちゃんのこと理解できていなかった」

 董卓は賈詡を優しく抱きしめた。

「月。私もごめん。月は争いごとなんて嫌いよね。でもね。月みたいな人物に天下を取って欲しいの」
「私にできるかな」
「月なら出来るわ。涼州でも私達旨くやったでしょう。必ずできるわ」
「詠ちゃん、もう少し時間を頂戴。自分の中で整理をしたいの」

 董卓は賈詡から離れ、彼女に力強く微笑んだ。その表情を見た賈詡は嬉しそうに微笑んだ。 
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